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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述9 赤い大地と精霊の歌
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記述9 赤い大地と精霊の歌 第3節

『昔々に語り継がれた物語 神が創り出したこの世界

 世は終焉の時であり 再びこの地が神の手により蘇ることは無い』

 

 

 物心ついた頃から、不思議な声と共にあった。

 私にしか聞こえない、誰の眼にも見えない真実の言葉だ。故にそれらは私以外のものには受け入れがたく、狂人だのと、病人だのと、煩わしいものを見る目で侮られることは昔から多かった。今でも少なくはない。

 しかし孤独は感じない。名も無き声の主が、私の良き隣人としていつでも傍らに寄り添っていてくれた。思うに私は、この美しい声の主……あるいは『彼女』とも呼べるこの大いなる存在に、恋をしていたのだろう。

 

『あなたは空が白い理由を知っていますか』

 その声は、窓の外から射し込む一筋の光のよう。


『あなたは海が黒い理由を知っていますか』

 その声は、干乾びた砂場の底から湧き出た流水のよう。 


『あなたは大地が赤い理由を知っていますか』

 その声は、崩れた煉瓦街道の上を吹き抜ける一陣の風のよう。


 彼女は私に『人間である限り生涯を費やしても到達しえない世界の真実』の数々を、歌うように教えてくれた。声は時に大地の鼓動とともに足裏を揺さぶり、空の息吹に乗って肌を撫で、遠き海の果てから届く潮騒と混じって耳の奥底へ流れ着き、私の魂の内側へ、深く、深く、沁み込んでいく。

 これらは途方もなく美しく、そして正しいものであると私は信じる。

 だからこそ、私はこの素晴らしい声の数々を言葉に変えて、世界に残さねばならないと悟った。伝導こそが使命であると、魂が私の全てを駆り立てた。

 つまるところそれは、一個体の生物であることを辞めるということに違いない。まだ年若い頃にはこの選択を憂い、自分が本当に狂人であればどれだけ良かっただろうと、考える夜もあった。生憎にも私の性格は、苦悩することに全く不向きであったようだけれども。

 

 人間としての営みにまぎれ、識者の仮面を被って書物をしたためる日々が続く。

 夢想家や妄想主義者という言葉で私を罵る者の数は一向に減らなかった。無理もない。研究の代わりに瞑想に耽る私の姿は、学者として邪道極まりないものであろう。しかし手段や工程がどうであれ、書かれていることが真実であれば遅かれ早かれ評価はされるようになる。周囲には少しずつ、私の書き出した書物へ敬愛の念を向けるものが増えていった。

 私は生まれながらに幸運であったためか、家柄にも人脈にもひどく恵まれている。この頃には『弟子』とも呼べる存在だって生まれ始めていたのだ。

 

 時が過ぎ、顔に皺が寄り始める頃になると、手元には何冊かの博物誌が書き上がっていた。それらはいつの間にか国からも認められるほどの大きな功績へ変貌していた。多くのものがかつての嘲りが幻想であったかのごとく私の所業を称賛し、数々の名誉ある称号を私に授けた。

 やがて時の国王陛下ですらも私を呼び止め、とある一つの命を下した。それは当時新しく結成されたばかりであった、国軍第四部隊の国外遠征に学者として同行することであった。

 執筆さえ続けられれば、どこにいたって構わない。そういう姿勢しか持たなかった私を、国はとても従順で都合の良い手駒として扱おうとしていたのだろう。

 あの時は迷惑ばかりかけてしまった。私はどうにも昔から反省という言葉を知らないもので、今もこうして、このように。自由奔放に生きながらえてしまった。

 

 同行が決まった国軍第四部隊は、幹部が揃いの赤い軍服を着ていることから『赤軍』と呼ばれた。現在では戦争の最前線にて敵味方問わず多くの血に塗れることで知られる赤軍であるが、結成されたばかりの頃は細々とした国外遠征や土地調査が主な任務であった。やや規模が大きな探検隊、とでも言って良かっただろう。

 私はこの赤軍に弟子たちとともに同行し、十年以上の時をかけて大陸のあらゆる場所を渡り歩いた。

 

 声はまだ聞こえていた。

 そんなある日、ある時、私は国外れの国境の街で龍を見た。

 

 身の丈は驚くほど大きく。蛇のように長い体長に足は無く。

 透き通る陽光の翼を無数に生やし、羽ばたかせ。

 高き獣の枝角を頭上に掲げ、その身全ては深く煌びやかな黄金色。

 虹色に閃く透明な鱗の輝きを見たか。真に見事な宝玉の双瞳を忘れられるか。


 龍とは何か。龍とは神の化身であると、『彼女』は言う。

 それは大地を廻す精霊たちの集合体。世界を拍動させる大いなる意思の具象体。

 我々人類が生きる世界の遥か上層の次元に生きる神は、世界へ干渉する際に受肉を必要とする。霊魂の三大原則「感情」「生命」「記憶」を得て、現世に顕現するのだ。

 神とは何か。それは美しいもの。

 この世のどんな存在よりも美しく、そして途方もなく正しいもの。真理という概念の源泉。

 

 龍は私に言葉を授けた。ウィルダム大陸の過去、現在、未来。真の主の不在と、世界に降り注ぐ祝福の欠如。不自然な世界寿命の縮小。近い将来に必ず訪れる世界の終焉。その逃れ方、救い方、導き方。


 龍に出逢え、真の龍に。全てを知るもの。全てを得たもの。

 もしもこの世の生あるものが、龍なる意思と相まみえたならば、私はこの世界をもう一度救ってみせよう。この地の上で、この世の全てを捧げると契りを交わそう。

 汝らを一時の安息の地へ導くことを、約束しよう。

 

 私はその言葉の数々を預言として受け従い、龍探しの旅へ出ることを決めた。それは今までの人生で手に入れてきた全てを故郷へ置き去りにしてでも、誰かが成さなければならないことであった。

 後を付いてきた数名の弟子たちと馬車に乗り込み、未知を求めて今までよりもさらに遠く、世界の果てまで旅して巡った。

 

 声はまだ聞こえていた。

 龍を探す旅を続けていれば、いずれはこの声の主にも巡り逢える日が来ると思った。

 私は世界の真理を知りたいという探求心と、自身の魂の母親ともいえる彼女に一目出会いたい、私の声を届けたいという、子供じみた愛情欲求のために故郷を捨てた。許してくれなどとは思わない。

 声がまだ聞こえている。

 その声は悲鳴なのだ。死にたくないと泣き叫ぶ、世界そのものの絶叫なのだ。

 生まれ落ちる前に死にゆく胎児たちが、失われた未来に向けて手を伸ばす時の、その産声。

「世界はもうすぐ滅びるのだ」


 「助かりたい」


  「生き延びたい」


   「もっと生きたい」

 

 

 やっと理解できた頃にはもう、私の死期が迫って来ていた。

 長く生きすぎた方である。死ぬのは何も怖くない。しかし役目を果たせずこの世を去ることは、未練でしかない。

 せめて一矢報いるべきか。私は旅の中で起きた出来事、見知った物事、今この世界に起きようとしているありとあらゆる品目の悲劇とその結末について、己の知る限りの全てを再び書物に書き残すことにした。今まで描いてきた紛い物の学術書や、図書館に置いてきた童話めいた龍の絵本には記さなかった真実全ての一切を、包み隠さず。

 神と私を信じるものに、全てを伝授できる本を書こう。

 これは預言書である。過去と未来と現在と、その全てをここへ記そう。

 

 沈黙によってもたらされた災厄は、贖わねばならない。

 


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