記述9 赤い大地と精霊の歌 第2節
アルカ・クルトは趣味で情報屋まがいの商売をして遊びまわっているクルト家の放蕩息子だ。その性格は流れる水を彷彿とさせるほど自由奔放かつ掴みどころのないもので、すでに修繕の余地がないほどガタガタになってしまっているクルト家の評判を現在進行形で貶め続けている問題児でもある。
昔から家庭の内外を問わず、あらゆるところにちょっかいをかけては面倒ごとばかり引き起こすため、その巷での評判の悪さときたら悪名高き天才博物学者アデルファ・クルトの生まれ変わりと噂されるほど。クルト家に彼以外の男児が他に生き残ってさえいれば、とうの昔に父の意向によって勘当されていただろうとまで評されている。
当主である父親との関係は当然のように不仲だったため、実の妹であるライフにも、急に蒸発した兄がどこで何をしているか教えてもらえていなかった。彼が郊外の城塞基地に出入りして灰軍と交流を持っていたことも、そこで俺と出会って会話までしていたことも、今になって初めて知ったという。
「またどうせ、良からぬことを考えているのでしょう?」
「私がラムボアードに立ち寄ったのは、本当にたまたまのことだとも! 誰だって旅先に見知った知人、それも自身の血縁者がいるとなったら、声をかけにいくものではないか?」
「地元に帰って来た時にすら家族に顔を見せない不良成人がよく言うわ!」
ライフは不信感を丸出しにした態度でアルカを睨みつけ、アルカはそんなライフの複雑な心境を少しも気にした風もなく、からかうように笑うばかりだ。親子の仲は悪くとも、兄妹の仲は案外良いように見える。
アルカが言う「妹に挨拶に来た」とは、本当のことだと俺は思う。けれどそれが、俺たちの前に姿を現わした理由の全てではないことも、言動から見て明らかだ。二日前に起きたビートロマジロ騒動の前後から俺たちのことを把握していたと言うわりに、今になってこのタイミングで接触しようとしてきたところだって、いかにも怪しいじゃないか。
何かを見計らっていたとしか思えないよな。
なんと言っても、このアルカという青年は、俺がフロムテラスの出身者であったことすら瞬時に見抜いてしまえるほどの情報通なのだ。少しも油断できたものではない。現に今だって、アルカは話し相手のライフの顔から時たま目を逸らし、チラリとこちらを流し見る。その真っ青な二つの瞳は、まるで俺のことを品定めでもしているような怪しさを持っていた。
彼のミステリアスな雰囲気は、言われてみれば確かにアデルファ・クルトとよく似ていると言えるだろう。けれど俺には、何か根本的な部分が違っているように見える。表か裏かとか、善か悪かとか、そういう類の抽象的な印象の差異だった。
「歩きながら話をしよう」
……というアルカの提案を受け、俺とライフは好き放題のことを喋り散らす彼の背中を監視しながら荒野を歩く。本日の空模様は白天よりもずっと色が濃いネズミ色。体に浴びる直射日光の力がいつもより薄いうえに、急な雨に降られる心配をしなくて済む、過ごしやすい天気であった。
けれど急な来客に気分を害されたウルドは、すっかり拗ねてフライギアに帰って行ってしまった。こればっかりは申し訳ないと思うしかないもので、「お土産を買ってくるからね」という声掛けを一つ残して再出発するより他になかった。しかも不興を買ったアルカ本人には、少しも悪びれる様子が見られない。こういうスタイルで生きるタイプの人間は、ある意味でとても強い。
「私は君たちが燃え盛る関所の壁を潜り抜けて、城下街から劇的な逃走をはかる瞬間だって目の当たりにしていたよ」
手の平の中に握ったサイコロを弄ぶように、アルカは自分の優位性を惜しむことなく俺たちに見せつける。「自分の意向一つで君たちの身柄なんてどうにでもできる」、あるいは「見逃してやった自分に感謝したまえ」と、そういう態度だ。
「確か君の名前はディアと言ったね。あの時と変わらず、今も私のことを警戒しているのかい? 何も急に、下ごしらえもしないまま取って食ったりなどしないというのに」
「怪しい人の話は信じない方が良いって、パパから教わっているので」
「保身目当ての敬語もやめてしまうのか。それもまぁ、怪しい人だとは。お友達の兄に向って随分と冷たいものだ」
「初対面のあなたを怪しがらない人類なんて、この世に一人もいないわよ」
「わざわざ断言せずともいいだろう、妹よ。お兄様は哀しい。それで話は戻るけれど、君たちは自分たちが旅立った後のアルレスで起きた出来事について、知りたいと思ってはいなかったかな。思っていたでしょう。いかにも興味津々な顔をしているとも」
「してないわよ」
「ごめん、してた」
「していたねぇ。素直でよろしい」
ライフのツリ目がジロリとこちらを睨みつけた。いや、ごめんって言ったじゃん。
「情報をもらうには、やっぱりお金が必要なのかな?」
「いやいや、身内の連中からお金をせびるようなみっともないことはできないよ。これ以上実家に借金なんてしたくはないし、何より私は金儲けのために情報屋をしているわけではない」
「それって余計にタチが悪いタイプじゃない?」
「借金を返す気がないみたいね。後でお父様にチクッてやりましょう」
「おー、こわいこわい。タダで教えてあげるって言っているのにこうなんだから、困ったものだよ」
口ではこう言っているものの、父親および自分の財布事情については弱味であったらしく、それからは比較的大人しくアルレスキューレに関する情報を教えてくれた。
まず真っ先に伝えられたことは、国王陛下の暗殺事件について。いつ、どのタイミングで起きたかまでは公表されていないものの、風の噂では先の暴動事件の直後に投獄を逃れたグラントール人に襲われたと聞く。
おかげで一方的な被害ばかりを被った城下街の住民は大荒れで、国内に住むアルレスキュリア人全体の差別意識は以前よりいっそう強く高まってしまった。捕まったグラントール人たちはアルレスキューレの郊外にあるとある街に連行され、今頃は暗く冷たい地下牢の中だろう。
しかしこのグラントール人による殺害疑惑は大衆向けに流された造言に過ぎず、実際には国王の失脚を所望した有力貴族らが企てた謀殺であるというのが情報通の間での共通認識らしい。
その証拠に国王の死後、後ろ盾を失った多くの権力者どもが国外へ亡命してしまった。たった一晩のうちに忽然と姿を消してしまった者たちの中には、次代の国王として有力であった者たちも含まれていた。だから今のアルレスキューレという国は、次代の国王候補をたてることにすら苦戦する始末である。
暗殺を企てた当人たちだけは、ご機嫌なことこのうえないとは思うけれど。
「あと、これはついでなんだけどね。王立図書館はもうダメだ。この間の爆発で本棚が片っ端からひっくり返ってしまっていてね。復旧には数年かかると言われちゃっているし、しばらくは帰らない方が良い。本当に!」
ライフの顔が一瞬で真っ青になった。通りであの厳格な父親が自分の旅立ちを許したりなんてするわけだと、今になって気付いたらしい。御愁傷様だ。
ここまで長々と歩き話をしたところで、俺たち三人はラムボアードの街中に入り込む。あたりにはちらほらと通行人の姿が見え始め、秘密の話をするには場所が開けすぎているんじゃないかと心配になった。
「どこかの店に入った方がいいんじゃないか?」
「ここは天下人様のお膝元だよ。一つ所に留まりでもすれば、それこそ監視装置で一発さ。歩きながら話した方が、ノイズがいっぱいあって安心できる。アナログにはそういう利点があるのだよ!」
「話す側の君が良いっていうなら、俺も構わないけど……」
アルカのひょうひょうとした人柄は雑踏の中に紛れたところで色褪せない。今日も今日とて商売繁盛に賑わうラムボアードの喧噪と人混みの波間を、小さなアルカの体がスイスイ、スイスイ、と泳ぐように先へ進む。俺とライフはその背中を追いかけながら、たまに落ち着いた場所に流れ着いては会話の続きを彼と繰り広げる時間を過ごした。
そんな中で、ついにライフの口から例の話題が飛び出した。
「ディアはお爺様に……アデルファ・クルトに会ったことがあるというの」
急な告白にも拘わらず、アルカは少しも驚いた様子を見せなかった。むしろ納得するような表情で、改めて俺の顔を不躾に眺めた後に「そう、やっぱり?」と呟く。何が「やっぱり」なのかを、意地悪なライフの兄は教えてくれなかった。
しかし、俺がアデルファの小屋からクルト家の家宝である『赤い宝石』を持ち出していることについて知らされると、途端に目を大きく見開いて驚いた。
今も懐の中に隠し持っている宝石を、彼は見たい見たいと子供のように駄々をこね始めた。あまりにみっともないものだから、「まだ信用してないんだから触っちゃダメだよ」という条件付きで見せてあげることにした。ライフは不満げな顔をしていたが、彼も一応クルト家の人間なのだからちょっと見せるくらいは良いだろう。
アルカの青い瞳が、差し出した赤い宝石の表面に移り込む。アルカは夢見心地のようにうっとりとした表情で宝石を見つめ、しばしの間堪能した後に、わざとらしいくらい大きな溜息を吐いた。
「祖父は最後の瞬間まで、私にこの赤い輝きを見せてはくれなかった」
彼がそう言ったすぐあとに、俺の隣から「え?」という小さな驚きの声が漏れた。
「クルト家の人たち……特に父様は、ライフが生まれた頃からずっと、娘に彼のことを話すのを拒んでいた。だから君が、アデルファが十年ほど前に一度だけ実家に帰って来ていたことを知らないのも無理はない。祖母ならもしかしたら、聞けば話をしてくれるやもしれないけれどね」
祖母とはつまり、アデルファの生涯の伴侶になるはずだった人物のことか。
「この宝石は『龍の鱗』と呼ばれるものだ。祖父が書いた預言書の中に記述があったことを良く覚えている」
「ヨゲンショって……アデルファさんの本のこと?」
「そうだとも。しかしながら、図書館にあるのは絵本まがいの中途半端な写本だけだ。大陸のどこかで今も眠っている何冊かの『原典』の中には、もっともっと重大なことが書かれていると教えてもらっていた。私はその内の一冊を、初めて出会った祖父の手から直接渡され……ほんの少しだけ読ませてもらえたことがある。その薄い手帳ほどの大きさをした書物は、この世にはびこる暗い暗い闇の中に沈みこんだ『真理』というものの片鱗を、ほんのわずかに理解できるほどの力を、私に与えてくれた。アデルファ・クルトが私たちの前から再び姿を消した後も、私は彼が残した預言書と、そこに書かれた数々の真実に魅了されたままだった。今回ラムボアードまではるばる足を運んだことだって、預言書の行方について調べるためだったんだよ。この街には物知りな知り合いがたくさんいるからさ」
後から後から飛び出してくる突拍子もない情報の数々を前に、俺とライフを思わず顔を見合わせた。アデルファの本に原典なんてものがあったことも、それを著者本人が預言書などという言葉で称していることも、アルカが情報屋になったきっかけが祖父との出会いのためであったことも、どれもこれも驚くに値する新情報であった。
「そもそも、ヨゲンショって?」
俺にとってはもうそこからしてよくわかっていない。
「言葉の通り、アデルファが赤い大地の神から預かり聞かされた預言が書かれた本だよ」
「赤い大地の神?」
「彼には昔から、ウィルダム大陸の守護神なり大精霊なりの声を聞く不思議な力があって……」
「守護神??」
「大精霊???」
「いいから大人しく聞きたまえよ……そうだな、書かれていた内容をほんの少しだけ教えてあげようか。これは君たちが私に龍の鱗を見せてくれた、お礼だよ」