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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述9 赤い大地と精霊の歌
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記述9 赤い大地と精霊の歌 第1節

 世界を俯瞰的に眺望できるのは、裕福な人間の特権である。なぜなら社会が築きあげたピラミッドの頂点に座した彼らは、土の上を這い回る下民たちより遥かに広大な視野を持っているからだ。

 悪賢い彼らは現在だけに生きてはおらず、過去を知り、未来を見つめ、多くの知識と情報とを理解する。例えば明日の空模様が何色だとか、近所の商店にどのタイミングで掘り出し物が入荷するかとか、そういうことを規模の大小問わず幅広く把握している。

 一方で、今日喉を通る食べ物の量にすら不安を覚える生活をしている者たちにとっては、経済も流通もまるで縁のない言葉だ。金持ちは貧乏人に尋問できても、その逆は無いのだから。

 そしてこれは随分と今更すぎる話になるけれど、俺が今までの生涯を過ごしてきたフロムテラスという名の故郷は、その外側に広がる世界と比べて、ありえないくらい裕福な場所であったらしい。

 それはもはや「無から有を生み出す魔法」とでも言ってしまえるほどの技術力。水が足りないなら作ればいいし、食糧が足りないなら培養すればいい。生活に必要なエネルギーは最小限の熱量にとどめ、なおかつ廃棄物を再利用して生産する。日常に存在するほとんどすべての労働は機械化され、人間の役割は管理だけ。厳格な法と政治に守られた社会の中においては、貧困層は憐れむべき被害者として腫物のように扱われる。決して、管理者たちに仇をなす不届きものなどにはなりえない。

 外の世界へ旅立ってまだ少しも経っていなかった頃の俺の口から出た「どうして絶滅する前に品種改良できなかったんだろう?」の疑問には、誰もが怪訝な反応を返すばかりだった。あの優しいエッジにすら「何の話をしているんだ?」と困った顔をされてしまったくらいである。

 なんでも向こう側の話をきいてみれば、ウィルダム大陸に暮らす彼らにとって、資源とは大地から採集するものであり、自分たちで生産するものではないのだという。薄々そうだったりするのかなぁと察してはいたけれど、面と向かって断言されてしまうと、シンプルにカルチャーショック。とても驚いた。

 俺は今まで、外の世界にだって裕福な場所に行きさえすれば、馴染み深いテクノロジーやら何やらと再会できるとばかり思っていた。しかしそれは見当違い。なにせ、大陸中から富裕者が集まってくると言われるラムボアードの西の街ですら、人間の労働力に頼り切っている場面を目撃してしまったのだ。

「絨毯の掃除くらいロボットにやらせればいいじゃありませんか」

「私たちはまだ電球を素手で取り換えて暮らしていますのよ」

 なんとまぁ、原始的な。ラムボアードでこれならば、城下街で油のランプが現役だったのも無理はない話であった。

「これはディア様にだけは教えてあげられる秘密だけれど、この街の地下にはとっても大きな研究施設があるの。そこへ行けば少なくとも、ラムボアードやアルレスキューレの城下街より、優れたものに出会えるはずよ」

「命が惜しければ近づくなとおっしゃりたいので?」

「そんな物騒なことを言ったつもりはないわ!」

 うふふ、と手を口にあてて上品に笑う妙齢の女性、マダム・ミラジェスタ。大陸屈指の巨大組織のトップである彼女は、ウィルダム大陸の南東部にフロムテラスという超文明都市があることも、俺がそこから勝手に飛び出してきた逃走者であることも知っているようだった。前者については立場上自然なことだと思うけれど、後者についてはなかなかに胡乱な展開だ。君たちのような雲上人にとって、俺のような一個人が注視されるべき存在であるとはとても思えない。

 ……思い当たる点が、ないわけではないのだけど。

「私により良い出会いをしてもらいたいと言うのであれば、今日この時に、貴女という素敵な貴婦人と巡り会えただけで十分だとは思いませんか?」

 「きゃあぁーっ!」と響く黄色い声が、ソファに腰掛けたマダムの顔面から力一杯に噴出する。興奮したせいで蹴っ飛ばしてしまったテーブルがガタンッと揺れ、傍にいた給仕係が「あぁ、もう!」という調子で今にも倒れそうなグラスを手で押さえた。なるほど、良い主従関係を築けている。

 そんな主人と従者の仲睦まじい様子をテーブル越しに微笑ましく眺めていると、ふと目の前に置かれたグラスの表面に、退屈そうな表情でソファに転がっている黒髪美人の姿が映り込んだ。

 そこで俺が「続きはまた夜に」と言ってウルドたちと一緒に席を立ったのが、今からちょうど二十四時間前のこと。

 晩餐ついでにガッツリとこの街についての裏事情を根掘り葉掘り聞き出せたのが十八時間前。

 一晩明けて娯楽施設を出発し、ウルドがアルレスキューレから持ち出してきた大型フライギアの前までやって来たのが三時間前。

 

 今は、そう、コックピット内の操縦席に座り込んで、フライギアの管理設定をしているところだ。

 

「これでメインパイロットの引継ぎはできたわけだろ。あとのことはマニュアルでも適当に見ておけばいい」

 モニターに表示された『登録完了』の文字をチラリと確認してから、改めて自分の横に立っている背の高い男の顔をジロリと見上げる。このむやみやたらに端正な顔立ちをした派手な髪色の男、ソウド・ゼウセウトは、ウルドがアルレスキューレから脱出してくる際に、どんな経緯があってか一緒に連れ出してきてしまった旅の傭兵だ。本来ならばウルドが俺たちと合流できたところで別れる予定であったはずなのだが、それがなぜか、どういうわけか、しれっとした顔で旅の仲間に加わっている。

 別に「君みたいなのはちょっと……」と断りを入れたいわけではない。これから向かうグラントールまでの旅路はたとえ空路であったとしても危険に変わりはないし、彼のように腕の立つ成人男性が団体の中に一人いるのといないのとでは安心感が段違いだ。

「でもなぁ……」

「まだ何か文句がありそうな顔をしているな」

 記憶喪失で、過去のことを何も覚えていないという点においては、あまりにも信用しがたい。試しにこちらから「出身地はどこですか?」「その名前は本名ですか?」といった質問をしてみたところで、返ってくるのは「知らない」「忘れた」「覚えてない」とかいう適当な回答ばかり。しまいには「それはオマエに話すようなことか?」なんて反抗的な態度をとられる始末。

 一方で体に身に付いたスキルは抜け落ちていないようで、ウルドがアルレスキューレから持ち出してきた大型フライギアの難しい操縦だって難なくこなしている。専門的な機械知識だって基礎から応用までしっかりと備わっているし、なんならアルレスキューレ国軍の内部事情についての断片的な記憶すら持ち合わせているようだった。

 本当に記憶喪失なのか? と疑いたくなるのも仕方ないと思う。けれども、ここまでの旅路の中で彼とそれなりの交流をしてきたウルドは「残念だけど間違いないね」と自信ありげに言うし、なぜかあっという間に親しくなっていたエッジからも「信じてやってほしい」と頼まれてしまった。

 そうまで言われてしまえば信じないわけにはいかないのだけど、それでも一晩経った今でも警戒心を解けずに接してしまうのは、あの時にソウドからぶつけられた言葉の数々を……まだ根に持っているからなんだと思う。

 俺とソウドは、あのグラントール人が起こした暴動事件の時に、城下街の地下水道で確かに顔を合わせ、会話までしていた。その時のことをソウドに伝えてみても、彼には少しも心当たりが無いようで、あの時に交わした会話の内容にだってどこまでも無関心な態度を貫かれるだけだった。それがなんだか、俺にはとても悔しいことのように感じられた。

「いぃや、なんでもない。説明がビックリするほど丁寧で助かったよ。君はどこかの大学で教授でもしていたことがあるのかな?」

「……生憎、オマエの無駄話には興味がない。じゃあな」

 特にこれといって感情のこもっていない深緑色の瞳が、一瞬だけ俺の方を見たと思ったら、彼はすぐに後ろを向いて歩き出してしまった。嫌味混じりの軽口なんて叩いてみたところで、彼には何の効果もないようだ。

 ソウドは空調機の上に置かれている自分の荷物を手に取ると、そのまま立ち止まることなく隣室に通じる自動ドアのボタンに手を伸ばした。すると、まだボタンに触れていないにも関わらず、正面の扉がキィンと音をたてて開いてしまった。

 開いた扉の前に立っていたのは、エッジとウルド。ソウドは彼らの不意打ちな登場に本気でビックリしたらしく、大きな肩をビクリと跳ねさせた後に、二、三歩の後ずさりをした。その様子を真正面から目撃したウルドの生温い失笑が、操縦席の位置からでもよく見えた。

 エッジは「驚かせてしまったな」と軽い謝罪を口にしながら、せっかく距離をとったソウドの方へテクテクと近づいて行く。ソウドはさらに二歩ほど後退した。そんな二人の様子を見ながら、俺は「このコックピットは広くていいなぁ」なんてどうでもいいことを考えたりなどしていた。

 エッジがコックピットに入って来た目的はソウドであったらしく、二人は少しのやり取りをした後に連れだって部屋を出て行った。後に残ったウルドは自動ドアをくぐるエッジの背中をほんのりと目で追ってから、改めて俺の方へ歩み寄ってくる。俺はそんなウルドへ向けて「やあ」と軽い挨拶をしてから話しかけた。

「あのソウド・ゼウセウトっていうイケメンさん、なんでエッジ君にだけはあんなに懐いてるんだい?」

「美味しい餌でも食べさせてもらったんじゃない? アイツ、ああ見えて結構律儀だし、一回恩を売っちゃえばこっちのものって感じ」

「餌付けかぁ……」

 確かに、言われてみれば彼にはちょっと動物っぽいところがある。具体的にいうと、犬とか、狼とか。

「それで、ディア。引継ぎ設定ってヤツはもう終わったの?」

「たった今ね。ちょうどいいところに来てくれたよ、ウルド。これからメンテナンスに必要そうな道具を買うために、マーケットへ買い物に行こうかと思っていたんだ。良かったら、君も一緒に来ないかい?」

「えぇ、買い物!? もちろん行く行く! ディアの方から誘ってくれるなんて嬉しいな」

「君とはゆっくり会話する時間が取れていなかったからね。この機会に、ウルドのことをもっとたくさん知れたら良いなって思うよ」

 言葉の通り、心の底から喜んでいるウルドの姿を見ていると、俺の方も微笑ましい気持ちになってくる。ウルドには少し過激だったり危なっかしかったりするところが……たくさんあるけれど、俺はこの人と良好な関係を築いていきたいと思うんだ。

 わざわざ多大なリスクを払って俺を助けてくれる人たちの好意に、もう疑心を抱いたりなんてしたくないから。

「それにしても、ウルドには本当に何もかもお世話になってしまっているね。まさか城下からこんなに大きな軍用艦みたいなフライギアを持ち出してくるなんて。今でもすごく驚いてるよ。見たところかなり高価なものみたいだけど、本当に俺たちで自由に使っても良いのかい?」

「前のオーナーからはちゃんと許可を貰っているから平気。それにこれは、お城のマッドサイエンティストたちが技術研鑚のために好き勝手魔改造しちゃったヤツだから、もともと乗り手が見つかってなかったのさ。倉庫の中で持ち腐れになっているより、外に出してやった方がよっぽど良いでしょって」

「それにしては随分と俺たちにとって都合のいいチューニングがされすぎているような気がするけれど……まぁ、細かいことは今はいいかな。もうこんな時間だし、出掛けるなら支度をしないと」

 ラムボアードの西側にあるマーケットまでは、徒歩だとそれなりに距離がある。ウルドと一緒なら夜の街を出歩くのも安全だと思うけれど、日が暮れる前に帰ってくるにこしたことはないだろう。

 俺とウルドは早速外出するための支度をすると、ほとんど新品同様な塗装がされたフライギアの乗降口を降りて行った。

 

「あら、出掛けるの?」

 フライギアから降りてすぐの場所には、ライフとマグナの姿があった。二人はカメラ付きの双眼鏡と地図を手に持って、荒野の景色を鑑賞している最中だったようだ。

「この間歩き回っている時に見つけた店に行ってみようと思うんだ。長旅のために買い足さなきゃいけないものがいくつかあってね」

「だったらついでに寝具も買ってきてくれないかしら。個室とカプセルルームを合わせても数が足りないんだもの。もしもこれからまた人が増えたり、お客様が来たりした時のために、予備も揃えておきたいわ」

「いいけど……それだと大荷物になっちゃわない?」

「荷物持ちが必要なら付いて行くわよ。ねぇ、マグナくん」

 ライフの隣でマグナがコクコクと首を縦に振る。俺はウルドの方をチラリと一瞥してから「あぁ、そこまではしなくていいよ。わかった。予算には余裕があるんだから、帰りは荷車のレンタルでも探してみるよ」と返した。

「ふーん。それなら構わないけれど、盗難には気を付けなさいね」

「あはは、心配してくれてありがとう」

「……ねぇ、ねぇねぇ、ディアさん」

 会話の途中でマグナが俺の外套の裾をちょいちょいとひっぱった。

「どうかしたかな?」

「あそこに誰か、いるよ?」

「誰か?」

 そう言われて、残りの三人で一緒に、マグナが指さした方へ顔を向けた。すると……おや、本当に誰かが立っている。しかもこちらの方を真っ直ぐに向いていて、徐々に近づいてきている。

 ここは街の中心部から幾分外れたところにある荒野の上だ。周囲には他に停泊している乗り物は見当たらないし、用の無い人間がわざわざ立ち寄るようなところではない。だからこそ俺たちは、この場所が安全だと思ってフライギアを移動させたのだ。

「何、アイツ?」

 ウルドが不機嫌そうに眉をしかめ、急に現れた見知らぬ誰かを睨みつける。

 今も近付いてきている。一歩、二歩、その人はスキップでもはずませるように軽い足取りで、石と砂まみれの地面の上を歩き進む。

 子供のような背丈の人物だ。それに白くてふわふわとした厚手の生地の上着を着ていて……あれ? なんだか、どこかで見たことがある。

「やあやあ、ご機嫌よう諸君。おとといは随分派手に活躍してくれたみたいだね。おかげで私のもとにも面白い噂がたくさん届いたよ。犯罪組織の最終兵器を蹴り一発でノックアウトするツワモノがラムボアードにやって来たと!」

 俺たちのすぐ目の前までやって来たその人が、目深に被っていた白いフードをパタリと取り払う。すると現れたのは、俺が最初にアルレスキューレに訪れた時に灰軍兵の基地で出会った、あの背が低い情報通の若者だった。

 確か名前は……

「お兄様!? どうしてあなたがこんなところに!?」

「えっ!?」

「久しぶりだねぇ、我が妹ライフよ。会うのはもしかして、半年ぶりくらいになるかな?」

「二年よ!!」

 

 

 突如として俺たちの前に現れた、白いコートのお兄さん。名前はアルカ・クルト。彼は正真正銘、ライフの実の兄であるらしかった。

 ちなみに年齢は、二十九。ライフとは十歳違いだ

 


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