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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述8 世迷い人と交差点
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記述8 世迷い人と交差点 RESULT

 どんなに技術的な手腕に優れていようとも、人格的に秀でていようとも、周囲からの称賛を集めていようとも。これがダメならば全て台無しと幻滅されてしまう要素はあるものだ。今回の場合は、そう、浪費癖。

 この娯楽施設はお金大好きな大陸商会が、ラムボアードに滞在する富裕層のニーズに応えるというコンセプトで建設した場所だ。最先端のセキュリティ、徹底された汚染物質遮断・浄化設備、万全すぎるほど手間のかかった医療体制、添加物が少ない安全な飲食物、金にものを言わせて集めた従順な召使いたち。ありとあらゆる『贅沢』がこれでもかとばかりに凝縮されている。彼らのための楽園。

 全ては自分たちの儚くも尊い人生を、ほんの刹那のひと時だけでも長く、長く、謳歌し続けるため。そのためならばどれだけ他者に対して冷酷になっても構わないと、笑っている。はたして彼らに破綻しているという自覚はあるのだろうか。

 そんな金持ちどもに『夢のような享楽』を提供している大陸商会の蛇たちが、「ご自由にどうぞ」と俺に差し出してきたスイートルーム。これもまた、誰の目から見ても否定のしようがないほどの贅が凝らされた空間だった。

「全ての客室にシャワールームを設ける必要性がどこにあるっていうんだ」

 入ってすぐの小洒落た談話室を通り抜け、幾何学模様のシーリングライトがくるくる回る寝室をさらに通り抜け、まだこの先に何かあるのかと開いてくぐった扉の先にあった、大理石まみれのバスルーム。

 撥水性の高いタイルの上に置かれた、華美なデザインの猫足バスタブ。さらにその真上の壁に設置された銀色のシャワーセットを目にした時の、大きな大きな失望感。あるいは軽蔑。

 ノズルを少し捻ってみただけで流れる透明な水。広げた手の平の上をパチパチとはねて、指の間をすり抜けて、排水溝の底へと落ちていく。今の一瞬だけで、今まさに飢渇に苦しんでいる同胞たちの命をどれほど救える量の水が消費されたことだろう。敷地の真ん中にこれみよがしに設置された人工池といい、魚が泳ぐ大水槽の壁といい、この娯楽施設で過ごす人々の倫理観はどうにもおかしい。

 砂漠の真ん中にあるオアシスなんて、いつか枯れ果てるに決まっている。それは慢性的な資源不足に喘ぐウィルダム大陸で生きるものならば、誰もが受け入れねばならない現実だった、はずなのに。彼ら、わかったうえでやっている。わかっているからこそ、かえって止められなくなってしまったとでも言わんばかりの振る舞いをしている。

 助かりたい。長生きしたい。自分だけでも満たされたい。そんな我欲に塗れた言葉を繰り返してばかりいるくせに、自分自身の手で世界の寿命を縮める行為が、得意で得意で、仕方がない。時に暴力で、時に策略で、時に権威で、掠め取っていく。搾り取っていく。

 さらにいえば、それは貧乏人だってしている行いだ。何重にも積み重ねられた格差の中のどこに自分がいるかなんて、もはや自分たちには関係ない。

 干乾びた荒野も、汚物まみれの路地裏も、ガラスが割れた商店街も、陰謀まみれの貴族屋敷も、傲慢に耽る人口楽園も、全て全て。この世界はもう、どこで何をしようが生き苦しい。

 

「なんで興味本位で覗き込んでみただけの風呂場で人類の行く末なんかを憂わなきゃいけないんだよ!!」

 あまりにムカついたものだから、目の前にあった空っぽのバスタブを足で蹴っ飛ばしたくなってしまった。寸でのところで理性が働いて、堪える。弁償を要求されたら流石に困る。今の俺は無職だ。

 ほら見たことか、ウソばっかり。世界はやっぱり少しも美しくなんかないじゃないか。思わず吐き棄ててしまった愚痴と溜息。静寂の中で冷えきっていた失望が熱を思い出し、徐々に徐々にと苛立ちに変わっていく。

 裏切られた!と大きな声で騒ぎ立てるには勝手すぎる期待をしていた。

 

『信じることをやめなければ、世界はいつもどこまでも輝きを失わない』

 

 記憶の奥底から不意に浮かび上がってきた、顔のない人影が、また何かを言っている。

 そこで俺は、昨日からずっと服のポケットに入ったままだった、小さな石ころのことを思い出した。何の変哲もないそれをもう一度手の平の上に転がして、意味もなく眺める。

 間接照明の真っ白な光に照らされた石ころは、少しも輝いてなんて見えなかった。

「ここにいたのか!」

「ひょえあっ!!!?」

 急にシャワールームの扉がバタンッと開いて、背後から幻覚でも何でもないエッジの声が聞こえてきた。あまりの唐突さに慌てふためいてしまった俺の喉からは変な声が出た。何の前触れもなかったじゃないか。いったい、いったいどうして。

「なんでいるんだ!?」

「ソウドならこの部屋にいると、マダム・ミラジェスタから教えてもらった」

「か、鍵は? 俺、ちゃんとかけてたよな?」

「フロントでもらってきた」

「なんで??」

「スペアを渡す気分だったのだろうな。どうやら彼女たちにとって、俺とソウドはすでに『仲間』という括りで扱われているらしい」

「そんな……いや、それにしたって、オマエ……部屋に入ったなら声くらいかけて……しかもここ風呂場だぞ!?」

「…………忘れていた! いや、最初の部屋では声を出したんだ。そこで誰もいないのかなと思って歩き回っていたところに、ソウドの声が聞こえてきたから……申し訳ない」

 彼はなんだか本当に申し訳なさそうな顔で謝っている。色々と言いたいことがあるけれど、よくあることだと思って、これ以上追求するのはやめてあげようかな。特に意味もなく風呂場で考え事に耽っていた自分の挙動だって十分奇怪だったと思うし。

 微妙に気まずい空気が二人の間をジワジワと充満していく。「とりあえず、話すならせめて部屋の中でにしよう」と言って、エッジの腕を引いて談話室の方まで戻っていった。

 談話室まで戻ってくると、ソファテーブルの上に保温機能付きのポットが置いてあるのが目に入る。蓋を開けて中身を確認してみると、中には少しばかり粘り気のある茶色の飲み物が詰まっていた。

「それはなんだ?」

「岩溶けじゃないか? この街の名産品」

 大渓谷の底で採取できる塩分濃度が高い土や泥を、特殊な製法で加工し、水に溶かして飲めるようにした嗜好品。濃厚な塩の味とまったりとした喉越しは癖が強く、人によっては甘味料をいくらまぜてもコップ一杯飲み干せない場合もある。けれど栄養素が非常に高い飲み物でもあるため、健康に気を遣いたがる人の中には常飲しているものが多いのだとか。俺自身はというと……あまり自分で飲んだことはないような気がするな。もしかしたら俺は、ラムボアードにあまり立ち寄ったことがないのかもしれない。

「いただいても良いのか?」

「このまま放っておいても俺たち以外に飲むヤツなんていないだろ」

 ポットの傍らに寄り添うように置かれていた陶器製コップを二つ手に取り、その中にとくとくと岩溶けを注ぐ。岩溶けを注ぎ終わったコップをエッジに差し出すと、彼は余程味は気になったのか、すぐにクイッと一口だけ口に含ませてしまった。「アツッ!」とビックリする声が漏れて、体も揺れた。

 「オイオイ、火傷してないか」と口では言っておきながら、内心ではあの岩溶けを甘味料無しでそのまま飲んだことに驚きを隠せずにいた。心配する俺の心中とは裏腹に、エッジは少し照れているようなはにかみ笑いを浮かべながら「飲むのは久しぶりだな」と控えめに囁いた。

 俺はそんなエッジの様子を見つめながら、彼の向かいにあるソファに腰掛けた。そこから始まる会話の内容は、やはりマダム・ミラジェスタについてだった。

 エッジは自分たちが、ほとんど俺と入れ違いになるような流れであの談話室に案内されたことを教えてくれた。

 マダムは俺の時と同じように、昨日の事件解決についてエッジにも感謝の言葉を述べた。御馳走をふるまいたいから、今日一日は夜まで施設内でゆっくりしていってほしいとも言っていた。しかしそれ以上の会話については、あまり盛り上がらなかったらしい。

「思うに、彼女が真に会話をしたがっていた相手は、端から俺ではなかったのだろう」

「じゃあ誰が?」

「ディア・テラスだろうな。彼が部屋に招き入れられてからの、マダムの興奮具合は凄まじいものがあった。間違いないだろう」

「あの金髪って一体何者なんだよ。過激な人種に好かれる特異体質でも持ってるのか?」

「ふむ……一理ある」

 冗談で言ったつもりなのに真面目な反応を返されてしまった。ちょっと戸惑う。

 損得勘定にうるさい大陸商会が、たった一度の治安貢献をしたくらいで簡単に感謝なんてするわけがない。名指しで呼び出しがあったと伝えられた時だってあんなに警戒していたのに、その答えが「お目当ての人物と接触するためのオマケにすぎなかった」だなんて拍子抜けしてしまう。

「ディアの方はマダムのことも大陸商会のことも、少しも知らないようだった。しかし自分と対面した瞬間に『本物だわ!!』と大はしゃぎし始めるギルドマスターの様子を見て、すぐに何かを察したように態度を一変させていたな。別人かと思うくらい上品は話し方をするようになったから、傍で聞いていた者たちも面を食らっていた」

「アゼ……ウルドもいたのか?」

「もちろん。それにしても、ソウドがウルドの知り合いで、ウルドの知り合いがディアだったとは、改めて考えてみると不思議な巡りあわせだったな」

 俺は黙ったままエッジの言葉に頷いた。俺とエッジはもともと赤の他人でしかなかったわけだから、あの二人がいなければ昨日の夜の別れを最後に、二度と出会わなくなっていたかもしれない。それがこんなに早く再会できて、お茶まで一緒にしているとは。

「昨晩は、別れの挨拶もしていなかったな。気付いたら周りには人が殺到していて、すぐにお前のことを見失ってしまった」

「カバの残骸を見物しにきた野次馬たちだな。一応弁解しておくが、俺の方も少しはエッジのことを探そうと思ったんだ。人混みがあまりに酷かったのと、ヘトヘトに疲れ果てていたのとで、すぐに諦めちまったけどさ」

 ほんの少しばかりの焦りはあった。何も言わずに去っていく罪悪感も、あるにはあった。そんな感情は出会ったばかりの人間相手に抱くものじゃないと思って、意図的にそっぽを向いたのだ。自分の心の中に埋まっている、何かとても小さくて弱い部位を、守らなければいけないような、強迫感があった。

「サヨナラ、くらいは言うべきだったよな。ごめん」

「お前に謝られたって、なんと返せばいいかわからず困ってしまう。それにまるで、本当にもう二度と会えないような気分になるだろう」

「え?」

 エッジの口から思いがけない言葉が零れ落ち、それを聞きとった耳の奥が、ほんの少しだけ熱く火照った。

「ソウドは、これからも傭兵の仕事を続けていくつもりなのか?」

 大きな琥珀色の瞳が二つ、テーブル越しに俺の眼を見つめる。彼の周りには綺麗な色と澄んだ空気とが、相変わらずに漂っている。一晩経った後にも続く細やかな不変性。神秘とでも形容できるような何かを、彼から感じ取ってしまったのかもしれない。

「傭兵なんて、好きで選ぶような仕事じゃないぞ。槍も、剣も、振り回して暮らすには重すぎて肩が凝るんだ。この機会に投げ捨ててしまえるというのなら、喜んでそうする」

「…………」

「エッジ……オマエ、さっきからずっと、何か言いたそうにしているだろ。言ってみろよ。怒らないから」

「……その…………怒らないというよりも、笑わないでほしい」

「笑えない話題で笑えるほど心に余裕のある人間じゃないから安心しろ」

 言うべきか、言わないべきか。エッジは俺と対面で向き合ったまま、静かに口をつぐんだままでいる。その顔色が、さっきと比べてほんのり紅潮しているように見えるのは、はたして気のせいだろうか。

 

「俺では、だめだろうか。お前の新しい雇い主」

 

 しばらく、何を言われたかわからなかった。

 

「俺はこれから、ディアたちと一緒にウィルダム大陸を旅して回ることになっているのだが……そこに、ソウドも加わってくれたら、嬉しいなと思った」

 

 正面から真っ直ぐにぶつけられる、好意の剛速球が、俺の正気を瞬く間にぶち壊していった。

「や、雇うって……エッジが、ソウドを!?」

「そう。ソウドを」

「いいの?」

「やはり相場より高かったりするのだろうか」

「いや、値段の話じゃなくて……いやいや、その話でもいいか?」

 ボッタクリめいた金額が書かれた契約書の話は確かに重要だが、厳密にいうと重要ではない。

「エッジから金をとるのは、なんか違うような気がする」

「それは、なぜだ?」

 自分でも何を言っているかわからない。

「……料金、高いし……」

 誤魔化すように再び料金の話をしてしまった。そんな俺の情けない焦り様を目にしたエッジの野花のように暖かだった微笑みが、小さく崩れる。これはいけない。

「やはり無理な話だっただろうか? 出会ったのも昨日が初めてで、まだまだ初対面のような間柄で……」

 すでに断られたような気持ちになってしまっているエッジに向かって、力の限り大きな声でに「そんなことない!!」と断言したくてたまらなかった。そんな思いをグッと我慢して、出てきた叫びを喉の奥へ押し戻し、なんとかかんとか代わりの言葉を吐き出すことに成功する。

「エッジの方こそ、なんで俺みたいな偏屈男を誘ったりなんかするんだ!?」

 自分を謙らせる表現なんて、長いか短いのかすらよくわからない人生の中でどれだけぶりに使ったことだろう。

「……友達になりたいから、では、流石にいけないだろうか」

 

 友達。

 

 ……友達。

 

 

 …………ともだ、ち?

 

 

「オマエ……俺と、友達になりたいのか?」

 そんなとてつもない話が、この世の中にあっていいのだろうか。困惑に沸き立つ心は、彼の一言で瞬く間に熱狂を増幅させ、俺の精神から理性という理性を瞬く間に焼き払っていった。

 

 友達。そんな言葉、はじめて聞いたのでは?

 そんなわけないけど、そんなことある。

「お前はとても魅力的な人間ではないか、ソウド。だから……これでもう二度と会えなくなるのは、寂しいだろうなと、思ってしまった。奇妙なことを言っている自覚はある。迷惑だと感じるくらいならば、すぐに忘れてほしいとも」

 迷惑などではない。それどころか、むしろ、

「断る理由が見つからない」

「え?」

 不安で曇り始めていたエッジの瞳が、きらりと輝く瞬間をとらえた。

 そうだ、これでいい。俺はオマエの心が失望に沈む様など、少しも見たくはない。

「それならいい。雇用とか契約とか、そういう胡散臭いものじゃなくて……と、友達? みたいな関係にしたいって言うなら、全く不満はない。

 むしろ……」

 

「おっじゃまーーーしまーーーーーーす!!!!」

「エッジくんたち何してるのーーーーーーー!!!!」

 

 ガタンっ ドゴロゴロゴロ………… ズシッ

 

 来客。部屋の扉が急に開いて、黄色いのと黒いのが乱入してきた。

 驚きすぎてひっくり返った俺は、ソファの背もたれから滑り落ちて絨毯の上を転がった。壁に当たったところで止まった。

「何そのリアクション。ドン引き」

「お邪魔しますってちゃんと言ったんだけどな?」

 

 

 

 それ以降のことは、もうほとんど何も頭に入ってこなかった。記憶喪失になったことにしておいてほしい。

 


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