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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述2 薄暗がりな月夜の下で
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記述2 薄暗がりな月夜の下で 第1節

 フロムテラスを出て二度目の夜を越えた頃、地平線の彼方まで続くかと思っていた荒野に終わりが見えた。あの時、アデルファ・クルトと名乗った老人が指し示した方角。遠い地平線の彼方でうっすら陽炎のように揺れる異文化の影。蜃気楼のようなものだったのだろう、実際にその影を追いかけてみると、思った以上に距離が離れていて時間がかかってしまった。そのうえ、何のためにこんな所に来たのかもハッキリとわからない。自分自身の行動も思考も、何もかも漠然としていた。

 荒野の向こう側にあったのは酷く退廃した貧民街だった。古い歴史書に書かれていた「被災地」のような風景が町の奥深くまで続いている、そういう場所だった。

 狭い土地に廃墟化した集合住宅が密集していて、その間に細くて狭い路地が迷路みたいに広がっている。日陰に干しっぱなしにされた洗濯物が背の高い建物の隙間風を受けてバタバタと揺れている。人は住んでいるみたいだから、廃墟なんて表現するのは失礼なのだろう。

 町から少し離れた岩陰にフライギアを隠し、興味本位でチラリと機体の外に顔を出してみた。息を吸うと、ただの空気から排気ガスの臭いがした。口と鼻の間からするりと入り込んできた異臭は、喉の奥をフォークで引っ掻くような痛みを感じさせる。空気が汚染されているのだ。これはダメだと危険を感じ、急いでギアの扉を閉めた。それから荷物箱の中からガスマスクとゴーグルを取り出して装着する。

 カバンにはハンドライト、携帯食糧、水、常備薬、救急セット、通信妨害装置、アナログメモ用紙など、必要と感じたものを思い思いに詰め込んだ。念には念を。蓋を閉じたカバンを試しに持ち上げてみると、ずっしりとした重みが腕にかかる。これくらいならまぁ、俺でも問題なく持ち歩けるだろうか。少々無茶な気がしないこともないが、楽観的な気分でカバンのハンドルを肩にかけた。

 外へ出る準備があらかた整った後、入り口横の鏡で自分の姿を確認した。途端にフフッと妙な笑いがこぼれてしまう。生地の分厚いフード付きの外套を目深に被り、顔にはゴーグルとガスマスクを付けて、大きな荷物をひっさげている。どこからどう見ても不審者だ。悪目立ちするかな? と少し身なりを改めようか思案してみたが、安全第一として細かい部分は気にしないことにした。不審者だと思って警戒されるより、見ず知らずの他人に顔を覚えられる方がよっぽど酷い目に遭いやすい。

 準備を万端に整えた俺はもう一度、フライギアの狭い昇降口から ぴょんっ と石コロだらけの荒野の上に飛び下りた。

 

 

 町の中は見たことのない物で溢れていた。どれもこれも前時代的。どうやって作ったのかわからないくらい奇妙で個性的な造詣をしたものが、あちらこちらに転がっている。

 石を積み上げただけの壁。泥と土を塗り固めたブロックは穴だらけ。地面が剥き出しになった歩道は得体の知れない湿気を含んでぬかるんでいる。赤、黄、黒色の染みをべったりとこびり付かせたコンクリート。建物と地面の間から生えるカビなのか苔なのかわからない青白い色をした何か。錆だらけの機械装置。破損した水道管。割れた酒瓶、その近くに散らばる吐瀉物。ぬかるんだ土の上を人間が裸足で歩き回った足跡。使い捨てられた注射器なんてものまで。

 一風変わったものといえば……長めの持ち手がついた大きな刃物。包丁というよりはナイフに近い形状をした、これは、何だろう。もしかして、子供の頃に読んだ童話に登場した「剣」というものだろうか? そんな伝説的なものが現実にあるわけないのに……なんて途中まで考えてみたけれど、フロムテラスと比べてこれだけ文明が遅れた地域であれば「刀剣」なんてファンタジーな代物が現役で活用されていても、もしかしたら不自然ではないのかもしれない。実際に、目の前にあるわけだし。銃を買うお金が無い人がナイフや警棒を持ち歩くというのは、俺の故郷でもよく聞く話だった。

 まるで異世界みたいだ。なんて誰にも共有できない感想に思いを馳せながら、その場に立ち止まった。そして周囲をまじまじと見渡した。

 通りに人影は見当たらない。窓はどれも締め切られていて、ヒビだらけのガラスの向こうからカーテンをぴっしりとかけられているから、建物の中の様子を窺えない。人が住んでいる気配は確かにある。それなのに誰ともすれ違わないなんて、なんだか不自然ではないだろうか。夜行性とかなのかな?

 探索のために歩き回っていると、雨が、降ってきた。

 雨だ。雨。汚染された大気中を漂う毒素をたっぷりと含んだ、雨。

 外套の上にぴちょりぴちょりと落ちた大きな雨粒が、分厚い生地の上に赤褐色の染みを付けた。これはヤバい。突然の雨はあっという間に土砂降りに変わる。俺は大慌てで雨宿りが出来る場所を求めて細い路地裏の中へ駆け込んでいった。

 人の通りが少なかったのはこのためか。

 空はほとんど黒に近い灰色の雨雲で埋め尽くされ、周囲がどんどん暗くなっていく。もともと日陰だった路地の隙間ともくれば、真昼だっていうのに夜みたいに真っ暗になっていた。路地裏というだけあって、その狭い道幅は投棄されたゴミだらけで足の踏み場がない。腐った木材やら割れた植木鉢やらネジの抜け飛んだ機材やらの上を跨ぐように踏み越えながら先へ進む。もともと日当たりの悪い路地裏の奥は、雨雲のせいで真夜中みたいに真っ暗になっている。暗視機能があるゴーグルを選んできて助かったなとつくづく思う。

 ガスマスクの下で息を切らしながら走っていると、雨宿りにちょうど良さそうなアーチ状の橋を見つけた。橋と言っても下に用水が流れているわけではなく、建物と建物を繋ぐ渡り廊下みたいなものだ。橋の下はやっぱり暗くて何も見えない。大抵の場合こういう所には危険な先客がいるものだが、今はこの『毒雨』を凌ぐ方が先決だった。

 雨の勢いはどんどん強くなっていく。もう全身はぐっしょりと濡れてしまっていて、水を吸った服がとても重い。やっとの思いで橋の下へ避難できたところで、俺は気が緩んでその場にしゃがみ込んでしまった。心臓がバクバクとうるさく脈打っている。この土砂降りの雨の中を全速力で走ったのだ、息だって切らすさ……と、思いたかった。

 荒れた呼吸が少しずつ落ち着いてきた頃、ふとこちらへ誰かの視線が向けられていることに気がついた。やはり先客がいたらしい。橋の下、暗闇の奥、地べたに膝を抱えて座り込んでいる誰かが、俺を見ていた。白髪混じりのボサボサ髪に毛玉だらけのセーター。両腕に抱え込んだ脚は痩せ細っていて、ほとんど骨と皮だけ。ズボンは……はいていない。ひえぇ…。

 誠に申し訳ない感想になってしまうが、絵に描いたような路上生活者だ。

 そんな人物が、さっきからずっと俺の方をジロリジロリと凝視している。こちらが視線に気付いた所で不躾な視線を送ることを止める気配がない。ここから出て行け、とでも言いたいのだろうか。あちらの方が先客なのだからこちらが文句を言われるのは仕方ない話だけれど、俺だってこのどしゃぶりの下を歩き回って風邪を引きたくなんてなかった。これくらいのスペースのシェアは見逃してもらいたい。

 警戒はしておくべきかと思い、雨宿りをするしばらくの間、女性の様子を窺っていた。けれど今のところ向こうの方から行動を起こす気配はなく、声だってかけられない。時々そわそわと腕や頭を振り回してはいたが、それは体についた何かしらのゴミを取るための行動に見えた。とりあえずは目を逸らしていても大丈夫だろうか。まだ少し不安だけど、あの姿をずっと監視していることだって精神衛生上よろしくなかった。できればなるべく気にしないようにしていたい。

 気を取り直すべく、橋の下から空を見上げる。雨はまだまだ止む気配がない。それどころかこれからが本降りだと言わんばかりに、どんどんどんどん勢いを増しているような気配すらある。今までの人生で一度も聞いたことがないくらい巨大な雨音がザァザァと周辺一帯を蹂躙していた。まるで壊れたスピーカーみたいだ。少し坂になっている足下には真っ黒に濁った雨水が勢いよく流れていた。

 靴の中に水が入って、べちゃべちゃする。そもそも体全体はすっかりびしょ濡れで肌寒くて仕方がない。いや、寒い、というより、熱い? 止まない雨を無心に見つめる俺の頭の中が、だんだんぼんやりとしてきた。目が、霞む。目眩? もしかしたら、この雨のせいかもしれない。

 風邪ひいちゃったのかなぁ……なんて、暢気なことを考えていたら、不意に首元に冷たいものが触れた。泥だらけに汚れた女の指先だった。

 驚いて身を引こうとすると、いつの間にかすぐ隣に立っていた浮浪者に外套のフードを引っ張られた。水を吸って重くなったフードは俺の頭の上からドサリと滑り落ちる。

「キンイロだ」

 浮浪者は俺の想像とは真逆な甲高い声を上げた。しわがれてはいるけれど、耳の奥にツーンと来る金切り声。女だったのか、この人。それにしては腕力がある。浮浪者の女は興奮した様子で俺の腕や肩に掴みかかり、俺の体をいともたやすく水溜まりの上に押し倒した。水溜まりの上で暴れる俺の体を抑え付け、顔に付けていたゴーグルとガスマスクを強引な手付きで剥ぎ取られる。女は剥ぎ取ったゴーグルとマスクを水溜まりの上に投げ捨て、俺の顔を血走った目で覗き込む。

 追い剥ぎとか、強盗とか、そういうタイプの犯罪が目的ではない? じゃあ、何?

「アンタたちッ! キンイロ、キンイロがいるぞ!!」

 女がけたたましい声で橋の奥の一際暗い空間に向けて声を上げる。仲間を呼ばれてしまったのだ。酷い雨の中では大した音量にもならなかったはずなのに、暗闇の奥から次々と仲間らしき人影が集まってくる。ゴーグルを取られてしまったから、彼らの姿がよく見えない。けれど彼らも女と同じような容姿をしていることはすぐに解った。全身から強烈な汚臭が漂っていたからだ。

 このままでは取り囲まれる。急いでこの女の拘束を解いて逃げ出さないといけない。とはいえ雨に濡れたせいですっかり調子が悪くなってしまった体は思うように動いてくれなかった。力一杯暴れているはずなのに、ガリガリの細腕一本にあっさりと押さえつけられてしまう。暴れた拍子に耳や口に泥だらけの雨水が入り込んで気持ち悪い。

 さらに暴れる俺の右足首を、誰かがぎゅっと掴み上げた。これは、この大きな手の平は、間違いなく男性のものだ。

 ヤバイ。どうしよう。まだ旅に出たばかりだというのに、俺って早速大ピンチなんじゃないだろうか?

 というかなんで俺は突然こんな奴らに襲われているんだ? 故郷のストリートでならまだしも、こんな異国の地で無法者に取り囲まれる謂われなんて……あんまりないと思うんだけどな。キンイロキンイロって騒いでいたけれど、それってもしかして、俺の髪の色のことだったりするのだろうか。

 もはや抵抗することを諦めて、命乞いの声でもあげてみようかと考えてしまい始めた、そのタイミングで、土砂降りの向こうから見知らぬ男の大声が聞こえてきた。

「オマエたち! ここで何をしている!!」

 「ぐぅ…」とか「あぁ…」とかしか言わない浮浪者たちとは打って変わって、ハキハキとした力強いハスキーボイス。それが聞こえてすぐ、橋の下に三人組の男性が走り込んでくるのが見えた。体格の良い体に揃いの制服を身に纏い、訓練の行き届いた機敏な動きであっという間に浮浪者たちの動きを止める。警察か、警備員か、はたまた軍人か。

「民間人による人身売買は条例により禁止されている!」

 彼らは泥の中に体を押さえつけられている俺の姿を見るや否や、瞬時に状況を把握したのか、浮浪者たちに向けて発砲した。

 発砲だ、発砲!

「恥を知れ、ドブネズミども!!」

 威嚇射撃なんて生温いものではなく、彼らが構えた銃の先から出た弾丸は、浮浪者たちの腹や足の肉を容赦なく抉り取った。雨水の濁流の中にボトボトと彼女たちの血液が落ちる。それはもちろん、俺を取り押さえていた女の体にも撃ち込まれていて、女は「ぐぎぃっ!!」と酷い声を上げて俺の上から飛び退き、バシャバシャと泥を蹴りながら逃げ去って行った。奥に控えていた女の仲間たちも、我先にと後に続く。

「相変わらず逃げ足だけは速いですね」

 発砲した男の一人が、銃の先端を布で拭きながらケラケラと笑った。

「追いかけますか?」

「いや、結構。あんなもののケツを追いかけたって一銭にもなりゃしねぇ。それより、だ」

 三人の中で一番偉そうな言葉遣いをする男が、水溜まりの中で呆然とうずくまっている俺の方を見た。そのまま、足下の水をゆっくり蹴りながら近付いてくる。男は筋肉がたっぷり付いた両腕を使って俺の体を助け起こした。そしてこんなことを言う。

「失礼、青年。事情聴取のため、我々の砦まで同行願いたい」

 まさしく前途多難であった。

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