記述8 世迷い人と交差点 第4節
人でにぎわう市場に突如として出現した巨大モンスター、ビートロマジロ。成虫。屋台や露店で敷き詰められた窮屈な路地の間を左右の建物ごとぶち壊しながら転がり回るビートロマジロ。タマゴのママ、暫定。完全に怒り狂った形相で今も雄叫びをあげ続けている。
憤怒の限りに暴れ散らすモンスターは周囲にあるものを片っ端から壊して壊して壊しまくる。先端に鋭い爪が付いた脚で屋根を弾き飛ばし、看板もふっとび、車も空を飛ぶ。壊された建物の家主と思われる人物が瓦礫の前で頭を抱えてうずくまる姿を見かけたが、今は同情している暇がない。
買い物日和だったラムボアードの平穏はたちまちパニックに陥っていた。しかしこんな状況にあってもラムボアードの商人たちは妙に冷静で、どこの店も驚嘆するほど鮮やかな手際の良さで店じまいをすると、慌てふためく買い物客を店先に置き去りにしたままスタコラサッサと避難してしまう。どうやら彼らは随分とハプニング慣れしているらしく、緊急時の対応が完璧だ。大きな荷物をたらふく抱え込んで通りを爆走する商人たちの姿は荒野を大移動するダチョウかラプトルの群れのようにたくましく見えた。
そんな彼らの激しい大移動の流れに逆らうようにして、俺とエッジは騒ぎの元凶がいる方へ向かって一直線に通りを駆け抜けていった。途中で自警団らしき人物に「そっちは危険だぞ!」と警告の声を投げかけられたけれど、俺にも、横を走るエッジにも、少しも立ち止まる気はなかった。
「まさかタマゴの母親があれほどの巨体の持ち主だったとは」
「というか、アレってもしかしなくとも虫なんじゃないのか? 本当にタマゴの母親なのか?」
「何を言っている、タマゴはどこからどう見たって虫ではないか!」
「え!?」
「見てみろソウド、タマゴには脚が六本あるんだ!」
エッジは腕の中でぷるぷると震えているタマゴの 裏側 を俺に見せながら自身たっぷりに言う。雲海さながらにふわふわの胸毛を敷き詰めた腹部からは、確かに六本の脚が可愛らしい調子で生えていた。
ビートロマジロは虫。親が虫だから子供も虫。これは幼虫。脚が六本あるから虫。それにしたってふさふさすぎる。ふわふわすぎる。短い手足はふにふにふにゃふにゃに柔らかいし、しかもほんのりとピンク色。肉球まで付いているように見えるのだが、虫は虫。虫なのかこれ? 見れば見るほど疑惑が増してくるけれど、彼が言うには虫らしい。
何がおかしいのか指摘してあげるべきかどうかと考えあぐねていたら、そんな俺の態度を見ていたエッジの表情に「もしかして、違うのか?」という不安の色が滲み始めていることに気付いた。
「な、なるほど! 脚が六本ある生き物は虫! 言われてみればその通りだな!」
そんなわけないだろ!! と言いたくて仕方なかった自分の理性を脳内で叩きのめし、無かったことにした。別に虫の定義など人それぞれに自由で構わないのだ!
なんて暢気な会話をしている間にもラムボアードの街は相変わらず破壊の限りを尽くされている。蹴っ飛ばされた火薬樽が道のド真ん中で大爆発したり、叩き潰された水道管から水が噴き出して空に虹がかかったり、店から漏れ出た油が地面に流れて阿鼻叫喚のスリップ祭になっていたり、もう滅茶苦茶だ。
けれどビートロマジロの成虫もといマママジロが行く先々で大暴れしてくれているおかげで、進む方向に迷うことはなかった。転がるのがバカみたいに速すぎるせいで手間取ってしまったけれど、やっとのことで声が届く程度の距離まで近付くことができた。
ところが、マママジロのすぐ近くまでやって来た俺たちが見たものは、広場の真ん中に鎮座するマママジロの巨体と、それと対峙するように陣を敷いて武器を構える自警団の集団だった。
「大変だ、攻撃されてしまう!」
ここまで暴れ回っているんだから退治されるのは当然の流れではある。しかしこちらに彼女の身内がいる以上は、暴力的な制裁など許容しかねる。子供の前で母親が殺されるところを見るなんて胸糞悪いにもほどがあるのだ。マママジロが傷付けばタマゴは悲しむし、エッジも悲しむ。それはとても良くないことのように思えた。なんとか手心を加えてもらいたいところだ。
エッジはマママジロと自警団の争いの間になんとか割って入るべく再び走り出す。すると物陰から何者かが飛び出して来て、エッジの腕をガシリと掴んで引き留めた。
「キミたち、危ないから離れていなさい!」
突然現れた謎の男。眼鏡に白衣、デカい口髭を揃えた、見るからに「博士です」と言っているようにしか思えない容貌をしている。
「あれは大陸北部に棲息する巨大怪虫ビートロマジロ! 非常に獰猛なことで知られる肉食生物であり、気性が荒くなる繁殖期ともなれば縄張りに迷い込んだ人間すら取って喰らうと言われるほどの、とにかくとてつもなく危険で危ない虫なのだ!!」
いきなり現れた知らない博士が、いかにも訳知り顔な口振りで聞いてもいない解説を勝手に始めた。正直、どんな反応をすればいいのかわからなかった。
「彼女がビートロマジロという生き物であることはすでに知っている! だが俺たちには彼女のもとへ行かなくてはならない理由があるんだ!」
俺と違って意志が固いエッジは、謎の博士の饒舌な長台詞に少しも怯む様子なく反発する。
「理由だと? どんなものかは知らないが、そんなもののために死地に赴こうなどと、あってはならーん!!」
「マーーマーーー! マーーーー!」
博士っぽい男が大声を上げたせいでビックリしたタマゴがエッジの腕の中で泣き始めてしまった。エッジは「大丈夫だ。怖くない怖くない」とタマゴをあやし始める。その様子を見た博士みたいな男は大袈裟なほど驚いた調子で声をあげた。
「なに!? どうしてここにMIMIMA1号が!?」
「MIMIMA1号!?」
思わず後ろで聞いていた俺の方が復唱してしまった。俺に気付いた博士風の男はクルリと体を捻ってこちらへ顔を向けると「ま、まさかこんなっ!!」と芝居がかったリアクションを重ねてくる。なんなんだコイツ、ちょっと怖いな。
「フッ……なるほど、そういうことならば私が説明いたしましょう。かのビートロマジロとラムボアードの間に存在する、とてつもない因果と因縁の歴史について……」
俺たちの面倒くさそうな態度を無視して、博士みたいな服装の男は勝手に語り始めてしまった。
話が長すぎるので、要約すると以下の通りになる。
・先月、大陸北部で大規模な地盤沈下が発生し、その地域に棲息していた生物たちの大移動があった。
・大移動の観測から二日後の朝、ラムボアード東の近辺に広がる砂漠地帯で絶滅危惧種であるビートロマジロを目撃したという情報があった。
・金に目が眩んだ大陸商会は調査団を派遣して血眼になってビートロマジロを探し回ったが、足跡の一つも発見できなかった。無能である。
・しかし調査団が成果ゼロのまま帰路につこうしていると、とてつもなく偶然にビートロマジロの幼虫と思われるなんだかふわふわした丸い生き物を発見。これの捕獲に成功した。
・今までその生態のほとんどが謎に包まれていたビートロマジロの幼虫の捕獲は前代未聞の快挙であった。
・大陸商会は大喜びでラムボアードの地下にある秘密の研究施設に幼虫を連れ込み、MIMIMA1号という勝手な名前を付けて夢にまで見たビートロマジロの養殖を目指す研究を始めた。
・その結果がコレである。
「まさかこんなことになるとは……」
「むしろなんでこうなると思わなかったんだ!?」
本当に博士だった男のふざけた話を聞いている間に、マママジロと自警団は戦いを始めてしまっていた。平和だった広場に派手な火花が散り、硝煙の臭いが瞬く間にあたり一面に充満していく。
マママジロと自警団の戦いはマママジロ側の優勢。頑丈なビートロマジロの甲殻に銃弾は通らず、人類側は苦戦を強いられているようだった。傷付いた様子もなく元気に敵を蹂躙するマママジロの様子を見て「無事でよかった」と安堵しつつ、これもこれでどうなのかと思ったりした。
「とにかく彼女がタマゴの母親に近しい何かであることはほぼ確定しているんだ。暴れている理由も子供を誘拐されて怒っているだけかもしれないのだから、俺たちは一刻も早く二人を再会させてあげなくてはならない。タマゴだってこんなに母親のもとへ帰りたがっている」
心配そうにふるえるタマゴの頭をなでるエッジ。なんてマジロ想いの優しい人なんだろう。
「わかった。助けよう!」
俺はまだ性懲りもなく行く手を阻もうとする博士の背中を蹴っ飛ばしてエッジが進むための道を開けてやった。
その直後、頭上から最近どこかで聞いたことがあるような気がする不穏な音が聞こえてきた。
ブロロロロロロロロロロロロ…………
戦闘用フライギアの登場である。しかも二機。
『爆弾、投下ーーー!!!!』
『アイアイッサーーーーー!!!!!』
自警団たちの気合十分な掛け声とともに、マママジロの頭の上に人の頭くらいの大きさをしたボール状の爆弾が続けざまに何発も投下される。
ボール爆弾はマママジロの硬い甲殻の上にコツンと当たると盛大に爆発、爆発、爆発、爆発爆発爆発爆発……したのだが、なんとマママジロは頑丈なのでピンピンしていた。後頭部についた黒い煤を短い前脚でちょいちょいとふき取る仕草をしている。
全くダメージを受けていないように見えたのだが、賢いマママジロは何かを察知して撤退を始める。このまま長期戦になれば自警団側に仲間が増えて不利になると気付いたのだろうか。
とにかくマママジロは踵を返して走り始め、自警団たちはその後を追いかけた。俺とエッジもタマゴを抱えて追いかける。
走って走って、走り続けて走り続けて、そうしているうちにいつの間にか街を抜けてラムボアード東の郊外までやってきてしまっていた。
前方にはラムボアードの象徴である大渓谷の断崖絶壁が、大地を二つに切り裂くように横たわっている。圧巻の光景ではあるのだが、今はそんなものに気を取られている場合ではない。
「戦闘機が六機に増えている! それに加え、戦車が全部で十二台だ!!」
「そこまでする必要があるのか!?」
崖の前に追い詰められたマママジロに、先ほどよりも遥かに戦闘力が増した兵器を携えた自警団たちがジリジリと滲み寄る。一触即発。
このままでは今度こそマママジロが危ない! と、思ったところで。
「マアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
マママジロが一際大きな雄叫びをあげた。
すると地面が急に揺れ始め、大渓谷の崖下から地響きのようなものが聞こえてきた。その音は次第に雪崩かと思うほど大きくなっていき……まもなくして崖の下から土煙が上がり始める。
そしてついには崖の下から長い触覚が一つ、二つ、ひょっこりと飛び出した。
これはいかなる状況か。そう、援軍である。
「ミマーーーー!!」
「ムーーーーーーーーー!!!!」
「メメメメマーーーーーーーー!!!!!!」
「マアアアアアアアアーーーーーーーーーー!!!!!!」
崖の下から這い出てくる巨大な甲虫。ビートロマジロ。
一匹、二匹、三匹、五匹、八匹、十二匹、三十匹……あ、これはいけない。
ビートロマジロ軍団の中央で仁王立ちのポーズをとるマママジロ。鶴の一声とともに集結したビートロマジロの仲間たち。彼女の後ろにピッチリと横並びに整列し、戦闘態勢を取るマジロたち。
そして鳴く。
「ミィイイイイイッツツツツマアアアアアアアアアムゥウウウウウウウーーーーーー!!!!!!」
『『『ミマムーーーーーーーーーゥ!!!!』』』
人類が敗北を約束された瞬間である。