記述8 世迷い人と交差点 第2節
「なんだあれ」
目の前に突如として現れた……恐らく、中に人が入るタイプの着ぐるみ。短い前足らしき部分にはたくさんの風船をひっかけていて、上半身には「サービス期間中!」と大きく描かれたベストを着ている。
「あぁ、アレは最近ここらを騒がせている名物キャラクターだよ。薬物売買組織が客引きのために作った、ニシタイリクオオカバロニクスのカバくん」
「薬物!?」
「オイオイでかい声出すなよー。ソウドだってあんなのに巻き込まれたくないだろ? 目を合わせちゃダメだぜ」
「な、なんでそんな物騒な連中があんな不細工な着ぐるみなんて……」
「近頃はああいうデザインがはやってるんだよ。緑色は縁起がいいっていうし」
「だからってヒポポタマスを黄緑で塗るなよ!」
「それはアタシも思った」
ラムボアードって変なところだ……と、俺が奇妙に思っている間にも、不細工な着ぐるみは道端でキャッチしたと思われる通行人へ執拗なセールストークを続けている。
「そもそも俺は生まれてこのかた一度も病気になったことがないんだ。健康には困っていないし、薬品を購入したところで使いどころがあるとは思えない」
「いやいや、これは健康になるために使用するお薬とはちょっと違いましてね? ちょっと刺激的なラムネ菓子のようなもので、なんと口に含むとほんのり甘い!」
「それではただの菓子ではないか?」
「ただの菓子ではないから、こうやって、特別な売り方をしているのです!!」
「なるほど……昨今の若者の間では風変りなものが好まれているんだな?」
「はいはい、そりゃあもう大流行ですとも!! こちら現在特別セール期間中でして、お話させていただいたお客様には、とてつもなーくお安いお値段で提供できまする!! 今しかできないお話なんですよ! 決して損はさせませんから、どうですか? そこの喫茶場でお茶でも飲みながら、じっくりと。お話だけでも聴いていきませんか? ケーキもつけますよ!」
「ケーキ?」
大の大人をケーキで釣ろうとするな!
「おいオマエ、あれは止めなくても良いヤツなのか? 今にも詐欺にひっかかりそうなんだが」
「アンタ相変わらず無駄に人が好いねぇ? でもやめておいた方がいいぜ。犯罪組織の相手は犯罪組織に任せて自己防衛に努めるのが、ラムボアードでの平和な過ごし方ってヤツなんだ」
「ぜんぜん平和的とは言えなくないか?」
「さて? まぁアタシもよそものだから今はこの街の連中と深く関わりたくないって言うのが本音だねぇ。いちいち相手してたらキリがないってのもあるし……つーか、そんなに気になるならソウドが声かけてくればいいじゃん!」
「なんで俺がわざわざ」
「言い出しっぺだろー?」
反論できずに口をつぐみ、もう一度黄緑色のヒポポタマスの方を見る。いつの間にか紫色の別種が増えて二頭になっていた。
黄緑と紫の大きな着ぐるみに囲まれている被害者は、ナンパめいた声掛けに困惑しながらも朗らかな声色で会話を続けている。どれだけ定型めいた路上詐欺の決まり文句を言われても相手のことを疑う様子を見せず、後ろ姿だけでもニコニコと笑っていることがわかるくらいだった。
暢気というか、なんというか、とにかく遠目に眺めているだけで良心が痛むような純真さ。見ていられないものがある。
「せっかくの誘いを断るのは申し訳ないが、今は人探しをしている最中なんだ。お前たちの相手はしていられない」
「人探し? お嬢ちゃんもしかして迷子なのかい?」
「だから男だと言っているだろう」
「良かったら力になりますよ? どんな子か教えてくださいな! その子も美人なのかな?」
「ふむ……容姿は整っているとは思うが……」
「おぉーーーっ!」
「金色の髪をした若者で、茶色のコートを着ていてだな……そういえば瞳の色も太陽みたいな金色をしていた」
「金色の髪に金色の眼? そりゃ珍しい」
そこまで聞いたところで自然に体が動き始めた。売り子の女が発する「いってらっしゃーい」という気の抜けた声に見送られながら、二頭の着ぐるみと一人の少年らしき人物の後ろ姿へ近づいて行った。
忙しなくざわめく人混みを両腕で掻き分け、見知らぬ人と人の間をぬって通路を横断し、反対側の通りに立っていた彼に向かって手を伸ばした。
「話の途中だが、少しいいか?」
その金髪金目の男について詳しく……と、続けようとした言葉が喉の奥でピタリと止まった。
肩を叩かれた少年が振り返り、琥珀色に光る大きな瞳がこちらを見上げる。たったそれだけの光景を目の当たりにしただけなのに、呼吸が止まる。思考が止まる。
不意に背後から声をかけられた少年は驚いた表情をしつつも細い首を傾げた。それとともに柔らかい銀色の髪の毛がふわりと被り物の下から零れ落ち、微風にまみれてそよそよとなびいた。彼の背後にここではないどこかの景色が霧のように広がって、あっという間に霧散していく。あとには神秘的とも異質ともいえる違和感だけが残った。
俺は今、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。
けれども後悔したところで何も変わらない。もう遅い。彼からにじみ出た稀有で清涼な存在感は、驚くほどすんなりと自分の中に馴染んでいった。まるで、以前から彼のことを知っていたかのように。
「……何か用か?」
彼は戸惑い混じりの大人びた微笑を浮かべながら、俺に返事をくれた。そこでやっと我に返る。
「あぁ、その……ちょっと横で話を立ち聞きしてしまっただけなんだけど……オマエが言っていた金髪の若者とやらについて、詳しく……」
「マママムッ!」
何と言い出すべきか必死に考えながら喋っている途中で、自分の真下から謎の鳴き声が聞こえてきた。
「え?」と思って声のした方を見てみると、そこには、少年の腕に抱えられた大きなボールが一つあるだけ。
そのボールが突然 パカッ と二つに割れ、中からふさふさの毛が生えた六本の腕と、哺乳類の頭のようなものがひょっこりと飛び出してきた。
「マムムッ! ミムゥ!」
小さくつぶらな小動物の瞳が俺を見上げ、「ミミミッ」と甲高い声をあげる。
「そ、その生き物はまさか!? 幻の珍獣、ビートロマジロの幼体では!?!?」
訳知り顔のヒポポタマスが急に真横で大きな声をあげ、驚きすぎて肩が跳ねた。