記述7 失われた栄光 第6節
アゼロは窓の上から ぴょんっ という効果音でも出そうな動きで飛び降りると、どことなく気怠げな調子で部屋の中を一望した。俺の存在を先客と認識したうえで見せる余裕の態度だ。想定外ではあるけれど、問題だとは思われていないのだろう。
なぜこのタイミングで、あんな大物が姿を現わすのか。考えたところで頭の中には『陰謀』という単刀直入な二文字しか浮かんでこない。腹黒な雇用主から貸し与えられたヘッドギアで顔を隠していなかったら、姿を見られた瞬間に有無を言わさず殺されていた……いや、既知であろうと未知であろうと、因縁であろうと、任務中の邂逅であれば殺して黙らせるのが彼ら黒軍兵の常である。ましてやこれほど逃げ場の無い場所だ。
一人で勝てる相手ではない。直近の戦闘では、仲間の連携があったから優勢をとれていただけだ。
パキリ、パキリ、散らばった七色のガラス片を靴裏で踏みにじる音がする。何が目的なのかは知らないが、アゼロはゆったりとした足取りで俺の方へ近付いてくる。恐らく俺の後ろにある天幕の奥に用があるのだろう。
すでに死んでしまった人間を守る必要は、たぶん無い。護衛のために抗戦する振りをしつつ、隙を見て開いた窓から逃走しようか。それすらもあまり良い手であるようには見えなかった。
ベッドの脇に置かれたスタンドライトのほのかな光。中途半端に明るくなった視界の中に、ヤツの白い顔が浮かび上がる距離まで近付いたところで、俺は携帯槍を展開して身構えた。
金色の眼球が二つ、ニヤリと弧を描いて歪んだ。
そこからほんの一瞬、まばたきよりも素早い速度で距離を詰められた。
最初に正面から飛び込んできたのは、まさかの拳だ。
直感で「受け止めるのはまずい」と判断し、回避に切り替える。空を切ったアゼロの拳はそのまま俺の背後にあったベッドのボード部分にぶちあたった。巨大な打撃音とともにキングサイズのベッドがあっけなく破壊された。衝撃でひっくり返ったマットレスの上からベニル国王の死体が放り捨てられ、鈍い音をたてて床に落下するのが視界の端に映った。
アゼロが間髪入れずに二撃目を繰り出してくる。これもなんとか避けられた。背後にあった高級そうなキャビネットが真っ二つに裂け、その後ろにあった壁すら粉砕された。
棚の上から転がり落ちてきた置物を手に取り、力いっぱい投げつけてやる。しかし片手で払い落される。
続けてアゼロの方も足元にあった飾り壺をお返しとばかりに投げ返してきた。当たりはせずとも、割れた壺の破片の一つがヘッドギアにぶつかったせいでディスプレイ画面にヒビが入ってしまった。いっそここで脱ぎ捨ててしまうべきか、そう考えた直後にまたアゼロが何かをまた物凄い勢いで投げつけてきた。天幕の柱だ。
硬い真鍮で作られた柱の切っ先は、まだ割れていない窓の一つに深々と突き刺さる。アゼロはその綺麗な刺さりっぷりを見て、なぜか楽しそうに笑った。
アゼロは手を緩めることなく、まるで楽しむように猛攻を続けてくる。どしゃぶりのような破壊音が部屋中に響いている。手やら足やらナイフやら、次から次へと襲いかかってくる。
防戦一方では時間の問題だ。少しでもダメージを負わせなければ、逃げる隙すら与えてもらえない。ならば攻めるより他にない。
回避の動作ついでに前方へ大きく踏み込み、一気に間合いを詰め、わずかに空いた脇腹部分に向けて槍の切っ先を突き付けた。小さなナイフの刃で受け止められる。しかしナイフの方が甲高い音を立てて根本から砕けた。
それを見たアゼロはやや不機嫌そうに眉をしかめた後に、細長い脚を使って蹴りを入れてきた。当たったら確実に骨が木っ端微塵にされる攻撃だった。
「アンタ、もしかしてこの間の青髪?」
なぜ気付かれたのかわからなかった。だが返答なんてしてやる義理はない。
「この僕が声かけてやってるのに無言とか、アンタ何様なわけ? それとも口を縫い付けられてるから喋れないとか?」
アゼロの右腕が俺の頭部に向かって真っすぐに伸びてきた。
「ねぇ、顔を見せなよ」
ヘッドギアの表面にアゼロの指が触れる直前、その手の平に向けて槍を突き付けた。
貫通した。突き刺した槍はアゼロの手の甲まで深々と貫通し、裂けた肉の間から噴き出した鮮血がディスプレイの上にまき散らされた。
だが、槍が抜けない。骨にひっかかっている。
手の平に風穴を開けられた当の本人は、笑っていた。
バケモノに自分の身を気遣う必要などないことを、すっかりと忘れていたことが、俺の敗因だった。
槍が刺さっていないもう片方の手が伸びてくる。首を掴まれた。物凄い握力で喉を締め付けられた。
首の肉がよじれるような圧迫感。神経の通った骨が ギチリ と軋んだ。
意識が、瞬く。
視界が……白と、青と……薄紅色に点滅する。
何かが、急速にせり上がり、
噴き出し、
遠のいていく。
その次に、 胴体から 首 を引き抜かれる浮遊感が頭の中に広がっていった。
再び冷酷に静まり返った部屋の中。びちゃびちゃと、自分の体だったものから体液が噴き出す雨音のような旋律を、アゼロ・ウルドだけが鑑賞していた。