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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述7 失われた栄光
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記述7 失われた栄光 第4節

 ラングヴァイレという自称赤軍隊長の男から救国の聖女の昔話を聞くまで、俺はアルレスキューレの国民はみんな無神論者なのかと思っていた。出会った人たちが片っ端から、いかにも「自分を生かしてやれるのは自分だけ」と言いたげな顔ばかりしていたからだ。

 なんといっても彼らには敵が多い。それは作物一つ満足に育てられない自然の厳しさそのものから、税を滞納した失業者を貸家から追い出す支配者の横暴まで多種多様かつ幅広い範囲に及ぶ障害だ。

 例えば日照り、疫病、害虫被害、積雪、落雷火災。例えば窃盗、詐欺、人身売買、無賃労働、強姦、死体喰らい。孤児ばかりを集めて運営する煉瓦工場。ゴミ屋敷になったまま放置されているプレハブ小屋。水浴びをする乞食が集まる橋下の排水路。

 目に入れたくない現実が、いたるところに溢れている。自分のすぐ真隣を通り過ぎていく。その全てが「次はオマエの番だ」と脅しの言葉をかけてくる。「この国に未来はなさそうだ」と、誰もが気付いてしまっている。悲観と呼ぶにはあまりにも影の色が濃い絶望こそが、日常だった。

 だからいつも、彼らは自分という脆弱な命を守ることに必死なのだ。生きるためなら何にだって縋りつき、奪い取り、踏みにじり、意地汚く生きながらえようとする。それこそを正義と信じて疑っていない。けれどそのわりには掴んだ未来の先でやりたいことなど何もないから、生きれば生きるほど途方に暮れる。思い浮かぶものといえば、憂さ晴らしか報復か。「復讐のために生きていく」と口にするだけで、仲間内からは「生きる理由があっていいな」と妬まれる。

 節制や清貧という美徳を知らない。啓蒙や説教に耳を傾けない。悪知恵と裏切りを材料にして拵えた使い古しの刃物を頼りに、肥溜めの底みたいな故郷でドブネズミと一緒に暮らしている。

 王制国家アルレスキューレがそういう国になってしまったのは、五十年ほど前の『王族大虐殺事件』とやらが起きてからのことらしい。

 ディノという灰色の髪の男が霊廟で別れ際に残していった言葉の通り、端末に届いていたメッセージの中にはこの事件に関する資料データが添付されていた。送り主いわく、「現在の国内情勢を理解するうえでは欠かせない情報」とのこと。

 事件の概要については、一言でまとめると……


『神聖なる聖女の血を継いだアルレスキュリア王家とその従者たちが、たった一人の若者の手で皆殺しにされた』


 という、事件名から想像した内容とそう変わらないものになる。

 殺害された王族関係者の数は、五十人とも百人とも、それ以上だとも言われている。当時の玉座にあがっていた国王陛下当人はもちろんのこと、その兄弟姉妹、親戚一同、およそ血の繋がりが少しでも残っていたとされていた貴族の老人から妾の子まで、それはそれは綺麗さっぱり惨殺された。

 腹を斬られ、首を刎ねられ、腕を折られ、胸を刺され。剣と盾を構えて主君を守ろうとした衛兵までもが、片っ端から殺された。

 赤一色に染まった玉座の間にはぐちゃぐちゃに歪んだ死体が山のように積み上げられ、内臓やら抜き身の骨やらが湿った絨毯の上に散乱していたのだという。

 犯行に及んだのは、当時の国王から寵愛を受けていたとされる、うら若き美貌の青年。三日三晩かけて殺し続けたとも、たった一晩のうちに全てを成し遂げたとも言われている。第一発見者である兵士が辛うじてこれを取り押さえたことで被害は城内のみに止まったものの、兵士はその際に青年を殺してしまったため、事件の詳細のほとんどは不明なままになってしまった。

 どんな手段をもってあれだけの人間を一か所に集めたのか。どんな動機でもってこのような凶行に及んでしまったのか。究明しなければならない謎ならばいくらでもあったけれど、そんな些末なことにかまけていられないほど、被害は甚大であった。

 遺された者たちにとって何よりも堪えたのは、神聖なはずであったアルレスキュリア王家の血が途絶えてしまったことだ。元より救国の聖女へ抱く憧憬や恩義のために国王の支配を受け入れていただけの国民たちは、聖女の血が流れていない人間を代役とした政治を受け入れられず、激しく反発するようになっていった。混乱を極めた国側は、これらの反発を武力でもって鎮圧し、結果として国と民の間にあった絆までもが断絶される始末になってしまった。

 さらには時期王位継承者とされていた者たちの全てが火葬場の灰に成り果ててしまったおかげで、永遠の空席となった玉座をめぐる権力争いは時が経つほどに激化していった。血統に縛られずとも王冠を戴けると知った野心家たちの欲望は果てしなく、ただでさえ不安定な政治状況の中で、支配者だけがあれもこれもと目まぐるしく入れ替わる。

 そんな中で自然発生的に生まれたのが、反王制派と親国王派という二つの派閥だった。

 反王制派は建国当初から続く絶対君主制という国の在り方を根底から否定し、国民の解放とやらを求めて過激な思想活動を繰り広げた。かねてより王族の存在を毛嫌いしていた貴族残党や富豪が陰から彼らを支援していたため、武力にも金銭にもさほど困らず、反王制派はみるみるうちに規模を広げていった。

 国のあり方そのものを根底から覆そうとする反王制派の運動に対抗すべく、じわじわと存在感を増していったの親国王派だ。彼らの多くは元穏健派あるいは中立派で構成されており、愛国心が非常に強いことが特徴だった。その忠誠の篤さとくれば、人命より国の命運の方がよっぽど大事だと言い出すほどである。

 しかし実際に親国王派が信奉するのは、人でも、国でもなく、『かつて聖女に命を救われた』という史実の方である。彼らにとっての歴史とは、現実の延長戦上にある個人の記憶とそう変わりない。故に、奪われるばかりで疲弊するかつての民を、ささやかな未来へ導いてくれた救国の聖女の存在は偉大であった。さらにいえば、倫理そのものでもあった。

 国内情勢が荒れれば荒れるほど、救いや成功を求める声が高まれば高まるほど、両派閥の間に生まれる溝は深くなっていった。それは事件から五十年以上が経過した現在においてもなんら変わらず、今も対立は続いている。

 どちらかが滅びるまで、あるいはどちらも滅びるまで、争いは続くものと思われている。

 

 

『つまりあの、ベニルなんとかっていう冴えない爺さんは、宗教戦争なんてもののために殺されそうになってるってわけか』

 真っ暗な部屋の中。待機中の暇つぶしをかねて、すぐ側で突っ立っている黒軍兵の監督役にメッセージを送信した。間もなくして、任務用に貸し出されたヘッドギアのマウントディスプレイ上に返事が届く。

『冴えない爺さんなんて言うもんじゃないよ。あれでもこの国の現国王陛下なんだから、結構がんばってたりするんだ』

『具体的にはどのあたりを?』

『移民政策とか』

『バカなんじゃないのか?』

 会話相手の男が暗闇の中で肩をすくめるジェスチャーをした。そんな仕草も暗視機能のおかげでよく見える。

 国王暗殺計画の阻止任務を正式に受諾してから、三回目の夜。グローブ型の入力デバイスの操作速度はまだまだ自慢できるほどではないが、潜伏のために声を出さず情報伝達を行うことにも、少しずつ慣れ始めてきた頃合いだ。

 とはいえ主に行動を共にする黒軍連中はバケモノだらけだ。みんな揃って脳波入力を応用した高難度のデバイス操作スキルを習得しているから、彼らのコミュニケーション速度についていくだけでもいっぱいいっぱいだ。ぎこちなさが残った手入力では時々間違った内容を送信してしまうし、その度に今も目の前に立っているディノには笑われている。

 ディノといえば、彼が黒軍の精鋭中の精鋭しか所属できない特殊部隊の一員であることを知ったのは、あの墓で初めて出会った直後のことだった。打ち合わせのために足を運んだ黒軍基地内で再会した時には、彼のことを多少なりとも訝しげに思ったものだ。

 アルレスキューレの文化に疎い俺のサポートをするために寄越された人員なわけだが、つまるところは単なる監視要員。俺が少しでも不都合な行動をした場合、すぐに処理できるよう優秀な人材をあててくれているのだろう。実に光栄な待遇である。

『今のところ、城内の警備システムに異常は見られないねぇ』

『本当に今夜なのか?』

『どうだろ。そういうのは相手側の気分次第みたいなものだからな。でもうちの諜報部隊は優秀だし可能性は高いだろうさ』

『情報が筒抜けの暗殺者のどこを怖れろっていうんだろうな』

『そんじょそこらの武力では手に負えないほど強いのかもしれない』

『それはもう暗殺じゃないだろ。災害か何かだ』

『言いえて妙だな……と、おや』

『何かあったのか?』

『目視で窓の外を確認してくれ』

 ディスプレイに表示されるメッセージの文字が、重要性を示すオレンジ色に変化した。

 俺は届いた指示に従って部屋の窓に近付き、かかっていたカーテンを少しだけ開いて窓の外を確認した。城の三階から見える夜の中庭は、早朝の墓地よりも静まり返っているように見えた。

『警備兵が一人も見当たらない』

 国王陛下の命が狙われていると判明してから、アルレスキュリア城内の警備は常日頃にも増して厳重になっている。この中庭にも、ほんの数刻前までは複数名の黒軍兵がまるで時計秒針のような速度で巡回していたはずなのだが、今はその影も形も見当たらない。

 異常事態が発生している。

『カメラのアクセスにロックがかかっている。これは上手いこと嵌められちまったかもしれないね』

 黒軍兵はこの国で最も強大な戦力だ。それがこの短時間の間に音も無く殲滅させられるなんて、まずありえない。だとすれば可能性として高いのは……

『嵌めたとしたら、誰がだ』

 送った問いかけに対する返事が、かえってこない。チラリと一瞥した監督役の黒軍兵には、焦っている様子など少しもないように見えた。恐らく彼は、直属の上司からこのような状況になることを事前に知らされていたのだろう。

『それじゃあ、後は頑張ってくださいな。ゼウセウトの旦那』

 ここで今すぐにこの男の頭部を殴り飛ばしてやってもよかった。けれどそんな八つ当たりに時間を割いている場合ではない。俺には任された仕事というものがあった。

 国王の命を守る。

 それが楽な仕事ではないことなんて、始めからわかりきっていた。わかりきったうえで、どういうわけか少しも断る気が起きなかったから、俺は今この場所に立っている。

 ならばできることをするまでだ。


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