記述7 失われた栄光 第2節
来た道をそのまま引き返していた途中、壁の向こうから人間の話し声が聞こえてきた。ついさっきまでは他に人がいる気配などなかったのだから、彼らはこの場所に到着したばかりなのだろう。話し声や物音の数から察するに、人数はほんの二人ほど。若い二人組の男性で、キビキビとした発音をしているあたりからただの民間人ではないのだと推測できた。
このまま次の角を曲がれば、彼らに姿を見られてしまうのではないか。そう思ってしまった途端に、自分の足が意思とは関係なくピタリと止まる。なんといっても、俺は依頼主と人目を避けた場所で接触するためにこの場所まで呼び出されたのだ。依頼主であるトラストの意図は相変わらず不透明ではあるものの、このまま誰かに目撃されてしまうのは、はたして一流の傭兵としてどうなのだろうか。
いや、俺は一流でも三流でもどうだっていいんだ。
今更優秀であることを心掛けるのに、どれほどの意味があるというのか。思わず立ち止まってしまった自分の半端ぶりに自嘲してしまう。
俺はその場に立ち止まったまま、瞳を閉じて、目頭を指で押さえた。なんだか今朝からずっと、頭の中がぼんやりしている。それもそのはず、昨日は夕方から明け方にかけて行方不明者の捜索活動に駆り出されていたせいで、一睡もできていない。
この後の予定は無いんだから、近くで適当な部屋でも借りて睡眠でもとろう。顔から指を話し、再び歩き出そうとした、その直後、曲がり角の向こうから赤くてデカい何かが飛び出してきた。
「わゎっ!!」
赤い何かは姿を現わした途端に間抜けな大声をあげると、俺の体に勢いよくぶつかってひっくり返った。それから一拍遅れて、俺の体はぐらりとバランスを崩し、背中側から倒れてしまう。床に散らばっていた小さな石の破片がグサグサと体に刺さった。普通に痛い。
心の中で「は?」と悪態をついた俺は、すぐに自分に向けて唐突なタックルをかましてきた不届きものの正体を確認するべく向かい側の床を見た。瓦礫と一緒に床の上を転がっていたのは、全身に赤色の軍服を着込んだ優男だった。
「あれ? なんでこんな辺鄙なところに旦那みたいな大物がいるんだ?」
今すぐ起き上がって文句を言ってやろうとしたところで、赤い男の背後にいつの間にか別の男が立っていることに気付いた。こちらはやけにラフな格好をした軟派な雰囲気の男で、余裕のありそうなニヤけ笑いがなんだか癪に障る。
彼はいかにも「俺のことを知っている」とでも言いたげな態度でこちらに向けて気さくな挨拶をしてくるのだが、見覚えがない。
「どこかで会ったか?」
やや苛立ちまじりな声色で言い返してやった。そうすると、彼はその反応だけで今の俺がどんな状況にあるかを察したのか、面白いものでも前にするようにヘラリと笑った。
「おっと、気にしないでくれ。俺たちが一方的に知ってるだけだからな」
どうやらこの灰色の髪の男は、少なからず俺の事情を知っているようだ。それはそれで不愉快な話ではあるが、説明の手間が省略されたのはありがたかった。
「ディノ、そちらの方はお知り合いなのかい?」
間抜けな体勢でひっくり返っていた方の男が、両手の平を床につけながらノソノソと顔を上げた。それから自身がディノと呼んだ連れ合いの男性の顔と、俺の顔を交互に見る。動物みたいな挙動だ。
「質問より先に、あっちに謝った方がいいんじゃない?」
「た、確かにその通りだとも!」
助言を受けたうえで、改めて俺の方へ体を向き直した彼は、先ほどまでの間抜けな行動とは打って変わって軽やかな動作でその場から起き上がった。そして真っ赤な軍服に付着した土埃をパタパタとはらった後に、胸をこれでもかというほど張った仁王立ちのポーズをとる。
一体何をするのかと思わず身構えながら様子をうかがっていたら、彼はあろうころか誰も聞いてないはずの名乗り口上を大声で発し始めた。
「私の名前は王制国家アルレスキューレ正規軍第四部隊赤軍隊長テディ・ラングヴァイレ!! そこなる若人よ、此度は先を急いでいたために前を見ず走り回り、衝突する過失を犯してしまい、誠に申し訳ない!! 以後は気を付ける故ゆるしたまえ!!」
「は?」
まるで謝っている態度には見えないのだが、彼は本気でやっているのか。
「それで、彼はどこのどなたかな? 知っての通り、この神聖なる領域は一般に立ち入り禁止と定めているため、墓守の許可が無いようであれば、どれだけ尊い身分の者であろうと不法侵入になる! 服装から察するに、貴殿は許可を得るために貴人と面会できる身分の者には到底見えないのだから、一体どういうことなのか説明してもらわなければならない!」
「うーん、軍事関係者ともまた似たような、そうでもないような? この青い人は俺たちの界隈ではちょっとした有名人で……というか、ラングヴァイレ卿もすでに知っているはずだろ? あんな派手な髪の色をした人間が、この国に二人も三人もいたら大変だ」
もしかしなくとも、俺は彼らに馬鹿にされているのか?
連れからヒントをもらったラングヴァイレ卿とやらは、そのまま数秒ほど黙りこくって考え込む。顎に片手を当てて、何もない空中を見上げる仕草はわざとやっているのかと勘繰りたくなるほど滑稽に見えた。しかし本人には気が緩んでいる自覚がないようだ。
「もしかして、このお方が、かの御高名なソウド・ゼウセウト様!?」
不意打ちに大きな声で名前を呼ばれて、今度は俺の方が驚かされた。片方が顔と名前を把握しているのだから、もう一人が知っているのは自然な流れではある。しかし初対面でいきなり「様」を付けて呼ばれたとなっては、心の準備の仕方が変わってくる。
若干引き気味な心境で二人の様子を眺めていると、否定しようとしない俺の反応を確認したラングヴァイレの顔色が、みるみる青ざめていく。
「そ、そうとは知らず!? いえ、大変失礼いたしました!!」
さっきまでの謎の威勢はどこへやら、唐突に態度をころりと転換させたラングヴァイレは大急ぎで自分のふんぞり返った姿勢を正した。様付けで呼ばれる意図すらわかっていない俺は、ただただ展開の早い状況の濁流に押し流されることしかできなかった。
「おゆるしくださいーっ!」とついには頭まで下げ始めた自称赤軍隊長の情けない姿を前にして、どうすればいいかわからず、近くで傍観していたもう一人の顔を見る。ディノと呼ばれていたこちらの男の方は、知り合いの面白い行動をみてご満悦な様子であった。
失礼だったかときかれれば、それはもう大変に失礼であった。しかしそれを素直に口にしまえば、さらにしつこく泣きつかれるのは目に見えていた。憤りの感情はすっかり呆れに上書きされ、万事がどうでもいい気分に変わり果ててしまっていた。
「別に構いやしないが……オマエ、そんな様子でよく赤軍隊長なんて名乗れたもんだな」
ラングヴァイレが口にした正規軍第四部隊赤軍とは、名前の通りアルレスキューレで四番目に結成された軍事組織だ。国内では非正規ばかりをかき集めた第三部隊灰軍に次いで数の多い組織で、軍の中でも特に危険度の高い国外遠征と他国侵略を任されていることで知られている。
ようするに血の気の多い職業軍人の中でも特に血の気の多い連中の掃き溜めであるはずなのだが、目の前にいるこの温室育ちのお坊ちゃんみたいな男からは、そういう類のオーラが何一つ感じられなかった。
「いつもはもっとシャキっとしてるんだけどもね。オフの時はいつもこうなのさ」
俺の心中を察したディノがケラケラ笑いながら補足する。
「するとオマエたちは、休みの日の早朝から墓場に来てはしゃぎまわっていたのか? 随分と元気なもんだな」
「しばらくはずっと国外で過ごしていましたので……次に帰る機会があったら真っ先にこちらの霊廟へ墓参りにと考えておりまして……楽しみにして、おりまして……」
「ふーん……それじゃあ、ここの墓にどんな奴らが眠っているかも知っているってことか」
「はて? ゼウセウト様は、ご存じないのですか?」
「知らないというか、どっかで聞いたことはあったものを、興味がなさすぎて忘れたんだろうな」
「なるほど……お噂を拝聴した通りのお方であるようですね。それでは不肖ながらこのわたくしめがご説明いたしましょう! この霊廟の中にある墓は全て……
五十七年前に皆殺しにされた、王家に連なるものたちの魂を供養するために建てられたものです」