記述7 失われた栄光 第1節
今回から新章突入にともない、しばらくの間視点人物が二人目の主人公に変更されます。本作では今まで語り手を任されてきたディア・テラスと、彼との、ダブル主人公で物語が展開していきます。あらかじめご了承ください。
まだ薄暗い朝焼けが西の空に顔を出し始めたばかりの頃、未読通知だらけの通信端末に送り主不明のメッセージが一件だけ送られてきた。必要を感じて本文を確認してみると、そこには見覚えのある数字の羅列が三行ほど続いている。暗号めいた伝聞の内容を読み解き、少し経ってから、俺は今まさに生まれた面倒な思いと一緒に椅子から立ち上がった。
行き先はアルレスキューレの城下街区画から少し離れたところにある、立ち入り禁止の墓地だ。今いる場所からそう遠くない距離にあったとはいえ、到着した頃にはすっかりと辺りが明るくなっていた。
空を覆う雲の層が薄く、普段より地上に届く日光の量が多い天気のことを、この国では「白天」と呼ぶ。空が白く光る日は、毒雨やスモッグを気にせずに過ごせる絶好の遠出日和であると、どこかの誰かが言っていたのだ。誰だっただろうか、顔はもはや思い出せない。
そんな天気のいい日の朝っぱらから、何が悲しくて墓地になど足を運ばなければならないのだろう。立ち入り禁止の立て札がひっかけられた針金フェンスの向こう側にある、廃墟化した霊廟の外観を見つめながら眉間に皺を寄せる。
使われなくなった宮殿をそのまま墓地として流用したきり、ほとんど管理されないまま放置されているのだろう。朽ちてなおもかつての主が持つ富の豪壮さを感じられたが、それにどれほどの意味があるのか俺にはちっとも理解できない。惨めな姿を晒し続ける方がよっぽどつらいのではなかろうか。
表面のタイルが剥がれ落ちてすっかり中の鉄筋がむき出しになったコンクリートの塀に手をひっかけ、ひょいとよじ登る。立ち入り禁止だということは主張しているものの、別に監視があるわけでもなければ、入ることを止めたがる人もいないようであった。なので心置きなく砂利まみれの中庭に飛び込み、そのまま壁にあった裂け目から霊廟の中へ入っていった。
中に入ってしまえば大仰な外観も何も一切関係がない、ただの廃墟だ。アルレスキューレの国内で暮らしているのであれば、どこにでも見かけられる瓦礫の塊。土埃ばかりが降り積もった大理石、その上に敷かれたままにされていた泥まみれの青い絨毯。ここが誰の墓かなんてことには興味がなかったはずなのに、取り残された内装を雑に眺めるだけでもそれなりに権力があった人間の墓であることがうかがい知れた。墓荒らしの被害に遭う前には、あの何も置かれていない台座の上にも壺やら彫像やらといった美術品が乗っていたのだろう。
墓地と聞いていたからもっと辛気臭い場所なのかと思っていたが、早朝から足を運んでいるせいか、それともいたるところにある建物の亀裂から外の光が入り込んでいるおかげか、さほど暗い雰囲気はなかった。あるのは途方もないほど大きな侘しさくらいなものだ。
入ってすぐの玄関口には使われなくなったカウンターがあり、そのすぐ脇に奥の部屋へ続く大穴がある。促されるように奥へ奥へと進んでいくと、やがて霊廟らしく配置されたいくつかの墓石を目にするようになる。どれもこれも埃まみれになっているが、まがいなりにも建物の中で保存されていたおかげか、状態は悪くない。石の表面に刻み込まれた知らない人間の名前を、なにとなく目で追いながら、さらに奥へと進んでいった。
崩れた螺旋階段の横を素通りしたところで、ひときわ大きな部屋の中に入った。ドーム状の形をした高い天井と、床にちらばるステンドグラスの破片を見るに、かつてこの部屋は貴人連中が集まるサロンとして使われていたのだろう。当時の彼らの暮らしぶりなど見る影もないが、部屋の真ん中に堂々とした風貌をもって鎮座している巨大な墓石からは、それなりの気品が感じ取れなくもなかった。
この大きな墓石こそ霊廟の主に違いない。そう思って何とはなしに近付いてみれば、墓石の手前にあるプレートの上に安っぽいプラスチックでできた花輪が供えられていることに気付いた。墓の主の死を悼む何者かが、墓参りのついでに置いていったものに違いない。その証拠として、この部屋の中にある墓石は他の部屋のものと違って少しばかり小綺麗に管理されている。
自分は常識に疎い人間だけれど、この花輪というものが、アルレスキューレという国の伝統的な民芸品であることを知っている。もとは国の繁栄を祈願するために、王族が儀式で身につける定番の装飾品であったということも、知っている。本来ならば当然、生花が用いられるということすらも。
「これほど朝早くから御足労いただき、誠にありがとうございます、ソウド・ゼウセウト」
墓石を見つめていた視線を少し逸らしたところで、真後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、廃墟化して殺風景になったはずのサロンホールの真ん中に、やけに派手な服飾品を着込んだ壮年貴族が立っていた。
悪趣味な色に染めた厚手のファーコートと、無駄にジャラジャラとひっかけた金銀財宝の装飾品。一目見るだけで成金趣味とそれを見せびらかしたがる性根の歪みが伝わってくる、邪な風貌。そんな濃いめの印象を受ける服装に負けず劣らずの存在感がある、伊達男然とした相貌。腹の内が一切読めない、品の良い薄ら笑い。
出会うのはこれで……少なくとも三回以上はある。
「やっと来たのか、ダムダ・トラスト」
わざわざこんな場所へ呼び出したくせに、随分と待たされてしまった。文句の一つや二つでも言ってやりたいところではあったが、それをするとまたさらに時間を無駄にしてしまうから、今は黙っておくことにした。
「昔の俺は、どうして傭兵なんて面倒ごとの相手ばかりする仕事を初めてしまったんだろうな」
「この国一番の有名人から直々に依頼を受けるのですから、もう少し光栄に思っていただいても良いのでは?」
何が楽しいのか愉快そうに肩をすくめるトラストの姿から、すぐに目を逸らした。こんな性悪男の顔を見るくらいなら墓石でも見ていた方がいくらかマシだ。
「要件は?」
「新しい依頼です。それも今までで一番重要な内容となっておりますので、気を引き締めて任務にあたってください。もちろん、今すぐにここで断っていただいても結構です」
そう言いながら差し出してきたカード型のデータディスクを受け取り、何か言うより先に自分の通信端末に差し込んだ。もとより彼から備品として渡された端末だから、読み込めない可能性に憂うことはない。
しかし、その行動のすぐ後、画面上部に表示された見出し文字を読んでから、俺は虚を突かれたように目を見張った。
『第十一代国王陛下ベニル・ドミニオン暗殺計画の阻止』
真っ先に思ったのは「誰だソイツ」、次に思ったのは「なんで俺が」。訝し気な目線でもって端末画面をのぞき込む俺の様子を見たトラストが、クツクツと喉の奥から愉快そうな音を鳴らす。
「この国の内政事情が破綻しきっていることくらいは、一介の傭兵風情でもご存知なものでしょう。そして国の勢力争いになど関心がない、無国籍なアブロード傭兵にしか頼めない役割があるということも」
彼のふざけた口上を聞き流しながら、画面に表示された大量の文章データを流し読みしていく。ところどころに添付された画像の中にベニル・ドミニオンと思しき人物の肖像写真があるのを見つけ、スクロールする指の動きを止めた。
トラストよりも一回りほど歳が若い、武骨な風貌の男性像だ。赤銅色をした重たげなビロードマントと、大きな王冠、銀色の首飾り。本人の顔立ちよりは着ている衣装の豪勢さの方が目を引きやすいあたり、国王とは名乗っているものの、今目の前に立っている男よりも人としての格が低いことが想像できた。思うところとしては、その程度。
スクロールする指は再び動き始め、ページの一番下に差し掛かったところで「詳しくは本契約後に」の文字を表示させたところでまた静止する。
画面から顔を上げると、すぐに返事を待つトラストの顔が目に入った。
「別に、断る理由なんてないぞ」
「それは良かった」
「話はこれだけか? 人避けのためだか知らないが、わざわざこんな場所まで呼びつけたわりには大したことない内容だ」
「そう粗雑にあしらうものではありませんよ。主君殺しの計画なんて、この国にとっては大罪中の大罪なのですから」
「どうせ、やろうとしている連中が国王より権力を持っているクチだろ? 何を怖れる必要があるっていうんだ」
「社交辞令の一環ですね」
「オマエは変なところで正直なんだな」
厭きれた調子で溜息をついた俺は、そのままサロンの床をカツカツと歩いて部屋を出ようとした。そんな俺の行動をトラストは遮ることもせず静観する。話が本当にこれだけであったことを言葉もなく伝えられ、面倒な雇い主に辟易とした感想を抱かずにはいられなかった。
「あぁ、そういえば」
部屋の外につながる廊下の前に差し掛かったところで、タイミングでも見計らったようにトラストがわざとらしい声をあげた。
「ゼウセウト、貴方があの時に取り逃したアゼロ・ウルドの仲間の追跡に成功しました。彼らはどうやら、国外に協力者がいたらしく、今は中央雪原にほど近い場所にある民間の交易集落に潜伏しているようです」
「その情報に、どれほどの意味がある?」
「おや、興味がなさそう」
「俺のことをからかっているのか?」
「……残念ですね。せっかく衛星カメラを用いて彼らの動向を撮影しているのに、一緒に観てくれる相手がいない。実に、口惜しい」
「頼むから他の物好きの方をあたってくれ」
トラストの方を振り返りもせず、そうやって言い捨てると、俺は今度こそ墓ばかりが飾り付けられたつまらない空間を後にした。