記述6 取りのこされた君たちは 第4節
フロムテラスを出てからここまで乗り物として使っていたフライギアは、十代の頃に父親の知り合いからプレゼントされたものだった。とにかく頑丈さがウリな特注品で、ハルバルドメタルという強度と加工性に優れた金属を用いて作られた外装は「爆撃を受けても壊れない!」なんていうキャッチ―な触れ込みまでされていた。
何度となく自慢げに見せられた耐久テストの動画では、大量の重りを積み込んだうえで高所から突き落としてみたり、強力なプレス機で押し潰してみたりとやりたい放題していたものだった。
そんなありとあらゆる破壊行為を耐えきってみせていたボディが、今、目の前で真っ二つに割れている。俺のフライギアは、洞窟を出て少し歩いた先の雪の上に墜落していた。
一体どれほどの高度から、どれほどの勢いで大地に叩きつけられたらこうなるのだろうか。これで俺たちの命が無事だったというのだから、冗談半分で頭に浮かべた「奇跡」の言葉にだって信憑性が生まれてきてしまう。転がっているのが柔らかな新雪の上というのがまた不可解で、この状況の不気味さを一層際立たせているような気がした。周囲にはクレーターの一つも見当たらなかったのだ。
「この雪原は見ての通り昼も夜もとても静かだ。だからお前たちの船が空から降って来て、硬い氷の上かどこかに墜落した時、巨大な音が広範囲に響き渡った。偶然にも採取のために地下樹海を歩き回っていた俺は何が起きたのか確認するために地上に出て……それから、コレを見つけたんだ」
何らかの道具を使って無理矢理こじ開けられた壁板が俺の足元に転がっている。板の上に積もっている雪の量は、穴の開いた天井や折れ曲がった羽根の上にある雪と同じくらいだった。これはエッジが早いタイミングで俺たちを発見してくれたことの証明だ。たとえ機体の安全性能のおかげで墜落時の被害を最低限に抑えられていたとしても、この寒空の下だ。穴だらけの船内で凍死せずに済んだことには、いくら感謝してもしたりないくらいだろう。
「ありがとうございます、エッジさん」
「先ほどからお前はそればかりだな。少し前に俺は感謝されることに慣れていないから手加減してくれと頼んだばかりじゃないか」
出会ってから何度となく繰り返した言葉を、エッジは今回もはにかみながら受け流した。
感謝されたくて人助けをしたわけではないのならば、他にどんな動機があるというのだろうか。頑丈なフライギアの壁板を引き剥がして、中で気を失っていた赤の他人を暖かい洞窟の奥まで運び出すなんて、余程の献身意欲がなければできるものではないはずだ。それも、俺とライフの二往復分。ライフを背におぶって運び出す途中でマグナが目覚めなかったら、彼は片道20分ほどの道程を、さらにもう一往復するつもりでいたはずなのだ。
「ですが、今回ばかりは本当に死んでしまったかと思っていたんです。それなのに目が覚めたら、ぽかぽかと暖かい森の中で寝転がっていて、今もこうやって息をしている。君のような人に助けてもらえるなんて、こんな幸運はそうそう起こるものではありませんよ。本当にありがとうございます」
「幸運か……そうだな、そういう不思議なもののおかげで命を救われることも、たまにはあるだろう」
いかにも含みのある言葉選びだと思ったが、「エッジさんも誰かに救われたことがあるんですか?」なんて不躾な質問ができる空気ではなかった。
「さぁ、いつまでも寒空の下で立ち尽くしていないで、フライギアとやらの中へ入ろう。奥に積んである荷物を運び出す必要があると言い出したのはディア自身だろう」
「は、はい、そうですね!」
先を行くエッジの後を追い、割れたボディの隙間をくぐってフライギアの中へ入る。当然のことながら、船内はぐちゃぐちゃで、操縦席周りの機器はどれを触っても反応がなかった。完全に壊れてしまっている。
それなりに使い込んでいただけあって、愛着のある機体だった。しかしこのような事態にまで陥ってしまえば、必要最低限の荷物だけ持ち出して雪原の真ん中に放棄していく他にない。幸か不幸か、後部座席のさらに奥に格納していたクローゼットに損壊している様子は見られなかった。中に入っていた食糧や貴重品も無事だ。
持てる限りの荷物を抱えた俺とエッジは、そのままマグナとライフが待っている小川のほとりへ戻るべく、来た道を引き返していった。
これもまた結構な重労働であったのだが、不思議と道中で息苦しくなったり、疲労で足がもつれたりすることはなかった。
「さて、これからどうしようか」
潜れば潜るほど緑が深くなる『樹海洞窟』の、夕焼け色に染まった天井を見上げながら、俺は大きな溜息を一つ吐く。これでいよいよ俺たちは、途方に暮れてしまったことになる。
「本当なら、湿原の先にあるラムボアードへ行く予定だったんです」
「中央雪原が危険な場所だとは知らなかったのか?」
「勿論、事前に情報は得ていましたよ。万が一にでも入り込まないために東へ大回りしながら飛行していたはずだったんです。それなのに、寝て起きたらいつの間にか周囲一面が銀世界になっているだなんて、誰が予想できるというんですか」
「それはまた奇怪な現象だな」
「はい……あ、そういえば、エッジさんは中央雪原のことには詳しいんですよね? 俺たちが嵐に巻き込まれる前に見た、黒い雲のようなものを、エッジさんも見たことはありませんか?」
「黒い雲? ……いや、そんなものは一度も見たことがないな」
「え? それでは、あの自然現象は……?」
「はて……力になれなくてすまないな」
「いえ、大丈夫です! こちらこそ、変なことを聞いてしまって」
どうせまた起きたところで大した対処法もないのだから、今は気にしても仕方ないことではある。とはいえ、やはり気掛かりは気掛かりだ。エッジすら存在を把握していないのであれば、そう頻繁に起こる自然現象ではないということだろうか。
「正直に言うと、俺はあの黒い雲が、超常的な力を持った何かの意思によるもののように感じてしまっていました。中央雪原には神様がいて、近付くものを片っ端から祟り殺しているなんて噂を聞いてしまったせいなのかもしれませんが、なんだか、ずっと気になっていて」
「神様などというものが、本気で存在しているとでも?」
「案外いてもおかしくないかもしれませんよ。この世界は何が起きても不思議じゃないくらいの、可能性に満ちているような気がするんです」
「わからなくもない意見だが、むやみやたらに生き物を殺して回る神様なんて俺はごめん被る」
「はははっ、それもそうですね。この世界に本当に神様がいるんだとしたら、どうせならエッジさんみたいな優しい神様であってほしいな」
そう言った直後、前を歩いていたエッジの足がピタリと止まる。
「……お前には、俺が優しく見えるのか?」
「え、は、はい。エッジさんは、とてもお優しい方だと思い……ます?」
俺は何かまずいことでも口走ってしまったのだろうか。唐突な不安と気まずさを感じ、ついつい言動が挙動不審になってしまう。しかし次にこちらを振り返ったエッジの表情は、怒っている風には見えなかった。
どちらかといえば、それは……寂しそうだと言えるくらい暖かな、微笑みだった。
「俺が優しい人柄をしているおかげで救われる命があるというのなら、それも悪くはないのかもしれないな」
この時に彼から聞いた言葉の真意は、ついぞわからず仕舞いだった。