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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述6 取りのこされた君たちは
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記述6 取りのこされた君たちは 第3節

 チカチカ、きらきら。頭の中が白く瞬く。ぐるぐる回る。

 ひんやりと冷たくて、ふんわりとあたたかくて、じんわりと優しくて。

 頭の先から爪先までの全てがぬるま湯の中に浸されている。どこへとも知れない水底に沈んでいく。

 冷たい温度が指先に触れている。暖かい温度が胸元を包んでいる。

 静かに脈打っていた鼓動が、少しずつ、少しずつ、大きくなっていく。

 意識が、思考が、蘇っていく。


 ここはどこだろう。俺は誰だろう。

 何をしているのだろう。


 瞬きをしても変わることがない、最果てまで真っ白な世界に浮かんでいた。

 てっきり水の中に沈んでいるのかと思ったけれど、そうではなかった。

 ふわりと開いた口の中へ流れ込んでくるのは、ぬるま湯ではなく透明な空気。

 息ができる。苦しくない。痛みがない。たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。

 赦されたのだろうか。救われたのだろうか。満たされたのだろうか。生きていても良いのだろうか。

 きらきら、くるくる、閉じた瞼の向こう側では、砕けた宝石の粒子が空高く回遊している。ゆったりと、ゆったりと。

 幻想と理性の狭間で揺れていた頭脳が、ふと、まどろみの中で一つの気付きを得た。


「あぁ、これは夢なんだ」


 眠っている。夢を見ている。目覚めようとしている。

 光り輝く曇り空の向こうから聞こえてきた誰かの声が、俺に向けてこう囁いた。

『どの道を選んでも構わない』

 

「ならば俺は、この祝福を手放す道を歩もうか」

 

 途方もないほど長く感じた夜の果て、何度も繰り返した自問自答を、何もない空へ向かって放り投げる。

 俺が人と違う幸福を選んでしまうことを、咎めてくれる人はどこにいるのかな。

 

 

 

 

 

 草花の絨毯の上にあおむけに寝転がっていた体を起こすと、首までかけられていた暖かい毛布がふわりと膝の方へ滑り落ちていった。気絶から目覚めたばかりだというのに意識は不可解なほど鮮明だ。だからこそ、目の前の光景の異常さにすぐさま気付くことができた。

 まだ夢を見ているのかな。

 起き上がった俺の傍らには、一輪の花が桃色の花弁をそよ風に揺らしながら生えていた。

 それだけでも動揺せずにいられない大事件であるはずなのに、一番近くにあったその花の向こう側には、まるでおとぎ話に出てくる「深い森」のような光景が続いていた。

 こんなにたくさんの植物を一度に目にしたのは生まれて初めてだったものだから、もしかしたら雪原を見た時よりも驚いていたかもしれない。そもそもフロムテラスを旅立ってから今日までの間に、緑豊かに育った植物など一度も目にしていない。かろうじて見つけられた植物といえば、石壁の隅にこびり付いたの苔類とか、水路や湿原の泥に浮かぶ藻類くらいだった。

 フロムテラスの外側に、草花なんて贅沢なものが生えているわけがないんだと勝手に想像していたのに、ここにはそれがある。小さな背丈、細い茎、見るからにかよわい姿をした野草たちが、仲間同士で葉を寄せ合いながら群生している。大きな果実を吊るした樹木すら生え育っている。

 唖然としながら頭上を見ると、鍾乳石の天井があった。どうやらここは洞窟の中だったみたいだ。それにしてはやけに明るいと感じられていたのは、天井の一部が半透明な水晶で覆われていたからだった。水晶の中を通って取り込まれた日光は、風にざわめく樹木の木漏れ日と入り混じりながら洞窟内を照らしている。

 天井から滴り落ちるように伸びた鍾乳石は、一つ一つが別の鉱物でできているのかと思うほど多種多様な極彩色に輝いている。そして水晶の中を通って取り込まれた日光は、鍾乳石に絡みついた若草色の蔦植物のネットをくぐり、豊かに育った樹木の枝葉を通り抜け、木漏れ日となって洞窟内へ降り注ぐ。風が吹くと木々はざわめき、揺れる木の葉の下で七色の光が蝶のはばたきのように閃いていた。

 ひっくり返したカットガラス越しに見上げるクリスタルシャンデリア。あるいは宝石の粒をたっぷりと詰め込んで封をした万華鏡。唖然としすぎてうまく言葉にできないけれど、ともかく華々しくも煌めかしい光景だ。これらが全て、自然が気まぐれで作り上げただけのものだなんて、とても信じられない。目に映る全てが鮮やかに色付いていて、呼吸を忘れてしまうくらい見とれてしまっていた。

 呼吸をすると、喉の奥に流れてくるのはほどよく湿った瑞々しい空気だけ。気温は穏やかで、つい先ほどまで中央雪原という寒冷地の真ん中に立ち尽くしていたことすら忘れてしまいそうになっていた。

 そこでふと我に返って、あることに気付く。いつも肌身離さず身に着けていたガスマスクとゴーグルを装着していなかったのだ。いくらなんでも気付くのが遅すぎると自分でもビックリしてしまったが、それはこの洞窟内の空気がすぐさま体調に支障をきたすほど汚染されていないことを証明していた。

 さて俺は、どうしてこんなところにいるのだろう。フライギアの中で何か大変な目に遭った記憶はあるが、その後がわからない。思い出すだけで吐き気をもよおす船体の揺れが不意にピタリと止まって、次の瞬間にはショックで気を失ってしまった。改めて自分の体を確認してみると、肩や腰の筋肉がギチギチと痛んだ。けれどあれだけの事故にあったのに五体満足でいられたなんて、奇跡としか言いようがない。誰かに向けて感謝の言葉を投げかけたくなってしまったが、相手がいないので自分の運命に向けて「ありがとー!」と心の中で叫ぶだけにとどめておいた。

 周囲に墜落したフライギアは見当たらないのだから、きっと俺は誰かに助けられてこの場所まで運び込まれたのだろう。寝起きのコンディションがそれほど悪くなかったということは、フライギア内で気を失ってから、まだそれほど時間が経っているわけではないはずだ。

 手がかりになりそうなものといえば、膝の上に広がっている毛布が一枚。やけに手触りがよくて、少し気を緩めただけで永遠にふかふかと揉みしだいていたくなる極上の一品だ。俺はその毛布を丁寧に折りたたんでから立ち上が……ろうとしたところで、毛布の下から突然、黒くて小さな生き物が飛び出してきた!

「キチチッ! キュチチチチッ!」

 鳥類とも哺乳類とも異なった趣きの鳴き声がしたと思ったら、その生き物は手の平ほどの大きさをしたトカゲだった。黒くて艶やかな鱗を全身にまとった、やけに小綺麗な容姿をしている。まんまるとした宝石みたいに大きな瞳が不機嫌そうに俺の顔を見つめている。

 どうやら俺とこのトカゲくんは、同じ毛布の下でスヤスヤと添い寝をしていたようだ。俺が急に動き出したせいで快眠を邪魔されたと、ご立腹な様子をみせている。それは悪いことをした。トカゲくんは「キピピッ」と捨てセリフを吐くように一声鳴くと、そのままそっぽを向いて草むらの中へ走り去っていってしまった。

 この洞窟には他にもあれくらいの小動物がたくさん棲息しているんだろうか。だとしたら草むらの中に入る時は何かを踏みつけたりしないように、気を付けて歩くことにしよう。

 トカゲくんが草の間を這い進むガサガサとした物音が聞こえなくなった頃、俺は改めてその場から立ち上がった。

 視界が高くなったおかげで、草の上に座り込んでいたままでは見えなかった場所まで見渡せるようになった。とはいえ周囲一帯が背の高い樹木や草花の葉に覆われているためか、視界はそれほど開けていない。洞窟の奥に何があるかはまるでわからず、とりあえず歩いて探索でもしてみないと現在の状況が把握できないだろうと考えた。耳を澄ますと水のせせらぎが小さく聞こえてきたので、まずはそちらの方へ行ってみることにしよう。

 そうしてほんの少しの間ながら、徐々に大きくなっていくせせらぎ音を追いかけるようにして歩いていると、鬱蒼と茂った草むらの向こう側から、何かが草の根を踏みしめながら近づいてくる物音が聞こえてきた。さっきのトカゲくんとは比べ物にならないくらい大きい音だ。大型の肉食動物だったらどうしよう。などと不安を感じ始めたところで、その考えはあっという間に杞憂に変わった。

「ディアさん!!」

 草むらの向こうから現れたのはマグナだった。

「よかったぁ、目を覚ましたんだね!」

 満面の笑みをしながら駆け寄ってきたマグナは、そのまま勢いよく俺の体に抱き着いた。いつもと同じ土色のローブに雪の塊がちらほらとひっかかっている姿を見るに、つい先ほどまで雪の中を歩いていたのだろう。手袋をしていなかった指先は氷みたいに冷えていて、鼻も赤くなっている。

「君こそ、元気そうで良かったよ。怪我はしていない?」

「うん、ワタシは大丈夫だよ! あと、ライフさんが……」

「ライフも近くに?」

 マグナは自分が飛び出して来た方を振り返り、俺もつられて草むらの奥に再び目を向ける。ガサガサと草を踏み分けて進む音は、まだ止んでいない。しばらく待っていると、草むらの奥からマグナより一回りも二回りも大きな図体をした何者かが姿を現わした。少なくともライフではない。

 大きくて分厚い毛皮のコートを着た人物だった。背丈は俺よりも少し低いくらい。マグナと同じように肩やズボンの裾を雪解け水でぐっしょりと濡らしている。暖かそうなファーが付いたニット生地の帽子と、楕円形のレンズを嵌めた大きなゴーグルをつけているから、どんな顔をした人なのか全くわからない。けれど唯一露出した口元には優し気な笑みが浮かんでいた。

「体の調子はどうだ?」

 外見からは想像もつかないくらい爽やかな声だった。

「三人の中では、お前が一番重篤な状態だったんだ。外傷はほとんどなかったものの、体温が著しく低下していて、もしかすると後少しで死ぬところだったかもしれない」

 あぁ、だから走馬灯みたいな夢を見ていたのかと納得した。

「あなたが助けてくれたのですか?」

「その通りだ。たまたま、すぐ近くを通りかかったものだからな」

 俺はその人の前までゆっくりと歩み寄り、「ありがとうございます」と感謝を伝えながら頭を下げた。

「礼を言われるのは悪い気分じゃない。だが、そこまでかしこまるほどでもないだろう」

 もっと楽にしてくれて構わないと、命の恩人の側から言われてしまったら逆らう気にはならない。言われた通りに肩の力を抜きながら顔をあげた。再び目を合わせたその人は、おもむろに顔を覆っているゴーグルに手をかけると、それを外して素顔を見せてくれた。

 綺麗な人だった。

 そよ風に揺れるやわらかな銀髪が、白い瞼の下でパチパチと瞬く琥珀色の瞳が、美少女然とした幼さが残る整った顔立ちが、どうだこうだと不躾な批評を述べるより以前に……彼は、綺麗だった。

 

「俺の名前はエッジ。この中央雪原で暮らしている、見ての通りのはぐれ者だ」

 

 

 

 

  

 この旅路と葛藤の果てに、幸福な未来など約束されているわけがない。

 命も、人生も、いつだって身勝手で、誰の了承も得ないまま勝手に動くのを止める。わかっていたさ。

 

 それでも回るんだ。生きるんだ。動き始めることを選び続けるんだ。

 運命の歯車なんてふざけたものがこの世界にあるとしたら、それは確かにこの瞬間に、カチリと音をたてて回り始めた。

 

 狭苦しい心の隙間につまらない諦めの言葉を並べた、その傍らで、小さな期待の塊が空に星屑を散らすようにキラキラと、ほんの一瞬だけ瞬いて消えていく。

 淡く、切なく、儚い期待。けれど途方もなく眩しい生命の輝き。

 夢も希望も、奇跡も幻想も、全て今この瞬間、俺たちが生き続けるためだけに存在していた。

 

 なんて綺麗なことだろう。

 

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