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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述1 楽園は遥か遠くまで
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記述1 楽園は遥か遠くまで 第2節

 大仰な口ぶりと態度。アデルファと名乗った奇怪な老人は、「付いて来なさい」と一言述べた後にどこかへ向かって歩き始めた。

 夜道を迷わず進む静かな背中を言われるがままに追いかけて、林の奥へ奥へと足を踏み入れていった。彼は時々立ち止まると、ゆっくり左右を見渡し、体の向きを変えてから再び歩き出す。俺は後をついて行く。そんなことを何度か繰り返していたと思ったら、アデルファが不意に足元に転がっていた一本の枝を拾い上げ、チラリとこちらを見た。

「何をなさるのですか?」

「檻だ」

 アデルファは首を傾げる俺のことなど気にせず、手に持った枝を目の前の虚空へ向けて放り投げた。

 カシャンッ

 枝は金網にぶつかった時みたいな音をたてて、宙の真ん中で跳ね返り、アデルファの足元に転がった。しかしどれだけ目を凝らしても、そこには網どころか障害物の一つも見当たらない。

「……檻?」

 アデルファはもう一度枝を拾い、宙でそれを振る。彼が枝を振るたびに目に見えない金網がチャンチャンと音をたてる。

「わかるか?」

 アデルファはもう一度枝を投げ捨てると、今度はそれを拾わず、見えない網、あるいは柵の横を沿うように再び歩き始めた。

「この小さな都市は檻の中にある。遠目には一切見えない細い金糸がこの都市の外郭を包囲するように張り巡らされているのだ」

 金糸の網があると言われた方を注意深く凝視してみるが、やはり俺が見た限り何もないように見える。他と同じような木が同じように生えている森林の様子だけだ。

「人の目には見えぬ。さもなくば意味の無い類の檻なのだ。私とて生えている木でしか判別できぬ」

 こちら側に生えているのがアーストロメリアの樹、あちら側にはガベラの樹。そう僅かばかしの説明をされた所で俺には植物の違いなんてよくわからない。木と言えばその辺に植えられている街路樹の名前すらロクに知らないのだ。向こう側に植えられているガベラの樹の方ならば、確かに特徴的な葉の形や幹の色をしているような気がするが、それだって「言われてみれば」の範疇を抜け出せない。

「アデルファさんはどうして『檻』を知っているのですか?」

「さて、私は門番である。故に……あぁ、ここだ、ここだ」

 アデルファは再び立ち止まると、木と木の間の何もない空間を指差し、道を示す。両側の木を見ると幹の色がほんのり黄色で、さっき言っていたアーストロメリアやガベラのどちらとも違う種類の樹なんじゃないかなと思った。アデルファはもう一度こちらの顔を見ると、網があると言っていた方向へ向けて歩き出した。何も無かったのだろうか。俺もその後に続いて彼の進んだ通りの道、不思議な色の木と木の間を通り抜ける。ドアも、印も、壁も、札も無い境界を、トンネルを潜るように通り抜けたのだ。

 本当に柵があったのだろうかと手を伸ばすと、アデルファはその手をしわがれた手の平で掴んで制止した。

「やめておけ。外側から触れれば酷い目に遭うぞ」

 サッと手を引き戻すと、アデルファは「それでいい」と小さく頷いてから、また一人で歩き出した。酷い目に遭うなんて随分アバウトな言い方だが、そういうものなのかと適当に納得するには十分だった。

 どこかへ向かって歩みを進める傍ら、彼に訊きたくなる疑問はたくさんあった。しかし浮かんできた疑問のほとんどは野暮な内容で、黙っているべきか、喋るべきか、いちいち考える必要があった。

「アデルファさん」

 返事の無い老いた背中に、ほんの少しだけ甘えたい気持ちになり、口を開いてみた。彼に会えるのはこの一度きりだけのような気がする。

「監視局ですか?」

「解っているのか」

「身内の問題ですので」

 父の顔が頭に浮かび、俺は隠れて失笑する。

「聞きたいか? この街……いや、この名もなき世界が誕生した経緯を」

「そうですね……お願いします」

 

「昔のことだ。

 文明は急速なる成長、進歩、発展に翻弄されていた。

 おびただしい量に及ぶ資源の抽出。触れてはならなかった大自然の財産。止まることを知らない廃棄物の滝。

 終いには草木は枯れ果て、地は干乾び、海は狂い立ち、生物は次々と滅んでいった。

 人類はそのほとんどが絶命した。

 もはや生存は場違いである。にも拘わらず、己の手で荒廃させた大地の恵みを求め続けることをやはり止められずにいた。そしてさらに彷徨い、また争う。

 そのような災いの渦中に、大層な知恵を持った賢者が何人か存在したという。

 この世で最も繁栄した都市で生まれ、奇跡とも謳われる技術を学び知り、それらを用いて世界を制し、滅ぼした者たちだった。

 彼らは決して朽ちることのない絶対的な安息を、平穏を求めた。求め、求め、求めるうちに、全てを一から創り上げるまでに至った。世界が地獄と化すそれより先に箱舟を造ればいい。そうして誕生したのが、隔離都市フロムテラス。賢者どもはこのフロムテラスを『神の庭』とも呼んだという。

 賢き者は絶対を求めていた。

 誰一人として、己ら以外の愚かな脳を持ち込まないと決めた。

 生き残った人命を世界中から掻き集め、庇護という名目で都市の地下に住まわせては奴隷のように働かせ続けた。彼らの内に生まれた赤子を奪い取って教育し、優秀であれば未来ある都市の住民として迎え入れた。やがて赤子が住民となるころに、隷属はちょうど息絶える。全て計算づくだ。

 醜悪な世界からの干渉を断つため、都市の周りにはフィルターが張り巡らされるようになった。半透明の屋根は暖かい日差しを我らに与え、絶えず動き続ける清浄機が清潔な空気を都市中に流し入れ、濾過された綺麗な水を街の中に注ぎ込んだ。木々もこの場所ならば緑に萌え育つことができただろう。

 若き住民らは、外界から隔離された小さな都市の中で輝かしい日々を過ごす。誰一人、育ての親である賢者には刃向かわず、無垢に、純粋に、過去の栄光を享受していた。

 賢者どもは全てを成し遂げたかのように、一人ずつ、一人ずつ、息を引き取る。

 真実を知る一握りの人間を後に遺し」

 

 

 アデルファは淡々と語り続けた。

「見るが良い、狭き未来の末裔よ」

 扉を開け放つように手を広げる。その向こう側。アーストロメリアの林の向こう側に、もう一つの景色が映り込むのが見えた。

 


「これが我らのいる世界だ」

 

  

 夜は明けていた。昇る陽の光と共に、くっきりと浮き上がっていく血潮のように鮮烈な赤茶色。緑なんて一つも無い。初めて目にする不毛の大地。

 剥き出しの地表はひびだらけ。黒ずんだ灰色の雲の間から差し込む朝の日差しは、火の子のように剥き出しの我が身を焦がした。

 風は土や砂ばかりを運び上げ、暴力的に大地を削ぎ取る。

 誰の気配も無い。何の生命も見当たらない。境界の先には何も無い。

 青空も、新緑も、小川も、そよ風も、笑い声も、あの太陽の見知った暖かさもここから先には存在しない。あるのは、ただただどこまでも正直な現実。何も恵まない。何も与えない。空虚な世界。

 何もかもが無かった。俺の知っているものなんて。この先にはきっと何も無い。

 それこそが紛れもない『未知』であった。

 未開の大地が俺の体を取り囲み、今まさに俺の命を食い潰さんとばかりに激しく襲いかかっているではないか。

 指先が震えた。開いた口がふさがらず、心臓には杭を打ち込まれたような衝撃が走り、痛烈で魅惑的な刺激が稲妻のように脳の億を痺れさせるのを感じとった。

 こんなものがあったなんて、知らなかった。

 立ち尽くす俺の背に声が投げかけられた。少しひ弱になった、老父の声だ。

「青年ディアよ。貴公に、話しておきたいことがある。なに、聞き流してくれて構わない。歳をとり、死と向き合うことを強いられた一人の男の戯言である。聞き流してくれたってかまわぬのだよ……」

「何を今更」

 アデルファは呆然と立ち尽くす俺の横に、ゆっくりと座り込んだ。土の地面の上で砂利が転がり、風に飛ばされて微かな砂煙をたなびかせながらだ。そんな些細な現象すらも俺の目には新鮮に映った。荘厳な大地の前に座り込むアデルファの姿はとても小さく、こじんまりとしたものに見えた。ついさっきまでは、あんなに大きく見えたのに。

 宙に掲げた手の平に、スポットライトみたいな朝の陽ざしが照ってチリチリ痛む。その痛みは、俺のことを拒絶していると世界が訴えているようだった。

 漠然とした心地で空と地の境界を一望していると、そこにしわ枯れた五本の指がそっとさし伸ばされる。その一つが境界の狭間を指さし、アデルファは再び口を開いて語り始める。

「見えるか。あの大地を蝕むように昇天する陽の下に、僅かな影があるだろう」

 目を細め、示された方を見る。視力には自信がなかったが、そこには確かにぼんやりと、黒い塊のような何かが鎮座しているように見えた。

「あれは、私の故郷である」

 驚いた。しかし同時に納得した。

 そしてアデルファはまるで詩でも吟じるように語り始めた。

 

「この荒れ果てた大地の上で、今やただ一つとなってしまった王の一族が治める国。荒廃した現世においてなおも輝きを見失わない、気高き国だった。

 私はかの国の民であったことを誇らしく思っておる。他の者には何も良いことなんてないじゃないかと小言ばかり挟まれたものであったが、私の眼には確かに好ましく色付いて見えていた。

 治安など、道端で人が死ねば蹴って退かすほど。都の中心では奴隷による殺生劇が行われもするし、病に臥して寝たきりになったものは、金があっても助からない。

 それでもかの国の民はこの荒んだ時代において人の心を失わず、毎日を嘘偽り無く生き続けることができていた。かつて先民が絶望と見たこの世にて、それがどれほどの価値を持っているか知りもせず。悲観に暮れる日常を前にしようとも、なお生きる道を選ぶのだ。なんと愛おしいことだろう」

 

 嘘。治安。剣奴。病。嘘。誇り。先民の絶望。生命の価値。

 夢幻のごとき言葉が、アデルファの口先から次々と紡がれていく。嘘以外の全てが真実。

 アデルファは愛おしそうに、懐かしむように目を細め、祖国のある方角を眺める。哀愁と儚い想い。孤独な胸内。それらがすぐ隣の地べたに座り込む、小さくなった老人から切実さと共に伝わってきた。

「私は長き時に流された。今ではこうやって、祖国を眺めることすら出来ない」

「もしや、見えないのですか?」

「歳には叶わぬ。なに、もうすぐ終わる。そんな顔をするでない」

 自嘲気味にそう呟く老人の横顔は、切なく、寂しい。

「私にはこの大地が上下左右に揺れて見える。遠くにあった山々が日によって長くなるし、短くもなる。遥か彼方、けれども近くにあると信じていられた小国よ。もはや私の目にしかと映ることなど二度と無い」

「アデルファさんは、なぜ、母国を出たのですか?」

 どうして、こんな所にいるのですか?

「何故だろうな」

 クスリと少しだけ笑うと、「夢の様な話だ」と言葉を繋げる。

「龍に出逢った」

「………………りゅう?」

 怪訝に顔をしかめてしまう。それは初めて耳にしたような、どこかで聞いたことがあるような、不思議な言葉だ。

 

「身の丈は驚くほど大きく。

 蛇のように長い体長に足は無く。

 透き通る陽光の翼を無数に生やし、羽ばたかせ。

 高き獣の枝角を頭上に掲げ、その身全ては深く煌びやかな黄金色。

 虹色に閃く透明な鱗の輝きを見たか。

 真に見事な宝玉の双瞳を忘れられるか。

 美しかった。この世の何よりも神秘たるものだった。

 そう、神秘という観念。私はその言葉こそを『神』と信じた」

 

「神……ですか?」

「神だ。かの光は真の神であった」



 『 昔々に語り伝わる物語 神が創り出したこの世界

   世は終焉の時であり 

   再びこの地が神の手により甦ることは無い 』



 迷信だ。神など、この世に存在しない。誰もが考えればわかること。

 現状を的確に捉えた先祖の言い伝えも、我らの耳には戯言に聞こえるだろう。

 誰もがそう思い描く中、私はその内の一人でありながら、神に焦がれ、龍に出逢った。

 龍は述べた。伝えた。私に告げた。



 『 この世は輪廻の中に在る

   広大なる 壮大なる 悠久なる 時の中

   世は何度でも蘇る

   そうでなければならない

   そうでなければ 世界はもう、生まれない 』


 『 龍に出遭え 真の龍に

   全てを知るもの 全てを得たもの

   もしこの世の生ある者が龍に出逢えたならば

   私は世界を もう一度救ってみせよう

   此の地の上で この世の全てを捧げると

   契り交わそう 汝らに一時の安息の地を 』



 私は国外れで竜に出遭い、これらの天命を耳にした。

 若かった私はペンを捨て、夢と真理を求め、龍を探す旅に出た。


「やがて……時は過ぎ行き。今となってはただの老いぼれよ」 

 その口調は、心なしか満たされているようにも感じられた。

「青年ディア。今日あったことは、忘れてくれて構わない。貴公には明日があるのだろう」

 アデルファは意地悪が悪そうに微笑んだ。

 引き込まれる。もう戻っては来られないであろう、大いなる闇と光を孕んだ青の瞳。覗き込めば覗き込むほど急かされた心地になる深い色。なんて気分が良い。

 俺は無言で頷き、最後にもう一度だけと、広大な世界を一瞥した。そしてほんの少しだけその先へ足を踏み入れる。

 お先真っ暗な茜色の大地。業火の太陽が俺の真上で輝き、真実だけを照らし上げる。

 あぁ、なんて素晴らしい。これが俺の世界。

 今の俺には痛みすら心地よい。何処までも続く未知が、十数年もの間塞げなかった心の奥の空白をすんなりと埋めてしまった。

 高鳴る胸と興奮した心の望むままに大地へ躍り出よう。腕を広げ、混沌の空を仰ぎ、真っ白な陽を一身に受け。

 たった今手に入れた最高の祝福を、その身全てで噛みしめよう。

 

 俺のいる世界はこんなにも可能性に満ちている。

 


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