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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述5 愛しき人よ、誠実であれ
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記述5 愛しき人よ、誠実であれ RESULT①

各記述の最後に挟まる「RESULT」パートでは、視点人物が変わることがあります。こちらご理解いただいたうえでお読みになってくださると幸いです。

 照明が壊れた真夜中の広場を、真っ赤に燃える火災の灯りと舞い散る火の粉が照らしていた。砦の窓の奥で揺れる炎の激しさに鎮火する前兆は見られず、むしろ時が経つほどに勢いは増していく。

 放火犯は砦や広場のいたるところに、油や火薬が入った瓶を隠して回っていたのだという。その行為を咎めるものが、悪意に溺れたテロリストたちの傍らに存在しなかったことこそ悲劇だったのだろう。

 全てを知るものは、今もどこかからこちら側を見下ろし、嘲笑っている。

「あれが誰かわかるか?」

 無慈悲に燃え盛る灼熱の渦中。赤錆色に焦げて転がる死体の群れに囲まれながら、二つの人型をした影が戦闘をしていた。

『グロル・ヘイトバーグで間違いありません』

 なるほど、あれがこの国の治安維持を任されている第二部隊の隊長なのか。事前に聞かされていた情報通りの印象を受ける人間だと思った。図体と態度は大きくて立派ではあるが、頼りになるかどうかでいえば怪しい。

 仁義に篤く、志は高く、悪を許さず。戦場において生死ではなく勝敗にのみ執心する雄姿を、高潔だと称賛するものは多いことだろう。

 だが、ここは戦場ではない。

 故に今、彼はいつ血溜まりの上に膝をついてもおかしくないくらい劣勢な状況に陥っている。

「もう一人は?」

『……さて?』

 ヘイトバーグと交戦しているのは黒いローブを纏った何か。

 望遠鏡を覗き込む部下の顔が、歪んだ。

『そもそもアレは、人間なのでしょうか?』

 それは人の形をしているだけの怪物だった。

 およそまともな生物としては考えられない速度で炎の中を縦横無尽に跳ね回り、素手だけで石畳をひっくり返す。勇敢という言葉を胸に挑みかかった兵士は、すでに尽く返り討ちにされ、腹や胸に大穴を開けながら崩れ落ちてしまっていた。

 恐らくは、人の心すら持っていない。

『もしかしたら、あれが黒軍が飼っていると噂になっていたバケモノなのかもしれません』

 半歩後ろで控えていたもう一人の部下が呟いた。彼の手の中には、救援依頼が届いたきり返信がない通信機を握りしめていた。仇討ちに心を囚われつつある彼は、ハッキリとした憎悪が籠った声色で言葉を続けた。

『名前は確か……アゼロ・ウルド』

 

 

 なぜオレたちを裏切った。なぜこれほどまでに卑劣な行為に走れる。

 人の姿をした異形と戦うヘイトバーグは、アゼロの口から納得できる言葉が何一つ返ってこないことに憤りを感じていた。身の丈ほどの大剣を振るう度に、体に傷が増える度に、アゼロに向けて罵倒を浴びせる。

 約束を破った裏切り者に「悪」と「罪」のレッテルを押し付けて批判することこそ正義であると、激情で我を失った戦士は豪語する。

「黒の連中も……あのクソジジイもそっち側なのか!?」

 返答の代わりに飛んできた投げナイフの鋭い切っ先が、大男の鎧の隙間に深々と刺さった。鈍色の刃先にとろりとろりと赤い液体が絡みつくように滑り落ちていく。これでヘイトバーグに刺さったナイフの数は三本になる。

 怪物は怒り狂うヘイトバーグの吠え面を嘲笑い、からかって遊んでいるような態度を見せている。優しさ故に、戸惑い故に、未だ殺意を振りかざしきれない被害者たちのリーダーを、心の底から軽蔑しているのだろう。

「シカトしてんじゃねぇぞ!!」

 逃げ回る仇敵にしびれを切らしたヘイトバーグが、一際大きな声を上げた。その直後、いつの間にか懐に潜り込んでいたアゼロの細い脚が、弾けるような速さでヘイトバーグの顎に蹴りを入れた。

 何かがゴキリと割れるグロテスクな音が広場に鳴り響いたと共に、重装鎧に守られた巨体が宙に浮かぶ。そしてまるで子供に蹴飛ばされた空き缶のように軽やかな軌道を描いて、散乱している死体の上に落下した。

 

 あぁ、これは勝てそうにないな。

 

 その場にいた誰もが金軍の長を務める男の敗北を悟っていた。

 正当性とは何なのか。

 あの黒い怪物が悪であることは、誰の目から見ても間違いないはずなのに。正義に無力が宿るのは何故なのか。

 勝敗は決してしまった。ならば残された傍観者は好きに行動させてもらうことにしよう。

 

 潰れた死体の上からずるりずるりと這うように転がり落ちたヘイトバーグに向かって、アゼロ・ウルドが近づいて行く。

 死にぞこないにトドメを刺そうとナイフを振りかざした、そのタイミングで、アゼロの腕を一つの弾丸が撃ち貫いた。ヒビ割れた石畳の上に、腕から飛び散った肉片がポタポタと落ちて、赤とも黒とも判別しがたい色味の染みを作る。

 確かに命中した。だが、効いているという手ごたえがない。ヤツは今まさに銃で撃ちぬかれたものと同じ腕で、平然とナイフを握りしめたままだった。

 アゼロはゆっくりと顔を上げ、暗闇の奥へ視線を送る。どこからか飛び込んできた不意打ちに行動を邪魔され、少なくない苛立ちを感じてくれたようだが、挙動は驚くほど冷静だ。鬱陶しい羽根虫が自分の周囲を飛び回っていることに気づいた時とそう変わらない。何が起きたところで、自分が持つ優位性が揺るがないことを確信しているのだろう。

 すぐ傍らで銃を構えていた部下が、ゴクリと、喉を鳴らした。

 闇夜を挟んだ向こう側、金色に光る二つの瞳が、俺たちを見ていた。

 

「あれは敵だ」

 

 双方揃って同じ言葉を頭の中に浮かべたところで、殺し合いが始まった。

 黒い影の怪物は息を一つ吐くよりも速くこちらへ向かってとびかかって来る。距離も高さもあったのだ。それが一瞬で詰められた。

 しかし馬鹿正直な直線軌道に対処しきれないほど、俺たちは弱くない。

 瞬く間に目の前に接近したアゼロは、その場にいた一人の部下の首を取るべく腕を伸ばす。素手とは思えない迫力を帯びた怪物の指先が獲物の喉を掴み上げるより先に、その間に入り込んで盾を構えた。

 一撃の重さが合金製の盾を通って体全体に伝わる。これは凌ぎきれないと直感で判断し、すぐさま盾を投げ捨てる。次の瞬間には、鍛冶屋自慢の大盾が三等分に破壊されてしまった。この割れ方は打撃ではなく刺突。あの腕、いや、血に塗れた指の一本一本が、槍と同等程度の強度を持っていたということ。オマエは対人戦に特化したアンドロイドか何かか?

 この敵は人間ではない。獣でもない。兵器でもないのだろう。ならば何なのか。

 考えたところで答えなど出ないし、意味もない。今はとにかく、この正体不明な異常生物を仕留める策を講じ、実行することだけを考えればいい。

 盾を投げ捨てると同時に距離を確保できる場所まで退避し、もう一度ターゲットの動きを観察する。すぐに次の攻撃が来る。

「陣形は第二……いや、第五が妥当か。各員指導通りに持ち場に付け! あれは勝てる相手だ!!」

 その場にいた全ての部下に聞こえる声量で号令を出した。城塞の最上部に潜伏していた部下たちが一斉に散開する。アゼロは俺以外の人間の行動には目もくれず、真っ直ぐこちらに向けて飛びかかってきた。

 威力はすでに把握した。ならば二撃目の攻撃を素直に受ける必要など無い。

 左手側に大きく跳躍して二撃目を避ける。そのまま城塞の壁を滑るようにして、広場の上まで降り立った。アゼロも迷うことなく俺の後を追って屋根の上から飛び下りた。

 標的が着地するまでの僅かな対空時間内に隙ができる。これを好機とみて、地上で陣形を組んでいた部下たちが一斉射撃を行う。撃ち込むのは銃弾ではなく、解析用のレーザー光線。そのほとんどをバケモノめいた動体視力で避けられてしまったが、それでも……命中した。

『こちら解析班、情報取得と解析を完了。結果を送信します!』

「バカみたいにアンノウンが多いな。だが理解できないほどでもない。マークを付けろ!!」

 俺の着地と少し遅れて広場に降り立ったアゼロに向けて、今度は別の種類の兵器を構える。生物の細胞に直接ダメージを与えて破壊する、猛獣駆除用の非常用の光線兵器。そんなものから放たれるレーザーの雨の中を、アゼロは怯むことなく突っ込んでくる。バカなんじゃないかと思ったが、ほとんど当たっていないのだから、強気な姿勢を取ることにも納得してしまう。

 光線の一つがアゼロの纏った黒いローブに命中した。目深に被っていたフードがずれ上がり、ほんの一瞬だけ素顔が見えた。『バケモノ』などと噂されるだけはある、大層な顔立ちをしている。

 そういう顔のことを『不気味』と言うんだ、と心中で毒を吐く。

 あらかじめ指定していたポイントにアゼロが踏み込んだところで、その場所へスモーク弾が投げ込まれる。蛍光紫の派手な色の煙がアゼロの体をあっという間に包み込み、視界を奪う。人間ならば一発で昏倒する毒性化合物を含んだ特注品だ。

『目標が接近行動を中断! スモークが効いています!』

『座標位置特定、送信、共有完了!!』

「ワイヤー、射出!! 全弾叩き込め!!」

 両サイドに回り込んだ射撃班が、楔型のフックが付いたワイヤーを一斉に射出する。そのうちのいくつかが、煙の中で足を止めたアゼロの体を捕らえた。

「展開!!」

 フックが刺さったポイントに向けて捕縛用ネットを撃ち込む。

『捕らえました!!』

「よくやった! 流し込め!!」

『了解!!』

 ワイヤーの内部に仕込まれた導線を伝って、アゼロの体内に電流が流れ込む。激痛を訴える叫び声などは無いが、力任せに腕を暴れさせて束縛から逃れようとする姿を見るに、ダメージはあるようだ。電撃を継続的に浴びせ続けているうちに、お得意の怪力も、徐々に、徐々に、弱まっていく。

 紫色のスモークの効果が切れて視界が晴れてきた頃になって、やっと、抵抗するのを止めた。

 アゼロは捕獲用ネットの下で大人しく蹲っていた。炭化して焼け焦げたローブが肩の上から崩れ落ちる。頭を伏せているせいで顔色や表情は窺えなかったが、ボロボロになった装備の隙間から皮膚の色を確認することはできた。不自然なほど真っ白。火傷の一つすらしていなかった。

 まだ息がある。肩もわずかながら上下に揺れている。

「接近しろ。油断はするなよ」

『了解』

 柄の長い槍状の武器を携えた部下たちが捕らえた獲物を取り囲む。

 ぐさりっ

 鋭く研ぎ澄まされた槍の切っ先が、アゼロの体を貫いた。

 ぐさりっ ぐさりっ ぐさりっ

 肉を突き破る槍の数は二本、三本とどんどん増えていく。

 それなのに、血が一滴も流れない。


「…………■■■、■■■■■■……」


 追い詰めたはずの獣の体から、ぶくぶく、ぶくぶく……と、泥沼の底から泡が噴き出している時のような、鈍く不愉快な音が聞こえてきた。それはどうやら怪物のうめき声であり、手負いの獣の口から吐き出された呪詛のようだった。

 どろり。形だけでも人の姿を模っていたアゼロの体から、何か、黒々とした色の、重たい粘性を持った液体がどろりどろりと漏れ出した。それと同時に、周囲に今まで嗅いだことがないほど強烈な異臭まで漂い始めた。

 あまりにも様子がおかしい。「すぐにその場を離れろ!」と、命令しようと口を開いた、次の瞬間、最前線に立つ部下の体がはじけ飛んだ。


「ーーーーーーッ!!!!!」


 音のない断末魔が広場に轟く。さっきまで槍を握りしめていた人間の体が、一瞬で肉塊に変わり果ててしまった。

 これは、第三者による遠方からの狙撃。そう頭の中で思考するよりも早く撃ち込まれた二発目が、また別の部下の頭を吹き飛ばした。アゼロを拘束していたワイヤーを管理していた者のうちの一人だ。

 アゼロはその隙を見逃さず、さっきまで力無く横たわらせていた体を急に起き上がらせ、夜空高く飛び上がった。捕縛用ネットが勢いよく引き千切られ、体のいたる所に刺さっていた槍やらフックやらがブチブチと肉をえぐり取りながら抜け落ちる。

 拘束から解放されたアゼロはそのまま建物の屋根まで這い上がり、こちらに背を向けた。逃げるつもりなのだ。そう気付いて後を追おうとしたが、その直後にまた別の部下の腕が吹き飛んだ。遠方からこちらを見据える射手の数は一人ではない。

「総員、退避!!」

 急遽下した号令のもと、部下たちは一斉に建物の影や壁の裏側に避難した。

 だが、それ以降謎の勢力による追撃は行われなかった。機を見て解析班に周囲を索敵させてみたところ、射手はすでに撤退してしまったことが判明した。彼らの目的はアゼロを逃がすことだったのか。

 今日、この街で起きたことは、事前に聞いていた話とは何もかもが違っていた。随分と胸糞悪いシナリオを用意されたものだと、心の中でまた一つ毒を吐く。

 そこで不意に、上着の中にしまっていた小型端末に通信が入った。


『逃げられてしまったようですね』

 聞こえてきたのは老熟した男性の声だった。


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