記述5 愛しき人よ、誠実であれ 第6節
マグナと再会した瓦礫だらけの通路からバイクで数分の移動を終え、俺たちは西の関所の前までやってきていた。
「さて、ここから先はどうしようか」
前情報の通り、関所の門前には金色の鎧を着た兵士が見張りをしていた。それも一人や二人などではなく、十人も二十人もだ。隣の区画に通じている関所ならばここ以外にもいくつかあるのに、よりにもよって俺たちが選んだ西の関所にこれだけの人員が集まっているとは、運が悪い。
「隣の区画に通じている関所ならここ以外にもたくさんあるのに。よりにもよって、どうして俺たちが選んだところにこんなに集まっているんだ?」
「人員不足って言っていたのはなんだったのかしらね。運が悪かっただけのようにも見えるけれど」
俺たちは門前から少し離れた煉瓦壁の裏に身を潜め、四人で顔を見合わせながら作戦会議を始めることした。
「そもそも、警備の隙をついて上手く関所を突破できたところで、その後はどこへ行くつもりなのかしら?」
「東の関所を出て少し離れたところに乗り物を駐めてあるんだ。少し遠回りになってしまうけど、そこまで無事に辿り着ければとりあえずの安全は確保できるんじゃないかな」
「それじゃあ、安全を確保した後は?」
「うーん……グラントールに行くっていうのは確定しているけれど、流石に遠いかな?」
四人の中で最も地理に詳しそうなウルドに尋ねてみた。
「大陸の反対側だからね。行くんだったらそれなりの準備が必要になるんじゃない?」
ウルドは真っ黒な外套の内側から、見覚えのあるデザインの小型通信端末を取り出した。その端末の画面には「ウィルダム大陸」と左上に書かれた、地図のデータが表示されている。
東西にゆるい広がりを見せる、楕円の形をした大陸。その東側に広がる平地の上に、「アルレスキュリア城」という表示が出ている。つまりここが現在地だ。そこから見て、大陸のちょうど反対側にあたる西の果てに、グラントール公国跡地の表示があった。
「直線距離だけでも結構な距離があるよ。しかも実際には大陸の真ん中は通れないから、北か南に大回りしながら進まないといけない」
「真ん中といえば……噂の中央雪原っていう所のこと? そんなに危険な場所なのかい?」
「僕は行ったことがないから詳しいことは知らないけど、危ないのは確かなんじゃない? 辺境の貧乏領主が扱いに困った重罪人や寝たきりの疫病患者を捨てに行くような場所なんだ。まともなわけがない。迷いこんだら最後、二度と帰って来れないから便利じゃないかって、軍の間でも評判だよ。」
そう言いながらウルドは大陸地図の中央にある未開の大地を指先でトントンと突いた。けして小さいとは言えない広さを持つ中央雪原の範囲全てが、真っ白に塗りつぶされている。
「資源ほしさに投入した探検隊も、無人探査機も、中央雪原に入った途端に発生原因が不明な猛吹雪に襲われて行方がわからなくなる。空を飛んでいようと、地面を走っていようと、結末は同じ。そんな風だから周辺に住んでる人たちなんかは随分怖がっちゃってるみたいでね、『侵犯しようと思っただけで祟られる』とか言い始めてる人もいるくらいだ」
「なんだか神隠しみたいね」
「……古い言い回し。でも、ちょうどいい表現なんじゃない? 未解明なことが多すぎるんだから、神様なんて意味不明なもののせいにしたくなる気持ちもわかるよ」
理解できない超常現象には超自然的な概念をぶつけろということか。彼らがそれで納得できるというのならば、外側にいる人間に文句を言う余地はないだろう。
「なら、ウルドの言うとおりに中央雪原は極力避けて通ることにしよう。そうなると北か南のどちらのルートを選ぶか、という話になるね」
再び地図に視線を落とし、大陸の北と南にそれぞれどんなものがあるかを確認する。しかし地図に書かれた町の名前や地形の情報だけでは、そこにどんなものがあるか想像するのは難しかった。なんといっても俺はフロムテラスの外側に荒野が広がっていただけで天地がひっくり返るくらい驚いていたのだ。
けれども「良い隠れ場所を探す」という能力についてはそれなりの経験があった。
「この近くに商業や貿易で有名な街はあったりしない?」
「少し遠いけど、北の方にラムボアードってところがあるよ」
耳寄りの情報だ。さらにそのラムボアードという場所について詳しく聞いてみることにした。
ラムボアードの話をするならば、まず初めに、ウィルダム大陸に存在する巨大な大地の亀裂について知っておかなければならない。
北東から南西にかけて、広く、深く、大地を二つに切り分けるように続く断崖絶壁。一体いつからあるのかわからない大自然が生み出した境界線は、そのままアルレスキューレとそれ以外の土地とを隔てる国境の役割を持っていた。
しかし、この崖は空を飛ぶ手段を持たない旅人にとって、酷く都合が悪い難所でもあった。氾濫した大河よりも遠く離れた対岸に辿り着くためには、終わりの見えない崖の底へロープを垂らして下って行かなければならない。登るのだって命がけだった。
長い間多くの商人たちの悩みの種であったこの崖の一端に、ある時、一人のキャラバン隊員が小さな吊り橋をかけることに成功した。それを発端として、吊り橋を挟んだ東と南の対岸には多くの旅人が集まるようになっていき、やがてこの場所は大陸一の商業都市へと発展していった。それがラムボアードだ。
大陸全体の流通の要となったラムボアードは、アルレスキューレとペルデンテの両方から独自の権限を持って自治を行うことを認められている。両国の気前が良かったから認められたのではなく、逆らえないからそうなったのだ。
現在この商業都市を治めている大商人は、自分が支配するラムボアードが大陸全体へもたらす経済影響力の大きさを熟知していた。この力を盾として掲げてしまえば、危害を加えられる勢力なんてほとんどいなくなる。その上金には困っていないというのだから、盾を剣に持ち替えて返り討ちにすることだってできる。
これを活用しない手はない。
「マグナくんの避難場所としては、このうえないくらい都合がいいじゃないか。しばらくはこの街に滞在して、準備を整えてからグラントールを目指すことにしよう」
木を隠すなら森の中、異国民を隠すなら異国民の集落の中。この方針に対して意義を唱える者はいなかった。
そのままの流れで、ラムボアードの場所にチェックが入った地図データをウルドの端末から送信してもらうことになった。
俺が自分の通信端末を取り出すと、ウルドは「随分形状が違うんだね」と不思議そうな顔をしながら画面をのぞき込んできた。外見だけではなく、中身だって全然違う。そのはずなのに、難なく通信ができてしまっていたことについては、俺の方も違和感を覚えていた。
「僕のはただの支給品だよ。流石に安物ではないと思うけど、どんな機能があるかとか全然しらなーい。でも、少なくとも位置情報はチェックされているとは思うから、普段は持ち歩いてないんだ」
「それって携帯端末の意味あるのかなぁ」
「いいんだよ。どうせ迷惑な通信しか入ってこないし」
ウルドって普段はどんな生活をしているんだろう。
ふとそんな疑問が頭に浮かび上がったところで、今まで会話に参加していなかったマグナが口を開いた。彼には関所の方を見ていてもらっていたのだ。
「ねぇねぇ、なんだか変な雲行きになってきたよ!」
どういうことかと思って自分も煉瓦壁から顔を出してみる。マグナが見ていたのは関所の上空だった。軍事用の照明機器によって目映くライトアップされていた濃紺の夜空に、危機感を感じるほど黒々とした色を持つ、煤煙のようなものが上がっている。
断じて、誰かが連絡用にあげた狼煙などではない。火災の煙だ。
煙は関所が設けられている砦の内部から、次から次へと、麻袋から砂を吐き出すかの如く止めどない勢いで噴出し続けている。
唐突に始まった火災現場の光景に最も驚いているのは、関所を警備していた金軍兵たちだった。自分たちが守っていた建物の内部から火の手が上がった。そんな馬鹿な。もちろん自然発火などではない。砦の中には仲間しかいなかったはずなのだ。
ならば、一体誰が守るべき場所に火など放ったのか。
広場の端から急いで消火用のホースを引っ張ってくる彼らの瞳には、怒りや焦りの気持ち以上に困惑の気持ちの方が強く出ているように見て取れた。
「またいつもの内輪もめかな。それとも……」
騒ぎの傍ら、何かを知っているような素振りを見せるウルドが、ほんの小さな声量で呟きを吐いた。一体何について思案を巡らせているのだろうか。
「早くここから離れましょう」
火災現場から噴き出した煙が俺たちのいるところにまで届き始め、危機感を覚えたライフが声を上げた、その次の瞬間……関所の一階に張られていた窓ガラスが、一斉に割れた。
何かが軋み、弾け、砕けて割れ散らばる派手な騒音が辺り一帯にけたたましく鳴り響く。
ガラスが割れた窓枠の奥からは追撃のような爆風が噴き出し、弾け散らばった火炎の塊が周囲のありとあらゆる物に燃え移っていく。
火災の原因が何者かによる放火であるとするならば、もちろん、大量の金軍兵が陣を張っていた場所にだって、細工を施していたことだろう。彼らを「裏切った」放火犯が、蓋をゆるめた火薬入れの一つや二つくらい、用意していないはずがない。
爆発が起きた。二度も三度も、四度も五度も、小規模ながら偶発的に、何度も何度も。
関所前の広場は、あっという間に火の海と化してしまった。
その燃え上がる火柱の向こう側、開け放たれた門の奥から、今度は傷付いた人間を背負った複数の金軍兵が飛び出してきた。
疲弊した様子で地べたに膝を付けた仲間の下へ、救護班と思しき風貌の軍人たちが駆け寄っていく。背負われていた方の人間は重症で、剥き出しになった真っ赤な肌の下で、炎に焼かれた肉と脂肪が、赤や黄色の体液をダラダラと垂れ流している。
彼らは、砦の内部でセキュリティ関連の仕事についていた、後方支援の仲間たちだったのだろう。
それが関所の門の向こう側から、さらに、さらに、どんどんどんどん増えていく。広場の上に転がっていく。増えていく。
痛い。痛い。熱い。痛い。声にならない悲鳴が、言葉にならない激情が、噴き荒れる炎の風と共にこの場の空気全てに充満し、伝染し、支配していく。広がっていく。怒りが。悪意が。憎しみが。
なぜ。
どうして。
そんな疑問を誰もが胸の中に抱き始めた頃、嘆きの声に満ちた広場の真ん中に、救助に駆け込んでいた最後の一人が姿を現す。全身に灼熱の炎を身に纏いながら、だ。
それは煮え滾る溶岩の如き形相をした大男だった。全身に重厚な黄金色の鎧を着こみ、深紅に染め上げたマントの裾を炎の海に晒し、これでもかとばかりに奥歯を噛みしめながら、広場の真ん中で仁王立ちをする。
丸太のように太い両腕には、それぞれ別の負傷兵を抱えていた。もちろん、彼の仲間だった者たちだ。ピクリとも、動かなくなっているのだけど。
「赦さねぇ!! 赦さねぇッ!! 赦さねぇぞッ!!!! クソ野郎ども!!!!!!」
大男が見開いた双眸の奥でギラギラと憤怒の炎が煮え滾るのが見て取れた。まるで、この場にいる者の怒りの全てを代弁するために顕現しているかのような、修羅の如き佇まい。
そんな男の姿を見て真っ先に反応したのは、マグナだった。
「ヘイトバーグさん!!」
マグナは俺が知らない名前を口にしながら、鬼気迫る表情で大男のもとへ駆け寄ろうとした。その小さな体を両手で抱えるようにしながら押し止め、「今は近づいちゃダメだ!」と厳しく言い付ける。
あの姿ならば、俺とライフも中央部に向かう途中の倉庫街で目の当たりにしている。彼は金軍のリーダーだ。怒り狂っている理由など想像する余地がないくらい明白で、今の彼に軽率に近づくことが何より危険なことも火を見るより明らかだった。
とにかく、この場を早く立ち去ろう。
そう思って自分たちが来た道を引き返そうと振り向いた先に……誰かが立っていた。手にはピッケル。ついさっき出会った、差別主義者のアルレスキュリア人だと、すぐに分かった。
しまった!
俺がそう嘆くより先に、立ちはだかった怪物は大声を上げる。
「ここに怪しいヤツらが隠れているぞ!!」
煉瓦壁の向こう側にいた金軍の兵士たちが、一斉にこちらを振り向く。
さらにもう一つ、別の方向からも追撃が放たれる。
「アイツが火を放ったのを見たよ!!」
聞いたことのある声。どこで聴いた声かといえば……地下水道だ。あの時の黒軍兵に間違いなかった。
最悪だ。
俺たちの居場所をバラしてくれた差別主義者は、ヘラヘラとした愉悦の表情を顔面にこびり付かせながら、暗闇の奥へ逃げ帰ってしまった。
それを追いかけようとしたウルドの肩を掴んで止める。悔しいけれど、今はああいう人たちに構っている場合じゃない。背後からガツガツと石畳を蹴り上げながら近づいてくる複数の足音。近付いてくる。今まさにその壁の向こう側から姿を現わそうとしている。
バイクに乗り直す猶予すらない。逃げよう。今すぐに。
引き止めたウルドの手を握り、逃げて行ったヤツらとは別の方向へ伸びた道を選んで走り始めた。ライフもマグナの腕をひっぱりながら後ろをついてくる。
逃げると言っても、どこへ? どちらへ?
動揺と焦燥の中で混乱しきった思考が、行き場を定めるよりも先に足を前へ前へと走らせる。
背後から迫りくる追手の足音。どんどん距離を詰められていく。当然だ、彼らは戦闘のための訓練を受けているのだから。
「砦の壁に向かって走って」
俺に手を引かれながら、俺と同じ速さで走ってくれていたウルドが、この場にそぐわない余裕そうな声色で提案をした。
どうしてよりにもよって壁に向かって? そう尋ねてみようと思ったところで、代替え案なんて一つも頭の中に浮かんでこないことに気付いた。
「わかった!!」
わけもわからないまま返事をして、そのまま走る向きを変えた。提案を受け入れる姿勢を見せた途端、ウルドは繋いでいた俺の手を離して夜空に飛び上がる。
「ぶち抜くよっ!」
悪魔のように可愛らしい声を上げたウルドは、そのまま俺たちの正面に立ちはだかる砦の壁を、パンチ一発で破壊した。まるでフォークの先で砂糖菓子を押し崩すくらい、あっさりと、簡単に、頑丈に作られた石材製の壁に大穴が開いた。
「最初からこうすれば良かったんだよ!」
楽しそうに満足そうに笑うウルドに向けて、俺は「そんな無茶苦茶な選択肢あるわけないだろ!」と叱りつけた。
けれども絶世の美人には反省した様子がなく、俺の呼びかけを聞いてすぐさま隣まで舞い降りてくる。そして性懲りもなくこんなことを言うのだ。
「僕はディアのためならなんでもできる。なんだってできる。なんでもしてあげたい!」
「どういう意味だよソレ!?」
問い詰めたところで、ウルドはふふふっと無邪気に笑うだけだった。
「だからねディア、なーんにも心配はいらないんだ。後のことは僕に任せてくれればいいから!」
「任せるって、そんなの君がするようなことじゃないだろ!? だって、ウルドは……」
黒軍の兵士で、俺たちを追いかけるあの金軍兵の仲間なんだから……と、続けたかった言葉が喉の奥で止まる。
ウルドの満月色をした瞳の中に映っているものが、俺だけであることを思い出した。
君は一体、何者なのか?
どうしてそんなに出会ったばかりの俺のことが好きなのか?
思わず立ち止まりかけてしまった俺の体を、ウルドはすんなりと抱きかかえて壁に開けた穴の中へ放り込んだ。
無理矢理くぐらされた壁の向こう側を振り返ると、穴の前で道を塞ぐようにして立つウルドの後ろ姿が見えた。そのさらに向こうから、金色の鎧を着た大男が怒涛の勢いで迫って来ていた。
「ウルド!!」
「ラムボアードで待ってて! 僕たちなら、きっとまた再会できるはずだから!!」
きっと必ず勝利する。だから心配いらないよ。君と僕の未来の果てには、一欠けらの憂いもあってはいけない。愛している。信じている。何でもできる。露払いならいくらでも任せておくれ。
そうやって高らかに宣言したウルドの言葉の中に、金軍兵への配慮など一欠けらも備わっていなかった。
「行くわよ、ディア!!」
早々にウルドとの別れをすませたライフとマグナが、「先に進もう!」と俺の背を押し、腕を引く。
説得したい。押し止めたい。君の在り方を否定したい。そう思う気持ちに対して、心の中でかぶりを振る。
「……わかった! 俺は君の選択を信じるよ、ウルド!」
ありがとう! 大好きだよ、ディア!
振り向かずとも声を発さずとも届いたウルドの返事。きっと、必ず勝利する。間違ったことなど何一つないのだと、今は盲目に信じよう。
俺はウルドが一人で残った城下街区画とは反対側の方向へ向けて、ライフとマグナと一緒に走り出した。
もう迷う必要などない……と思ったはずなのに。
「キサマまで、オレたちを裏切るつもりなのか!? アゼロ・ウルド!!」
俺の決意は、背後から聞こえてきたヘイトバーグの巨大な怒声一つで簡単に揺らいでしまった。