記述5 愛しき人よ、誠実であれ 第4節
日の入り前のまだ真っ暗な夜道を一台のオートバイが疾走する。巨大な戦車に耕された後の道路はどこもかしこも舗装が剥がれきってしまっていたものの、軍事目的で改良されていたオートバイは凹凸の激しい悪路など物ともせずにタイヤを回転させていた。
このいかにもアンティークな趣に溢れたオートバイは、ウルドが黒軍の拠点から拝借してきたものだ。街中を移動する歳に乗り物が無いのでは不便だろうという心遣いからの贈り物であった。運転手一名に加えて、サイドに備え付けられた座席部分に二名の乗客を乗せられる大型の車種だ。
そんな何百キロもの重量がありそうなオートバイを、ウルドは小脇に抱えるように涼し気な顔で市街キャンプの入口まで運んできていた。
「僕はバイクなんて乗ったことないんだけど」
というウルドの発言に、俺は「確かに君には必要ないだろうな」と言い返したくなる気持ちをグッと堪えた。
「じゃあ俺が運転するよ」
車輪付きの乗り物を操縦することなんて何年ぶりだろうか。最初に見た時は、こんな博物館の展示品みたいな機械が本当に動くのかと疑ってしまうほどの印象だったけれど、乗り心地は悪くない。中でも走行音が静かなあたりが、今の状況では特にありがたく感じられた。この改造は黒軍が隠密行動が得意な部隊であることが影響している。
向かう先は、城下街区画の内と外をつなぐ西の関所。頼もしい協力者の調べによると、その近辺に設置されている監視カメラの映像に、マグナとよく似た服装をした子供の姿が映り込んでいたのだという。怯えるような表情をしていた彼の周囲には、グラントール人の仲間と思われる存在が、影も形も見当たらなかった。
マグナは城下街の外に出たかったのだろう。けれど関所の門は暴動事件が勃発した直後に金軍の手によって封鎖されてしまっていた。配備され軍の隙をついて関所を抜けようなんて、無謀にもほどがある。「ワタシは大丈夫」と健気な言葉を口にした彼の気遣いは、子供の強がりの域を出ることができなかった。
助けたい。そんなことを思うなんて、自分らしくないと心底思う。俺はバイクのハンドルを握りながら、自分自身を嘲るように笑ってしまった。
『次に曲がる道は細いから、見逃さないでね!』
ヘルメットに備え付けられていた通信機からウルドの声が聞こえる。
顔を上げると、高速で流れていく夜の城下街の景観の中に、建物の屋根の上をぴょんぴょんと軽やかな動作で飛び回っているウルドの姿を見つけた。走行するオートバイにも負けず劣らずの速度で移動するウルドの案内に導かれながら、言われた通りにオートバイを右折させた。
「あとどれくらいで西の関所につくのかな?」
『このままいけば五分くらいだと思うよ!』
「随分近いんだね。それじゃあ、もうこの辺りにマグナくんがいるかもしれないな」
『探してみる?』
「あっ! ねぇ、ディア! あそこに誰かいるわよ!?」
ウルドとの会話の途中、何かを発見したライフが割り込んできた。
そちらを振り返ってみると、ライフが指をさす方向には確かに何者かの人影があった。服装だけなら何の変哲もない一般区民にしか見えない、中肉中背の男性が一人。しかしその手には街中で見かけるのに不釣り合いな大振りのピッケル型工具を持っている。私は不審者です、とでも主張するのと同じようなものだ。さらにその男性は、握りしめたピッケルを武器のように構えて持ちながら、注意深く周囲を見回している。
「いたぞ! こっちだ!!」
少し離れた場所から、男性の仲間とおぼしき人物の声が飛び込んできた。それを聞いたピッケルの男は声がした仲間の方へ駆け出し、瓦礫に埋まった細い通路の向こう側へ姿を消していった。
「いかにも怪しいな」
『追いかけるの?』
この状況だ。心身ともに追い詰められた民間人が武装してまでしてすることなんて……ろくでもないことに決まっている。
「……そうしよう。なんだか悪い予感がする。彼らの後を追ってみよう」
とはいえピッケル男が入っていった通路は瓦礫だらけで、とても大型バイクが通行できるような道ではない。俺はバイクを建物の影に停車させ、ライフと一緒に徒歩で通路の中へ入っていくことにした。その動向をウルドが屋根の上から見守ってくれている。
グシャグシャに倒壊した家屋の残骸が散らばる、奇怪な細道。瓦礫くずを靴の裏で踏みつぶしながら歩いていると、しばらくして通路の奥から誰かが走ってくる気配がした。
さっきの男たちが引き返して来たのかと思い、警戒して身構える。しかし、現れたのは……
「マグナくんっ!?」
ボロボロの土色ローブを頭から被った小さな少年。間違いない、マグナ・デルメテだ。
マグナは俺の出した声に気付かないまま、焦った様子で瓦礫の上を走り抜けようとしている。そのまま俺たちの横を通り過ぎようとした、その肩を掴んで引き留める。
「ひゃあっ!!」
いまいち緊張感に欠けた少年の声。やっと見つけた、と安心しそうになった俺の思考を切り裂くように、マグナくんは叫びにも似た懇願の声をあげ始めた。
「ごめんなさいっ!! ごめんなさい!ごめんなさいッ!! ゆるしてください!!!」
あからさまな恐怖の感情を叩きつけるマグナ。予想外の態度に面を食らってしまった俺は、思わず掴んでいた彼の肩を手放してしまった。
「あっ、ちょっと!?」
そのままマグナは俺の方になど目もくれず、一目散に逃げ出してしまう。一体どこへ行くつもりなのか。
俺やライフよりも体が軽く運動神経も良いらしいマグナは、歩きにくい瓦礫道の上をスイスイと駆け抜けていく。これでは追いつけない。
「ウルド! あの子を止めてくれないか!」
『わかった!』
どこからともなく現れたウルドが、走り去ろうとするマグナの目の前の地面に着地する。
「えっ! わゎっ、うわっ!?」
マグナはあまりに唐突な障害の出現に驚き、そのリアクションの反動でしりもちをついてしまった。そのままヘビに睨まれた蛙のように、瓦礫の上で頭を抱えながら身を小さく丸め始めた。
それもそのはず、彼の正面に立ちはだかったウルドの手の中には、いかにも鋭利で凶悪なビジュアルをしたコンバットナイフが握られていた。
全身黒ずくめの暗殺者みたいな恰好をした人間に突然そんなものを向けられたら、そりゃあビビる。ウルドからして見れば、偶然手に持っていただけのようにうかがえたけれど。
そんな二人のもとへ、俺とライフが少し遅れて駆け寄っていった。
「マグナくん!」
「ふえっ!?」
不意に自分の名前を呼ばれたマグナが、目深に被ったフードの下からこちらを見上げた。
「ディア・テラスさん!? ライフさんも!? ど、どうして、ここに?」
「私たちは貴方を追いかけて来たのよ。マグナくんの方こそ、どうしてこんなところにいるのかしら?」
「それは……あっ!」
こちらを見ていたマグナの顔に再び焦りの表情が浮かび上がる。それとほぼ同時に、背後からガツガツと瓦礫の山を蹴り進む複数名の足音が聞こえてきた。
「おいっ! 他にも誰かいるぞ!」
振り返ると、そこには先ほど見かけたピッケル男と、その仲間と思われる老若男女の集団がこちらへ向かって近づいてきていた。手にはやはり、多種多様な形状の工具を持っている。そんなもので武装して、何をしようとしていたというのだろうか。
ろくでもないことに決まっている。そんな悪い予感も、失望じみた決めつけも、杞憂であってほしかった。
けれども現実はやはり現実。迫りくる人々の目付きは、どれもこれも、怒りと屈辱の激情で歪んでいた。
それを見てすぐさま逃げ出そうとするマグナの体を、俺は伸ばした右腕で宥めるように制した。
「大丈夫」
小さく震え続けるマグナに向けて、声をかける。ちゃんと耳に入っいるのかどうかはわからない。
「あれって黒の連中なんじゃ……」
集団のうちの一人二人が俺たちの方を見ながら声をあげる。
「おい、黙ってろ。聞こえるぞ」
その先頭に立っていた男性が、勝手に口を開いた仲間を一言で黙らせる。一見すればただの商人のような恰好をした人物であったが、どうやら彼がこの集団のリーダー格であるようだ。
彼らは俺たちのことを正規軍側に属するなにがしかの勢力であると判断したのだろう。手負いの獣とそう変わらない、確かな敵意と警戒心を持った眼が、俺の全身を値踏みするように睨め回す。
向かい合ったまま、しばしの硬直。彼らは慎重に何かを選ぼうとしているように見えた。
「この子供に何かご用ですか?」
沈黙を破るべく、俺の方から口を開く。集団の先頭に並んでいた何人かの足が、一歩、後ずさった。
「連中の仲間だ」
リーダーが返事をする。喉の奥から搾り取るような、悔しさが滲んだ呻き声だった。そのケダモノじみた視線の先には、やはり、マグナがいた。
「ワタシはっ、何も知らないもん!」
マグナが悲鳴を上げる。それと共に、とうとう泣き始めてしまう。
「何もしてない! みんなと、一緒に生きていただけ。働いて、暮らしてた……だけ。そうなの! そのはずなの! それなのに、どうして……どうしてみんな……」
逃げ出すのも忘れ、地面にへたれ込みながらわんわんと泣き始めるマグナ。その小さな体をライフが抱きしめ、背中をさする。「よくがんばったわね」、と。
傷ましい少年の嘆きを目の当たりにした集団が動揺を始めた。彼らはただの民間人なのだろう。自分たちが悪になることを恐れている。
正義のための志があっても、理性と常識があれば、子供相手にそうそう酷いことなどできなくなるものだ。
「見逃してくれませんか」
彼らの中に生まれた気まずい空気に付け入りながら、その中心へ言葉のナイフを突きつける。
「きっと、貴方がたの敵は他にもいるのでしょうから」
リーダー格の商人が、身構えていた工具の先端を地面へ下ろす。戦意を落としたリーダーの態度を見た仲間たちが、彼に倣うように次々と武器を下ろしていく。
返事はなかった。彼らはそのまま、黙って俺たちの方へ背を向け、一人、二人、来た道を引き返し始めた。
それでもまだ未練がましく立ち止まっている数人が、俺たちへ恨めし気な眼差しを向けている。
「早くどっか行きなよ」
ウルドが冷たい言葉を吐き棄てると、残っていた者たちも蜘蛛の子を散らすように立ち去って行った。