記述30 ただずっと、私の空は青かった 第5節
彼女が一歩踏み込んだ、と視認した次の瞬間、その手に持つ剣の切っ先が俺の首に向けて真っ直ぐに突きつけられた。瞬時に身をひるがえして避けると、突きつけられた刃は俺の服の襟を少しかするだけで宙を切った。しかし、彼女の剣は標的に当たらなかったことを感じ取るとともにすぐさま軌道を変え、流れるような動作で斬撃を繰り出す。後方に身を引くことでこの斬撃を避けながら、手元の大槍の柄を握り直して、俺は臨戦態勢を整えた。
三つ目の攻撃。槍で受け止める。四つ目の攻撃。受け流す。
五つ、六つ、空を斬った彼女の剣は力強い軌道を描きながら連撃を繰り返す。彼女は裾が長く動きづらいドレスを身に纏っているにも関わらず、機敏な動きで床を蹴り、宙を飛び、剣舞を披露する。
激しい剣戟の衝突音が快晴の下に鳴り響いていた。
踊るように、舞うように、陽光を反射して輝く剣先は幾度となく二人の間を交差した。
敵意も殺意もこもっていないけれど、重たい存在感を持っている彼女の剣。操り人形であるからこそ迷いが無く、それ故に自由で、ただ目の前に立つ俺の姿を捕らえ、斬り伏せるという目的のためだけに振るわれる。
表情は凍り付いているかのように冷たいまま。視線は標的である俺を見ているようで見ていない。相変わらず、その瞳の中には何も映っていない。
俺はそんな彼女の静謐な表情を見つめ、様々な方向から繰り出される斬撃、その一つ一つを大槍で受け止め、はじき返しながら勝利への道筋を考える。
彼女を傷付けるようなことは、絶対にしたくない。その上で行動を封じ込める。雷はもちろん浴びさせたくない。
考えて、考えて、時に迷って、悔しさに奥歯を噛みしめながら、彼女の心がこもっていない鋭いだけの斬撃の相手をする。
何にせよ、まずはこの不毛な鍔尻合わせを終わらせる必要がある。
「意識はあるのか?」
剣戟の最中、わずかな希望を求めて人造白龍に声を投げかけた。
当然ながら、返事はない。代わりに飛んできた刺突の一撃を避けて、うながし、次の言葉を投げる。
「俺はオマエに会いに来たんだ。どうしても、オマエに言いたいことがあって、会いに来た」
横薙ぎの大振り。剣を振るう彼女の体がなめらかに回転し、ドレスの裾が大輪の花のように広がった。その華麗な光景に目を奪われそうになった自分の意識に鞭を打ち、言葉を続ける。
「声が届いているなら聞いてくれ」
鋼と鋼を打ち付け合う甲高い音が、広々とした屋上のフィールドにキンキンと鋭く響いている。ぶつかり合うたびに視界の先で火花が跳ねるのを眩しく感じた。空は相変わらずうるさいくらいに明るい青色に照っていて、その下で踊る彼女の姿もまた、殺し合いの最中であることを忘れてしまいたくなるほど美しい。
そうだ、彼女は美しい。氷色のたなびく長髪も、結晶のような青い瞳も、雪のように白い肌も。しなやかな手足。細い指と形の良い爪先。女性らしさを感じる柔らかな質感を持った手の平から伝わる、少し冷えたあの体温。
あの時、病院で出会って言葉を交わした時の、彼女の言動を思い出す。淑やかで、控えめで、儚げで……何一つ教えてくれなかった、不思議で優しい人だった。
今ならいくらでも、後悔ができる。
「謝りたいことが、山ほどある!」
刃をぶつけ合うほどに、彼女と武力を通じて会話を続けるほどに、過去の記憶が次々と湧きあがり、膨れ上がる。
無表情で剣を振るう彼女の冷たい瞳の中を覗き込むほどに、その中に何も映っていないことを何度も確認するほどに、苦しさが胸を締め付け、想いが、想いが、どんどん膨らんでいく。
罪の意識に耐えきれず逃げ出した自分の愚かしさ。何も知らないまま暢気に時を過ごしているだけだった間抜けぶり。俺のために悩んでくれていた優しさを傍目に怒ることしかできなかったあの日の浅ましい自分の姿。
気付いてやれなかったこと。力になってやれなかったこと。救いきれないままに手放してしまったこと。
後悔している。
何より、苦しむお前をひとりぼっちにしてしまったことを、謝りたかった。
「すまなかった……エッジ!!」
膨らみきった思いが破裂する、その衝動のおもむくままに声を上げた。
その叫びが届いたのか否か、人造白龍の動きが一瞬だけ止まった。何も見ていなかった彼女の青い瞳の真ん中に、自分の姿が一瞬だけ映り込んだような気がした。俺はその一瞬の隙を付いて、彼女の手から剣を弾き落とした。
弾き飛ばされた剣が宙を飛び、カツンと甲高い音をたてながら床に落ちる。
一旦の静寂。
その後、武器を失った人造白龍は大きく後方に飛び退き、俺から距離を取った。
二本目の剣を取り出す様子もなく、しばしの間彼女は離れた床の上に立ったままこちらを見つめた。俺はその視線を見つめ返しながら、彼女の次の動きを待った。
「エルベラーゼ」
そこで、後方からあの嫌な男の声が聞こえてきた。人造白龍の体がわずかに震え、彼の言葉に反応する。
「力を使え」
指示が下される。それとともに、彼女は静かに呼吸を整え、目を閉じる。空気がシンと静まりかえった。
目を、開ける。
再び開かれた彼女の瞳は琥珀色をしていた。
瞬間、彼女の周囲の空気が凍り付き、一本の氷柱状の塊が出現し、俺に向けて真っ直ぐに撃ち出された。
冷気と氷を操る神力。
対抗するために大槍の切っ先に雷を纏わせ、真っ向から迎え撃つ。ガツンッと槍の先に大きな氷の塊がぶつかる重たい手応えが伝わってくる。金属にぶつかって砕けた氷が細かく四散して、バラバラと俺の体にぶつかりながら、床に散らばった。
視界の先で彼女が白い腕を上げる。その動作とともに、次の氷柱が空中に現れ、またこちらへ打ち出される。今度は三本同時に。俺は床を蹴って走り出し、氷柱が当たらない場所へ移動することでこれらの攻撃を回避した。
避けられたならば避けられない攻撃にすればいい。彼女はそう思ったのか攻撃のスタイルを変え、今度は凝縮した冷気そのものを強風に乗せ、吹雪を生み出して前方広範囲に解き放ってきた。
吹雪はまっすぐ俺に向かって吹きつけてくる。多少冷たい風を受ける分には平気だが、吹雪の中には巧妙なことに細かい氷の刃が混ざっていて、それらが俺の体のところどころを小さく傷付けていく。
吹雪は途切れることなく放出され続ける。俺は受けきることが難しいことを判断して、吹雪の真ん中に電流を流し込んだ。エネルギーとエネルギーのぶつかり合い。凍り付いた空気が電気の熱で一気に蒸発し、周囲に電流を帯びた水蒸気の煙が噴き上がる。
視界が水蒸気の白一色で埋まる。それを槍を振るった風で切り裂くと、拓けた視界の先に、彼女の姿を見つけた。翼も無いのに空中へ浮き上がった人造白龍は、煙の中に紛れていた俺の姿を再度発見するとともに、素早く次の攻撃の準備をする。彼女の周囲一体を包み込むようにして出現した氷の針。見るだけで殺傷力の高そうな、その細い一本一本が、銃弾の雨のように俺へ向けて降り注いできた。
今度も避けきれないほど範囲が広い。ならばと思い、槍を盾に変化させて氷の針を受け止める。金属の盾の表面に氷の針が大量にぶつかっては弾ける。氷の針は俺の周囲一面の床を突き刺し、突き刺し、恐ろしい針山のような光景を作り出していく。
豪雨のようにも滝のようにも思える激しい攻撃。だが受けきれる。そう思った矢先、人造白龍は針の射出と同時にさっきの吹雪も発生させ、同時にこちらへぶつける準備を始めた。そう言うのもアリなのかと感心しながら、俺はどうしたものかと考えを巡らせる。しかし結局、力には力でぶつかるのが一番簡単だと思い、盾を構えるその後ろで、雷のエネルギーを集め始めた。
人造白龍が空中で両腕を広げる。その動作とともに、針の雨の中に吹雪が混ざり込む。こんなものはいくらなんでも耐えきれない。俺は迫りくる怒涛の冷気に向けて、目一杯の雷撃を撃ち放った。
盛大な爆発音がアルレスキュリア城の屋上に鳴り轟いた。
鼓膜が破れるほどの轟音。激しく散らばったエネルギーの欠片。雷の熱と氷の冷気の衝突。
その爆発の衝撃に吹き飛ばされないように足を食いしばる。そして爆発音が止み、周囲が煙でいっぱいに満たされたところで、俺はその場から大きく飛び上がった。前方に感じる人造白龍の気配を信じて、空中で翼を広げ、真っ白に埋まった煙の中へ飛び込んでいく。
高熱を帯びた煙の温度が肌を焼く、厭な感覚を今は感じないフリをして、真っ直ぐに、飛んでいく……そうして、煙の海を突き破った先に確かに存在していた彼女の姿を視界の真ん中に捉えた。
「エッジ!!」
声を上げる。名前を呼ぶ。
けれどまだ届かず、名前の無い彼女は接近する俺の存在に気付き、目の前に氷のトゲを出現させて身を守ろうとした。そのトゲに、俺は真っ向から飛び込んでいった。
ぐさり、ぐさりと、皮と肉とを裂いて体内に侵入してくる冷たい感触。鋭くも強烈な痛み。だがこんなもの、どうということもない。
空中にできた彼女との距離。それが縮まっていくとともに体に刺さるトゲの痛み。ぐさぐさと、ずきずきと、感じる痛み、流れる血液。そんなものどうだっていい。
「エッジ!!!」
名前を呼ぶ。さっきよりも大きな声で、もうすぐそこまで迫っている彼女へ向けて、腕を伸ばす。
体に刺さる拒絶の痛み。「来ないで!!」という彼女の心の叫び。否定しない。全部受け入れる。
そのうえでどうか、今はどうか、俺の声を聞いて欲しい。
「俺はやっぱり、オマエを幸せにしたいんだ!!」
叫ぶ声。届かない。届かない。今は意識を持たない操り人形の人造白龍。そのはずなのに、わずかに、トゲを生み出す彼女の動きが、また一瞬だけ止まってくれたような気がした。
その一瞬を見逃さず、俺は翼を広げ、距離を詰め、彼女の体に手を伸ばし……その細い肩に指が触れる。手の平でつかむ、引き寄せる。
「……あ」
と、腕の中に収まった彼女が一言ポツリと溢す。
「もう、大丈夫だ」
耳元で囁いてから、俺は彼女の首の裏に手を添え、そこに軽い電流を走らせた。ピリッとした痛みが彼女の意識を奪い取っていったことだろう。銀色の睫毛に覆われた白い瞼がスッと瞳の上に被さって、抱きしめた彼女の体から、力が、抜けていった。