記述29.5 救世主と銀世界 第1節
真っ白なんて言葉を笑い飛ばしてしまいたくなるほど白い、白い、純白の猛吹雪の中。
何処へ行きたいわけでもなく彷徨い歩き、意味も無く足を止め、何も無い場所にうずくまった。
風は冷たく、雪は体の温度を奪い取り、汗も涙も凍り付いてこぼれ落ちない、そんな夜。
『何か』から逃げ出したことを覚えている。
それは恐ろしいものだった。それは自分の価値の全てだった。それは、自己評価の全てを定める指標だった。
果てのない虚しさが心の中を満たしていて、途方もない失望の感情が雪に変わってこの身にふり注いでいるかのような錯覚すらした。
思い出すのを拒んでいるのは自分自身なのだろうか。
それは美しいものだった。それは儚いものだった。やわらかく、純朴で、脆く壊れやすいものだった。
触れれば汚れ、癒えない疵ができる。そうとわかっていながら手を伸ばした。
それはこの世界の象徴のような、何か。
ふり積もる白雪に似ていた。晴れ空を知らない灰色の雲に似ていた。
清らかな雨の恵みを知らない大地のような、波の優しさを知らずに育った魚のような、冷たい路地裏に間違って咲いてしまった野花のような。
救いのないもの。
救いになれたら良かったのに。
そうか、俺は救世主になりたかったのだ。
この世界を変えたかった。
この世界が、諦めきれなかった。
どれだけ際限なく壊れていようとも、手を差し伸べれば助けられるんじゃないかという幻想を抱いた。
壊してしまったのは自分なのに。
あぁ、花咲き乱れる愛しの故郷よ。母よ、友よ、風よ、大地よ。
俺の復讐に意味はあったのか? 俺の信じた愛に価値はあったのか?
都合が良い夢物語。始めから何も無かったのに、そこに意味を見出したかった。
生まれ落ちたこの世界、あてもなく、途方に暮れ、五里霧中のなか見つけた何かに手を伸ばす。
『生きていくってそういうことよ』夢の中の彼女が笑う。
救世主になりたかった。
この世界を変えたかった。
世界はもっと明るく、優しく、美しくあるべきなのだと謳いたかった。
ただそれだけの、希望のために。