記述29 恩恵に与る RESULT
黒軍の兵士に取り囲まれた俺たちはそのまま車に乗せられ、数時間の移動の末にトラストさんの屋敷の中まで連れてこられた。そこで以前に来た時とは違う客間に通され、見張りの兵士から「しばらくの間この部屋の外に出てはならない」と言われてしまう。ソウドやラングヴァイレをどうなったのかと聞いてみるが、そちらは重罪人として適切な処罰が下されるだけとのこと。処罰の内容までは当然教えてもらえないが、重いものであるのは想像にかたくない。
連れていかれる直前でとっていたラングヴァイレの挙動から考えてみるに、彼はこうなることがわかっていて俺たちをエッジのところまで連れて行ったのだろう。決してダムダ・トラストという男の目を掻い潜ることなど不可能と知っていながら、彼に歯向かった。
無事であればいいのだけど……と、思っていたところで、部屋の外でノックの音が小さく鳴った。何かと思って見てみると、扉が開いて一人の侍女が入室してきた。灰色の髪の侍女は部屋の中で思い思いに時間を潰そうとしていた俺たちの様子を一望すると、深々とお辞儀をする。それから「ディア様を別室にご案内するよう仕りました」と告げてきた。
要件を聞いても侍女は詳しい話を聞いていないらしく、ただ連れて来いとだけ指示されてきたと言う。俺はそんな侍女の様子を見て、これはトラストさんが俺と二人だけで話をしようとしているのだと思い立った。だから不満を言うウルドを宥め、俺だけで侍女と一緒に部屋の外へ出ることにした。
綺麗に磨かれた廊下の上を歩き進むと、侍女が「こちらです」と言って足を止める。金装飾が施された一枚扉。部屋には華美な装飾とは不釣り合いな機械式の鍵がかかっていて、侍女は生体認証を通じてそれを解除する。
部屋の中へ入る。高級そうなソファテーブルが中央に配置された応接室のような内観。壁には絵画が飾られていて、ガラス張りの棚には職人の業を感じる陶芸品や珍しそうな民芸品が並んでいる。家具はどれも一級品。床に敷かれた絨毯も複雑な模様を描いた手製のもので、ソファカバーの布もきめ細かく滑らか。財力に余裕のある人間が好きに金銭を使って整えた部屋という印象だろうか。華やかな室内の様子は質素であることを美徳とするアルレスキューレの在り方とは真逆を行っていて、ラムボアードの富豪たちの価値観に近いように感じた。
「ここは誰の部屋なんですか?」と、案内してくれた侍女に聞いてみようと思って振り返ると、その時にはもう侍女は扉の外に出てしまっていた。「それでは、失礼いたします」という声が聞こえ、それからすぐにガシャンと重たい音をたてて部屋の扉が閉まってしまった。
まぁいいさ。聞かなくたってわかる、ここはトラストさんの執務室だ。
そう思いながら、俺は部屋の奥にどっしりとした様子で置かれていた長机の方へ向かった。華やかな室内装飾が部屋中に展開される中、そこだけは機能美を優先したシンプルなデザインになっていた。机の周囲には電源が入っていないモニターがいくつも設置されていて、他にはそれを操作する入力装置や置き型の通信機などがあった。これはトラストさんの執務机なのだろうと思い、綺麗に整理された机の上に目を向ける。するとそこに何かが不自然な様子で放置されていることに気付いた。
「これ……あの時の、ページ?」
アルカが銃で撃たれる直前に、俺に手渡そうとしていた預言書の断片だ、間違いない。俺は机の上に置かれたそれを手に取り、血液がべったりと染みついて変色してしまった紙きれを見つめ、苦い気持ちになる。アルカが殺された。彼がそうまでして危険を冒してでも手に入れたかったページには、一体何が書いてあったのだろう。変色してダメになったページの端、ほんの少しだけ残った無事な部分に目を通してみても、この紙は元々経年劣化でボロボロだったということもあって、解読は難しい。
「これじゃあダメか……」
溜め息まじりにつぶやいたところで、部屋の扉の方からガシャンという重たい音がもう一度聞こえた。部屋のロックが解除された音だ。そう思って振り返ると部屋の扉がゆっくりと開き、室内に一人の男性が入ってくる。見間違えようもなく、それはこの屋敷の主人であるトラストさん本人だった。
「お待たせいたしましたね、ディア」
にこやかに微笑むトラストは床に敷かれた柔らかな絨毯を靴裏で優雅に踏みしめながら、こちらへ近付いてくる。
「長話になりますので、どうかそちらにお座りください」
ソファに座るよう勧められ、促されるままに柔らかな弾力を持ったソファの上に腰を下ろす。それを見てから彼の方も俺の正面のソファに座り、二人で向き合うかたちになった。
しかし……はて、どうしよう。何を話せばいいのだろう? 何から口にしたら良いのだろう? 会話に困った俺は、とりあえずの質問として「ここってトラストさんの部屋?」と、無難な質問から入ることしかできなかった。トラストさんは「そうですよ」と、気さくな調子で答えてくれた。
「モニターがいっぱいある」
「情報収集に使っているものですね。視覚から手に入る情報の中にはデータだけではわからない細かいものが含まれますので、私はこうして、映像を眼で見て一つ一つ確認していくことを重視しています」
「黒軍隊長は国中のいたる所に監視カメラを設置しているって噂、本当だったんだね」
「正直なところ、ほとんど趣味のようなものですがね」
「ちょっと悪趣味じゃないですか?」
「貴方にそう指摘されるようならば改めることもやぶさかではありませんが、いかがいたしましょうか?」
「いいですよ。そのままのトラストさんで。文句を言ったりしません」
「ご寛大な言葉を、ありがとうございます」
寛大。その言葉を聞いて何とも言えない気持ちになる。
「……寛大な対応をされているのは、こちらの方だと思うんだけどな」
「そう思いますか?」
口元に軽く手を当て、トラストさんは上品な仕草で少しだけ首を傾げた。一見すると何を考えてるかわからない完璧なポーカーフェイス。けれど俺にはそれを怖いと思う感性は無いので、怯えずに対話を続ける力があった。
「トラストさんは、俺たちがエッジくんの現状を知ってしまったことを、良くないことだと思ってる?」
「ディアにならむしろ、知っていただきたいと思っていました。けれど、他の者たちまでともなると、今後どんな風説をばら撒かれるかわかったものではありませんので、自由にしてほしいとなると話は変わってきます」
「彼女たちはそんなことをしません」
「私から信用を勝ち取るというのは、なかなかに難しいことですよ。特にあの金髪の少女……」
「ブラムちゃんのこと?」
「そう、そういう名前でしたね。単刀直入に指摘しますが、彼女は人間ではないのでしょう?」
ギクリと肩が震え、一瞬だけ身が硬直する。
「それは……」
けれど対面のトラストさんはあくまでにこやかで、何か悪いことをしようとしている様子ではなかった。そのことにとりあえず安心して、話を続ける。
「ラグエルノ龍の、子供といったところでしょうか。力が弱く、制御も拙い。とてもあの強大な力を誇示していた守護龍とは比べ物になりません」
「トラストさん、ラグエルノのことを知っているの?」
「それは、勿論。ラグエルノがグラントールの地に根を張り、悪さをしていたことも、その内に秘めた破滅願望のために世界を滅ぼそうとしていたことも、知っています。けれどそのうえで何故……十年前に消滅したはずのラグエルノが今になって姿を現したのか、しかもそれがよりによって貴方と共に行動しているのか、不思議でなりません」
「ラグエルノが消滅したって?」
「はい。あぁ、ですが、先日の世界改変の影響で歴史も変わっていますし、少々ややこしくなっているのは確かでしょうね。けれど少なくとも、改変前の世界では十年前に、ラグエルノはグラントールで封印から目覚め暴走し、アルレスキューレの軍隊によって粛清されました。人造白龍のことならばディアももう大方把握していらっしゃいますよね。あれには守護龍よりも上位にあたる神格の力の断片が込められておりますので、それを用いれば、龍を殺生することだって可能だったのです。その結果、世界改変が起きて、グラントールは消滅してしまったのですが」
ブラムはそんなこと何も話していなかった。むしろ、知らなかったのかもしれないとすら思える。それは何故?
「ブラムちゃんは、アデルファさんと旅をしていたって言っていたんだ。物心ついた頃から一緒にいて、そんなある時にアデルファさんがグラントールに行くと言い始めたって。それでグラントールに行った二人は、必ず迎えに来るからとだけ約束をして別れた。ブラムちゃんは赤い湖に封印されて、アデルファさんはその場を立ち去り行方知れずに……」
「やはり、あの男が関わっていましたか」
厭きれるトラストさんの様子を見て、今一度疑問に思う。
「トラストさんは、アデルファさんとどういう関係なんですか?」
「関係も何も、大したものではありません。遠い昔にできた上下関係。上司と部下。あるいは師弟関係とも称せる時があったかもしれませんが、今となっては笑い話です。正直言って、私はあの男のことを良く思っていませんし、それはたぶん彼に捨てられ不憫を被ったクルト家の人間たちだって同じように思っていることでしょう」
「アデルファさんを殺したのは、トラストさんだって、聞いたよ?」
「どこでそれを?」
「……ブラムが教えてくれた」
「……」
微かな沈黙。その後に、アデルファは困った表情を浮かべ、しかしその端で笑ってみせる。
「恨みがありましたから……用済みになったら処分するつもりだったのです」
「用済みって……」
「さて、何でしょうね。ディアには少し話しずらいものになりますので、今は黙っておきます」
そう言うとトラストさんはソファに座った姿勢を少し崩し、背もたれに身を預ける仕草をして、目を閉じようとした。それを見て、俺は逃げないでという一心で話を続ける。
「とぼけなくてもいいんだよ? 俺、もう知ってるから」
「知っている、とは?」
「……トラストさん。俺たち、三十八年前に会ったことがあるよね?」
俺が発した突然の言葉を聞いたトラストさんはすぐに目を開け、こちらへ向き直す。その様子を見てから、俺は俺が最近時空龍の力の断片のせいで過去の世界に意識だけ転移した時のことを話し聞かせた。
話している間、トラストさんはいつになく驚いた様子を表情に露出させ、俺の話の一つ一つに静かに耳を傾けてくれていた。異世界に行った話なんて普通は信じてもらえないけれど、その先で出会った当人であるトラストさんになら、問題なく話すことができた。たとえこの話題を嘘だと判別されても、こちらに戻ってきた後の俺にはトラストさんにどうしても言いたかったこともあったし。
「あの時は、最後に別れの言葉を伝えられなくて、本当にごめんね」
別れの挨拶が満足にできなかったこと、ずっと気にしていた。そのことを伝えると、トラストさんは首を横に振り、「大丈夫」と返事をした。
「いえ……そんなことを、ディアが謝るようなことではありません」
「怪我は……アデルファさんに撃たれた時の傷は、どうなったの?」
たずねると、彼は少し困るように黙った後に、表情を柔らかく崩して返事をする。
「傷はありませんよ。あれは……あくまで別世界線での話ですから、こちらの世界の私の体には影響が及びません」
「別世界? トラストさんは、そのことも知っているの?」
「ディアには、話しておかなければいけませんね……私は……十年前のグラントールとの戦争で前線に出ていました。当時の黒軍隊長に命じられた役割は、研究途中の人造白龍を使用してでのラグエルノ龍との戦闘、およびこれの討伐。つまり、あの一件の時に人造白龍を操作していたのは、この私でした」
人造白龍の実戦投入。その結果は暴走と破壊。グラントールという一国の消滅と、多くの犠牲者の発生。当時の黒軍隊長は責任を問われて処刑されたが、一方でトラストさんは戦時中の英雄として人々に慕われる道を歩むことになっていた。
「一柱の龍を殺すにいたった私は、その手で同時に多くの人を殺めた。あれは、世界改変というよりは、世界の崩壊と表現できるようなことでした。空からは悲鳴のような音が降り注ぎ、大地は震え、植物はみるみる内に枯れていき、家々は弾けて崩れ落ち、不毛の大地と、大きなクレーターだけが残った。グラントールは消滅した。ラグエルノ龍の死という事件をきっかけに、世界はまた一つ破滅にいたるまでの寿命を縮めてしまった。それは全て、私がやったことでした。私が、神殺しをしてしまったがために起こってしまったことです」
「神殺し……?」
「そう。重要なのはここから。私は、確かに、神を殺した。そして神を殺したものは、神の力を手に入れる。どうやらこの世界にはそういう条理が存在するらしい。継承するとも、その身に宿った因果の全てを押し付けられるとも言えるかもしれませんね。かつてあの王城でソウド・ゼウセウトがレトロ・シルヴァを殺し、己の神性を高めるにいたった時と同じように、私はラグエルノ龍を殺し、神の力の片鱗を手にすることになった。その時に、こことは異なる別世界に生きる若き日の私の姿を白昼夢の中に見ました」
「それって……俺と旅をしていた時の」
「はい。それは、私の殺風景で物寂しい、あるいは血に塗れた醜悪な生涯の中でも一際美しく、輝かしい一時の思い出でした」
あの海の底でディアと出会い、小結晶の力を通じてたくさんの会話をし、交流をし、短い期間ながら一緒に龍という幻想を追い求める旅をした。それをトラストさんは美しい思い出だと称する。
「だから、探すことにしました。このウィルダム大陸の全てを探り、洗いざらい調べ、辿り着いた。だから、十年間、私はずっと見守ってきたのです」
ディアとのつながりを得るためにフロムテラスを追放されたウルドを引き取り、養子として育てた。
アデルファがいつか必ずディアと接触することを信じて、あの恨めしい男が生きていることを知りながら自由に泳がせた。
その結果、今にいたる。
「俺の居場所を突き止めたの? どうやって? 本当にこの世界線にいるかどうかすらわからないはずだったでしょ?」
「神の力を継承したと言ったでしょう。それは他でもない『全知』と言われる能力を持ったラグエルノ龍のものです。私はそれを、持っている。今もです。これは幼体であるあのブラムという少女のものより余程質が高く、広範囲に及ぶ情報を収集できるもの。だから、全部知っています。全部……」
この大陸で起きていること全て。情報を収集し、統合し、分析することで、全てを把握できる。
全部、知っている。先に起きた巨大な世界改変の事情の裏も表も。イデアールがなぜあのような行いにいたったのか、その心中も、手段も、真相も、これからアレが何をしようとしているかだって、知っている。
「全部知ってたなら、どうして……どうしてイデアールを止めなかったの? 世界改変は悪いことだって、前に話してたよね?」
「悪いことに違いありません。アレはそう、間違いなく大量の命を無惨に消滅させた極悪人。そして私はその行いに見て見ぬふりをし、時には手を貸してすらいた共謀者」
「……」
「簡単に言えば、興味が無かったのです。貴方にはわかるでしょう、ディア。私とよく似た感性をお持ちの貴方になら、私の心中に秘める本音が。私は私が愛するもののために一心を捧げる生き方しかできない。そしてその対象は、彼らではない。万人ではない。世界の歴史が書き換わったって、大量の人間がいなかったことにされたって、自分に関係がなければそこまでなのです。優しくなんてありません。人並みに同情する感受性の豊かさすら持ち合わせていませんし、そんな自分の冷たいところを好ましくすら思っている。だから、簡単に見限れる。次のフィールドを見据えることができる」
貴方だって、そうでしょう。同じことを考えるでしょう。
友好的で仕方ない微笑みの向こう側、トラストさんが訴えてくる。
これからすること。これからしたいこと。彼の願望、その正体とは。
「ねぇ、ディア。でも本当は、真意は別のところにあるってことすら、貴方はもうわかっているのでしょう? 私が何を望んでいるのか、見当がついている」
「それは……」
「止めなかったのは……悪いことだと知りながら手を貸したのはね……都合が良かったからなんですよ。世界が変わり、空が晴れ、大地に緑が咲き乱れ、優しい風がこの寂れた城下街の中へ解き放たれることを、良いことだと思った。大衆に向けて興味が無いと吐き捨てた私が、その一方でこの変化に対しては好ましいと思った。それは、なぜだかわかりますか?」
ディアは首を横に振る。それを見てトラストさんは顔に浮かべていた笑みを深め、心底楽しそうに、恍惚としてすらいる口振りで、言葉を発する。
「私はね、ディアに長生きして欲しいんです」
笑う。笑う。笑う老紳士は、それだけ言うと懐から何かを取り出し、目の前の机の上に置いた。それは手の平より少し小さいくらいの大きさをした透明なカプセルだった。中には細い針と、液体とが入っている。
「これは私が独自に研究して編みだした、特別な薬。イデアール様が完成した人造白龍の力を使って世界改変を自由に行使できるようになった時に、その褒美として授かりました。想像してみてください。世界の因果を捻じ曲げれば、この世に存在しないものだって好き放題に生み出せる。それが不治の病の治療薬であったとしても、不死の霊薬であったとしても」
「それを、どうする気なの? トラストさん?」
「もちろん、ディアに使ってもらうためですよ」
絶句する。
「トラストさんは……そのために世界改変を……?」
「受け取ってくれませんか?」
俺はソファから立ちあがり、トラストさんから距離を取るように後ずさった。それを見て彼の方も立ちあがり、片手にカプセルを持ったまま、にじり寄る。
狭い部屋の中、逃げ場は無い。なんとか扉のところまで逃げたところで、部屋には鍵がかかっていて、外には出られない。
「俺には、そんな責任を果たす覚悟なんて……」
「責任なんてディアが負う必要はありません。全ては私の勝手な行いゆえのこと。だから、お気になさらず」
部屋の端に追い込まれ、手首を掴まれ、体を壁に押し付けられる。力が強い。痛いと感じるほど力を入れられていないはずなのに、腕が少しも動かせない。抵抗できない。
「でも……」
トラストさんの顔が至近距離に近付く。歳のわりに若々しい、端正な顔立ちが目の前を埋め尽くし、俺はそれから目を逸らす。
「優しい人……でも本当は、興味があるのでしょう? 期待しているのでしょう? 本当なのかって、希望はあるのかって」
「トラストさん……!」
「奇跡ならば私が起こしました。だからどうか、貴方は何も気にせず、私の愛を受け取ってください」
たった一本の腕だけで俺の体の自由を奪ってしまったトラストさんは、もう片方の手にカプセルを握りしめ、俺の首元にその針をそっと添える。
チクリ、と……冷たく小さな痛みが首筋に走る。
「や、だ……トラストさん……」
何か、入ってくる。体の中に、得体のしれない液体が、薬が、霊薬と彼が呼んでいたものが、針を通じて、血管に流れ込んできて、またたくまに体中に充満していく。
暴れても抵抗できない。かつて英雄と呼ばれたトラストさんの体は力が強くて、俺の腕力ではどうにもできない。
「う、ぐ…………ぁ」
とくり、とくり、耳元でカプセルの中の液体が揺れる音がする。その音が徐々に小さくなっていく。抵抗できない俺はただただ身を縮めて耐えるしかなかった。
何か変だ。しばらくして針が抜け、腕を解放された後も、呆然とすることしかできない。
頭が上手く回らない。体が熱い。視界が霞む。心臓がバクバクと驚くほど激しく脈打っていて、立っていた足がガクリと震え、床に倒れそうになる。それをトラストさんに受け止められた。
目が、回る。頭がぐちゃぐちゃする。体中の細胞が一斉に動き出すような気持ちの悪い感覚。腹の中で臓物が好き放題に動き回り、体が自由を忘れて、意識が少しずつ千切り取られ、気が、遠くなる。
世界が、真っ白に……染まっていく。白く、白く……脈打っている……
「どうか、貴方の人生がいつまでも美しく健やかなものでありますように」
意識を失う最後に聞いたのも、トラストさんの声だった。
あなたの 新しい旅路に 祝福を