記述29 恩恵に与る 第2節
エッジがいる場所まで案内する。そう言ったラングヴァイレの後に続いて俺たちは屋敷の外へ出た。それから向かった先はハイマートの北部にある水道局。中央雪原から流れる雪解け水を加工するために設けられた建物で、アルレスキューレ国内でも特に大きい浄水場が併設されている。水道局の中に入ると、ラングヴァイレは管理室に顔を出し、局員といくらかの話をしてから銀色の鍵を受け取った。彼はそれを使って施設の奥にあった灰色の扉を開ける。扉の先には地下へと続く階段があった。
階段を降りると曲がり角の向こうからゴウゴウと鳴り響く機械の稼働音が聞こえてきた。どうやらここは浄水施設の真下にあたる部分であるらしく、高い天井には太いパイプがたくさん通っていた。通路の左右には何に使われているか一見ではわからない大型の機械が並んでいて、その間の狭い空間を歩き進んだ。
しばらくするとラングヴァイレの足が止まる。前を見ると、前方には彼が事前に用意していたらしい軍用車が停車していた。人員輸送用に作られた広々とした車内に全員が乗り込むと、ヘッドライトの光が薄暗い地下空間をパッと照らし、エンジンが音をたて始めた。
動き出した車は通路を少しだけ走ったところで大きく右折し、さらに高い天井をもった広い通路に出る。通路の中央には巨大という一言で表すしかないサイズ感のパイプが何本も通っていて、その中からは大量の液体が流れていく音が聞こえてきていた。
そう、ここはアルレスキューレの地下に広がる巨大水道。城下街に初めて行った時に、マグナに連れられて行った場所と同じもので、このハイマートの地下水道も城下街の地下まで繋がっているのだと聞かされる。
「アルレス城の地下には研究施設があることを知っていますか?」
運転席に座るラングヴァイレが、フロントミラー越しに視線を向けてこちらにたずねてくる。俺が首を横に振ると、それを見て彼は言葉を続けた。
「エッジ様はその研究施設の一室でお過ごしになっています」
研究施設にいる、という不穏な情報に眉をひそめる。隣に座るウルドも同じように嫌な予感をもったらしく、俺と視線を一度合わせてから不満そうな口振りで質問をする。
「地下研究施設なら城下街から行ける手段がいくらでもあるでしょ? なんでわざわざ遠くにあるハイマートの地下から向かう必要があるの?」
「簡潔に言って、見つからないためです」
「誰に? 見つかったらヤバイわけ?」
「あの場所は黒軍に封鎖されていて、極一部の人間しか立ち入れないようになっているんです」
黒軍という言葉がラングヴァイレの口から出て、俺の頭の中にとある人物の顔がパッと浮かび上がる。
「それならトラストさんに頼めばいいのでは?」
軽い気持ちで言ってみると、ラングヴァイレはフロントミラー越しに苦い表情をして「頼めるような相手ではありませんよ」とだけ返した。
「そうなのかなぁ」
「ディアなら通してくれる感じはするよねぇ」
「それは一体……どのような関係でいらっしゃるのですか?」
「関係って……」
指摘されてみると少し困る。あの人は初めて会った時から俺に対してやけに好意的で、さらにいえば俺のことを色々と知っているように見えた。ウルドつながりで俺の存在を把握していて、フロムテラスの貿易機関経由で情報を得ていたことは確かだろうけれど、それにしたって怪しいくらい態度が良すぎた。ならば三十八年前に会った時の記憶を持っていたりするのだろうかと考えてもみるが、あの人がああなのは、俺が時空移動をして世界改変をする前からそうだった。一体どういうことなのだろう。
そういえば、こちらの時間軸に戻って来てから、トラストさんとは連絡をとっていない。今回の世界改変のことについての所見を聞いておきたいところだし、今晩あたりに通信を入れて見ようかなと考える。
もしも覚えていたとしたら……まずはお別れが言えなかったことを謝らないといけないな。
トラストさんと過ごした過去の世界での出来事のことを頭に思い浮かべ、車窓から流れる変わらない地下水道の光景を眺めていた。車内での会話は少なく、必要最低限のアナウンスをラングヴァイレが入れる程度。そのまま軍用車は地下水道を数時間ほど走り続け……やがて大きな金属製の扉の前まで辿り着いたところでタイヤを止めた。
ラングヴァイレが車から降り、扉の横に備え付けられていたモニターを操作してパスワードを入力する。そうして開いた扉の中はエレベーターになっていた。この人数が入るにはいくらか狭く感じる箱の中に全員が乗り込み、行く先を入力。扉が閉まり、エレベーターはゴウンゴウンと音をたてながら地下階層を移動し始めた。
しばらく待つとエレベーターが止まり、俺たちは開いた扉に誘導されるように外に流れ出る。薄暗い照明に照らされた白い廊下が目の前に続いている。その突き当たりには大きな機械扉が一つ。ウルドがちょっと殴っただけでは壊れそうにないという風に見えるくらい頑丈そうに作られた分厚いものだ。ラングヴァイレがその扉の方へ歩いて行き、壁に設置された装置に手を触れる。入力操作と生体認証、それらを彼が淡々とこなしていき、それらが全て完了したところで、ゆっくりと、扉が左右に開いていった。
最初に感じたのはひんやりとした空気の変化。白い廊下の明るさと比べてだいぶ薄暗く設定された照明。灰色の四角いタイルが敷き詰められた床には何かのコードがたくさん散らばっていた。
まずラングヴァイレが開いた扉の間をくぐり、部屋の中へ入っていく。それに続いて俺たちも中へ。床に散らばるコードを踏まないように気を付けながら薄暗い部屋の中を少し歩くと、部屋の真ん中に他の機械とは違った流線形のデザインをした何かが置かれているのが目に入った。近付いて見てみると、それは不自然なほど目立つ位置におかれた大型のポッド。何かを内部に保存するために作られたもののように見えたが、ポッドのガラスは内側に大量の霜が張りついていたため、中がどうなっているかはわからなかった。
それ以外にはどうだ。ポッドの周りには医療用を思わせるいくつかの器具が置いてあって、リアルタイムで変動する何かのデータを表示させているモニターもたくさん設置されていた。チカチカと小さなランプを点滅させて稼働するコンピューター。冷蔵庫のように低く設定された室内温度。それなのに冷却ファンの回る音一つ聞こえてこない、静かな室内。
そのどこにも、エッジの姿は見当たらなかった。
いや、どこにいるかなんて考えなくてもわかるような光景が目の前にはあるのだけど、教えられるまでは、違うと思っていたかった。
「なーんでこんなところに無関係な人間を連れてきちゃうのかなぁ?」
不意に静かだった部屋の中に誰かの声が投げ込まれた。声がした方へ目をやると、部屋の奥、大掛かりな機材の横にいつの間にか誰かが立っている姿が見えた。黒い軍服の上に白衣を羽織った、金髪の女性だった。
カチャリと音をたてて、ラングヴァイレが銃を構えた。
「今の時間帯、この部屋は私の管理下にあるはずです。なぜあなたがいるのですか、シリア?」
普段の上品な態度とはいくらか異なる、低く威嚇するような声でラングヴァイレが前方を睨みつける。それに対してシリアと呼ばれた女性の方はその場で肩をすくめる動作をして、わざとらしくおどけた様子を返した。
「なぜって。あんたが裏切ってこういうことをするんじゃないかと思って、先回りしてただけだよ」
「それはダムダ様の指示でしょうか?」
「さあ、どうだろう。とにかく銃を下ろしてよ。君と私の仲じゃない」
「あなたと親しくなった覚えはありません」
「冷たいなぁ……あ、ていうかゼウセウトもいるじゃん。ヤッホー、私のこと覚えてる?」
シリアの視線がこちらを向き、俺の後ろ、扉の近くに立っていたソウドの方を見る。
「できれば忘れていたかった顔だ」
ソウドの口から感情がこもっていない言葉が吐き捨てられる。知り合いであることは確かであるらしい。
「こっちもそういう態度とるの? やれやれ、私ってそんなに酷い行いしてるかな? まぁしてるか」
シリアがケラケラと効果音をたてるようにわざとらしい笑い方をする。その間にラングヴァイレが部屋の奥へ靴音をたてて歩いて行き……近付いたシリアの額に銃口を突き付けた。
「物騒なことはやめてってば。誰にも言わないから、お願い」
「信じるとでも?」
「っていうか、口封じなんてしても遅いんじゃない? ここに来る途中のエレベーターの中にだって監視カメラはあったわけだしさ。行動は筒抜けなんだよ」
「それもこの部屋の管理モニターからしか確認できないようになっています」
「だからもうすでに私が他の人にチクってる可能性があって、だとしたら手遅れで……私を今から殺してももう遅いってかんじ?」
「実際のところは?」
「……まだ誰にも言ってないよ。だって、私はラングヴァイレ様がダムダ様とどんな話をしているか知らないから」
ラングヴァイレは目を閉じ、しばし黙考してからシリアの額から銃口を離す。それから懐から金属製の手錠を素早く取り出し、彼女の手首にはめる。
「どうかそこで大人しくしていてください」
「はーい」
シリアは信用ならない返事をしてから、その場に座り込んだ。それを見てからラングヴァイレはこちらを振り返る。少し冷めた様子のラングヴァイレの眼差しが俺たちの方を向く。冷静であることを心掛けるように、落ち着いた態度、声、動作。それらを一つの体に納めたうえで、ラングヴァイレは部屋の中央に置かれたポッドの表面に手を触れた。
「もう、お気づきでしょうが……エッジ様はこの中で眠っておられます」
俺たちの視線が霜が張りついて見えないガラスの内部に向けられる。人間一人が納まるには少し大きいかと思うくらいの、大振りな機械装置。
「もう一度確認させていただきますが……エッジ様は、誰とも会いたくないとおっしゃっていました。私はそのご意思と、本人との約束とを反故にして、みなさんをこの場所までご案内しました」
俺は静かに頷く。ラングヴァイレは両目を閉じ、首を横に振る。
「その理由を、どうか今一度思い返してください」
最後にそれだけ言うと、ラングヴァイレはポッドの機械部分に添えられた入力装置に手を伸ばした。カチリカチリとスイッチを押す音がいくつかして、それから、間もなくしてゆっくりとした速度で、ポッドの内側ガラスに張りついていた霜が、溶けるようになくなっていった。
忠告は聞いた。
中に何があるのかも聞いた。
再会したら、まず何を話すのか、何をすればいいのかも考えていた。
けれど……それらの準備を全部無かったことにしてしまうぐらい、一瞬にして無意味なものに変えてしまうくらい、それは……
エッジ、くん……?
不凍液。冷たく管理されたポッドの中。チューブとコードが散乱している液体の中に、何かが浸されている。
皮膚と、骨と、内臓と。ふわりと浮かぶ銀色の綺麗な糸状の何か。それは、毛髪。
肉は、無い? 干乾びた人体。いたるところに差し込まれた医療器具。チューブ、コード、たくさん、しわがれた体、ミイラみたい。それってつまり、つまり、つまり。
青白く変色した肌。こけた頬、陥没した眼孔。柔らかい銀色の、あるいは氷色の綺麗な綺麗な髪の毛だけが既視感を持っていて、それがそれだけなことを目の当たりにして、息を止める。
左胸、心臓部分に張りつけられた機械。縦に切り裂かれた腹部。内臓。機械。そして……半分だけになった体。
「これ、後ろが……」
誰かが悲鳴じみた声をあげた。気付かないふりをしていたかった。正面からは見えない人体の後ろ側。後頭部から尾骶骨の辺りまで、ごっそりと、なくなっている。切り落とされている? どうして? なぜ? 半分の頭蓋骨。その中身が、からっぽだった。
脳が無い。背骨が無い。中枢神経が無い。それはなぜ? どうして? 俺の視線がラングヴァイレの方を向く。冷静さを装う彼が口を開き、説明する。その声が遠く、遠く、遠く感じて、うまく聞き取れない。
「いしょく、し……べつの……」
どうして? どうして? どうしてどうしてどうしてこうなった?
これが本人の意思であったことだけが、どうにも納得できなくて、俺は頭の中でいくらも暢気であった自分の行いを恥に恥じた。