記述29 恩恵に与る 第1節
屋敷の応接室に続く扉を開くと、広く間をとった部屋に置かれたソファに二人の男性が座っている姿が見えた。一人はこの屋敷の跡取り息子であるテディ・ラングヴァイレ。もう一人は今回自分と同じようにラングヴァイレに招かれてここにいる、ソウド・ゼウセウト。
ソファから腰を上げ、「お久しぶりです」と挨拶をするラングヴァイレに挨拶を返してから、俺たちは空いた席に一人ずつ座っていった。俺がソウドの向かい側の席に腰かけると、彼はこちらの顔を少し見てから、不機嫌そうに目を閉じてしまった。けれど口は開き、言葉は発してくる。
「遺跡に行ってきたんだろ?」
さも何かあったことを知っているかのような口振りだ。俺はその態度を少し不服に思いながら言い返す。
「ああいうことが起きるってわかってて俺を誘導したわけ?」
「さて、ああいうこととは何のことだ?」
「しらばっくれるんだ……まぁいいよ、また後で、会話の中で説明しよう」
「楽しみにしている」
相変わらず態度の悪いソウドから目を離し、ラングヴァイレの方を見るとちょうど視線が重なった。わざわざ話をするためにハイマートの屋敷まで来てくれたことに関して、まずは感謝の言葉を一つ。そして、預言書が無事にラングヴァイレの手に渡ることになったことについての感謝も一つ。
「ですが……問題が起きてしまいまして」
彼が言うところの『問題』については俺たちもいくらか予測できていた。ハイマートへ移動する最中に気付いた、数々の違和感。その正体は紛れもなく……
「また、大規模な世界改変が起きました」
そう、世界改変。鞄から通信端末を取り出し、確認のため画面に大陸地図を表示させる。地形は大きく変わっていない。けれど……
「ほんの数日前。ちょうどディア様一行が運搬の手続きを終えた後のタイミングで、現地に滞在しているホライゾニア構成員からゼウセウト様の元に報告があったそうです。内容は……」
「ペルデンテの統治体制が大きく変容した。そのうえ、国を失うとともにほとんど滅びたはずのグラントール人が蘇り、ペルデンテの国内で生活をしている、というものだ」
チラリと横を見ると、ソファの端に縮こまって座っていたマグナの両眼が大きく見開かれている様がよく窺えた。マグナは何かを声に出してしまいそうになるのを我慢して、手で口を押さえ、黙り込んだ。
その後、ラングヴァイレはペルデンテ国内、あるいは大陸西部全体で起きた変化について詳しく説明してくれた。
増えたグラントール人の数はかなりのもので、現在のペルデンテ国内人口の二割ほどに及んでいるという調べがたっている。それに伴って全体的な人口自体も大幅に増えていて、さらに別の要因かはまだわからないが、国内の状態も文明レベルで大きく変化した。一言で表現すれば「見違えるほどの成長」。例えばペルデンテの辺境地域でよく見かけた石を積んだだけで出来ていた簡素な住居に柱が立ち、壁が出来、屋根が載ったというような風に。今まで油を使っていた携帯照明が一斉に懐中電灯に変わったり、坑道を走っていたトロッコはより洗練された坑内運搬設備に置き換わったり。街並みを一つとっても夜を照らす街灯の数が増えて遅くまで活動できるようになったし、工場で製造する物の種類も増えに増え、機械技術は今までの比ではないほどに発展した。
「それと、変わったのはもう一つ」
そう言うとソウドが手帳ほどのサイズの古びた本を取り出し、机の上に置いた。アデルファの預言書だ。
「まさか……」
「内容が書き換わった。目を通してみろ」
取り出されたのは二冊あった本の内の一冊。もう一つの方より少し新しめなもので、こちらには確か、アデルファがアルレスキューレの国軍第四部隊に所属していた頃のことが書かれていたはずだった。
心当たりがありすぎる。
俺は本を手に取り、ページをめくる。確か過去の話が書かれているのは中盤以降。そう思って紙面を見つめ、そこに直筆で書かれた文字を読み進めていく。そして……
「これ……グラントール公国は未曾有の大災害によって首都を失ったって、書いてある」
本から顔を上げ、正面に座るソウドとラングヴァイレの方を交互に見る。
「今から三十八年前のことだそうです。元々の歴史でいえば、この時期にはちょうどグラントールとアルレスキューレの間で休戦協定が結ばれていたはずでした。休戦の理由はそれぞれの国で戦争を理由にした重大な社会問題が発生してしまい、それを処理するためだったとされています。ですが、今の預言書にはそれは当時に起きた自然災害によるものだと書かれており……これを改変後に調べたところ、アルレスの公的歴史資料にも同じように記録されているものを確認できました」
「ペルデンテの歴史が三十八年前から書き換わった、ってことか」
災害によって生き残ったグラントール人たちはそのまま難民としてペルデンテに移住し、共同生活をするようになった。その中にはグラントールの貴族たちも含まれており、ペルデンテの役人らは彼らの能力を活用するために議会の席を用意した。そして三十八年経った現在、ペルデンテは賢いグラントール人と体の丈夫なペルデンテ人が共存する立派な国家に成長した。
手元の預言書の内容にあらかた目を通し、最後のページをめくろうとする。そこで気付く。ページが破られている箇所がある。「これ……」と思ってソウドの方を見ると、彼もページが足りないことを把握しているようだった。
「前に気付いてなかったのか? 預言書を城から強奪してきた当初からだ。何が書いてあったのかはまるで見当がつかないが、それを見たアルカはこの欠落部分に重要なことが書かれていると思ったらしい」
「アルカが?」
「あぁ。アイツはそれから、このページが城内のどこかに保管されている可能性を考えて、もう一度探りを入れることにしたらしい」
「かなり危ないことなんじゃ……」
「そりゃあな。だが、やると言ったからにはやるんだろう。危険なんてわかったうえで突っ込むと決めたのはアルカ本人だから、俺は止めたりしなかった。今のところ、連絡が無いのが気掛かりではあるがな」
あの戴冠式の日に起きたことを鑑みると、城の警備なんていくらでも強化されているだろうに、そこに手を出すなんてとんでもないことだ。それほどまでして破れたページを求める理由とは何なのだろうか。
「それで、ディア。オマエ……その様子だとどうせ何か知っているんだろ?」
ソウドが俺からゆるりと視線を逸らし、気だるげな口調で問い詰めてくる。俺はその場で黙り込み、何から話したらいいか考える。
「君たちがどこまで信じてくれるかはわからないけど……整合性はあるんじゃないかな」
自分が過去のウィルダム大陸、しかもちょうど三十八年前のグラントールに行って、守護龍ラグエルノと会話したことを話した。そしてそこで、アデルファが時空龍の力の片鱗を行使して、大規模な世界改変を引き起こした。
それを聞いたソウドは納得したのか何なのかイマイチわからない様子で首を縦に揺らす。
「あの場所にディアが行けば何かあると思ってはいた」
「あの場所って、古びた遺跡のこと?」
「あそこは俺がもともと暮らしていたフォルクス大陸の一部が残ったものだった。時空龍の力によって世界が混じり合う時、あの神殿の周辺地域のように元の世界の片鱗が残ることがある。グラントールも、もともとは別世界の大陸の一部だったはずだと俺は考えている。アイツら、歴史のうえでは海の向こうからやってきたということになっているが、実際のところはそこに住む人間ごと融合していたということだ。だからあのウィルダム大陸には小さな大陸の中に様々な環境の地帯が入り混じるようになっている。あの『アブロード』って言葉、あるよな。あれは『海の向こうから来たもの』という意味で使われているが、本当のところは『異世界人』をさす言葉だったというわけで」
「ソウドは俺があの遺跡に行くことで何が起きると考えていたんだい?」
「少なからず神秘の力が残った場所だからな。何か妙な力を手に入れているらしい、今のオマエなら気付くものがあるだろうと思った。しかし、結果が時空移動と世界改変となるとな……かなりやりすぎだ」
苦笑い。ソウドは俺が世界改変を起こす原因になったことを責めなかった。行くように誘導したのは自分の方だし、責任の一貫はあるだろうとも言う。けれど、一方で元凶であるところのアデルファ・クルトのことは何も知らないため、その真意はさっぱりわからないとも言う。
「アデルファさんはこの大陸を本来支配しているはずの存在である、ウィルダム龍のことをいくらか知っているようだったよ」
「でも赤龍の巫女なんて話、私は聞いたこともない」
祖父と自分の家系にまつわるとんでもない話を聞いて、ライフも困惑する。そんなことは預言書にも書かれていないし、勿論彼が今までに書いた他の書物にも記されていない。
「ブラムちゃんは何かわかる?」
アデルファと接点があるブラムにも話を振る。けれどブラムもまた困ったように首を横に振ることしかできなかった。
それを見てソウドは、ブラムはディアが出会ったラグエルノ龍の幼体のようなもので、自分の力をいくらも発揮しきれていない状態なのだと説明する。馬鹿にするような口振りでそんなことを言われ、ブラムはいつもの調子で反論するかと思ったが、意外にも大人しい。
「私……物心がついた頃からあの人と一緒にいたんです。それがいつからなのか、何も明確に覚えていません」
少し落ち込んだ様子のブラムが話すところによると、彼女がグラントールの地の底に封印されたのは今から十年ほど前のこと。アルレスキューレがグラントールに爆弾を落としてからしばらく経った頃合いに、危ないとは聞きながらもアデルファと一緒に現地の状態を見に行って、そこで彼に封印されてしまったらしい。
「必ず迎えに来ると言っていました。でも、現実としてあの人はもうすでにこの世にいなくて、代わりにディアたちが……」
「ブラムちゃんでもわからないともなると……あとは、あのキャラバン隊の隊長くらいか」
「その人のことならば私も把握しています。アデルファと一緒に旅をしていた頃、何度かキャラバン隊にはお世話になりました」
「隊長さん、絶対人間じゃないよね」
「だとしたら、何なのでしょう」
「わからない。でも、アブロードが異世界人を示す言葉になっているってことは、彼がどこから来たどんな人物なのか、可能性なんていくらでもある気がしてくるね」
少なくとも隊長にはもう一度会って、アデルファについて話を聞く必要があるように思えた。
そこまで話が進んだところで、ソウドは「それで、これからの話はどうする?」と話題を切り替える。
部屋にいる人たちの視線が自然とラングヴァイレの方へ集まる。ラングヴァイレは机上に置かれた二冊の本を一瞥してから、皆の顔をゆっくりと見ていった。
「私が頼み込んだ通り、預言書は手に入りました。ならば次は、こちらが約束を守る番になります」
彼はソファから腰を上げ、コツコツと部屋の中を移動して、廊下に出る扉のノブに手を触れる。
「付いて来て下さい。エッジ様がいる場所まで、ご案内いたします」