記述5 愛しき人よ、誠実であれ 第1節
意気揚々と大きな口を叩いたわりに、俺には迷い子一人を助けるだけの力なんて備わっていなかった。この騒ぎの中、自分の身の安全を守るだけで一生懸命になっているというのが正直なところだ。
成り行きで俺と行動を共にしているライフだってそれは同じだった。マグナの身柄を匿ってあげたいと思う気持ちは本当みたいだけれど、一度蓋を開けて冷静に考え直してみれば、その主張は実現不可能な世迷いごとに近かった。そもそも無事に家に帰れるかどうかもわからない、不安だらけな状況だ。
しかし俺たちは、つい先ほどのやり取りの中で、目標を達成させる自信がないからといって何も行動せずにいるのは間違いだ、という答えを出してしまっていた。だったらどんなに頼りない手腕しか持っていないとしても、それを立ち止まる理由にはしていられない。この事態を少しでも好転させるため自分たちにできることを考えるんだ。
「まずは協力者を探そう!」
一人では無謀、二人でも無謀。ならば三人、四人と頭数を増やしていけば光明が見えるのではないか。細くて狭い路地裏の道を歩きながら話し合い、その結果から生まれた新しい行動方針がこれだった。仲間探し。そうなると俺たちがまず行くべき場所は、当初の目的地と同じ城下街区画の中央部ということになる。あそこなら安全が確保されているという話が本当だとするのなら、避難民を始めとした様々な人たちが集まっているはずだからだ。正義感の強い兵士、金さえあれば話を聞いてくれる傭兵、国に反感を持った異国民など、そういった人たちの手を借りられれば、俺たちにできることはかなり増える。
「そんなに上手くいくものかしら?」
「少し難しそうに聞こえるかもしれないけど、時勢がこれだけ荒れているなら交渉の手段はいくらでも考えられるよ」
あまり納得できてはいない様子のライフを後目に、俺は路地裏の角をまた一つ曲がった。すると、今までのノスタルジックな街並みとは打って変わって、やや近代的な印象を受ける場所に出た。
いかにも「道路」という言葉が似合う、アスファルトで舗装された幅の広い道だ。その両脇にぴったりと等間隔で並んだ、ほとんど同じ外観をした灰色の建物。飾り気よりも機能性に特化した、真っ平らな建物の壁面には、大きな文字で番号が書かれている。もしかしたらここは倉庫街なのかもしれない。ピシリと締め切られた錆びだらけのシャッターの前には、俺の背丈くらいはある大きなタイヤを六つも八つも付けた大型車両が、傾いた調子で停車している。周囲を見回しても車の持ち主は見当たらない。座席には使用済みの薬莢がバラバラと転がっていた。
「この辺りにも人の気配が無いね」
街中を歩いている最中に突然現れた武装組織に集団発砲されたらどうしよう……などと心配していたのは杞憂だったのだろうか。俺たちここへ来るまでの道中で人とすれ違うことすらしなかった。きっと運が良かったんだと喜ばしく思う反面、運が良すぎて不気味だと思いもする。そろそろ何か起こりそうだという悪い予感が頭の中に浮かび始める頃合いだった。
「みんな屋内に引き籠っているか避難するかのどちらかを、終えてしまった後なのかしら」
「つまり俺たちは逃げ遅れているってことなのか」
「正直にいうと、あのゼウセウトっていう男の話を聞いた時は暴動なんてしょっちゅう起きていることじゃないって、軽い気持ちで思っていたのよ。でもこの街の様子を見ていると、状況は私の想像以上に緊迫しているのがわかるわ。これならまだ図書館の中で閉じ込められていた方がマシだったかもってくらいに」
「それでも俺にとっては、あんな狭い場所で窮屈な思いをしながら餓死する方がよっぽど恐ろしいよ」
「あら、狭い所はお嫌いなのかしら」
「もちろん!」
などと二人で軽口を交わしながら倉庫の前を歩いていると、少し離れた道の先に、やけに威圧的な雰囲気を漂わせる兵士の集団を発見した。遠目から一瞬見ただけでも、大柄な体格の男性ばかりが集まった武闘派集団であることがわかった。その全員が揃って同じ黄土色の軍服を着ていて、多種多様な形状の武器を丸太のように太い腕の中に構えている。
見るからに物騒な外見だ。そう思って側に置いてあったコンテナの裏に隠れようと思ったところを、ライフに腕をつかんで引き留められた。
「金軍兵よ。彼らなら話が通じるかもしれないわ」
「金軍兵?」
「ご存じなくて? 国家公認の衛兵隊よ。ちょっと乱暴者だけど仕事はちゃんとするって、私たちの間では評判が良いの。普段は国の色んなところを散り散りに飛び回っているんだけど、グラントール人の暴動と聞いて急いで集まってきたのかもしれないわね」
「さっき戦車と一緒に行進していた人たちとは違うのかい?」
「所属が違うの。あの人たちは灰軍兵っていう徴兵で集められた民間人中心の部隊。一方で金軍兵は、以前の戦争で功績を上げた人たちを中心に集められた戦闘の専門家たちよ。現国王陛下に従順すぎて頭が硬いところが気になるけれど、それ以外はまともだし、信用してもいいと思う」
灰軍兵と金軍兵。俺にはイマイチ違いがピンとこないのだけれど、今目の前にいる彼らが、以前俺をひどい目に遭わせた警備兵たちとは違う勢力であるとわかって、少しだけ安堵した。とはいえまた「髪の色が金色だから」とかなんとかいう変な理由で連行されても困るので、頭はフードをかぶってしっかりと隠しておこう。
「それじゃあ、もうちょっと近づいて話を……」
「う、動くなッ!!」
話の途中、背後から突然大きな声がした。驚いて振り返ると、自分たちが歩いてきた道の上にボロボロのシャツを着た男が大振りの軍用ナイフを振りかざしながら立っていた。さっき通りすぎたコンテナの裏に隠れていたのかもしれない。
謎の男は跳ねるように乱暴な足取りでこちらとの距離を詰めると、俺の胴体に向けて強烈な勢いで突進してきた。あっさりと突き飛ばされた俺の体は、一瞬、地面から足を浮かべた後に、地面へ背中を打ち付けるようにして倒れ転がってしまう。当然痛い。背中から伝わる鈍い痛みに視界をチカチカさせながら驚いていると、今度は倒れ込んだ俺の首元に、男が冷たいナイフの刃を鬼気迫る形相でもって突き付けてきた。
「大人しくしろ!!」
「もしかして、強盗ですか?」
「喋るな!!」
男は仰向けになった俺の腹の上を靴の底で踏み、「動いたら殺す!」「動いたら殺す!!」と半狂乱な様子で騒ぎ始める。側に立っていたライフの方にも大声をあげて「オマエもだ!!」と脅迫するのだが、それを見たライフはそそくさに俺たちから距離をとるべく走り出して、あっという間に物陰に隠れてしまった。なんと薄情な。
困ったな、またこのパターンか。
とはいえこれは想定内のハプニングでもある。なにせこの状況なものだから、遅かれ早かれいずれはパニックになった何者かに襲われることもあるだろうと心の準備くらいはしていたのだ。
対処はどうするべきだろうか。サラッと様子を見たところ、この男には俺のことを本気で殺すほどの度胸が無いように見えた。パニック状態になっているせいで挙動が隙だらけだし、その気になればいつでも拘束から抜け出せるだろう。俺の上着の内ポケットには、前回の反省を活かした護身用スタンガンが入っている。今すぐにスタンガンを取り出して男を気絶させることも可能といえば可能だけど、その場合、肝心なのは使うタイミングだ。俺としては、この男がどうして突然俺たちに襲い掛かったりしたのか、理由が判明してからでも遅くないような気がした。
手の中のナイフや腰回りに装着した所持品を見るに、戦闘慣れした人間であることがわかる。にも拘わらず俺を捕らえる時の動作はお世辞にも俊敏とは言い難いものであった。着ている服はシャツもズボンもボロボロの汚れまみれ。俺の体をがっちりと抱え込んでいる筋肉質な腕には、細かい切り傷、打撲痣、真新しい火傷の痕などが、いたる所についている。擦り切れた皮手袋をはめている手の指も、一本足りなかった。無精髭が隙間なく生えた口元からはゼエゼエと絶えまなく荒い息を吐き出している。何から何まで満身創痍といった有様だ。
彼はもしかしたらグラントール人なのかもしれない。
「おいっ、オンナっ!! こいつを助けたければ、橋の前の連中を……」
「ゴラアアアぁぁああああああーーーーッ!! このっ!! ド阿呆どもがああああああああああああああああああああっ!!!!」
男が何かを要求しようとしたところで、驚くほど馬鹿でかい声がどこからともなく飛び込んできた。なんだなんだと驚きつつ、腹を踏みつけられた仰向けの姿勢のまま辺りを見回してみた。すると、真っ黒なアスファルトが敷かれた道路の向こう側から、全身を金色の鎧で固めた自己主張の激しい巨漢が、黄金色の光沢をビカビカと辺り一面にまき散らしながら、怒涛の勢いでこちらへ向けて一直線に走ってくる姿を目撃してしまった。
なんだアレ? と、切実な疑問符を頭の上に浮かべる。逆に、俺に襲い掛かって来ていたグラントール人の男の方は「やっ、やべっ!!」と、親に悪戯が見つかった子供のように情けない声をあげた。
「すいません! すいません! ごめんなさい、隊長!!」
男はせっかく捕まえた俺の体からあっさりと飛び退くようにしながら離れると、そのまま謝罪の言葉を連呼しながら反対方向へ逃げ出した。一目散とはこのことを言うのだろう、アレに捕まったら何をされかわからないと言った形相だ。迫りくる追手の方を振り返ることもなく、グラントール人の男の後ろ姿はあっという間に遠ざかって行ってしまった。
「待てええぇぇぇぇええええええええいぃ馬鹿者ォオオオーーーー!!!!!!」
その男の後を、全身金ピカの巨漢が全速力で爆走するダンプカーみたいな迫力を放ちながら追いかけていく。
ガチャンガチャンガチャンッ! ガチャンガチャンガチャンッ!!
謎の金ピカがいかにも重量のありそうな巨体で道路の表面をえぐるように蹴る度に、全身に纏った金属製の鎧がガチャガチャガチャガチャと喧しい轟音を打ち鳴らす。それに加え、あの、近くで聞いていなくても耳が痛くなるほどの大声だ。
一体何者だというのか。あまりの急展開に混乱しているうちに、金ピカの巨漢は俺のすぐ横を爆音と土煙をまき散らしながら通り過ぎていく。それが通り過ぎた後も ダムダムダムダムッ と轟く太鼓みたいな足音がしばらくの間止むことはなかった。いや、一体何者なのか。
いつの間にかすぐ側に立っていたライフも口をポカーンと空けながら、二人の男が走り去っていた道路の向こうを凝視していた。
その少し後になって、金ピカが来た方向から二人の兵士がヒィヒィと息を切らしながら走って来た。服装を見てすぐに気付くが、彼らはさっき俺たちが遠目に見ていた金軍兵の人たちだ。二人の内一人の金軍兵は、茫然とした顔で静止している俺たちの姿に気付くと、気さくな調子で声をかけてきた。
「あんたたち、さっき襲われているように見えたけど、大丈夫だったのかい?」
「いえ……えっと、特に怪我とかはしていません……おかげさま、で?」
もう一人の金軍兵も会話に加わる。
「そいつは良かったぜ。だが、このまま歩き回ってちゃあ、次もいつ危険な目に遭うかわかったもんじゃねぇよ」
「見たところ軍役経験のない民間人のようだし、このまま橋を渡った先にある市街キャンプまで避難した方がいい」
「市街キャンプ、ですか?」
「あぁ、なんてったってこれだけの騒ぎだ。中央の方にも新しいのが追加で仮設された。黒と金が共同で利用してるもんだから、ちょっくら居心地が悪いかもしれねぇが、こんな所で地べたに転がっているよりはマシだろうさ」
「案内ならオレがするよ」
「オイオイ、隊長のことを放っておくつもりか? あのままじゃあ次に何しでかすか、わかったもんじゃないぜ!?」
「いやぁ、自分もう足ガックガクでムリっすよ。後は先輩に任せて良いッスか?」
二人の金軍兵は俺とライフをそっちのけで揉めに揉め、結局先輩の方が言い包められる形になって話し合いを止めた。先輩は「しかたねぇなぁ」と観念した調子で言い捨てると、隊長とやらが走り去って行った方向へ走り出した。
「あれが……隊長?」
遠ざかっていく三人目の男の背中を見送っている最中に、ライフが追い打ちをかけるように小声のつぶやきをした。
何だったんだろう。俺にもわからない。