記述28 定命のその先へ 第6節
閉じた瞼の向こうから届く眩しさが、徐々に光を失っていく。それと同時にどこか遠くを漂っていた意識がもう一度浮上してくる。脳が動き、思考が走り、何かに気付いたかのように、肺が呼吸を再開する。体を巡る血流が心臓をトクトクと動かしていて、生きているからこそ感じられる様々な種類の苦痛が節々を巡り、感覚を支配するように広がっていく。しばらく忘れていた生の実感。肉体の重み。とても良いものとは思えないはずなのに、不思議と安堵できる。これが愛着というものか。
長い瞑想の時間から現実へ帰るように、そっと瞼を開く。すると、目の前にあったものは、随分前に見たきりになっていた古びた御神像だった。「あっ」と心の中で声を上げ、反射的に視線を左右にずらして周囲を見回した。砂ばかりが積もった広々とした平地、その真ん中にポツンと佇む廃墟然としたボロの遺跡。何より自分の隣に当たり前のようにライフやブラムが立っているのが目に入って、随分久しぶりに会うような、さっきまでずっと一緒にいたような、どちらとも取れる奇妙な感覚に襲われた。
現世に帰ってきたのだ。胸の前で両手を開き、自分の体をまじまじと見下ろす。透けていない。重みがある。呼吸をしている。もう一度もう一度と何度も確かめて、実感する。
それからまた横を見て、ライフたちの様子をうかがう。彼女たちは皆一様に胸の前で手を合わせて静かに目を閉じている。そういえば時間移動が起こったのは、俺たちが遺跡の管理者に言われて遺跡前の御神像に祈りを捧げた直後のことだった。つまりはその、時間移動の発生直後か直前かの状況まで俺は戻ってきているらしい。
真面目に祈りを捧げている人たちの中でそわそわと目を開いて周囲を見回していると、一人だけ祈るのをサボっていたウルドと目が合い、ニコリと微笑まれた。そんな仲間の表情が動揺していた心に安心感を感じさせ、少しだけ落ち着いたような気がした。
皆の祈りが終わるまで少しの間だけ待っていると、間もなくして向かい側に立って祈りを捧げていた遺跡の管理者が目を開けた。
「しかと祈りは捧げられましたか?」
ライフたちが目を開ける。皆が皆、何のための祈りなのかは知らないが作法には従ってみせたとばかりの軽い表情をしている。そんな中で俺は一人だけ異物のように、長い白昼夢を見た直後のような心地になっている。除け者になったような、疎外感とギャップを前にして、自分がさっきまでみていた物が本当の出来事だったのかどうか不意に不安になってしまった。けれど、同時にあの過去の世界で見たものは、経験したことは、本物だったんじゃないかという確固たる自信も、なぜかあった。
そこで、ふと思いつく。小結晶はどこへやったのだろうか。ちゃんとしまっておいた場所にあるだろうか。
周りで仲間たちが「どうかしたの?」と不思議そうな顔をする中、衣服の内ポケットを確かめる。けれど、ない。確かにない。
「小結晶が無くなってる」
「え!?」
マグナが声を上げ、ライフやブラムも続けて騒ぎ始める。
「どうして!?」
「どこで落としてきたのよ!?」
「落としたんじゃないよ! これは、その……勝手に無くなったとしか言いようがない!」
「そんなことあるわけないじゃない。ちゃんと探したの!?」
「探しても無いものは無いんだって!」
「こら! こら! 御神像の前で大声を上げて騒ぐものではない!!」
急に騒ぎ出した参拝者たちの様子を見て「不敬者!」と怒った管理者が俺たちを遺跡の前から追い出した。
それからはしばらくの間砂浜の真ん中で「どうしてどうして」と不毛な原因と責任の追及をしていた。顔を突き合わせての話し合い……けれど、俺からすれば、どう話せば良いかなんて全くもってわからない。何から話せば納得してもらえるだろうか。黙っていた方が良いんじゃないだろうか。あの御神像に祈りを捧げた直後、自分だけが幽体離脱のように現世を飛び抜けて、時間旅行を楽しんでいたなんて、とても信じてもらえる話ではない。ブラムなら信じてくれるかと思ってそれとはなしに別個体のラグエルノと出会ったことを伝えようと思ったが、まるでダメ。察する気配が微塵も無く、「ポケットに穴が空いていたのです!!」と子供っぽい言葉を使って俺を糾弾してくれていた。
これ以上今の状況で何を話しても仕方ない。全員がそう思って黙り込んでしまった後、俺たちは再び遺跡の方へ戻っていって、「さっきは騒いでしまって申し訳ありませんでした」と管理者に謝った。それから何とか機嫌を取り戻してくれた管理者の案内のもと、参拝の続きを大人しく行うことになった。
ほぼ廃墟同然な神殿跡地の遺跡を見物して周り、まだ少しイライラした様子の管理者から長ったらしい説法を聞かされ、しばらくしてから「参拝は終わりです!」と告げられ、また外に放り出された。
「何にも無かったね」
暢気な言葉をのたまうマグナの傍らで、俺は疲れた気分で砂浜の上を引き返していった。
歩きにくい砂ばかりの道程に足を取られながらの帰還。砂浜の上に駐めたフライギアの外観を遠目に見つめ、ひどく懐かしい心地になっていると、その船体の近くに背の高い誰かが立っているのが見えた。それは見慣れない姿をした一人の女性。いや、しかし見慣れないとは表現したが、初めて見たわけではないかもしれない。そう思い、近付いてみると女性はこちらに気付いて軽く会釈をし、歩み寄ってきた。ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている様子を見て、彼女が今朝に運搬の受け渡し手続きをしてくれていた女性であることに気付いた。つまりはホライゾニアの構成員だ。
「こんばんは、お待ちしていましたよ」
「手続きに不備でもありましたか?」
「いいえ。実は先程、本部から連絡があって、あなたたちに伝言をするよう頼まれたんです」
伝言。たぶんソウドからだ、と思った。
「内容は簡潔で、約束していた物を手渡すために合流したいから、ハイマートの街にあるラングヴァイレ家の屋敷まで来るように、とのことです」
「ラングヴァイレ家?」
「はい……えーっと、ホライゾニアにとっては敵対相手ではあるのですが、どうやらそのことに関しては今回はあまり気にしなくて良いみたいなので、罠とかではないそうですよ」
「それはわかってます。でも……ハイマートって、昔はバスティリヤって呼ばれていた街ですよね?」
「そうですが、それに何かありましたか?」
「いえ、こちらの問題なので、お気になさらず。伝えてくださってありがとうございました」
そう返すと、構成員の女性は「それでは」と一言挨拶をしてから立ち去っていった。
残った俺たちは顔を向き合わせ、考える。伝言の送り主は間違いなくソウドで、だとしたらソウドはラングヴァイレと合流しているのだろう。そこに自分たちも加わって、どんな話をすることになるのか。ソウドが持っている預言書の内容のまだ知らない一面について思いを馳せながら、俺はその場でそっと目を閉じる。
平坦な砂浜を横薙ぎに通り過ぎていくゆるやかな風が一つ、頬を撫で、衣を擦り、髪を揺らす。東の方から漂ってくる濃厚な潮の臭い。目を開けなくてもわかるくらい鮮やかな赤色に染まった空の夕焼け。
目を開けて、伸びた影の行く方向にフライギアがあるのを見て、俺はまた歩き出した。
やらなければいけないことが、しっかりと目の前にあることを確認できた気がした。