記述28 定命のその先へ 第3節
面会を終え、少しの休憩を取った後に俺たちはデルメテ家の屋敷を出て『講堂』と呼ばれる建物がある場所まで向かった。『講堂』までの道程はそう遠くはなく、先導するランド・デルメテの背中を追って少し歩いただけで辿り着いた。豊富な木材と石材とを器用に混ぜてデザインされた、グラントール独自の建築様式を持つ大きな建物。それは背の低い建築物が多いグラントールの景観の中で、一際目立った存在感を放っている。
「本来この建物には私たちの国で一定の地位と発言力を持つ貴族や見識者しか入ることができません。今も講堂ではそういった方々による話し合いが行われていると思われます。どうか粗相の無いよう、よろしくお願いします」
それだけ伝えると、ランドは建物の入り口扉を押し開き、中へ入っていく。するとどうだ、建物の中には部屋が一つあるだけで、玄関も廊下も存在しない。代わりにあるものは、広い部屋の床全体を埋め尽くす巨大な大穴。大きさは、規模の大きい劇場一つ分くらいに相当しているように見えた。
「グラントールの大穴だ」
小声で呟き、穴の淵に立って底を覗き込む。大穴は深く深く奥まで続いていて、底というものがまるで見えない。
「講堂はこの大穴の底にあります。降りるための通路はありますので、ご安心ください」
言われてから大穴の内側を見てみると、確かに壁に沿って螺旋状に降りていく階段が用意されていることが見て取れた。ランドはあらかじめ屋敷から持ち出してきていたカンテラに火を付け、底へ降りていく階段の一段目に足を下ろす。
底へ降りていくほどに周囲の景色は暗くなっていく。狭い足場の壁沿いには照明が点々と備え付けてあるが、それでも光が十分とは言えない。自分が幽霊ではなかったら、一歩足を踏み外せば穴の底まで真っ逆さまに落ちていくという恐怖心が常に付きまとっていたことだろう。けれど臆病な性格をしているはずのランド・デルメテには恐れる様子があまり無く、自然体で狭い坂道を下っている。集会が行われる講堂と聞いているが、彼らは何度もこの道を通ったことがあるということなのだろう。それこそ毎日の職場へ向かう道中のように頻繁に。それなりに長く険しい道程なのではないかとは思うのだが。0
しばらく大穴の底へ向けて降り進んでいると、足元の階段がなくなり、天然の岩盤でできた坂道を降りるようになる。崖の底が近いのだと思ったところで、前方を歩いていたランドが足を止めた。
「着きましたよ」
随分深くまで降りてきたものだ。そう思いながら、彼の目の前に広がっている崖底の光景へ視線を向ける。これ以上降りるところが無い崖底は平らに均されていて、分厚い一枚の岩盤が床になっており、その上に『講堂』という言葉に相応しいだけの机と椅子とが扇状に設置された場所がある。
穴の奥底は真っ暗で、自分の脈拍の音が聞こえてくるくらいシンと静まり返っている。今は降りてきたばかりの自分たち以外に人の姿はない。普段なら常に誰かしらの貴人がこの場所で昼も夜も無く議論を交わしているらしいのだが、今は何らかの理由で人払いをしているらしい。
「ここに大神官様がいるのですか?」
「講堂の奥をご覧ください」
促された方を見てみると、暗がりの中、並んだ机と椅子の向こう側に、石造りの建造物がある。物々しい彫刻が施された外観を見るに、ここが何かしら地位の高いもののために造られた建物であることはすぐに察することができた。
「それでは、私はこちらでお待ちしておりますので」
ここから先は大神官様に呼ばれた本人たちのみが足を踏み入れられる空間であると、そう言うランドを講堂に残して、三人で建物の扉の前に立つ。扉にはベルもドアノブも無い。ノックは必要なのか考えていると、アデルファが扉に手を当て、入り口を押し開いた。鍵はかかっていなかった。
扉の内側には大理石のタイルが敷かれた開けた空間がある。暗くて中の様子がよく見えない。そう思っていたら、部屋の奥にあった照明にパッと光が灯り、部屋全体が不自然なほど明るくなった。
「お待ちしておりましたよ、アルレスキューレの旅人たち」
暗闇から一変、灯った光。白い輝きに満ち満ちた空間の奥。黄金に発光する照明のすぐ傍に、一人の麗人が立っている姿が見えた。
イエローゴールドの長髪にエメラルドの双眸。白と金を基調とした丈の長い礼服を身に纏い、気品に溢れた佇まいでもってこちらを真っ直ぐに見つめている。男性か、女性かは瞬時に判別できない。整えられた前髪の隙間から見える眼差しの落ち着いた様子は……そうだ、何よりも、自分が既に知っているブラム・ラグエルノのものとよく似ていた。というよりも、瓜二つ。身長や髪の長さなどの差異はあるものの、この時代のラグエルノ龍はブラムと同じ外見をしていた。
「何を立ち止まっているのですか。萎縮する必要はありません。どうぞ、こちらへ」
近づき、目の前にてまじまじとその神々しい姿を目の当たりにする。人の形をしていながら、人のものとは思えない清廉な容貌。唖然としながら見つめていると、トラストさんとアデルファがその場で頭を垂れ、王の眼前でする時と同じように膝を折った。自分も似たようにするべきかと考えている間にラグエルノが「今の貴方は私よりも神格が上ですので、同じようにする必要はありません」と言ってきた。
「神格が上?」
「時空龍の小結晶をお持ちでしょう。どうかそれを私にお見せください」
対面して早々に小結晶の話題になるとは、少し虚を突かれる。俺はトラストさんに目配せし、それを見た彼は頭を垂れていた顔を上げ、上着の内側にしまっていた小結晶を取り出し、ラグエルノの眼前に見せる。
すると小結晶はほのかな光を放ち始め、そのままトラストさんの手の平を離れ、ふわりと宙に浮き上がった。
「なるほど、これならば確かに」
小結晶の光を見つめ、ブラムは満足そうに首をゆっくりと縦にふる。
「貴方の目的は、この小結晶なのですか?」
「はい。この小結晶があれば、私の切望が無事に果たされることでしょう」
「切望……? それは一体」
疑問のままにたずねると、ラグエルノは俺の姿をしっかりと捉えた視線をふわりと宙へ放り、そっぽを向く。それから少し黙り込んだ後、「そうですね……」と一つの提案を投げ掛けてきた。
「話の本題に入る前に、一つ私の遊戯に付き合ってはくださいませんか」
「え、遊戯、ですか?」
ラグエルノがコツコツと靴音を鳴らしながら大理石の床を歩いて行く。その足が止まった先にはテーブルがあり、机上には……マス目状に線を引かれた板と、同じようなデザインをした小さな置物がいくつか並んでいる。恐らくこれは、盤と駒。どうやらラグエルノが言う遊戯とは盤上遊戯のことのようだ。
「何分、いつもいつも同じ人ばかりが相手で飽きが回っていたところなのです」
トラストさんが少々困惑した様子でテーブルの方へ近づいて行く。彼は机上に置かれた盤上遊戯のセットをしばらく観察してから「残念ながら、私はこのゲームのルールを知りません」と言った。アデルファも「私もです」と素直に答える。
「ディア・テラスはどうですか?」
ラグエルノが俺に問いかける。話を振られ、改めて駒の種類や数を確認する。盤面のマスの区切られ方と色とを見て、ふとフロムテラスにいた頃にしたころがある一つのボードゲームのルールが頭をよぎった。
「知っているかもしれません。ですが、あまりやったことがないため、良い相手になるかどうかはわかりませんよ」
「構いません。遊戯は遊戯、私にとっては一種のコミュニケーションの手段に過ぎませんので。肝心なのは、この遊戯の最中にどのようなドラマが生まれるかというところにあります」
「そのようなものでしょうか……いえ、大丈夫です。私でよければ対局させてください。あ、でも、今の私は霊体なので、この駒を動かせませんよ」
「ならばそちらの若い方、ダムダ・トラストが彼の指示の下に駒を動かしなさい。それで構いませんね」
「わかりました」
トラストさんが頷き、俺の代わりにラグエルノの向かいの席に立つ。
複数の駒が初期の位置に置かれ、「それでは始めましょう。先行はそちらにお譲りします」という静かな一言とともに、ゲームがスタートした。