記述27 遡行する栄華と黎明 第13節
自棄になったグラントール人の商隊長が吐き出した情報の通りに、伝えられた地図上の座標へ向かってみると、そこには天然の岩石に囲われるようにしてできた奥深い洞窟があった。洞窟の入り口には例の生物兵器と言われる獣が二頭ほど番をしており、いかにも何かありそうな怪しさをまとっている。
番がいるということは人が出入りすることがあるということでもある。そこで俺たちは獣に気配がバレない程度に離れた場所から、しばらくの間入り口を見張ることにした。
昼過ぎから見張りを始めて、いくらかの時間が経過した頃に動きがあった。洞窟の中から三名の武装した人間が姿を現し、周囲を警戒するように見回している。そして危険が無いことを判断したらしい彼らは、屋根の無いトラック車に乗って洞窟を出て行った。
トラックの進行方向にいた赤軍に無線で報告すると、仲間たちは先回りして道を阻む。間もなくして乗員の三名全員の捕縛に成功したことを知らせる無線が返ってきた。彼らは口が硬いわけではなく、少し刃物を向けて脅迫しただけで商隊長と同じように情報を吐き出した。
『洞窟には研究施設があるみたいだ』
無線機から聞こえてくる音声が言い、それにトラストさんが応答をする。
「こんな荒野の真ん中で、一体何の研究を?」
『それが、神の御業がどうのこうのと言っていて、要領を得ない』
「神の御業?」
耳に聞いた言葉を復唱してみても、それが何なのかトラストさんたちには見当が付かないようだった。
「神や精霊に関係しているものってことかも」
俺がそう言うと、トラストさんが無線機から少しだけ口を離してこちらと会話する。
「グラントールにいるという守護龍ですか」
「それともう一つ。あの入り口を守っている生物兵器もそうだ。ただの生物があれだけ大量の精霊を身に纏っていることなんて、通常だったらありえない」
トラストさんが無線機の向こうにいる隊員に生物兵器について問い詰めるように伝えてみると、少し時間が経っただけですぐに結果が返ってきた。洞窟内で研究されているのは、まさしくその生物兵器の製造行程に関わるものであるらしい。
「拉致してきたアルレス人を連れ込む先がこの洞窟であると、あの男は言っていました」
「嫌な予感がする」
俺とトラストさんが引き続き入り口を見張っている間に、三人を捕縛した隊員たちはアデルファ隊長にことの次第を報告する。そこから事態を把握したアデルファは隊員を集結させて洞窟に乗り込むことを決断した。
まずは入り口を見張っていた二体の獣を討伐しなければならない。入り口奥からもうしばらくの間誰も姿を現わさないことを確認してから、赤軍一同は獣たちの前に姿を現わし、奇襲を開始した。
先の戦闘にてキャラバン隊員たちの戦い方を見ていたため、それらを手本に脚部を中心に狙いを定め、攻撃する。二体の獣は大柄で凶暴であったが、こちらは鍛錬を積んだ赤軍兵総動員で動いている。勝てる相手だという確証があった。
地面に伏す二つの死体。その横を通り過ぎ、まずは盾を持った先遣隊から洞窟の中へ突入する。
前方の暗闇から銃撃音。戦闘が発生した。続いて主力部隊が武器を構えて洞窟へ突入。洞窟の空洞内を激しい戦いの喧噪が反響して、入り口の外まで届く。
隊員の中でも若手に属するトラストさんは洞窟前に留まり、入り口を見張る役を任されていた。任務には真剣に望み、雑談は許されない。代わりに出撃前に彼が離していた「これも大事な役割とわかってはいますが、前線に加われないのは歯がゆいものがありますね」という言葉が脳裏をよぎった。洞窟の中で仲間たちに何が起こっているかわからないという状況には、確かに気分が良くない不安が伴う。
俺自身も何か力になるために、動ける範囲でトラストさんの周囲を飛び回って荒野の様子をうかがうことを手伝った。人に姿を見られないという、普段ならば不便でしかないこの体質も、戦場であれば有用な役割を持てる。前線に参加したいトラストさんには申し訳ないが、俺がトラストさんの側に付いている以上、アデルファ隊長の采配に間違いは無かったのだろう。
俺が上空から遠方の大地を見渡している間も、洞窟内の戦闘は続いている。万が一想定外に敵の数が多かったり、戦況が不利になるようなことがあればすぐに見張り側にも報告が回るようになっていたのだが、それが無いということは戦闘が上手くいっているということになる。あるいは報告をよこす余裕も無いということもあるだろうが、それならば出入り口側を陣取っているこちら側の兵士の方が撤退するのは早い。引き返す者がまだいないのならば、ひとまずは安心できる。
と、思っていた矢先のこと。地上で見張っていたトラストさんがこちらに向けて手を上げるのが見えた。何か変化があったことを伝え合う時のために決めたハンドサインだ。急いで地上に戻ると、トラストさんは片手に無線機を持ったまま、その場で装備の再確認をしていた。
「アデルファ隊長が、私を呼んでいるとの通信が入りました」
「どうしてトラストさんを?」
「恐らくは、私ではなくディアに用事があるのでしょう。付いてきてください。洞窟内部に突入します」
言われるがままにトラストさんの後ろに付いて、洞窟の中へ突入することになった。
入ってすぐの通路上。戦闘の痕跡はほとんどない。洞窟の中は薄暗く、先に突入した仲間たちが設置した光源を頼りに奥へ進んでいった。
少し進んだ先で、内部にいた仲間と合流した。手短な情報交換をし、もうほとんど洞窟内は制圧できたことを知らされた。勝ちは明確。しかしならばなぜアデルファはこのタイミングで俺を呼び込んだりしたのだろうか。疑問に思ってみたところで、あの人の考えていることはあの人にしかわからないことを思い出す。今は集団の一員として、隊長である彼の言葉に従うまでだ。
洞窟の細まった道を進みきると、開けた空洞の中に人が入れる建築物がいくつも並ぶ、集落のような場所に出た。一見すると研究施設には見えないが、人が普通の生活をしているような気配も見られない。洞窟の天井部分には人工の光が点っていて、やや薄暗いものの光源には困らない程度の明るさだ。目を凝らせば洞窟の奥までよく見える。銃撃の音や、怒声のようなものは今も聞こえてくる。戦闘は最終局面といったところか。一番奥の建物で赤軍の主力部隊と敵勢力との籠城戦が行われている。制圧まで、本当にもう少し。
集落に足を踏み入れたところで、トラストさんを待っていたらしい隊員に声をかけられ、アデルファ隊長がいる場所まで案内された。集落の中腹付近にある、少し大振りで無骨な外観をした建物の中へ入っていく。するとその中にあったものは、部屋のほとんどを埋め尽くすほど大きな、鉄の檻。というか、この建物自体が何かを大量に閉じ込めるために用意されたものなのだろう。その『何か』とは何か。考えなくてもわかる。あの生物兵器と呼ばれる四つ足の獣。その、はずだ……しかし、これは?
「よく来てくれましたね」
檻の前で待っていたアデルファがこちらを見て、声をかけてきた。
「これは、一体?」
「例の生物兵器に間違いありません」
「ですが、これではまるで……」
トラストさんが絶句するのも無理はなかった。
体中から無造作に生えた鳥の羽毛、筋肉が不自然に膨張して長く伸びた四本の手足。皮膚の上にびっしりと張り付いた鱗の鎧に、肥大化した指の爪。およそ『獣』という表現しかしようがない容姿をしているが、しかしその一番重要な頭部に付いている顔は、人間のものだった。
人間だ。その異常な姿形。呻き声。苦悶に満ちて歪み切った表情。人間のものだ。
泣いている。叫んでいる。怒っている。凶暴な獣の体に人の顔。数は全部で二十弱。うろうろと檻の中を意味も無く彷徨うもの、何かから身を守るように隅で小さくなっているものと様相は様々で、痛みに耐えるように体中を掻き毟って血だらけになっているものもいる。
とある一体は檻の鉄柵を握りしめ、こちらへ向けてすでに豹変してしまった前足を懸命に伸ばす。口からは人の言葉とはとても言えない獣のうなり声が漏れているが、自我はまだあるように見えた。
「他の建物の中にも、似たような状態の生物が閉じ込められていました。比較的症状が軽度であった犠牲者はこちらですでに幾らか保護しており、彼女らからこの有り様についての説明をいくらか聞かせてもらえました」
「彼らは、人間?」
「はい。しかしこの檻に収容されているものたちは『成り途中』と呼ばれる状態にあるらしく、すでに手遅れなのだそうです」
「ですが、まだ助けを求めているように見えます」
「檻の中にいる内は、むしろ外に出す時よりも安全でしょう。今はこのままにしつつ、私たちは私たちにできることをしましょう」
「私たちにできることとは?」
「ディアさんはいらっしゃいますね」
「はい、すぐ隣に」
「彼らをこのような状態に変化させた原因となるものが、この研究所のどこかに存在しています。万が一研究者たちの手によって処分、あるいは持ち出されるより先に、我々が確保しようと考えていますが、それは施設の研究員たちの手によって隠されてしまっているため、どこにあるのか見当が付きません。ですが、精霊の声が聞けるディアならばあるいは見つけられるのではないかと私は考えています」
「声を聞く?」
「できそうですか、ディア?」
トラストさんにもたずねられ、俺はどうだろうと不安になりながらそっとその場で瞳を閉じた。
声を聞く。集中して、心を落ち着ければ、きっと聞こえてきてくれる。そう思った自分が迂闊だった。
なんだ、これ!
耳の中に流れ込んできたものは……犠牲になった人間たちの言葉にならない感情の叫び声だった。
大量に、頭の中に流れ込んでくる。あまりの気持ち悪さに吐き気を伴い、思わず目を開ける。激しい頭痛が後に残る。
そんな俺の様子の変化を見てトラストさんが「大丈夫ですか?」と心配そうな声をかけてきてくれた。頭がズキズキと痛み、気が遠くなるような眩暈が視界をぐらつかせている。
「大丈夫。もう一回、やってみる」
大丈夫。きっと大丈夫。眼を閉じる。心を落ち着かせる。もう一度、やってみる。
苦痛。悲嘆。激昂。落胆。他者を絶えず責め立てる攻撃的な声が脳を軋ませ、弱り切って自分を責めて責めて仕方ない自虐的な声が方向感覚を歪ませる。他人の感情が自分の周囲を取り巻く感覚は気分が悪い。けれど、自分にしかできないというのならば、やるしかない。心の中で眼を見開き、耳を澄まし、他とは違う何かを探す。
赤黒く濁った感情の濁流……その中に光る、黄金色の輝き、それを見る。それは一羽の鳥のような姿をした小さな光の塊。
「見つけた!」
声に出し、眼を開けてから一直線に声が聞こえた方へ向けて飛んでいった。トラストさんも他の赤軍隊員たちを連れて、俺の後に続いて追いかけてくる。
憤怒、悲哀、憎悪、絶望、襲いかかる負の感情を押しのけて、押しのけて、光る一羽のもとへ駆け急ぐ。
檻があった建物を飛び出し、まだ銃声が聞こえる洞窟の奥へ近づき、声が戦場の真下から聞こえてくることに気付く。それを見てからまた心を研ぎ澄ませ、周囲を観察する。
『ここまでおいで』
声が、まるで自分を試すように、誘うように居場所を教えてくれた。
「地下室へ続く隠し扉が、この辺りにあるはず!」
俺が声をあげると、トラストさんたちが周囲を調べ始める。
「建物の中には無いよ。上に土を被せて隠してある。岩の下とかかも」
「ありました!!」
一緒に探してくれていた赤軍隊員の一人が岩をどけた下から隠し扉を見つけ出した。きっちりと閉ざされた鉄板の扉をこじ開けると、地下室へと続く梯子が現れる。「降りてみましょう」という言葉のもとに、その場にいた隊員たちが一人ずつ梯子を使って地下へと降りていく。
すると……
「何かいるぞ!!」
「な、なんだコイツ!?」
先行した隊員たちが地下室の中で何かを見つけた声が聞こえてきた。トラストさんが梯子に腕を絡ませた状態でライトをかざし、地下室の中を明るく照らす。確かに何かがいるのが見えた。
「獣だ! それも、かなり大きい!」
「ですが一体だけならば、今の戦力でも」
「加勢しましょう!!」
急いで梯子を降りて地下室に一人また一人と降りていく。現状、隊員の数は全部で八人。盾を持った隊員が先頭に立ち、即興の陣形を組んで応戦に望む。
戦闘開始直後、真っ先に獣が狭い室内で飛び上がり、先頭に立つ盾持ちに突進してきた。三人がかりで盾持ちを背後から支えることでこれを防ぎ、生まれた隙を狙って近距離攻撃をけしかける。振りかざした刃が鱗に防がれた。しかし少々のダメージは与えられたようだ。
「鱗の隙間、急所があるはずです!」
「柔らかい場所なら頭部もそうだ。銃で撃て!」
「動きが素早いぞ!!」
応戦が続く。銃弾が宙を飛び交い、けれど標的の動きが素早いために、弱点である頭部にはなかなか命中しない。
獣が何度目突進を繰り出してきた。盾持ちは今度の突進を耐えられないと判断し、回避を狙う。陣形が左右に散らばり、突然の回避行動で不意を突かれた獣の巨体が地下室の壁にぶつかり、大きく怯む。
そこで後方に位置していたトラストさんが銃を構え、動きが止まった獣の顔面に銃弾を撃ち込んだ。一発の力強い銃声が地下室に響き、赤い血が獣の顔面から噴き出した。
「眼だ、眼を撃ち抜くんだ!!」
続けてもう一発、隊員の声を聞いて、今度こそ眼を狙って銃を構える。しかし、そこで獣は怯むのをやめて、あるいは半狂乱の状態になって、自分の顔面を攻撃したトラストの方へ向けて襲いかかってきた。
「しまった!!」
一度陣形を崩した関係で、盾持ちの位置が遠い。庇いきれない。
「トラスト!!」
まっすぐに迫り来る獣。彼と獣との距離が今まさにゼロになろうとするところまで接近した。
「避けて!!」
ぶつかる直前、最後に声を上げたのは他でもない俺自身だった。みんなの中で、俺が一番トラストさんの近くにいて、だからこそ彼が危険な目に遭うことにも誰よりも早く気付けた。トラストさん本人よりも。
だから俺は、とびかかる獣の前に自ら飛び出し、トラストさんを庇うように前に立った。
獣の前足。そこから生えた鋭い爪が、霊体であるはずの俺の皮膚に切り口を入れて、肉が引き裂かれる鋭い痛みを体中に走らせた。血液は出ない。あるのは肉体が裂けた激痛だけ。痛み。激しい痛みが脳を焼き尽くすように熱く響く。けれど、これで庇いきった。
一拍遅れて発砲されたトラストさんの銃弾は俺の体を通り過ぎ、獣の顔面に的確に命中した。
獣の雄叫びが地下室の壁を、床を、震わせる。それを見て仲間たちは武器を振りかざし、大きく怯んだ獣に向けて総攻撃を開始する。この戦いは、これで俺たちの勝ちだ。そうだ。勝った。勝ったのだ。
「ディア!!」
銃口から煙をくゆらせたトラストさんが、衝撃で軽く弾き飛ばされた俺のもとへと駆けつけてくる。
痛い。痛い。痛い……トラストさんが近くまで来て、声をかけてくれている。それが嬉しいのに、意識が、だんだんと、遠ざかり……何も聞こえなくなってしまった。