記述27 遡行する栄華と黎明 第10節
襲い掛かってきた獣の応戦が終わると、周囲に絶えず立ち込めていた土煙もその場を立ち去るように風に乗ってどこかへ消えた。激しい戦場の騒乱から一変して荒野の様子が静かになると、その頃合いを見計らって閉め切っていた車両の中から医療道具を持った隊員が降りてきて、負傷者の手当てを始めた。
長期戦の疲れのために地面に座って休みの姿勢をとっていたトラストさんの下にも、非戦闘員のキャラバン隊員がやってきて、状態の確認を行ってくれた。どこにも怪我がないことを伝えると、治療の代わりに水分補給用の水筒と一袋の菓子とを手渡された。「お疲れ様です」というねぎらいの言葉を一つかけると、彼、彼女らは他の戦士たちのもとへ移動していった。
「生き返る心地がしますね」
渡されたばかりの菓子と水とを交互に口にするトラストさんを見て「怪我が無くて本当に良かったよ」と心からの言葉がこぼれた。
「それにしても随分激しい戦いだったけれど、キャラバン隊の人たちは随分手慣れた雰囲気だったね」
「大型動物との戦闘には特に慣れているように感じましたね。対人の手ほどきばかり受けてきた軍人には簡単に真似することができない、見事な立ち回りでした。しかしまた、なぜあのような大柄な獣が五頭も揃って襲い掛かってきたりしたのでしょう」
「イワジカの群れが出た時に聞いた通りだと、盗賊の襲撃がどうのこうのって」
「盗賊がけしかけてきた獣ということですか。あれほど凶悪そうな獣を一度にとなると、とても放ってはおけない話に聞こえますね。肝心の使役者の方は一人も見つかっていないわけですし」
「後でまた詳しくキャラバン隊の人たちに聞いてみよう」
「それが良さそうですね」
話している間にトラストさんの手元にあった菓子が無くなり、それからは岩場に座り込んで体を休めながら、周囲の様子を二人で眺めた。時間経過とともに段々と車両の外へ出てくる人の数が増えていく。するとその中にアデルファの姿を見つけ、視線が止まる。何をしているのか遠目に眺めていると、彼の方もこちらを振り返って視線を合わせてきた。何か呼ばれているような気配を察知して、俺とトラストさんは立ち上がり、一緒にアデルファの元へ歩いて行った。
近づいてみると、アデルファが一人ではなく、とある青年と会話をしている最中だったことがわかった。黒いフード付きの外套に身を包んだ、少し怪しい背格好の青年だ。心なしか、どこかで見たことがある顔をしているような気がしたが、とりあえずは深く気にしないことにした。
しかし青年の方は近付いてきたトラストさんの姿を見て驚いたリアクションをする。
「あれはどういうこと?」
「どうも何も、見ての通りの状態です」
答えになっていない答えを返すアデルファに、青年は「ええ……」と微妙そうな言葉を漏らし、しかしそれ以上は言及しないことにしたように見えた。一体何を気にしたのかはわからない。
二人の会話が途切れたところで、トラストさんが挨拶をする。
「お疲れ様です隊長。こちらはキャラバン隊の方でしょうか?」
「彼はこのキャラバン隊の隊長を務めている方ですよ。私の古くからの知り合いで、博識でもあるためとても頼りになる人物でもあります」
「そうだったんですね。知らずに失礼いたしました。私は赤軍に所属しております、ダムダ・トラストという者です」
「やあ、初めまして赤軍のイケメンくん。君はさっきの戦いに参加していたみたいだね、本当にお疲れ様」
ねぎらいの言葉とともに笑いかけるキャラバン隊の隊長の顔を見て、そこでふと、この青年に覚えた既視感の正体に気付かされた。確か、元いた世界でグラントールを訪れた際に出会ったキャラバン隊の隊長と同じ顔をしている。年若いのに隊長をしているなんて凄いなと思っていたのだが、これは一体どういうことだろうと不思議に思う。三十八年の歳月をまるで感じさせない、寸分変わらぬ同じ顔。人間ではないのだろうという言葉が真っ先に浮かんだが、アブロードには自分が知らない特性を持つ人種も存在するのということで、とりあえずは納得することにした。
「今は彼から先の戦いについての意見を聞かせてもらっていたところなのです」
「私が声をかけてしまって良かったのでしょうか」
「何、目線だけとはいえ先に呼んだのは私の方ですよ。今から隊長さんと一緒に実物を見に行くところだったのです」
「実物というと?」
「さっき君たちが戦っていた大きな動物たちなんだけどね、実はあれこそが最近になってグラントール軍が戦場に投入するようになったと話題の生物兵器なんだよ」
「あれが噂の? しかし、使役していた相手は盗賊なのではないかと先に聞いていましたが」
「グランの悪い人たちが、アルレスの流通を邪魔するために盗賊に貸し出してるのさ。襲われたのだって初めてってわけでもなく、ここ数カ月はよく今日みたいな感じでけしかけられてるよ。おかげで対応にも慣れてきたものさと隊員たちは自慢げだけどね、強い相手とは戦いたくなんて無いっていうのが正直なところだ」
「今回交戦した五体の獣の内、二体は逃走しましたが三体は仕留めきり、死体をこの場に残すことができました。すでに係の者が検体を行っていて、最初の結果も出ている頃合いでしょう」
三体の死体の内、一番近くに倒れていた一体を視界に収め、アデルファが言う。それから三人で死体の側へ移動していく、その後ろを俺はふわふわと浮かんだまま、黙って付いて行った。
近くで見る獣の体はとても大きく、凶暴そうな見た目をしていた。戦っている時には素早くてよく見ることができなかったその姿は、四つ足の体に太い尾を持ち、一件すると巨大な狼のような姿をしていた。しかし正面に眼が付いた顔面の形は猿に似ている。牙は鋭いが小さく、代わりに四肢から伸びる爪は大きく鋭い。全身からは一本一本が手の平ほどの長さを持った長毛が生えているのだが、これがただの毛かと思ったところ、よく見てみると鳥の羽毛の形状をしていた。ならば銃弾が当たった時のダメージが少なかったのはなぜかとさらに調べれば、生い茂る羽毛をかき分けて体表を確認してみたところで、皮膚一面に爬虫類を思わせる硬い鱗がびっしりと張り付いていたことに気付かされた。羽毛はその鱗の隙間から生えている。
「三体ともおおよそは似たような特徴を持っていますが、部位の大きさや色などに個体差が大きく見られます」
俺たちの到着より少し前に出た獣の検体結果を、赤軍の調査隊員がアデルファに報告する。
「サンプルの採取は行いましたか?」
「肉片、血液、唾液、牙と爪などはすでに行っています」
「羽毛の採取もお願いします。できれば体の部位ごとに細かく」
「承知いたしました」
検査係の隊員が目の前を立ち去ったタイミングで、なぜ羽毛が重要なのかアデルファに質問をした。すると彼の隣にいた隊長の方が代わりに口を開いて回答してくれる。
「わからない人にはわからないままで全然構わない話なんだけどね、世の中には何にだってエネルギーの流れってものがあって、それは個人によって個体によって違った在り方をしている。そのエネルギーが最も集まっている箇所……人間でいえば脳に置き換えられる部位が、この生き物に関しては羽毛の方にあるんだ」
「羽毛が脳の代わり、ですか?」
「科学的には全く見当がつかないだろうけど、神話学的にはこれで正しい」
「それはどうやって判別しているのでしょうか?」
「隣にいる彼にも聞いてごらんよ」
そう言って隊長は、会話をしていたトラストさんの横に浮かんでいた俺の方をチラリと見る。
「見えているの?」
俺が一言問いかけると、隊長はコクリと当たり前のように頷いた。アデルファといい彼といい、見える人には見えるのかと思いつつ、この年若く見える隊長が一体何者なのかますます謎が深まってしまった。
「ディアにも、そのエネルギーとやらがわかるのですか?」
トラストさんに興味深げな様子でたずねられ、改めて自分もそうなのかな? と思いながら倒れている獣の死体の方をじっと見つめる。
すると確かに……体を覆う無数の羽毛一つ一つから、何かが噴き出して外へ放出されているような気配を、感覚的に感じ取れた。しかしそれはあくまで感覚的なもので、どういう原理でそうなっているのかはさっぱりわからないし、自分が何を感じ取っているのかだって理解できていない。
試しに獣の羽毛に手を伸ばしてみると、なんとそのまま指先に柔らかい羽毛に触れる感触が伝わってきた。この幽霊みたいな体になってからしばらく存在しなかった「触れる」という動作。そしてその接触部位から伝わってくる、奇妙なエネルギーの流動。黄金色の共感覚を彷彿とさせる、目に見えない神秘の力。これは間違いない。この生物は、龍に由来する精霊の力を持っている。
そこまでわかったところで、突然目の前にあった羽毛の体が淡い光を帯びて発光し始めた。
エネルギーの……精霊の流動。獣の体の中に詰まっていた膨大な量の精霊が、羽毛の一本一本を通じて一斉に外へと飛び出し、空中で球体の形を取って浮かびあがる。
その光景は小結晶の持ち主であるトラストさんにも見えていた。二人して驚いた様子で事の次第を見届けていると、浮かんだ球体はふわりと宙を移動して、北西の方角へ飛んでいってしまった。
「い、今のは一体?」
「追いかけた方がいいかもしれませんね」
同じく浮かぶ球体の行方を目で追っていたアデルファが軽い調子で口を開く。
「追いかけるとは、今からですか? 私たちが?」
トラストさんが俺の代わりに質問する。隊長が頷き「行っておいでよ」と声をかける。
「どうせ商隊はしばらくここに留まるつもりだから、今のうちにね」
俺とトラストさんは顔を見合わせ、何が何だかわからないままアデルファたちの指示に従うことになった。
キャラバン隊が所有しているロードバイクを一台借りて、謎の球体が飛んでいった北西の方角へ向けて出発する。