記述27 遡行する栄華と黎明 第6節
拠点の撤退作業は二日間に渡って行われた。赤軍の調査隊員たちは片付けた荷物を軍用フライギアの保管スペースへ運び込み、その全てが収まったところで、まもなくして次の目的地へ向けて出発する。
離陸したフライギアは大陸の南部を西に向かって直進していく。そのフライギアの軌道をモニターに表示された電子地図上で眺めていると、船内に設置されているスピーカーから次に向かう目的地がバスティリヤである旨を確認するアナウンスが聞こえてきた。それを聞いた俺は休憩室でお茶を入れていたトラストさんの前にひょいと躍り出て、早速一つのお願い事をすることにした。
「次の目的地ってバスティリヤなんだね」
「はい。国境沿いの街の中では特に軍事施設が充実しており、物資の補給をするにはちょうど良い場所なので、こうしてよく道中に立ち寄ります。ディアもこの街をご存知なのですね」
「君の出身地のすぐ側だろう? 噂には聞いていて、以前からとある理由で行ってみたかったところなんだ」
「とある理由というと?」
「旅の目的のためさ……そういえば、君にはまだ俺がどうしてこのウィルダム大陸を旅していたのか、教えてなかったね」
「はい。教えて頂けるのですか?」
「うん。実はね、龍を探しているんだ」
「龍、というと」
「初めて会った時のアデルファさんの話は覚えている? その時に話題に出た、龍のことだよ。神秘的な力を持ったこの世界の支配者。いわゆる神様のような存在なんだ。俺はずっと、その龍と出会って、会話して、色々なことを教えてもらいながら旅をしてきた」
「私も彼の本は読んだことがありますが……」
「龍も、神様もいるんだよ、トラストさん。あの時にも話にあがったけど、俺がこの時代に魂だけの状態で存在しているのだって、時空龍っていう偉い神様の力のためなんだ」
「貴方がこの場にいる以上、今更疑う余地はないということですね。それで、その話を私に聞かせてくれたところで、貴方は私にどうして欲しいのでしょうか?」
「話が早くて助かるよ! あのさ、俺は以前にこのバスティリヤに黒い龍が現れたという情報を得ていたんだ。だから、現地に行って、自分の目でそこにどんなものがあるのか確かめてみたい」
「なるほど。そのためには小結晶を持っている私が赴く他ありませんからね」
一拍の思案を巡らせた後に、トラストさんが改めて口を開く。
「予定している滞在時間は短いので隊員が単独行動するだけの余裕は、本来ならばありません。ですが貴方のことであればアデルファ隊長も許容していただける可能性が高いでしょう」
そう言って彼はコップの中に入ったお茶を一気に飲み干し、椅子を立ち上がった。
休憩室の外へ出てから、細い通路を通ってアデルファ隊長がいるはずの船長室の扉をノックする。オートロックの扉の鍵が開く音がしてから、引き戸形式の鉄の扉を開けて中へ入っていった。アデルファの部屋は相変わらず多種多様な色味と紋様を持つ雑貨類で埋め尽くされていた。その窮屈な印象を持つ空間の中に部屋の主が座っている。本を書いている最中だったようで、一人の部下が入室してくる様を視線だけで確認すると、ペンを机の上に置いてこちらへ顔を向けた。
一言二言の簡単な挨拶を交わした後に、トラストさんはアデルファの手に小結晶を手渡した。
「バスティリヤに用があるご様子ですね」
俺の姿と声とがハッキリと認識できるようになったアデルファが問いかける。「それは一体なぜ?」と。答えなどすでに知っているとでも言いたげな余裕ある表情を浮かべたアデルファに、俺は自分が龍を探して大陸中を旅していたことを説明した。アデルファは『龍探し』という言葉に一瞬の反応を示したが、以降はほとんど表情を変えずに黙って話を聞いているだけだった。そこで俺は彼のリアクションを少しでも大きなものにするために、一つの方法を思いついた。
「これを見て」
俺は身につけているマントの端を少しずらし、そこに吊していたあの赤い宝石をアデルファに見せた。アデルファはゴーグルの下に隠した素顔に少々の驚きを浮かべて、しばしの間それが本物か確かめるためにじっと宝石を見つめていた。
「間違いなく、私の家に代々伝わる『龍の鱗』に違いありません。しかし、なぜ貴方が?」
「俺が未来の世界から来たってことは、もうわかっていますよね。この時代から三十八年後の未来。そこで俺は、アデルファ・クルトという名前の人物からこの宝石を譲り受けました。俺はアデルファさんからこの世界に龍という不思議な存在がいることを教えられ、年老いた彼の後を継いで龍探しの旅に出ることにしました」
どんな奇跡か偶然か。その老人だった彼のまだ現役だった頃の姿を、今目の前にしている。
アデルファは椅子の背もたれに背を預け、腕を組んで思案する。それから、どうということでもないように軽い口振りで質問をしてくる。
「私はその時に、何か言っていましたか?」
「黄金の鱗と蛇のような胴体を持った美しい龍に出会い、龍探しの旅に出ろと言われたと」
「黄金の龍ですか」
それを聞くと、アデルファはテーブルの上に積み重なっていたいくつかの書物の中から一冊を取り出し、パラパラと中を見る。とあるページで手を止めてから、その一面を俺たちの方へ見せる。
「これは私が若い頃に書いた覚え書きのような書物なのですが、ここの記述にもあるように、今の私が知っている龍といえば『赤』という概念を背負った大陸の守護龍ウィルダムのことを示します。ですが、この龍は言葉というものを知らない。龍とは誰かがその生命を望み、その誕生を待望され、その魂の自由な在り方を祝福されなければ、発生しません」
「どういうこと?」
「神が龍になり、そして人と会話できるような姿をとるためには、人間の愛情が必要不可欠ということです。ウィルダム龍にはまだ、愛してくれる誰かがいない。故に今はまだ誕生の時を待つばかり。どこかの空間でタマゴのような形状をもったまま、静かに眠りについているものと思われます。だからこそ、私はゆくゆくは誰にも何も告げずに龍探しの旅に出るつもりでいました。ですがそのことを、貴方はすでに知っていると言います。そして貴方の龍探しは私のためでもあるとも言う。ならば、私が貴方の意思ある行動を尊重しないわけにはいきませんね。それにこの部隊の現在の目的も神話研究にまつわるものですから、何か成果がある可能性があるというのならば歓迎いたします」
「ありがとうございます!」
アデルファはトラストさんの方に視線を向けて「他の者には私から伝えておきますので、貴方がたはバスティリヤに到着後、すぐにでも自由に行動してくださって構いません」と言う。その言葉にトラストさんも感謝の言葉を返した。
そこでちょうどよいタイミングでバスティリヤに到着した旨を知らせるアナウンスが流れた。トラストさんは机の上に置かれた小結晶を手に取ると、そのまま「では、失礼いたします」と一言告げてからアデルファの部屋を後にした。
バスティリヤの軍事基地に着陸したフライギアから降りると、外は一面真っ白な雪景色。色の濃い灰色の雲が空を覆い尽くし、そこからはらはらとこぼれ出るように落ちてくる粉雪。数時間前までは吹雪ともいえる天候の中にあったらしく、自分たちは良いタイミングでやってきたようだ。
赤軍の仲間たちが現地の灰軍兵と挨拶を交わしている中、俺とトラストさんは集団から外れて雪上車を借りるための窓口に向かって移動した。窓口の灰軍兵はトラストさんが赤軍の兵士であることに気付くと露骨に面倒くさそうな態度をしたが、身分証明のデータにトラスト家の名前があることを見てから手の平を返してこびへつらい始めた。どうやらこの窓口の兵士は生まれも育ちもバスティリヤらしく、そんな彼らにとって隣街であるトラスト領の住民は良き仲間のような存在だ。さらにはその領主の息子ともなれば、是非とも仲良くなっておきたい相手ということになる。
そんなこんなで基地内で管理していた中でも特別に性能の良い雪上車を一つ借り受け、エンジンをかける。降り積もった雪でいっぱいになった道路らしき場所を、雪上車が丁寧に足元の雪をかき分けながら走り進んでいく。
トラストさんはバスティリヤには何度も来ているため、街の構造をよく知っている。俺が『神女の天翔』で見たような石造りの小さな塔が見たいと伝えると、それがたくさんある場所につれてってくれると言ってくれた。
移動している間、俺は雪上車の後部座席にふわりと座り込む姿勢をとったまま、走行とともに通り過ぎる街の様子を眺めていた。雪ふるバスティリヤの景観はどこまでも無彩色で静寂だ。戦時中だからという理由も大きいだろうが、それにしたって街中で見かける人影がほとんどない。ところが、
「おや?」
タイヤの跡がハッキリと残る雪まみれの車道をしばらく走っていると、不意に前方を見ていたトラストさんが雪の中に何かを見つけた。「どうかしたの?」と好奇心をもって彼の視線の先を見てみると、そこには見知らぬ少女が一人、こちらを見つめて佇んでいた。積雪の景観が続く路上には到底相応しいとは思えない、薄着の装い。白い髪に白い肌、白い服。まるで周囲を覆う雪に同化するように儚げな姿をしているから、すぐには存在に気付けなかった。
その少女と目が合った。彼女は俺たちの方をじっと見つめていた。俺たちが自分のことを見ていることにッ気付くと、こちらへ向けて細い手を振る。そしてそのまま「こちらへおいで」と言わんばかりに雪の中を走り出した。走ったのだ。まるで足元に積もった雪の歩きづらさなど何も感じていないように、軽やかな足取りで雪の中を走っていった。
これはおかしいと思ったのはトラストさんも同じで、ハンドルの方向を変えて、少女の後を追いかける。少女の姿は見失うことなくすぐに見つけられたが、どれだけ雪上車のタイヤを走らせても彼女の背中が少しも大きくならない。車より速い速度で走っているというよりも、砂漠で目にする蜃気楼のように立ち位置が変わらない。
「そこのお嬢さん!」
前方を走る少女の後ろ姿に向かって声をかける。立ち止まってくれることを期待したが、少女は振り返りもせず、そのまま走り続ける。
構わずもう一度声をかける。
「どこへ行くつもりなんですか!?」
声は返ってこない。と思ったら、ふいに走っていた少女の足が止まり、こちらをまた振り向いた。追いついた雪上車を彼女の横で停車させる。すぐ近くから見た彼女の、まだあどけない少女の容姿をまじまじと見つめられるようになった。
彼女はニコリと微笑んで、声を聞かせてくれた。
『どこへ行くって?』
口は開いているのに、そこから音が出ていないことにすぐに気付いた。声は脳に直接「意味」と「感覚」として響くように、こちらへ伝わってきた。
『案内しようと思ったの』
少女がどこかへ向けて指を差す。その方向に何かあるのかと視線を向けると、あったものは、あの絵画で何度も見た、三階建ての石造りの塔。
『ここに来たかったのでしょう』
「どうしてわかったのですか?」
『あなたたちがレトロの欠片を持っていたから』
あなたたち、と複数形で話しかける彼女の眼にはディアの姿が見えている。
「小結晶のことだ」
トラストさんが懐から琥珀の小結晶を取り出し、少女に見せる。すると、彼女の目の前で小結晶が淡い光りを放ち始めた。白とも赤とも青とも黄ともとれない七色の明るい光が小結晶の中で渦巻き、その光が結晶の表面を飛び出し、周囲を仄かに照らす。その光が少女の体の中に吸い込まれていく。真っ白だった彼女の容姿に、インクが染みるように色が戻っていく。小結晶の光が収まった後、目の前に立っていた少女の姿は茶色の髪色にぱっちりとした大きな青色の瞳、健康的な肌の色をした素朴な容姿に変わっていた。
「ありがとう。これで少しだけ話せるようになったかも」
さっきまでとは違い、ハッキリと鼓膜を震わせて届く少女の肉声。
「私の名前はステラ・シルヴァ。この場所で、人を待っていたのだけど、それはあなたたちでも良いかもしれないと思ったから、話しかけたの。運命の始まった場所へようこそ。この牢獄塔のこと、教えてあげるね」