記述27 遡行する栄華と黎明 第4節
暫定、三十八年前のウィルダム大陸にて。自分のことをダムダ・トラストと名乗った若かりし青年に付いて行った先には、聞いていた通りにアルレスキューレ国軍のものと思われる調査拠点があった。彼が言うオカルトに詳しい人物というのはどうやら赤軍の隊長を務めているらしく、何も無い時はいつも拠点で独自研究を進めているという。
赤軍の隊長と聞いて真っ先に頭に浮かぶのはテディ・ラングヴァイレの顔であったが、ここが本当に三十八年前の世界であるとすると、彼はまだ生まれてすらいないことになる。ならばどんな人物が赤軍隊長をしているのか気になるところだった。
若いトラストさんが拠点の中に張ってあったテントの一つに近づき、ここに隊長がいるといいながら入り口の垂れ布の前に立つ。中にいる誰かに向けて入室の許可を取るための声掛けとすると、すぐに内側から「どうぞ」と短い返事が聞こえてきた。それから彼は垂れ布をめくって、テントの中へ入っていく。
俺も彼に続いて中へ入ってみると、一歩踏み込んだところで思わず目を見張ってしまう。テントの中はまるで異世界を彷彿とさせるほど、異国情緒に溢れた奇妙な空間と化していた。
真っ先に眼に入ったのは派手な柄の絨毯。次に天井から垂れ下がった色とりどりの織物。揺れる吊るしランプ。ひっくり返した状態で乾燥させた植物の束。立てかけられた大きな仮面らしきものもあれば、布製の世界地図、天秤、望遠鏡、ビーズのアクセサリーなんて統一性の無い物品がそこら中に点在している。色ガラスのカバーに覆われたランプに照らされたテントの中には七色の光が満ちていて、入ってきたばかりの俺とトラストさんの姿も、青と緑という奇妙な光の色に照らしあげられた。
そしてそんな空間の真ん中に、これまた物珍しい服装をした男性らしき体格をした人物が、一人座り込んでこちらを見ていた。体中に薄い布を巻き付けているうえに、顔には大きなゴーグルを付けているため、表情はわからない。
布一枚強いただけの剥き出しの地面の上にはカラフルな塗料をたっぷりと使った鮮やかな色彩の壺や絵皿、ガラス細工を始めとした雑貨類が置きっぱなしになっている。その隙間に足を差し込むようにしながら、トラストさんはテントの中を踏み歩き、少しゆとりのある空間をみつけると、そこに腰を下ろした。
「待っていましたよ」
顔も年齢もわからないテントの主が声を発する。落ち着いた男性の声だった。
「予定より早く帰還したつもりだったのですが、待っていたとは、どういうことでしょうか?」
「そろそろだろうと思っていたから待っていたのです。いや、あるいはもう、随分前から待っていたと言っても良いだろうか。まぁ、貴方は気にしなくてよろしい。それより……」
男は「ふむ」と小さく口ずさむと、頭を少し斜めに傾けたきり黙り込む。どうしたのかと思いながらこちらも黙って見守っていると、ゴーグルの下にチラリと見えた男の視線がトラストさんではない方向を見ていることに少し遅れて気付いた。
「そちらの方は?」
俺が視線に気付いたとほぼ同時に、男が口を開き、質問をする。
「見えてらっしゃるのですか?」
トラストさんがたずねると、男は小さく首を縦に揺らした。
ここに来る途中ですれ違った人たちには俺のことなんて全く見えていなかったのに、どうやらこの男には見えているらしい。
「あの……初めまして。俺はディア・テラスって言います」
怪しいものではありませんと伝えたいところだったが、どこからどう見ても怪しいために名前だけ伝えてお茶をにごすことにした。しかしどうも、挨拶をしてみたところで男の反応を見るに、こちらの姿は見えていても声までは聞こえていないようであった。そのことを俺と同じように察したトラストさんが、俺の代わりに口を開いてここまでの経緯を説明する。海中遺跡の調査中にこのディア・テラスという幽霊のような青年に出会って、困っていたようだから船に乗せて保護することにした、と。
「アデルファ隊長ほどのお方なら、何かわかることがあるのではないでしょうか?」
「え?」
トラストさんの口から出た言葉を聞いて、彼の顔を思わず凝視する。
「どうかしましたか?」
それからまた、アデルファと呼ばれた人物の方を見て、またまた目を丸くする。
言われてみれば、面影がある。ミステリアスとしか言い様がない服装に立ち振る舞い、特徴的な言動。そういえば確かに三十八年前といえば彼は存命で、まだ年若く、現役の博物学者として赤軍に所属して世界を旅して回っている頃合いだ。だからといって、だからといってだ。
「アデルファ隊長って、もしかして、あの有名なアデルファ・クルトさん?」
「おや、ご存知だったのですね。その通り、彼こそがかの有名なアルレスキューレの問題児、アデルファ・クルトに間違いありませんよ」
アデルファ・クルト。稀代の預言者。龍の探求者。真理を知るもの。俺を旅立ちまで導き、冒険に連れ出した張本人。すでに元の時代では亡くなっているはずの彼に、もう一度会えるなんて夢にも思っていなかった。
「どうやらそこにいるディア・テラスという方は、私のことを知っているようですね」
アデルファは俺とトラストさんの顔を交互に見つめ、言葉を発する。
「こちらの声は聞こえますか?」
「聞こえてる」と伝えると、それを聞いたトラストさんが通訳のように間に挟まって俺の代わりに「聞こえてると言っています」と復唱してくれた。
「なるほど。見たところかなり特異な状態にあるようですね。しかし、魂の状態は明朗すぎるほどにハッキリとしている。これだけ安定しているところを見るに、何か存在の核たるものがあるに違いありません。ダムダさん。何か心当たりはありませんか?」
「心当たり、ですか?」
「例えば彼と出会う直前に何かを見たとか、触れたとか、そういった体験のことをたずねています」
そう言われると、トラストさんは何か思い出したように反応して、腰に巻いたポーチの中から何かを取り出して、目の前に差し出した。それは他でもない。俺が龍の墓場で手に入れた、あの琥珀色の小結晶だった。
「……これをどちらで?」
「彼と……ディア・テラスさんを見つけるより少し前に、海中遺跡の近くで拾いました。濁った水中でもわかるほど明るい光を放っていたので、何かあるのかと思い、確保しておいたのです」
「それをこちらに渡していただいてもよろしいですか?」
「構いません」
トラストさんが小結晶をアデルファに差し出し、手渡す。すると……
「おや?」
「見えなくなりましたね?」
「はい。さっきまでそこに浮いていたディアさんの姿が、見えなくなりました」
「本当に? まだ隣にいるよ?」
「ふむ。逆に私には声が聞こえるようになりました。それに、ディアの姿もさっきより格段に認識しやすくなっています。どうやらこの結晶体と彼の魂とに、何らかの深い関係があるようですね」
「深い関係、ですか?」
「これはもともとディアの持ち物であった。そうではありませんか?」
「はい。無くしていたことにも気付いていなくて、今トラストさんが持っていたことを知って、安心しました。大事なものなんです」
「一体どこで入手したものですか?」
「それは……言っても、信じてもらえるかどうか」
「構いません。ありのままの事実を述べてください」
「ラムボアード大渓谷に龍の墓場と呼ばれる場所があって、そこで手に入れたんです」
「いつでしょうか?」
「……今から三十八年後、みたいです」
「なるほど。つまりディア・テラス、あなたは過去に、あるいはこれより未来の世界にて、龍と対面しているということですね」
「えっ!?」
そんなことまでわかるの!? という驚きの声が思わず漏れてしまった。
「真実のようですね。つまり……あなたは今から三十八年後の世界から、何らかの理由、あるいは現象に巻き込まれて今の時代まで転移してきてしまった。しかも魂だけの状態で」
それからアデルファさんは推測まじりに説明を続けた。
時空を移動してしまった理由はどうであれ、原因はまず間違いなく、この琥珀色の小結晶を持っていたため。この小結晶にはかつてこの世界を支配していた絶対的存在、時を支配する神、時空龍の力がふんだんに宿っている。時空龍ほどの存在ともなると、その力の片鱗が作用するだけでも時渡りくらいの奇跡は簡単に起こせてしまえるので、三十五年程度の誤差ともいえる時を超越する程度のことが起こるのは、何らおかしいことではない。とはいえアデルファさんも伝え聞くばかりのことで、実際の事例と立ち会ったのは初めてのこと。
そしてここへ来る途中までトラストさんだけが俺のことを認知できたのは、彼がこの小結晶を所持していたため。所持者が変われば姿と声は認識できなくなり、また手に入れれば元に戻る。それはこの小結晶が現在と未来とを繋ぐ楔の役割を持っているということの証明にもなりえる。
アデルファは小結晶を俺とトラストさんに見せると、それから結晶を手の中に握りしめたままさらに話を続ける。
「こちらの時代のことに詳しくないディアのために、現在の世界情勢についてご説明しましょう」
そう言って彼が話し始めた内容は、彼自身が書いた預言書の内容とよく似ていた。
時勢としては、ちょうどグラントールとの戦争に変化が現れ、不運な事故の連続に国軍が対策を迫られている頃合い。そして時の神話学者たちはこの頃にはすでにグラントール側が起こしている奇跡の原因が、未知の神秘存在によるものであることを究明しているところであり、その調査のためにと、アデルファたちはこの大陸南東部にある海中遺跡の調査をしていたのだという。とはいえ戦時中なためこのような僻地に連れてこられる人員は少なく、今回は少数精鋭による遠征となっている。
「これは私用混じりの問いかけなのですが、ディアは、元の時代でこの海中遺跡を見ていますか?」
「同じものかどうかはわからないけど、神殿になら行きました。ですがそこで見た御神像は他の場所で見たものと同じで、たぶんだけど、グラントールで問題を起こしているものとは別のものです」
だって、預言書には問題を起こしたのはラグエルノ龍だと書かれていた。あの御神像に象られている龍とは別の個体だ。
「やはりそうですか。そうすると、私たちがここにいる必要はもう無いということになりますね」
「俺の言葉をそんなに簡単に信じても良いの?」
「神秘的な現象を前にした時に、それが嘘を言っているとはまず考えません。今の貴方は私にとって、信じるに値する存在です」
「そういうものなんですか」
「そういうものです。というわけでダムダさん。私たちは明日から拠点の片付けを始め、三日の内にはグラントールへ向けて再出発することにいたしましょう」
「また急な予定の立て方ですね。構いませんけど、他の方たちに向けた言い訳は自分で考えてくださいね」
「承知しておりますとも。ああ、それから。ダムダさん。私にはこの結晶がなくとも、ディアの魂のかたち程度は見て取れるため、これは貴方が持っていなさい」
アデルファは手の中に握りしめていた小結晶をトラストさんに手渡した。
「どうして私が?」
「貴方が持っていた方が、余程相応しいでしょう」
その会話を最後に、俺とトラストさんはアデルファさんの雑貨だらけで狭苦しいテントの中から外へ出た。閉鎖的な空間から外に出たことでちょっとの開放感を得て、俺の口からも正直な言葉が漏れてしまう。
「アデルファさんが小結晶を預かることになってたら、あの人とずっと一緒にいなきゃいけなくなるのかと心配してたよ。君なら話が通じそうだから、安心だ」
そう言うとトラストさんはちょっとばかり嬉しそうな反応をした後に「任せてください」とだけ言って、笑ってくれた。