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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述26 機械仕掛けの神妃
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記述26 機械仕掛けの神妃 第6節

 ラングヴァイレの体を抱えたまま宙を飛び、堤防の上へ戻り、足場のある場所へ下ろす。その頃にはラングヴァイレの驚きの感情もいくらか収まり、やっと絞り出した小声で「ありがとうございます」と感謝を俺に伝えた。イデアールがその一部始終を黙って見つめていた。爽やかな朝の陽射しの下に立つにはいくらも違和感がある、陰気な佇まい。振り返り、向き合い、睨み合う。

「好きな女の子に逃げられたことがある男の嫉妬には実感がこもっているな」

「……何をしにきた?」

「邪魔しに来たに決まってるだろ。味方にでも見えたか?」

「私はお前が敵になったとは思っていない」

「メンテ明けでまだ寝ぼけているのか? この間殺し合いをしたばかりじゃないか」

「記憶があるのだろう?」

「……そうだな、イデア。改めて言おうか、感動の再会だ。だが握手なんかより先に言い合うことがある。オマエ、一体この世界をどうするつもりなんだ?」

 問いかけると、イデアールは義眼ではない方の瞳をゆっくりと横に流し、海を見て、それから荒野が続く北の方角を見た。

「あの忌々しくて仕方がなかった、『雪』なるものが消えてなくなった。民たちは寒さに凍える心配もなくなり、豊かな食事にありつけるものも随分と増えた」

「質問に答えろ」

「……私は、私が愛した世界を取り戻す」

「取り戻した後は?」

「……」

「理想の世界を取り戻して、オマエ自身は良い気分に浸ったままお高い墓の下にでもまた引きこもろうって言うのか?」

 腰に携えていた携帯式の槍を取り外し、切っ先をイデアールに向ける。

「いい迷惑だ」

 イデアールが口角をわずかに歪め、出来損ないの笑みを俺へ返した。

「お前もこちら側ではないのか? 戻りたいのだろう、かつての日々へ」

「戻りたいに決まってる。誰だってそう思う。今より良い場所で不安を知らぬまま生きていたいって」

「ならば願えばいい。望めばいい」

「馬鹿じゃないのか、本気でさ。そういうのは、大人になることを嫌がる子供のワガママと大差が無いって、なんでわからないんだ。世の中どんなことだって起こりえる。楽しいことなんてロクに無い世の中かもしれないけどな、俺たちは、どんなに理不尽なことだって受け入れて、立ち向かわなきゃいけない。それが『この世界で生きる』ということだ」

「万物が平等に不幸であることを、お前は望むのか? ただ一つの神の気まぐれにより襲い掛かる災厄の全ても、試練であると、定めであると受け入れるのか? そんな望まぬ不運を背負う必要はもう無い。もう無いのだ。神が定めた道理など、私はもう幾らでも壊すことができるようになった」

 イデアールが腕にぶら下げていた剣を胸の前に掲げる。銀色の刃の表面に俺の姿が鏡映しになり、ギラリと閃く。

「ソウドよ。お前の道理すらもまた、私が壊してやろうか?」

「壊れてるのはオマエの頭の方だ」

 槍を握る手に力を込め、平行に構え、踏み込む。飛び出す。いくらか距離があった二人の距離が一気に縮み、槍の切っ先がイデアールの体に刺さる、その直前。 ガキンッ と硬いものにぶつかる音がして、何かに攻撃を妨げられた。何かとは、エルベラーゼが振り下ろした細い剣だった。装飾過多で戦闘用ではなかった剣は間もなくしてピシリと音をたてて砕けたが、それでも攻撃は防がれた。俺は大きく一歩その場から飛び退き、再びイデアールから距離を取る。

 エルベラーゼは壊れた得物を床に投げ捨てると、白い腕を横に広げてイデアールを庇うようにして立った。

「そう怖い顔ばかりするな」

 女に守られたイデアールがニヤリと笑う。

「私がお前に勝てるわけがないだろう。だが、この女ならどうだろうな。仕置きをしてやろうと思っていたところだったし、丁度いい。好きに戦い、肉を裂き合うといい」

 イデアールは自身が手にしていた銀色の長剣をエルベラーゼに手渡した。訓練された兵士が振り回してもいくらか重いであろう彼の長剣を、エルベラーゼは片手で受け取ると、軽々と目の前で振り回して構えを取る。あの細い腕のどこにそんな力があるのかと目を疑うが、それは彼女が人間ではないことの紛れもない証となる。

「ゆけ」

 イデアールの低い声が合図となり、エルベラーゼが床を蹴ってこちらへ突進してくる。銀の長剣は上段に構えられ、俺のすぐ目の前まで来たところで振り下ろされた。俺はそれを避けるではなく槍の柄で受け止める。重たい衝撃が腕に伝わり、受け止めた姿勢のまま体が後ろへ押し込まれる。柄の長さを利用して刃を弾き飛ばすと、エルベラーゼは弾き飛ばしたままの軌道を利用して再び俺に剣を振り下ろしてきた。ガツリとまた刃がぶつかる。

 剣戟ともいえる得物のぶつけ合いがいくらか続いた。時に避け、時に受け、弾み、跳び、距離をとってはまた接近し、刃を交わし合う。

 強いと感じた。それも、今までに戦ってきた誰よりも強い。

 刃を受け止めた時に体に響く力の総量もさることながら、驚異的なまでに身軽な身体能力の高さにも目を見張る。そして何より、技がある。長い間修行を続けた剣士のような、見事な剣さばき。全ての動作に無駄が無い、その洗練された様子は血生臭い戦闘などではなく一つの乱舞のように軽やかで、そして鋭い。

 実力が拮抗しているわけではないが、相手には全方位に目がついているのではないかと思うほど隙が無い。そのためこれだけ斬り合っていて、お互いにまだ相手の肉を切るにいたっていない。長期戦になることが見込まれた。

 先に痺れを切らしたのは俺の方。大きく地面を縦に蹴り上げ、上方へ飛び上がる。そのまま翼を開き、宙を飛んだ。

 空中戦ならどうだと思ったが、相手は無闇に追いかけてくることをしなかった。代わりにエルベラーゼは細い右手を前にかざし、それを踊るような動作で左へはらう。するとその手先の流れる様に合わせて彼女の目の前に氷の塊が現れた。氷の塊は先端が鋭く尖った氷柱の形状に変わり、宙へと逃げた俺の方へ向かって一気に射出された。数は三つ。空中には避ける場所がいくらでもあるため、これくらいなら容易にいなせる。

 今のは「空へ逃げるなら遠隔で攻撃する」という意思表示だ。

 エルベラーゼが続けざまに氷柱を生成し、もう一度飛ばしてくる。先程より数が多い。避けられはするが、それより打ち落とせるか試しておくべきだと思った。

 俺は虚空に向けて槍を振る。するとそこにバチバチと激しい火花を散らす球体が現れる。雷を圧縮して丸めたエネルギー体。もう一度槍を振ると、こちらへ襲いかかる氷柱の雨へ向けて飛んでいく。エネルギーとエネルギーがぶつかり合う瞬間、派手な飛沫と爆発とが一つ弾けて、氷と雷の両方が塵となって消えていった。今の出力で相殺できるようだ。

 ならばもっと強い力で……と思った矢先、同じことを考えたエルベラーゼの方が行動が早かった。エルベラーゼが地面を蹴り、その場で一回転。すると彼女の前方に大きな白い塊……雪の塊が生成され、今度はそれから無数の細かい氷の粒が雨のような弾幕となって発射された。

 前方全てを覆い尽くす雹の弾幕。前後左右のどこにも避けることが出来ない。ならば防ぐまでのこと。

 俺は槍の柄を握り直し、切っ先の刃に念を込める。すると金属でできた刃はすぐさま体積を増し、シェルターのような形になって俺の体全てを覆い尽くす。間もなくして金属の膜に雹の弾幕が降りそそぐ。バチバチと硬い氷の塊が金属の表面で弾ける激しい音がした。

 音が収まる。その頃合いを見計らって膜の後方に穴を開けて、シェルターの中から脱出する。しかしその隙を狙っていたエルベラーゼが剣を握り、宙へ飛び上がっていた。隙ができることは承知していたため。だからこの攻撃だって防ぐ用意が無かったわけではない。しかし、槍が元の形状に戻るより先に、エルベラーゼが距離を詰めた。ならば雷で撃退しようと考えを変え、飛びかかってきたエルベラーゼへ向けて雷を振り落とした。

 雷は、命中した。

 エルベラーゼの体に鋭い電流と激痛とが走っただろう。直撃した箇所の肉が焼け、白く美しい肌の上に真新しい火傷の痕がびっしりとこびり付くように生まれる。まるで返り血でも浴びたような、派手な怪我。その姿を見て、一瞬心が怯んでしまた。

 エルベラーゼは自身の体が焼けることに構わず飛行する速度を落とさず、真っ直ぐに刃を突きかざし、そのまま、俺の左肩に剣を刺した。

 刃は肩の肉を刺し貫き、肩甲骨をすら砕いて背中側に貫通する。激しい激痛が伴った。痛みに意識が一瞬だけ飛び、その一瞬の集中力の途切れのために、宙に浮いた体が落下する。いまだ剣の柄を握りしめたままのエルベラーゼとともに、堤防の真下へ。

 落ちる。下方を見る。岩と塩の塊が敷き詰められた海岸の地面は硬く、ゴツゴツと歪な形をしている。

 落ちる。このままではいけない。もう一度翼をはためかせて宙へ浮こうと体を翻そうとした。そこで、一緒に落下するエルベラーゼの姿が否応までに目に入った。

 火傷のために皮膚の下の肉が露出した痛々しい姿。瞳は開いたままだが、その全身からさっきまで感じていた敵意が抜け落ちていることに気がつく。気絶しているのだ。直撃なんてくらうからと、自分でやったことながら嫌な気分になる。「仕置きをしてやろう」というイデアールの言葉を思い出す。最初から傷付けるつもりで俺の前にけしかけたのだ。

 俺は、負傷したエルベラーゼの体を空中で抱きしめた。細く頼りない、女性の体。火傷のために一部は熱く火照っているが、腕を回した背中の肉は冷たく、なめらかなままだった・

「ごめんな」

 耳元で一声囁き、彼女の体を守るように自分の体を地面の方へ向け、そのまま落下した。

 

 

 以後のことは覚えていない。再び目を覚ました俺は海岸の端に横たわっていて、周囲にはしとしとと雨が降っていた。

 また死んだのだと思い当たるが、記憶はハッキリと残っている。降りしきる雨の中、浮かない気持ちのままに堤防を登ると、そこにはもう誰の姿もなかった。


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