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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述26 機械仕掛けの神妃
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記述26 機械仕掛けの神妃 第3節

 閉め切られたガラス窓の向こうから入り込む陽光は、その下にある白いベッドシーツを薄い黄金色に染めていた。時刻は黄昏に傾こうとする頃合い、あの鬱陶しいくらい鮮やかに映える空の青も、これからの時間は徐々に色を失い暮れに沈んでいく。防音が効いているらしい病室の中はやけに静かで、日暮れを前にしてもいまだ賑やかな街の喧噪は届いていない。にもかかわらず何故か、黒いシルエットを持つ鳥の群れが西へ向かって飛び立つ時の、あの長い鳴き声だけは、壁板を貫通して聞こえてきているようなっだ。幻聴だったのかもしれないけれど、確かに夕暮れは近い。

 時間が止まっているかと思うほど長く感じた一拍の沈黙の後に、カタリと小さな音をたてて病室の扉が閉まる。他の客が誰も入ってこれないように鍵をかける音もして、それから彼は部屋の奥から一脚の椅子を持ってきて「お座りください」と俺の目の前にそっと置いた。彼自身は背もたれの無い小さな丸椅子に腰かける。

「突然このような場所に呼ばれて、さぞかし驚いたことでしょう。お連れしていただいたディノにも、お越しくださったゼウセウト様にも、心から感謝いたします」

「一体これはどういう状況なんだ?」

 ラングヴァイレが口を開き、話しかけている間も、俺の視線はずっと窓際のベッドで静かに横たわる王女の方を向いていた。俺の視線が背後のエルベラーゼから離れないのを見て、ラングヴァイレもまた彼女の方を振り返り、僅かに眉を下げながらまたこちらへ顔を戻した。

「ゼウセウト様にどうしてもお話しておきたいことがありましたので、ディノを使ってこちらへ招き入れました。もちろん、そちらでお眠りになられているエルベラーゼ様に関することです」

「俺がホライゾニアの関係者であることは十分に知っているはずだ」

「わかっております。なので、今回お会いしたことは、どうぞ内密にお願いします」

「情報の提供でもしてくれるのか?」

「これからお話することは、ソウド・ゼウセウト様にしか必要のないものになります」

「個人の話? こんな時勢に、あんな政治舞台の大物を横に置いて。俺じゃなかったら今すぐオマエを殺して、そこの女だけを抱えてさっさと街を出ていくところだぞ」

「悪ぶるのはよしてください。今回は本当に、大切な話なんです。私にとってはもちろん、きっと貴方にとっても」

 冗談を聞くつもりもなく、ラングヴァイレは真剣な調子で言葉を続ける。これでは自分が空気を読んでいないようになってしまい、腑に落ちない。

「随分真面目な様子だな」

 ラングヴァイレが持ってきた椅子の背を手で引き、向きを整えてから腰掛ける。長い脚は向き合うのに邪魔になるため、適当に組んでおく。

「ありがとうございます」

「それで。エルベラーゼの話だろ?」

「はい……あなたは、エルベラーゼ様……あるいは人造白龍というものについて、現在どれほどのことを知っていらっしゃいますか? 私に語れるところまでで構いません、どうぞお聞かせください」

 いきなり踏み込んだ話をするんだなと思いながら、答える。

「五十年前に死亡したエルベラーゼ・アルレスキュリアの死体を材料にして造った人型兵器だろ。先の人為的に起こした大規模な世界改変は、そのエルベラーゼが生前に、あるいは死後も持っていた特別な龍の加護を利用して起こしたもの。違うのか?」

「おおむね正解です。しかし、そこにもう一つ別の材料が存在していました」

「……エッジ・シルヴァか?」

 ラングヴァイレはゆっくりと首を縦に振った。そして丁寧すぎるほど丁寧に、慎重に、言葉を選びながら自分が知る真実を語り始めた。

「あの時世界改変に用いられた奇跡の力は、もともと神たるレトロ・シルヴァの実子であるエッジ・シルヴァにのみ授けられていたものでした。エルベラーゼは加護こそ持ってはいたものの、同じものを所有してはいません。それは世界を自由に、思い描くままに理想を再現する力。神の伴侶とはいえ人間の身分で持ち合わせるものではありません」

「だがエッジという男は、それを持っていた。いわゆる半神半人というヤツか」

「エッジ様は不老の特徴をお持ちになるお方でした。自身の成長が二十を迎えるより先に止まり、以後衰えることがないことを悟ってから、自分が持つ他の面についても気になさるようになりました。漠然と気付き、長い間悩み続けていた。今年になってアルレスキュリア城にやってきて、検査を自ら望んで受けることによって、初めて正確に詳細を把握するに至りました。己が持つ異能について。しかし同時に、身に余る力の強大さに苦痛を感じ、手放すことをお選びになりました。その譲渡先がイデアール陛下です」

 奇跡の力の根源となるものをエッジの中から抽出し、適合性の高い別の器、エルベラーゼの肉体に移し替えて道具を作る。それを使う許可を、エッジはイデアールに与えた、という感じらしい。俺にはどんな原理でそんなことをしているのか、全く想像ができない。しかし現実に世界改変が実行できているというのだから、理論は正しかったのだろう。

「詳細についてはデリケートな問題が絡みますので、エッジ様本人の許可がない限りお話しできません」

 ひどくグロテスクな内容なのかもしれない。

「なぜエッジは、そんな決断をしてしまったんだ?」

「本人にしか答えられない質問です。しかし、以前に私がたずねた際にいただいたエッジ様本人の言葉では『不安はあるが、不満はない』とのこと」

 受け入れようという意思はあれど、覚悟はまだ足りなかったのだろうか。

 それで、肝心のエッジ・シルヴァの現状について。力を譲渡した後のエッジは城内のとある部屋、誰の眼にも入らない場所に籠り、静かに過ごしている。今は誰とも面会したくないというのは本当の話だそうな。

 先の世界改変のタイミングで、ことが全てつつがなく進行したというのならば、世界中の人物の記憶からエッジ・シルヴァの存在が消えている。これもすでにディアから聞いていると伝えると、「なるほど、すでにディア様とお会いになっていたのですね」と、少し嬉しそうに言った。

「エッジ様は……イデアール陛下に力を譲渡することを決めたその時から、自分の存在が世界から消える可能性を悟っておられました。あるいはイデアール陛下から直接、今後の世界についての詳細をお聞きになっていたのかもしれません。どちらにせよ、その選択は恐ろしいものでありましょう。なぜならこの行為は、紛れもない『自殺』です」

 陽は傾き、黄金は朱に染まり、影は闇に溶けて色を薄める。静寂に満ちた部屋の中には俺とラングヴァイレの言葉以外に音はなく、だからこそその短い単語一つが余計に重たく、床に沈み込むように感じられた。

「目の前で……私は、目の前で……エッジ様が首を吊った瞬間を、一部始終を見せていただいたことがあります」

 ラングヴァイレは瞼を閉じ、手の平を胸の前で合わせながら、頭を垂れるように俯いた。敬虔な信者の姿をしている。

「エッジ様はご自身の異端性を私に教えてくださるがためだけでに、私の目の前で首に紐輪を通して自害してみせました。衝撃を前に狼狽えることすらできず、ただ起きたことを頭の中で整理するに精一杯でいた、その数分か、十数分かの時間の後に、エッジ様を吊るしていた紐が唐突に千切れて、お体が絨毯の上に落下しました。見れば、さっきまで穢れに塗れていた絨毯は綺麗になっていて、エッジ様もまた先ほどまでの青い肌色など無かったかのように美しいお顔で、むくりと、起き上がられました。急いでお近くまで寄って確認したところ、体のどこにも異常は見られません。首の縄痕の一つ無く、エッジ様はご健全なお姿をしていらっしゃいました。そして美しい琥珀の両目を開き、私の怯えた姿を見つめるとともに『これが不老不死だ』と教えてくださいました」

 彼は今までに何度も自死を望み、ことごとく失敗してきた。

 その後もラングヴァイレはエッジ本人の口から様々なことを話し聞かされた。自分の過去、失ってきた物の数々、ほしかった物の数々、諦めたものの数々。

 神と人の間に生まれたものとして授かってしまった奇跡の力。

 それは願いを叶える力。自分の願望、欲望、欲求、本能、それらを無尽蔵に実現できる神にのみ許された奇跡の力。けれど想像してみてほしい。人間に願望を制御する力などあるのかと。

 奇跡の力はエッジが無意識に抱いた願望にも作用し、時に理性からも離れ、暴発する。かつてのレトロ・シルヴァがそうであったように、いずれその身に、あるいは周囲の全てに破滅をもたらす。

 簡単な話だ。死ねと言えば死ぬ、好きといえば愛してもらえる世界の中で、健全な生き方ができるのかと。

 故に過去のエッジは多くのものを失ってきた。

 結果、エッジは誠実な心を持つがために他人の心を歪ませることを拒み、人とのふれあいすらも恐れて中央雪原に身を隠した。そこにディアたちがやってきてしまった。誰も来てほしくないと望んでいたはずなのに。

 ディアに僅かな希望を感じ取ったエッジは、ディアの旅に同行することを望んでしまう。

 その旅の先で、ソウド・ゼウセウトと出会ってしまった。

「エッジ様はもっと幸せになるべきお方です」

 ラングヴァイレは言う。まだ短い時分ながら、側使いとして近くから見守ってきた立場から、心底悔しく、哀しそうに彼は嘆く。

「生まれつき授かってしまった神の力なんてものは、理不尽な呪いでしかありません。そんなもののために不幸の道を歩み続け、イデアール陛下が……あの男が理想とする世界の実現のために身を捧げることなんて、あってはならない」

「だが……彼自身の願いこそ『いなくなってしまいたい』の一言に収まってしまっていた」

「そう思ってしまった原因こそ、貴方なのですよ、ソウド・ゼウセウト様」

 不意に名前を呼ばれ、窓際に寄せていた視線をラングヴァイレの方へ合わせると、悔し気に歪んだ彼の顔と目が合った。

「エッジ様は他の誰でもない、貴方様の前からこそいなくなることを望んでおられました。だからこそ、あの時に、世界改変からいくらも早いタイミングで、貴方の中から自分に関する記憶がけを抜き取るように願ったのです」

「なんでそんなことを?」

「忘れてしまった方が幸せでいられるだろうからと」

 エッジ・シルヴァと交わした通信端末のメッセージを思い出す。どこにも不快に思うような面は見当たらなかった。周囲の人々から話を聞いていた時も、良すぎるほどに人が好い性格をしていただろうことも予想できた。俺がわざわざ嫌う人間などではないことは明らかで、それも忘れてしまった方が幸せなんて極端な話がそうそうとあるとは思えない。

「何かの間違いじゃないのか?」

「いいえ。今回、ゼウセウト様と改めて向かい合ってみて、わかりました。今の貴方は、過去の記憶を取り戻した後の貴方は、満たされている。イデアール陛下との因縁こそ有りはしても、それ以外においては大きな悩み事もなく、健やかに過ごしていらっしゃるように見受けられます。恐らくは己の人智に及ばぬ運命を受け入れるだけの老成すら身につけていらっしゃる。だから……エッジ・シルヴァと過ごした少しの時間と記憶さえ無くなれば、あなたは他の誰とも同じように幸福を求めて生きていられるだろうと……エッジ様がおっしゃっていたことは本当でした」

 相応の評価をされているはずなのに、嫌悪感がふつふつと湧いてくる。その理由にはすぐに気付けた。ラングヴァイレは今、わざと俺を侮るような言葉を口にしている。

「いたく心外だ」

 怒りを露わにして言葉にすれば、ラングヴァイレは黙って俺の目を見つめた。

「それじゃあ俺が、他人の犠牲のうえでしか幸福になれない軟弱者みたいじゃないか」

「違うのですか?」

「もちろんだ。俺は……俺は今、今日この場所でオマエから一連の話を聞いて、腹が立って仕方ない。俺には自分の幸福のために尽力するだけの力がある。それがどんなに苦痛をともなうことだとしても、そうあってほしいと願った理想があれば行動し続けるように今まで努めてきた。その俺が……そんな、か弱い一人の存在に守られるようなことがあっていいはずがない! 記憶を喪う前の俺だって、同じことを言うはずだ!」

 きっと、エッジ・シルヴァのことを知っていた頃の俺ならば、忘れることなど許さなかっただろう。俺のためにするというエッジの狂気じみた選択を、拒絶するに決まっている。

「だからエッジ様はあなたに何も告げなかったのです」

 怒りの感情に悔しさが加わり、自然と拳に力が入る。苛立ちは表情に現れているようで、ラングヴァイレの視線は俺の眉間に深く刻み込まれた皺の方を見つめ、ほのかに笑っていた。

「放っておくと、いつまでも罪と業を背負って生きていくことを選ぶ。ソウドはそういう人なんだと……エッジ様はおっしゃっていました」

「ならばこそ、記憶の有無を決める判断は俺本人に委ねるべきじゃなかったのか!?」

「エッジ様にはそれができなかった。断られることがわかりきっていたから」

 俺は自分の胸に手を当てて自問する。エッジ・シルヴァとは何なのか。どれだけ自問しても、記憶を掘り起こしても、顔の一つも思い浮かばない。それがもう、悔しくて悔しくて仕方ない。

 こんなに心がざわついて、苛立って仕方ない理由だって、わからない。

「ゼウセウト様……」

 沈黙。一瞬とはいえない、気の長い沈黙が病室の中に重く浸透する。何もいわない。ラングヴァイレが発する、次の言葉を静かに待つ。

「会いたいですか?」

「……」

「ディア・テラスに預言書を集めてくるように頼みました。その様子ならご存知でしょう。それが集まり、準備が整いましたら、彼らをエッジ様に会わせる約束もしています。その時に……どうか貴方も同行してくださいませんか?」

 返事をする必要など、無いように思えた。

「お願いします。私には、エッジ様を幸福にできるのは、ゼウセウト様だけのように思えるのです」

 

 かさり

 

 そこでふと、二人の会話以外に物音一つならなかった病室の中に、衣が擦れる小さな音が聞こえてきた。何かと思い視線を向けると、ずっと話の傍らでベッドに横たわっていたエルベラーゼが起き上がり、無言でこちらを見つめていた。いつの間に目を覚ましたのだろう。話は……聞いていたのだろうか?

 彼女は大きな青い眼を寝起きにも関わらずより一層大きく見開き、俺を見つめてわずかに驚いたような様子を見せていた。しかしそれ以上は何を考えているのかわからない、神秘的な表情をしている。

 エルベラーゼは俺の顔をじっと見つめる。当時ウィルダム大陸一の美女と誉れ高かった容姿の美しさは、今もそのまま。絹のように滑らかな白肌も、泉の底の深層を思わせる青の瞳も、長く豊かに伸びた氷色の髪も。

 俺が初めてエルベラーゼと出会った時、確か彼女はまだ十六にも満たない頃で、まだまだずっと少女然とした姿をしていた。今の彼女は死亡時の姿というわけだから、すっかり大人の女性に成長している。

 とはいえ本来的に死んだ人間が生き返るわけもなく、彼女の中身がエルベラーゼ本人ではないことはよくよくわかっている。そう思えるだけの根拠だって今の彼女の纏う雰囲気にもあって……そう、あの無邪気で危うさを感じるほどの愛らしさが、存在していない。今あるのは冷淡で落ち着いた、老齢すら感じさせる、穏やかな眼差し。朱色の陽光を背負って変に影ができているせいだろうか、今の彼女には自ら望んで慈愛をせがんでしまいたくなるほどの魅力があるように思えた。なんて厚かましい感情だろう。

 そして何より、戴冠式の時に骨折させてしまった腕がもうすっかり治っていることに、俺は安堵していた。

「お目覚めですか、エルベラーゼ様」

 声をかけられたエルベラーゼは何も言わずコクリと小さく頷いた。それからまた俺の顔をふわりと見る。

「ゼウセウト様……」

 不意に椅子からラングヴァイレが立ちあがり、俺の名前を呼ぶ

「なんだ?」

「話はさっきのことで全てですので、私はここで失礼いたします」

「え?」

「明日の早朝にまたこちらへ戻ります。その間、このお方の話し相手になってあげてくださいませ」

 突然の彼の言葉に絶句する。

「ちょっと待て! なんだ、その……彼女は結婚直後だぞ!?」

「黙っていれば平気でしょう」

 そう笑って、ラングヴァイレはこれ以上ないほど素早い動作で椅子から立ち上がり、部屋の外へ出てしまった。

 ガチャリと外側から鍵がかけられる音がして、病室の中には俺とエルベラーゼの二人だけが取り残された。


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