記述26 機械仕掛けの神妃 第1節
『あの真昼の空の色が灰から青に変わって以来、我々が住むイストリアの街はかつてないほどの好景気に突入しました』
飛行するフライギアの船内、冷たい個室の壁に背を預けながら窓の外を見つめる。手元に立て掛けられた通信端末のスピーカーからは、年老いた男の困惑の色に染まった声が聞こえてきていた。
『フォルクス様……あの方は一体何をしたのでしょうか?』
かつて鈍色の岩肌が続いていただけの荒野に萌え広がった森林地帯。間を流れる大河の水は空の色と同じ青色で、周囲には生命の息吹を感じる穏やかな風が吹いているのだろうと見て取れる。
「多くの人間にとって知らない方がいいこと。だが、悪いことであるのは確かだ」
『たとえその結果、どれだけ世界が良い方向へ進もうとも?』
「もちろん」
スピーカーから聞こえる声にノイズが混ざる。溜め息の一つでも吐いたのだろう。通信端末の向こう側にいる男はしばし黙り込み、やがて口を開く。
『……私は、あれからいくらかの歳を取りましたが、いまだに貴方様ほど聡明ではありません。わからないのです。私が叛逆境界に協力したのは、この国を良くするために他ならない』
「ならば今から味方する方向を変えるのか?」
『いいえ。迷いはしますが、決断は変えません。今までのこともありますので、私はホライゾニアにこそ正義があると信じたい。そこは心の底から思っています。ただ、考えに時間を要するだけのことが起きてしまったとは、フォルクス様もご存知でしょう』
「オマエたちは随分昔に自立した存在だろう、今更助言をしてやるようなこともない。それに俺はホライゾニアのために行動しているつもりはない。自分がしたいことをするために、協力するかたちで利用しているだけだ」
『では、どうしてイストリアに?』
「イデアールという男に文句を言いに行く。ヤツが今どこにいるか、オマエはもちろん知っているな?」
『陛下は現在、トラスト領イストリアの王立病院にてメンテナンスを受けているはずです。面会は難しいとは思いますが……貴方ならば可能かもしれません』
「どうだかな」
必要な情報を引き出したところで、軽い挨拶を交わし合った後に通信を切る。そこでちょうど飛行するフライギアの高度が下がり始め、窓の外に見える地上の景色がずっと近くなった。さっきまで見えていた森林地帯はすでに遠くへ流れており、今見えるものは切り立った岩の塊でできた山脈地帯。トラスト領に入ったことがよくわかる光景である。
トラスト領はアルレスキューレの城下街から南方に遠く離れたところにある郊外地区だ。それなりに広い領土を持っているが、そのほとんどが人が住めない山脈と高地とでできている。
山が多いおかげで鉱山資源に恵まれて発展してきた過去があるが、それももう五十年以上も昔の話。炭鉱の資源は随分前に掘り尽くされてしまったため、上空から見かける採掘場のようなものはほとんど全て廃鉱と化している。
にも関わらず地元の豪商の口から「好景気」の言葉が出るのは、ひとえにここがあのダムダ・トラストのお膝元であるためだ。軍事のみならず政治的手腕にも覚えがあるトラストは、軍人として一躍出世した後に、手に入れた富の一部を使って落ちぶれた故郷の改修と復興を行った。
険しい山脈を開拓して人工的な平地を造り、流通が行いやすいように道を整備。外部で採取した輸入資源を加工する最新鋭の工場をいくつも建設、製造物の輸出にも力を入れる。働く場所が増えるとともに外部から働き手となる人が集まり、商業も発展した。ウィルダム大陸では数少ない景気の良い街であるため、城下街、ラムボアードに次ぐ移住地としての評価もされているそうだ。それがさらに好調になったというのだから、あの豪商も内心で笑いが止まらないことだろう。
だんだんと近付く地上の景色を眺めている内に、船内に目的地であるトラスト領イストリアの郊外に到着したというアナウンスが流れる。まもなくしてフライギアは着陸し、俺もまたハッチを開けてゴツゴツとした茶色い地面に足を下ろした。
ここまで送り届けてくれたホライゾニアの構成員たちに一つお礼を言ってから、私用のバイクで工場煙立ちこめるイストリアの街へ向けて走り出す。
長く伸びた煙突。広々と確保できた土地に等間隔にならぶガスタンク。鉄塔。線路。物資を運ぶ貨物列車の音。コンクリートと鉄筋で建てられた縦長の四角い建造物をどうやら彼らは「ビル」と呼んでいるらしい。工業地帯の隣には労働者のための集合住宅が建ち並び、そこからさらに離れた場所には大きな発電所なんてものまである。
街中に入ってみるといたるところに広場があって、街路の横には緑の木々が植えられている。墓地も丁寧に整備されているし、道端のゴミも少ない。以前に立ち寄った時と比べて様子はどうかと思ったが、覚えのない真新しい建造物がいたるところにできてしまっているため、改変があったのかどうかの判別は難しかった。この街はいつもこんな風だった気がするから、余計に好調になったこと以外の変化はほとんど無いのかもしれない。
横に大きく広がったアスファルトの道路をしばらく走っていると、先の通信でイデアールがいると聞かされた王立病院まで到着した。
病院の内外にはたくさんの人が行き交っている。それを遠目に眺めながら、目立たないように外套とゴーグルで容姿を隠しながら敷地内に入っていった。
アルレスキューレでも最新鋭の設備が揃った大型総合病院。自身の体に患った病を癒やすために国内外から金持ちが集まってくる施設なだけあって、敷地内には余暇を過ごすための娯楽設備がちゃっかりと揃っている。病院といえば陰気で悲壮な雰囲気が漂っているものかと思っていたが、ここはそうでもないらしい。遠目に外観を見ることはあったが、内部はこうなっていたのかと暢気に感心する気持ちが心の内に芽生えてしまった。だが今日は見物に来たわけではない。
敷地の中央にある一番大きな病棟の中に入り、フロア内を見回す。警備のために巡回していた黒軍兵の中に知っている顔を見つけてこっそりと声をかけてみれば、高齢の彼は俺の顔を見ると驚き、周囲の視線を気にしながら「イデアール様は別棟の三階にいらっしゃいます」と教えてくれた。ついでに関係者用通路のパスワードも一緒に添えて。
警備と監視カメラの位置に気を使いながら、早速指定の場所まで移動する。鉄の扉一つ隔ててぴたりと人気が無くなった関係者用通路を通り、外階段をつたって別棟の三階へ。階段を二つほど登り、真っ白な廊下出ると、角を一つ曲がった先。そこで……部屋の前で不自然に立ち尽くす二名の黒軍兵を見つける。黒軍兵はどちらも手に大型の銃器を装備しており、いかにも好戦的な佇まいをしていた。
後はもう正面突破するしかないというところか。とはいえここは戦場ではなく病院だ。そこは相手側だってよく知っていることだろう。とりあえず、交渉からしてみるか。
隠れるのを止め、黒軍兵の前に両腕を上げて姿を現す。
「何者だ?」
お約束の言葉がとんできたので、ゴーグルを外して顔を見せた。
「中へ入りたい」
黒軍兵の顔がわずかに強張るのが見えた。一人が銃をさらに懐近くに高く構え、銃口を真っ直ぐにこちらに向ける。
「俺のこと知ってるんだったら歯向かうのはやめておけ」
フォルクス龍相手に金属でできた道具は意味をなさない。とはいえ忠告を受けて引くようでは警備の意味がないため、黒軍兵はこちらの言葉を無視して銃の引き金に添える指に力を込めた。
銃口から弾が飛び出す……それより先に俺は空中に掲げた腕を軽く振った。すると黒軍兵が手にしている銃器がみるみるうちに泥のように溶けて、足元に垂れ落ちていった。
「戦うつもりか?」
装備と一緒に彼らが持っている通信機も故障させてやる。救援は呼べない、さぁどうする? と思ったら、彼らは意外にも動揺も怯えた様子も見せず、先と同じように俺の前に立ち塞がり続けた。むしろこちらの戦意を確認できたことを良いことに、態度を変えた気配すら感じ取れた。
何をするつもりだ? そう思った次の瞬間、武器が無くなった黒軍兵の一人が拳を掲げて殴りかかってきた。
まさか素手で攻撃してくるとは思わなかった。驚きながらも飛び掛かってきた拳を受け流そうと体を傾ける。だが、その一撃が想像よりも遥かに速く、強く、大きな衝撃が体全体に走るとともに、体が廊下の窓を突き破って宙へと吹き飛ばされてしまった。
吹き飛ばされながらも空中で体勢を立て直し、芝生の上に着地する。すると一瞬の間もなくして殴りかかってきた方の黒軍兵が割れた三階の窓から飛び下り、軽やかな動作で自分の前まで接近してきた。明らかに人間の技ではない。
腰に携帯していた槍を引き抜き身構える。相手の追撃。回避とともに距離を取り、一旦様子を見ようと黒軍兵の顔を窺うと、眼の色が明らかに先ほどと違う。瞳孔が開き、顔全体に深い皺が寄り、よく見ればあろうことか犬歯も尖り始めている。
敵が再び一瞬で間合いを詰め、今度は蹴り技を繰り出してくる。これも速い。高くジャンプすることでこれを避けると、背後にあった庭飾りのモニュメントがバキバキと音をたてて破壊された。
この身体能力の高さはウルドを彷彿とさせる。しかし相手の豹変ぶりを見ると、また別の何かであるのではと直感が訴えてきた。そこで思いつくものは龍の加護。アルレスキューレが人造白龍の力を我が物としている以上、ホライゾニアと同じように兵士を強化している可能性がある。
それにしたって様子がおかしい。
黒軍兵の次の攻撃がとんでくる。仮説が出たならばこれ以上相手の様子を窺う必要はない。防戦に回っていた姿勢を切り替え、槍の切っ先が向く方向を整える。突進の勢いのままに撃ち込まれてきた拳を半歩横に体を傾けることでかわし、隙を突いて槍を差し込む。攻撃は命中。しかし、手ごたえが硬すぎる。突き刺した刃は鎧を付けていないにも関わらず硬い何かにかち当たり、刃が跳ね返ってくる。相手の体は衝撃で突き飛ばせたものの、ダメージはほとんど入れられなかった。
長期戦になるな、と感じたところで、近くから騒ぎを聞きつけた誰かが物音をたてて近づいてくる気配に気付く。警備側の加勢ならまだしも、紛れ込んできた一般人ならちょっとばかし面倒だ。
相手を突き飛ばした今のタイミングならば逃げられると思い、急いでその場を後にした。