記述25 龍の墓場 第6節
行けども行けども商店ばかりが建ち並ぶラムボアードの通りを一つ二つと横に曲がった先の路地の裏。割れた空き瓶、雨に溶けたチラシの山、どこかから飛ばされてきてそのままになった泥だらけの洗濯物。それらの横を通り過ぎた先にある、小さなブリキの扉。取り付けられた入力装置に決められたナンバーを入力すると、数秒の時間差の後にカツリと開錠の音がする。中に入ってすぐの狭い空間には三名の構成員が出迎えており、暑苦しい態度で「おかえりなさいませ!」と声を合わせてきた。三名の構成員たちは俺の後ろに続く見知らぬ顔にいくらかの警戒の眼差しを向けたが、その中に非武装の女子供が混ざっていることに気付くと今度は不思議そうにお互いの顔を見合わせあった。
ここはラムボアードの東西街中にいくつか存在する叛逆境界ホライゾニアのアジトの一つ。密集するように建ち並ぶラムボアードの街並みの隙間に隠れるように土地を確保しているため、アジトの中はとても狭い。防音設備すら乏しい会議室が一つ。衛生管理が心配な仮眠室が一つ。構成員の待機所が一つ。そして地下へと続く昇降機に乗るための小部屋が一つ。
ガタガタとうるさい音を立てながら下降する昇降機に乗り込み、地下深くに潜った先にあるものは、アジトの狭さとは似ても似つかない規模を持つ研究施設。今回はここに用があり、ディアたちを招き入れた。
埃被った蛍光灯の明かりがチカチカと照らす廊下を歩い進む。研究所の内観は寂れた地下室といった風で、何もかもが時間経過の中で寂れて薄汚れているようだ。足元に敷き詰められたタイルも踏み慣らされて随分とすり減っている。近頃は研究や作戦が忙しくて清掃まで手が回らないと言い訳をしていたが、換気もロクにできていない様子を見るに、叱りつける人間がいくらか不足していたのかと思われる。長い間留守にしていた傍ら、今更そんな面倒な立場になるつもりはいささかも無いので、自分も文句を言わないように努めることにしていた。反王制派を謳う条件のもと人目に隠れたまま、この規模の施設を維持管理できているというのならば、まぁ上場なのではないだろうか。最低限のものは揃っていると彼ら自身も思っているのだろうから、現状は些細な問題など後回しでいいのだ。
清潔に管理されたアルレスキューレの研究施設との違いについて考えている内に、目的の部屋の前までやってきた。他よりいくらか小綺麗に飾り付けられた茶色の扉。横の壁には「応接室」のプレートが貼り付けられており、それを見てから中へ入る。
「好きなところに座れば良い」
入ってすぐにそう声をかけると、後ろをずっと黙ってついてきていたディアたちも部屋の中へ入り、少し遠慮がちに思い思いの席についた。自分もまた部屋の奥側にあった一人がけのソファに腰かける。横では静かな動作でメタルが定位置に立った。
「さて、まずは何を話す?」
「もちろん状況説明からだよ。ソウドは、一体ここで何をしているんだい?」
内心でほとんど状況を察しているだろうに、ディアは全く見当もつかないと言った態度で話を切り出した。ならば答えてやろうじゃないか。隠すようなことでもない。
「ここは叛逆境界ホライゾニアのアジトの一つ。本拠地はペルデンテだが、研究施設の規模としては流通の関係でラムボアードの方が充実している。ホライゾニアの活動目的は単純明快、アルレスキューレ王制国家に革命を起こし、君主制を廃止すること。かといって味方を増やしたい関係であまり悪いことには手を出せていない、温厚な性質のある反乱勢力といったところだ」
ディアたちは応接用のソファに座ったまま、静かに俺の話を聞いている。まだ口出しをしてこないことを確認してから、話を続ける。
「主な構成員はアルレスにもペルデンテにも属さない無国籍のアブロード人。次にアルレスに無数にいる国の内通者たち。特に民兵を集めて構成されている国軍第三部隊灰軍は、そのほとんどが反乱意識を持ったホライゾニアの戦力だ。他には情報や資金援助のやり取りしている商人や学者、野心を持った貴族などの協力者がいる。このウィルダム大陸の中でアルレスキューレの悪政と汚れきった伝統に不満を持つ権力者は、片っ端から味方に引き込んでいるということだ。単純な総数、物量においては基本的に親国王派を圧倒している。課題になっているのは所有する科学力の差から生まれる個々人の戦力差だな。構成員が仲間内以外にホライゾニアの名前を出すことはなかったため、一般的には単純に「反乱勢力」と呼ばれることが多い。かといってもちろん、反乱勢力の全てがホライゾニアというわけではない」
「随分詳しいんだね」
ウルドが茶化すように笑うのを横目に見る。それで結局、アンタってホライゾニアの何なの? と、暗に質問を投げかけている。
「俺は、この叛逆境界ホライゾニアの創立者の一人だ」
始まりは、まだ俺に記憶があった頃のこと。王族大虐殺事件の後に崩壊した秩序に思いを馳せ、あるいは王制というしがらみの中で病床にも関わらず逃げ場が無かった旧友のため、一念発起して協力者を集め始めたあの頃を思い出す。自分のことながら健気なものだと思う。若かった、と表現するのがしっくりくるだろうか。
レトロから記憶喪失の呪いを受けた後も、大陸中を彷徨う中で何度もホライゾニアとは合流していた。自分の過去のあらましをその都度説明され、力を貸すこともあれば気にせず通り過ぎることもあった。それだけでも長い年月を過ごす結果となり、記憶を取り戻した今となっては都合の良い居場所の一つになっている。ホライゾニアの連中はどういうわけかフォルクス様あるいはソウド・ゼウセウト様という存在を心酔しているものだらけなため、少々居心地が悪く感じる時はあるが、待遇はとても良いため好き勝手過ごすことができる。
「先の戴冠式にはもともと参戦するつもりは無かったんだ。ただ上空からアイツの念願叶う瞬間を見物してやろうと思って顔を出していただけだったが、あのバカ、随分と滅茶苦茶なことをしやがった」
イデアールの戴冠式は内外への通達もロクにせず、急に決行されたもので、ほとんど親国王派が打ち出した暴挙のようなものだった。今までずっと病床の淵で死んだも同然だったイデアールが、あの年齢で王位について何をするんだという感じ。にも関わらず強行された。
反王制派は自分たちの存在が無視された以上、内外に実力と存在の大きさを知らしめるために行動に出る必要があった。そこでクーデターともレボリューションともとれない騒動が起きた。
「新国王陛下様を殺害できたら上場だったが、まさか向こう側にあんな隠し球があったとはな」
「あの女性のことは知っているの?」
「……あれは、大昔に恋人と駆け落ちしたエルベラーゼ・アルレスキュリアの子孫、と、公には言われている。だが実際には、エルベラーゼ本人に他ならない」
50年前にエルベラーゼが自死した際に、アルレスキューレはその死体を回収して保管した。うまくいけば肉体から必要な要素を抽出してクローンを作ることもできると考えたから。王族が全滅した直後であったアルレスは、アルレスキュリア王家という国の存亡に関わる尊い血筋を途絶えさせることを避けようとした。これは貴族や研究者の間にも聖女信仰があったため。
「だが、確保した死体からどれだけ情報を抽出しても、クローンどころか人工授精の成功にすら至らなかった。それもまぁ、彼女が世界で最も神の祝福を受けた特別な存在だというのだから、妥当なところだ。そして、だからこそ、実際に実験を進めていく中で……神話研究の方が進展した」
トントン
会話の途中で、応接室の外から扉をノックする音が聞こえてきた。
「アビシオン様がいらっしゃいました」
「入ってこい」
入室の許可を出すと、すぐに扉が開いて一人のガタイの良い老軍人が部屋に入ってくる。しっかりとした白に染まった剛毛の髪に、精悍さを残したまま老熟した武芸者の顔立ち。ホライゾニアの構成員が好んで着用する白と青を基調とした軍用コートに身を包み、静かにそこに立っている。
「おかえりなさいませ、ゼウセウト様」
老軍人は部屋の中にいるディアたちの顔を鋭い眼差しで一人ずつゆっくりと見つめていく。特にアルレスキューレ国軍では有名な問題児であったウルドのところで視線が長く止まった。
「つい最近まで俺が旅に同行していた連中だ。オマエが警戒するような大した相手じゃない」
その言葉を聞き受け、老軍人は応接室の空いていた席に腰を下ろし、口を開いた。
「失礼いたしました。皆様、お初にお目にかかります。私の名はガイル・アビシオン。叛逆境界ホライゾニアの創立者の一人であり、現アルレスキューレ国軍第三部隊灰軍の隊長も勤めている」
こんなところでお目にかかれるとは、と驚くディアたち。彼らもまたアビシオンに対して軽い自己紹介をしていった。俺からは簡単な関係について説明するとともに、ディアたちが龍探しの旅という途方もないことをしている冒険者であることも伝える。さらに、そんな彼らをこのタイミングでアジトに招待した理由についても。
「龍の墓場の件はすでに報告を受けております。ゼウセウト様の長きに渡る悲願が果たされたと聞き、私も嬉しく思います」「まだ一つ果たせただけだが、礼をしなくてはならない。そこでオマエに、預けてあるソレを持ってきてもらったわけだ」
言葉で促すと、アビシオンは手に持っていたカバンを持ち上げ、中から二冊の古びた本を取り出した。それを自分の前の机上に置く。それはホライゾニアが現在所有する、アデルファ・クルトの二冊の預言書。
大渓谷から地上に戻った際に、預言書を探しているという話をディアから聞かされていた。彼らは先の戴冠式の際に俺が預言書らしきものをアルレスキュリア城から奪い取ってきたことを覚えていて、何とか中を見せてもらえないかと頼み込んできたのだ。
「預言書の内容は世界と龍と真理と究明。世界原理についての基礎知識が主だ。一冊目はホライゾニアの構成員であるレクトが何年も前にグラントールで手に入れたもの。そしてもう一つが、先日の戴冠式でアルレスキュリア城から奪取してきたもの」
「二冊も持っているなんて……」
「ホライゾニアはこの一冊目の預言書を手にしたおかげで急激に戦力を増強させることができた。故に、これは大変貴重で大切なものとして組織内で扱われている。中を少し見せるにしても条件が必要。ましてや譲り渡すなんてことは、まずありえない。そうだろう、アビシオン」
「はい。ですが、ゼウセウト様の一命であれば、我々はどんな内容であろうと喜んで従うまでのことです」
「すごい忠誠心」
「アビシオンと俺は五十年以上前からの付き合いでな。コイツがまだ若かった頃、軍事訓練所の教官と教え子の関係だった。昔から俺が言ったことを必要以上に鵜呑みにする性分でな。見ての通り、何でも言うことを聞く。やや心配になるくらい素直だが、まぁ俺意外の相手には頑固で気難しい老骨になるから、とりあえずは放っておくことにしている。優秀なヤツだよ」
「お褒めにあずかり光栄にございます」
「ホライゾニアってもしかしてこういう人ばっかり?」
「ウルド、ちょっと静かにしてて」
「……とにかくだ。こう見えて俺は今回ラムボアードの底で長い間探していた龍の墓場を発見できたことを、オマエたちに感謝している。だからこの預言書、中を見せてやってもいいことにした。手に取って見てみろ」
ディアがソファから腰を上げ、大きなテーブルの上に置かれた二冊の預言書に手を伸ばす。手元に引き寄せ、ページをめくる。ブラムもまた側により、本の中身を一緒に覗き込んだ。