記述25 龍の墓場 第5節
光を取り戻した投光照明が照らしたラムボアード大渓谷の最奥部。いつの間にか低くなっていた洞窟の天井には、針山のような風貌をした無数の鍾乳石が垂れ下がっていた。地面には海岸にも似た細かい砂利が敷き詰められており、歩くと靴の裏側でシャリシャリと音を立てる。そして顔を正面に向けると目に入る、静寂な闇の中に広がった漆黒の湖面。霧が晴れ、開けた視界の先にあったものは、美しい地底湖の情景だった。
計測係が先頭に立ち、調査団は地底湖へ足音を立てて近付いていく。墨のように黒く染まった水面に光を当てると白く反射する。水が黒く染まっているわけではないことを確認してから、調査団員は計測用のカップを使って地底湖の水を掬い取り、検査薬を入れる。するとカップの中の水はみるみるうちに鮮やかな緑色に変わってしまった。一見すると透き通った清水に見えるが、その実多量の毒素を含んでいると、検査係は報告をする。それはこの場一体を覆う空気の汚染濃度もまた同じで、少しでも防護マスクを外せばそれまでなのだそうだ。
「ここがオマエが来たがっていた場所なのか?」
たずねると、ディアは「そうみたい」と頷いた。そして周囲をもう一度見渡す。
「綺麗なところだね」
「見た目だけはな」
それから一同は地底湖の畔に荷物を降ろし、それぞれの人員が周辺一帯の探索を始めた。しばらくして湖の反対側まで見てきたらしい調査団員がいくらか戻って来て、報告をする。
黒い地底湖は綺麗な円形状に広がっている。湖の水はどこかから流れ着いているわけではなく、底から湧き出ていると考えた方がいいらしい。小型ドローンを使って採取した水質データによると、湖の中央に向かうほど毒の濃度は高まるらしい。人の肌に触れればたちまち爛れて骨になってしまうかもしれない。
「湖の中央には何かあったか?」
「ドローンを飛ばして撮影してきたデータがあります。暗所なため映りは悪いですが、ご覧ください」
分析係の調査団員がモニター端末を差し出し、画面を見せる。言われた通り暗視カメラの映像はほとんど真っ黒に塗り潰されているようで、あまり参考になるようには見えない。
「湖の中央には、土砂が堆積してできた中洲のような場所があります。ここに映っているものはその中洲の表面部分で、湖を囲む地面と同じような砂利と小さな岩石とが敷き詰められているように見えます」
「他には何か変わったものは?」
「画面の右端に、一瞬ですが光の反射があります」
言われた通りに辛抱強く画面を睨んでいると、確かに再生された映像の中には何かがチラリと光った瞬間があった。それが何の光なのかはわからないが、少なくとも何かはあるということがわかった。
「探しているものがものだから、あるとしたらやっぱり中央が怪しいよね」
各人の報告を聞いていたレクトが言う。分析係と一緒に映像を見ていたブラムも、画面に向けていた顔をこちらへ振り向かせ、見解を述べた。
「原理はわかりませんが、この辺り一帯に充満する毒素の全てが件の死体から発生しているとすれば、特に濃度の濃い毒液でできた湖の中心にそれがあるのは自然なことのように思えます」
「でもさ、見に行くにしても、どうやって湖の中央まで行くのさ。僕でも流石にあそこまでは遠くに跳べないよ」
調査団に混じって周囲の探索をしていたウルドが、帰ってすぐに会話に加わる。冗談っぽく言っているが、現状の調査団の装備を見るに、毒液に満ちた湖に到達できる手段は無いように見えた。水中を泳いで渡るなんて論外だ。
「なら、俺が行くしかないな」
そう言ってから俺は背中から羽根を出し、軽くその場に浮かび上がってみせた。するとそれが普通の人間にはいささか突然の行動すぎたらしく、一同は驚いた顔で俺の姿を凝視した。
「なんだ。見るのが初めてなワケでもないだろう」
ディアとウルドの方を見て怪訝に眉をひそめてみせるが、彼らは「いや、だってねぇ」「普通、人の背中から羽根は生えない」と失礼な言葉を口にする。さらに横にいたブラムも「もっと出し惜しみした方が良いと思いいますよ」と、好き勝手な言葉を吐いた。少し腹が立ったので、無視することにした。
失礼な連中とは別に、羽根を出した俺の姿を見てありがたがっている調査団員たちの方へ「行ってくる」と一言声をかけてから、羽根をはばたかせ、洞窟の中を飛んで移動し始めた。
報告で聞いたとおり、円形に広がる湖の中央までの距離は遠く離れている。周囲の環境に衝撃を与えないよう、ゆるい速度で飛行する内に数分の時間が経過し、後にやっと目当ての場所まで辿り着く。報告で聞いた通り、黒い岩と砂利とが集まってできた小さな島だ。面積もさほど広くないため、間違って毒液の中に足を滑らせないよう注意して着地する必要があった。
荷物から懐中電灯を取り出して、まず足元に何があるかを確認する。端から順々に見ていくと、一カ所でキラリと何かが光りを反射させてきらめいた。近付いて見てみると、それは金属の塊のように見えた。塊は砂利で敷き詰められた地面の中にほとんど埋まっていて、どうやらそれなりの大きさがあるようである。少し面倒ではあるが、グローブをはめた手の平をつかって表面の砂利を払い、埋まっている部分を掘り起こす。そうしてしばらく作業を続けた後にでてきたものは……錆びた鉄の箱だった。
鉄錆びが擦れ、板が軋む歪な音をたてながら、箱の蓋を開ける。中には奇妙なことに、金属でできた造花の花飾りが敷き詰められていた。そしてその真ん中には丁寧な調子で置かれた小瓶が一つ。手に取ると、中には折りたたまれた紙きれが入っている。瓶入り手紙か何かだろう。誰に宛てたものなのかは、中身を見てみないとわからない。
小瓶を箱の外に一旦出してから、今度は箱の中にぎっしりと詰まった造花の方に手を触れる。造花は外側の箱同様に錆びていて、かろうじて花の形を保っている程度の造詣をしている。箱を開けた瞬間に花飾りだとすぐに分かった理由は、見た目の問題ではなく、こういった死体の埋葬方法がアルレスキューレでは一般的であったためだ。ならばこれは人間の死体が入った棺桶なのか。そう思い立ってもう一度鉄の箱を俯瞰するが、棺桶にしては小さい。これでは幼児の体くらいしか横になれない。
中をもっと見てみればわかることだと思い直し、俺は花飾りがたっぷりと入った箱の中に手を差し入れた。すると、慎重に伸ばした指先に、不自然に柔らかいものが触れた。ハッとして、すぐにわかった。その柔らかいものの上に被さった金属の花をかき分ける。すると生まれた隙間の中に見えたものは、薄紅色に染まった肉の塊だった。
「やっと見つけた」
一言呟き、俺は箱を両手で持ち上げ、思い切った心地でひっくり返す。
バサバサと花飾りが小島の上に散らばり、少し遅れて箱の底に張り付いていた肉の塊がボトリと落ちた。
大人の体一つを粉々に切り刻むとこれくらいの大きさになるのか……そんな感想を現実味の薄い心地のままに思い抱き、しばらくの間、黙って足元に転がるソレを見下ろしていた。
ステラと同じ名前を持つ少女の死体を見つけた時と、同じ感情がこみ上げてくる。
オマエは大人しく眠っていればいいんだ。そう心の内で念じてから、俺は肉の塊に向けて手の平を掲げる。軽く力を込めると、間もなくして肉の塊に激しい電流が走り、周囲にバリバリと大きな破裂音が響いた。青い光がはじけ、肉が焼け、周囲が明るく染まる。その光と電流とが小さくなって消え失せた後に残ったものは、焼き焦げた墨の塊が少しだけ。それを手の平で軽く払い、地面の砂利に混ぜる。
「これでいい」
小さく呟き、箱の中に入っていた瓶だけを片手に持って地底湖の上を飛んで戻った。
元いた湖の畔まで戻ってくると、早速ウルドに「何をしたの?」と質問される。湖の真ん中で発生した光は、その場にいる全員がしっかりと視認していた。
「ゴミを燃やしただけだ」
「それでアンタは満足したわけ?」
「……どうだろうな」
はぐらかすように答えると、次にディアが「その瓶は?」と別の質問をしてくる。
「小島の地面に埋まっていた。中に手紙が入っているみたいだから、読んでみろ」
「ソウドが見なくて良いのかい?」
「興味がない」
どんなことが書かれているか全く想像できない未知の手紙であるが、きっと俺には関係がない。ディアに瓶を手渡すと、彼はきつく針金で固定された蓋を懸命にこじ開けて、中から紙切れを取り出した。古くなった紙が崩れないように丁寧に手の中に広げ、文面に目を走らせる。
「あっ!」
と、しばらくしてディアが声をあげる。
「これ、アデルファさんの手紙だ!」
「本当に!?」
驚いたブラムが「見せて見せて」とディアの方へ駆け寄り、横から手紙を覗き込む。
「えっと……弔いの意を込めた手記でしょうか。日付も書いてあります。今からちょうど五十年前になりますね」
「五十年前って、もしかして、あの?」
「はい。アーツ画伯が世界改変を目撃した年です」
ブラムたちの会話を聞いて、合点がいく。神は知的存在から信仰を得ることで力を得る。だから、アデルファはこの地に散り散りになったレトロ・シルヴァの死体を集め、一カ所にまとめ、敬意を持って弔うことによって復活させようとした。その真意についてはさっぱりだが、少なくともこれで、ずっと謎だった、死んだはずのレトロ・シルヴァが蘇ってエルベラーゼのもとへ会いに行けた理由がわかった。
そして同時に、俺がレトロの死体を再び神力を込めた雷で焼却したことによって、この信仰の残り火は消えて無くなった。これでもう……
「リーダー、今、そこの岩の上で」
「どうしたよ?」
ディアたちが手紙に夢中になっている横で、一人の調査団員がレクトに声をかける。
「はい。何かが動いたように見えました」
「まさか、生物か何か?」
調査団員が示した方に俺も視線を向ける。調査のために崖底に降りてから随分と時間が経つが、その間に生物を見たことは一度も無かった。広大な大渓谷の内、汚染が進んでいないエリアならまだしも、龍の墓場とまで呼ばれる呪われたスポットの近辺に野生生物が棲息しているとは思えない。思えないのだが、振り向いた先には確かに小さな生物の姿があった。
小さな体に四つ手足、細い尻尾を持った、黒色のトカゲ。
トカゲは石筍の上に立ち止まり、何も言わず静かにこちらを見つめていた。その瞳の色に、見覚えがある。
俺はその場でハァと、溜め息を吐いた。
「その手紙も処分しろ」
そう言うと、命令を聞き入れたメタルがディアの手の中からアデルファの手紙を取り上げ、ライターで火を付けた。
「ちょっと、何するのさ!」
ウルドが怒って何か言っているが、メタルはもちろん無視をする。乾いた手紙は油も無いのに綺麗に燃えて、あっという間に塵になって無くなってしまった。
すると目の前でこちらを見ていたトカゲの姿が不意に揺らぎ、ふわりと、霞のように消えた。
トカゲを見ていた人間たちが「え?」とそれぞれに自分の目を疑うが、確かにそれは消滅した。
トカゲが消えた場所に近付いてみると、そこには小さな結晶のようなものが取り残されるように落ちていた。俺はそれを指先で摘まみ上げ、ディアに渡す。
「面倒そうだから、オマエが持っていろ」
琥珀色の輝きを持った美しい結晶。俺が持つには縁起が悪い気がした。