記述4 素直な心の裏切りもの 第4節
目が合った。けれども、たったそれだけのこと。
彼の意識はこちらへほんの一瞬だけ視線を送った後、数秒の時が経つよりも先にあっさりと俺たちの方を離れて別のところへ逸らされてしまった。それ以降こちらへ何かしらの反応を示すようなことはなくなり、向こうから文句を言うために話しかけてきたりすることも、近付いてくることもなかった。
「ねぇ。あの人、暴動の鎮圧部隊に加わるって言ってたわよね」
すぐ隣で一緒に隠れていたライフが小声で話しかけてくる。
「うん。あの謎のイケメン……確か、名前はゼウセウトって言ってたかな。さっきの会話の内容から察すると、彼もグラントール人に反感を持っているタイプかもしれない」
グラントール人が地上で暴動を起こしているという情報が本当だとするなら、彼らと同郷だという理由だけで、マグナは加担の有無に関わらず強制連行されてしまう可能性がある。
マグナが何かしらに付けて怯えるような態度を見せていたのも、そういった深刻な事情のせいだったのかもしれない。
「マグナくんと一緒に横を通り過ぎるのは難しそうね。見つからないように移動するのも、あの調子だと無茶でしょうし」
「相手が何を考えているかわからない辺りが厄介だ。せめて敵対心があるかないかだけでも判別できればいいんだけど……それならいっそ、コソコソせずに堂々と前に出て会話するっていうのも……ありかな?」
「あら、豪胆なプランでいいんじゃないかしら。気に入ったわよ」
「本気で言ってる?」
「もちろん本気。けれど、私たちの中で誰か一人が話しかけに行くとなったら、適任なのは間違いなくディアよ」
「それは……俺もそう思うよ?」
「突然槍で腹を突き刺したりする外道には見えないし、きっと大丈夫ね。いってらっしゃいな」
「……わかった」
ちゃんと話し合った結果として同意見で落ち着いたはずなのに、なんだろうこの微妙に納得しきれないテンポの良さは。何か騙されているんじゃないかと疑いたくはならないか? いや、騙されてはいないはずなんだけど。
小声で発破をかけている時のライフは、心の底から「平気平気」と思っていることが伝わってくる表情をしていた。つまり、楽しんだり、からかったりしているわけではないと。ただ本当にそういう性格をしているだけなのだと。そういう顔。出会ったばかりの彼女への理解が少しばかり深まったような気がした。
そして本題のゼウセウトという謎のイケメンの方なのだが、こちらは一体どうするべきか。壁際に立つ彼の姿を改めてジッと見つめ、少しだけ考える。
とりあえず近付いて声をかけてみる流れにはなったが、いかんせん圧が強すぎて近寄りがたい。少し離れたところでそっぽを向いているだけなのに、こちらとの交流を拒絶しようという気概が容赦なく伝わってくるではないか。
かと言って「声をかけに行く」と宣言するだけして怖気づいているなんてカッコ悪いことこの上ない。仕方ないと思いながら、まずはゆっくりと彼に近付いてみることにしようか。
ゴーグルとガスマスクを付けておけば少なくとも顔は覚えられない。念のため髪の色も隠しておいた方が良いだろうから、外套のフードもしっかり被っておくことにしよう……うん、不審者。大丈夫かな。
準備が整ったところで、いざ、隠れていた柱の裏側から足を踏み出す。とはいえ初めから目立って不審に思われるのも心外なので、そっぽを向いている男の視界になるべく入らないように移動するようにした。
俺が隠れるのをやめたところで、相手の方はどんな反応を示したかというと、まぁ案の定無反応だ。気付かれていないわけではないと思うが、俺の方を振り向きもしない。そんな相手の様子を伺いながら、徐々に、ゆっくりと……男の立っている壁際のところまで近づいて行く。足音に気を遣ったりしていたら余計に怪しく思われるだろうから、そこはあまり気を張らずにだ。なるべく自然体で、いかにも友好的であることをアピールするように……なんかそんな作戦で行こうと思った。
そうやって半ばヤケクソな調子で歩を進めているうちに、あっという間に男のすぐ真横の位置まで来てしまった。これほどの至近距離まで来たというのに、男は相変わらず俺の方を微塵も振り返ったりせず、露骨な無視の姿勢を貫いているばかりであった。機嫌が悪い、というよりは、本当に興味が無いだけとでも言いたげな雰囲気をしている。
一方で男の周囲には離れて観察していた時以上の威圧感が漂っていて、横に立っているだけでだんだんと責められているような、居た堪れないような心地になってくる。
さらにいえば、背が高いことにすら動揺させられていた。近くまで来て改めて、彼の迫力とスタイルの良さに驚異を感じずにはいられなくなってしまう。今までの人生の中で身長に困った経験なんて滅多に無かったはずなのに、そんな俺の目線から見ても遥か上の位置に顔がある。試しにちょっと視線を下げただけで、胸部でも腹部でもなく、腰の下から真っ直ぐ伸びる長い脚に視界を埋め尽くされてしまった。
本当に人間か? 非常に精巧に作られたアンドロイドとか、そういう線はないだろうか。思わず疑ってしまったが、ここはフロムテラスではない。仮にこの男がハイエンドのアンドロイドだとしても、ここまで高品質なものが単独でこんなところを歩き回っているなんてことは早々ないと思う。だとしたら人間。認めたくないけれど、人間なんだろう。
どうやって話しかけようか……
「こ……こんにちは」
最初の一言を何にするべきか考えてみたところで名案は見つからなかった。どうせこの男は俺たちの現状をある程度まで把握しているんだろうし、その上でこんなに綺麗なシカトを決め込んでいるのだろう。ならば、そんな相手に与える第一声なんて今更なんだっていい。
しかし男はまたまた俺の挨拶を無視した。完全な無視を決め込む何食わぬ顔のまままま、手元の端末を黙って操作し続けている。
なんだか腹が立ってきたが、そこは冷静であるべきところ。返事が無いからといって会話を諦めるわけにはいかない。
どうせ声は聞こえているんだから、このまま話しかけ続けてみることにしようか。
「あの……私たちは、城下で起こった騒ぎに巻き込まれて、気付いたらこの地下水道に迷い込んでしまった者です」
何が起きるかわからないから、ここでは嘘はなるべく言わないようにしよう。少なくともただの旅人にすぎない俺には、この国の住民に対して後ろめたく思うようなことは何も無いはずなんだから。
いや、ちょっとここに来る途中で一度ばかり酷い目に遭って、知らない場所に連れてかれたりはしたような気がするが、基本的には何も無い。
「王立図書館のある辺りまで戻りたいと考えているのですが、この長く続く水路の右と左、どちらに行けば良いかわからず困っています。もしあなたがこの場所に詳しい方であるのなら、正しい道程を教えていただけないでしょうか?」
非常に無難な言葉選び。これ以上ないくらい在り来たりで、不自然なくらい普通な質問をした。応答の仕方ならいくらでもあるはずだし、何かしらの返事はしてもらえる……と、思ったはずなのに、男は相変わらず黙ったままでいる。俺の方をチラリとも見やしない。
「えーっと……あの……きこ」
「コロッセウムの近辺は過激派どもの巣窟になっている」
聞こえてますか? 思わずそう言ってしまいそうになった所で、急に口を開いて返事をされる。俺が反応に驚いているうちに、男は追い打ちをかけるみたいに言葉を付け加えてきた。
「オマエみたいに剣の一本も碌に持ったことが無さそうな男が飛び込んだところで、銃で撃たれて蜂の巣になるのがオチだと思うが、覚悟はできているのか?」
あ、コイツ性格が悪い。
じゃなくて、コロッセウムの話だ。あの建物は王立図書館のすぐ近くにあったわけだから、確かに今のタイミングで元の場所まで戻るのは危険だ。俺はこのタイミングですべき質問を間違えてしまったのかもしれない。
「蜂の巣……それは確かに恐ろしいですね。ではあなたは、今この城下街区画の中でどの辺りが一番安全だと考えていますか?」
「……中央だな。区画内で何か問題が起きた場合、重役が多いアルレスキュリア城周りの警備は何よりも優先される。どさくさに紛れてちょっとばかり城に近付けさえすれば、後は精鋭揃いの近衛部隊が勝手に守ってくれるというわけだ」
「なるほど……」
意外なほど親切に教えてくれるではないか。端末の画面を見ながら話しているせいで多少カンジは悪いが、教えてくれた内容はそれなりに信用できそうだ。
「右と左、どちらに行けばいいかと訊いたな」
「は、はい!」
「そんなことは、オマエの連れの中にいるグラントール人の方が詳しいはずだ」
ギクリと体が反応し、肌の上に少しだけ冷や汗が滲む。やはり指摘されるのか。
「さらに言えば、オマエはアルレスともグランとも違う別の人種のようだな。妙な雰囲気があるうえ……体から消毒液みたいな気持ち悪い臭いがすることに自分では気付いていないのか?」
「気持ち悪い!?」
「あぁ……クスリでもやってるのか? 顔色も良くないみたいだ」
「飲んでません!」
飲んでいたとしても、医者に処方してもらった正真正銘医療用の薬だけだ。用法容量も当然のように守っているし、なんて失礼なことを言うんだろう。しかも嫌味っぽくニヤついたりとか、そういう表情の変化もなく真顔のまましれっと言ってのけるものだから、余計に癪に障る。なんだコイツ、俺のことを怒らせたいのか?
「ふん、どうだかな。オマエは自分のことを、どこの馬の骨ともしれないアブロードの旅行客だと主張したいだろうが、この地下水道に迷い込んでる時点で犯罪を疑われるのは当然だ」
「犯罪? ここって、そんなに危ない場所なんですか?」
「この場所自体に危険なところは無い。むしろ屋根があるのに浮浪者の一人も棲み付いていないんだから、外より平和なくらいだ。ここを通り抜けようとするのは、特別な許可証を持った極一部の政治関係者か……あるいは、清掃労働を強要された奴隷身分のグラントール人くらいなもの。はたしてオマエはどちらだろうな」
「先ほど言った通りです。私たちはこの場所に紛れ込んでしまっただけで、後ろめたいことなど何もしていません」
「ならばどうしてグラントール人を匿っているんだ?」
「……」
「あぁ、その様子だと本当に匿っているみたいだな。カマをかけてしまってすまない」
なんだ? なんだこの男? もはや何て言い返せばいいのかわからない。
最初に見た時は「威圧されている」だとか「拒絶されている」だとかの感想を抱いたが、それは間違いだったと、たった今気付かされた。
見下されているんだ。ただひたすらに、淡々と、俺たちのことを下等生物か何かだと本気で思っているかのように、冷めた眼差しで見下している。嗤うでもなく、蔑むでもなく、単純に興味が無い。
それなのにこうやって挑発めいた嫌味ばかり口にするのは何なんだ? 性格か? 何か裏の考えがあるわけではなく、さては単純な性格の問題か? 本当にタチが悪い。
「……君は、グラントール人のことをどう思っているんだ?」
もはや丁寧な口調で話しかけてやる気持ちも失せてしまった。いつも通りの軽はずみな口調で、ほんの少しの敵意を込めながら彼を問い詰める。
「直情的、短絡的、即物的。出会った記憶もほとんど残っていないが、不思議とそういった印象だけは覚えている。あの女はヤツらのことを馬鹿な猿だと罵っていたが、一理ある。オマエだって、あの碌でもないグラントールの政治家どもが、アルレスキューレとの戦争の最後にやらかした愚行を知っているだろ?」
「グラントールと、アルレスキューレの……戦争?」
その最後……?
「あの国の連中は、揃いも揃ってそういう選択しかできない頭の造りをしたヤツばかりなんだ。家族や仲間の命を守ることより、もっと大事だと思い込んだモノのために、命を張って、勝手に死んだ」
「その大事なものって、もしかして……」
「誇り、だな。さてはオマエにもあるのか?」
「ッ!? どうだっていいだろ、そんなこと!」
「それもそうだ。俺は頭の悪い連中がどこで野垂れ死のうが知ったことじゃないと思ってる。しかし、良いんじゃないか、誇り。死に場所を自分で選ぼうって気概があるのは立派だとは思う……が……」
「……なんだよ。まだ何か言いたいのか?」
「選ぶ場所がゴミ山の天辺なんかじゃ意味が無い。そんな場所に置き去りにされてすっかり腐っちまった誇りを、誰が認めてくれるっていうんだろうな」
苛立ちという感覚はこういうもののことを言うんだったか。別に自分のことを言われているわけでもないのに、自然と憤りの感情がこみあげてくる。
だから俺は、柄にもなく声を上げて反論してしまった。
「俺は、そういう人たちのことを勇気があると思うけどな!!」
正真正銘の、子供みたいなキレ方をしてしまった。
けれども……俺がそんな態度を示したところで、ヤツの、ゼウセウトという男の態度は変わらない。冷めきった緑色の瞳でこちらを見下しているだけだ。もはや顔面造詣の精巧さなどどうでもよくなりつつある。
それくらい、彼の言葉は俺にとって言われたくない言葉そのものだった。嫌悪感や怒りよりも、悔しさが込み上げてくる類の……最悪の言葉だ。
俺はゼウセウトに向けて言葉をぶつけ終わってすぐに、身を翻して来た道を引き返した。もうアイツとは会話なんてしたくない。
「一体どうしたの?」
柱の裏で会話を聞いていたライフが目を丸くしながら俺の顔を見つめている。
「もういいよ。あの人は俺たちに興味が無いみたいだし、さっさと先に進んじゃおう」
自分がどうしてこんなに不快な感情を抱いてしまったのか。その理由を出会ったばかりの彼女たちに話すつもりはサラサラない。
絶対に。
そんな歪んだ決意を胸の中だけに秘め隠し、ライフとマグナの背を押しながら地下水道のさらに奥へと歩いて行った。
去り際に、一瞬だけ恨めし気に背後を振り返ると、相変わらず同じ場所に立ったまま端末の画面を見つめている、ゼウセウトのつまらなそうな姿が見えた。




