記述24 現人神と感受の旋律 第3節
太陽が西へ深く傾き、空が茜色に染まった黄昏時。風が木の葉を揺らすざわめきの音だけが聞こえる静寂の中、赤いランタンを先頭に掲げた行列が一つ、道の奥からこちらへ近付いてくる。行列の中心は二台の荷車。荷台の上には植物の蔦で編んだ籠の棺桶が一つずつ積まれている。中には二人の子供が静かに眠りについているのだ。
荷車は子供たちが生前に住んでいた家をそれぞれ出発し、広場で合流。その後に町で一番大きな道を神官たちとともにゆっくりと行進し、湖の桟橋までやってくる。
見物人として弔いの儀式に立ち会うことになった俺たちは湖のほとりに立ち、二つの棺桶が桟橋の小舟に積み込まれる様を見つめていた。
「 」
周囲では町民たちが歌詞のわからない歌を歌っている。言語としての意味は無く、発音だけが決まっている不思議なものだ。アシミナークの地に古くから伝わる歌らしい。
「 」
棺桶を乗せた小舟が桟橋を離れ、夕陽を浴びて赤々と染まった湖面を進んでいく。
心地よい旋律をもった歌声に耳を傾けながら、小舟が湖の小島まで辿り着くまでを眺める。それがまさに今、小島のほとりまで辿り着こうとしたところで、不意に、水面が揺れた。
揺れた。一度でなく、二度、二度ではなく三度。
揺れる度に沸き立つ波は大きくなり、水に浮かんだ小舟は波に揺られて小島から遠ざかっていく。
異変を感じた神官の一人がその場から飛び出し、湖の方へ走って行く。それを見て住民たちも歌うことをやめ、どうしたのかと不安げに顔を見合わせた。
「何が起きたんだろう」と、自分も隣にいる仲間たちに話しかけようとしたところで、群衆の中にいた誰かが「わぁあっ!!」と悲鳴を上げた。何かと思って目を向けると、赤い湖のほとりから何か大きくて長いものが這い出てきていた。それは巨大な生物の触手。間違いない、あの時に改変される前のアシミナークで見た、あの触手だ!
湖の周りで儀式を見届けようとしていた住民たちは触手の出現に驚き、大慌てで町の方へ逃げ出した。
「早く逃げよう!」
ウルドが声を上げ、俺も頷いて駆け出そうした。
『 』
そこで不意に、湖の方から何かが聞こえてきた。
『 』
まただ。また聞こえてきた。
その場に立ち止まり、周囲を見回す。聞こえてきた不思議な声の発信源が何なのかを探す。だがわからない。周囲はきゃあきゃあとやかましく、触手は数を増し、水面をザブザブと揺らしながらどんどん湖から這い出てくる。
『 』
俺の腕を掴んでいるウルドが何かを言っている。聞こえてこない。代わりに奇妙な声だけがまだ聞こえている。
声は湖の方から聞こえてきているのに違いない。ならばあの触手の主が呼んでいる? それは違う気がする。ならば何?
湖を見つめ、その真ん中に浮かぶ小舟に触手が絡みつき、積み込まれていた二つの棺桶が水底に引きずり込まれる、その瞬間を見た。
『 』
立ち止まってしまった俺の様子にしびれを切らしたウルドが走り出し、湖から這い出てくる触手の一つに攻撃する。マグナも剣を引き抜き、ブラムやライフを守るように前に立つ。
ウルドの蹴りが触手に当たる。しかし弾力のある触手の表面に傷は残らない。骨や筋肉といったものとは無縁の存在のようで、物理的な攻撃ではびくともしないのだろう。
触手はウルドを無視してその真横をぬるりと通りすぎ、町の方へ……俺の方へ真っ直ぐに近付いてくる。
それを見て焦ったウルドが近付く触手を両腕で掴み上げ、力一杯遠くへ投げ飛ばす。だが触手の数はまだまだある。またすぐに次の触手がやってくる。しかも一本ずつというわけではない。三本も、五本も、どんどんこちらへ近付いてくる。
『 』
迫る触手に剣を振りかざそうとしたマグナ。その肩に手をやり、振り返るマグナの不思議そうな顔を一目見た後に、前へ出る。一本の触手がこちらへ向けて真っ直ぐに這い寄ってきて……そして、俺の前でピタリと静止した。
「 」
言葉としての意味を成さない声が口から溢れ出た。すると触手が俺の足に絡みついてくる。そうだ、これでいいんだ。
と、思ったところで。
「何してるのよ!!」
ライフの怒った声が聞こえてきて、思わず振り返る。一瞬だけ正気に戻った意識が鮮明な景色の中にライフの姿を見つけた。逃げ惑う住民たちの騒ぎ声と、離れたところから聞こえてくるウルドの声。自分は何をしているんだと気付いたところで、ライフがその場から大きく跳躍し、俺の体に抱きついた。
足に絡みついていた触手が瞬く間に上半身まで覆いつくし、抱きついたライフごと体を一緒に持ち上げられ、宙へ浮く。地上ではブラムとマグナが顔を真っ青にしていて、ウルドは怒った様子で俺に巻き付く触手を攻撃しようとする。しかしその攻撃は別の触手によって遮られる。
俺たちを持ち上げた触手はそのまま来た道を引き返していき、やがて、ゆったりとした速度で湖の底へ沈んでいく。
足の先に湖の冷たい水が触れ、それが足首まで浸り、腰まで浸り、喉まで浸る。ついには頭の先までとっぷりと赤く染まった湖の中に浸かりきったところで、酸素を失った体が声にならない悲鳴を上げ、人としての意識が口から気泡とともに噴き出して、世界が真っ暗になった。