記述23 広い大地にひとりきり 第3節
建国当初から存在する王立図書館の管理を代々任されているクルト家は、いわゆる「由緒正しい家柄」に分類される名家だ。とある人物のせいで悪名を轟かせ、現在では肩身の狭い立場にあるようだが、財産についてはまだまだ潤沢に保持しているようである。城下街の一等地に広々とした敷地面積を確保したうえで、建物はゆとりのある一階建て。住居の外観は一流貴族の屋敷と言うに申し分ない。
同じ豪邸てあっても、贅を凝らすという言葉が似合っていたトラスト家の屋敷と違い、こちらは随分と落ち着いたたたずまいをしていることも印象的だ。ほとんど一代で富と権力を築いた成り上がりの富豪と違って、長きにわたって地位と名誉を約束されてきた貴族の屋敷というのは、本来こういうものなのかもしれない。
あれこれと感想を頭の中に浮かべながら、敷地の境界を囲う石造りの塀に沿って半周ほど歩いていると、大きな黒い鉄柵の前にやってきた。横の壁に表札とインターホンが設置してあるのを見るに、ここが屋敷の門前のようだ。
ライフがインターホンの前まで歩いて行き、呼び出しボタンを指で押す。早朝にも関わらず、すぐに侍女と思しき女性の声が聞こえてきた。侍女はカメラ越しに見た門前の映像にライフの姿があることを確認すると、「少々お待ちくださいませ」と一言告げてインターホンを切った。
まもなくして一人の女性が奥の建物から飛び出して来て、庭のアプローチの上を急いで駆けてくる。彼女はライフが立っている門の前までやってくると、すぐに鍵を開けて大きな鉄柵を腕で引いて開門した。
「お帰りになるならば、一言お声がけくだされば良かったのに」
「昨日の晩に急に決まったことだから、連絡する時間がなかったの。真夜中に電話をかけられたって困るでしょう? それに用事が済んだらすぐにまた出て行くから。お気遣いなく」
ライフは涼しい顔で開いた門の間を通り抜け、屋敷の敷地内に踏み込んでいく。門前で立ち止まっていると「入っていいわよ」とライフに言われ、黙ったままの侍女の横顔に小さな会釈をしてから、俺たちも門をくぐった。
「なんだかお嬢様みたいだね」
マグナが暢気な声を上げるので、小声で「お嬢様なんだよ」と教えてあげた。
広くはないが丁寧に整備された庭を少し歩いて、屋敷の入り口扉から建物の中へ入る。
綺麗に磨きあげられた茶色のタイルが敷かれた、広々とした玄関。入ってすぐに、後ろを付いてきていた侍女に「靴裏を拭かせていただきます」と言われ、促されるがままに玄関横の椅子に座らせられた。一人ずつ丁寧に靴の裏側を布で拭かれ、最後に消毒用のスプレーをかけられる。ライフだけは侍女の手を借りずに自分だけでさっさと靴裏を磨き終え、使った布をカゴ放り入れていた。
全員の靴が綺麗になったところで、改めて屋敷の奥にあるらしいアデルファの私室へ向かうことになった。
「お母様には帰ってきたことを伝えておいて」
まだ後ろを付いてこようとしていた侍女に、ライフが言伝を命じる。それだけで暗にこれ以上はお節介を焼くなと言っていることが理解できた侍女は、ぺこりと深めのお辞儀を一つしてからその場を素直に立ち去って行った。
「お爺様の私室はもう少し奥にあるの。付いていらっしゃい」
ライフの後に続いて、ほんのりと薄暗い廊下に踏み込んでいく。
少し屋敷の奥へ進んだところで、ライフが一つの部屋の扉の前で立ち止まり、ドアノブを握る。鍵がかかってないことを確認してから扉を開けた。
仕事机と革張りの椅子、その両サイドの壁を埋め尽くす背の高い本棚。室内の様子を少しだけ見て、書斎のような部屋なのかと思った……矢先、机上に奇妙な小物がごろごろと転がっている様が目に入り、異質な空気を察する。さらによく見れば床には用途がわからない壺や焼き物が直置きになっていて、天井からはエキゾチックな柄の織物が垂れ下がっている。アデルファ・クルトが変な人物であったことが一目でわかる、困った内装だ。
「たまに祖母が中に入って掃除をしているけれど、基本的には誰も入らないようにしているの。もう何十年もの間、お爺様がこの家を出て行った時と同じ状態にしてあるらしいわよ」
「先に他の誰かが何かしたとかは無さそうってこと?」
「アルカお兄様が好き放題していったって話はよく聞いたから、手掛かりを持ち出されているかどうかはあの人次第ね」
アルカというと、ラムボアードで突然俺たちに接触してきた、あのアルカ・クルトだ。彼はその時に預言書の話をしていたし、アデルファの部屋に興味を持つのも当然だろう。
「身内以外には荒らされていないってことなら、十分に探してみる価値はあるね。預言書の手掛かりになりそうな物が、何か見つかるといいんだけどな」
とりあえず手分けして探索をするとして、役割分担は必要だ。ライフとブラムは本棚にたくさんある書物を調べ、俺とマグナは小物だらけな机周りを調べる。マイペースなウルドは「終わったら呼んでね」と言ってから部屋の外に出ていってしまった。狭い部屋の中に人がたくさんいても邪魔になるだけだし、気遣いといえば気遣いと言えるかもしれない。
マグナと一緒に物と謎に溢れた書斎の机に近付き、机上に散らばる様々な物品を一つずつチェックしていく。
盤上遊戯の駒のように見える人形、何らかの植物の種が入った小袋、何の変哲もないガラス玉、万華鏡の玩具、束になった木の棒。その全てが用途不明。
机の表面には部屋の主が書き散らしたと思われるメモの断片もいくらか貼り付けてあったが、描かれている文字が全く読めず、意味がわからない。暗号というよりは、単純に字が汚いのかもしれないという嫌な予感がした。写真に撮ってデータを保存しておいたが、解明出来る日がくるのかどうかは全くの未知数だ。
他にもメモのようなものはないかと引き出しを開けてみる。すると中に古めかしいノートが何冊か入っていた。ページを開いて中を見てみる。何かしらの絵が描かれてあるばかり。しかし、絵が壊滅的に下手なので、動物なのか植物なのか判別することすら難しい。そういえば前に見た龍の挿絵もアデルファが自分で描いたものであったが、物凄く独特な筆跡のために生物かどうかも不明な状態だった。なるほど、これでは絵を頼りに情報を読み解くことも難しいだろう。
文章は暗号同然、絵は解読不能。ならば別の人から貰った手紙などはないかと調べてみるが、これも見当たらない。調べた後に思い至るが、アデルファにはそもそも友人というものがいなかった可能性が高い。八方塞がりだ。
何も手がかりが見つからない中、探すのを諦め始めたマグナが机の上に転がっていた石を見つめて遊び始める。「綺麗な石だね」と言っているが、言われてみれば確かに表面がなめらかで色味も深い綺麗な石だ。産地でもわかればアデルファが行ったことがある土地として覚えておいてもいいかと思うが、そんなことがわかる能力は自分にはない。
何も成果が無いままぐだぐだとした時間が過ぎていく。そんな中、廊下に出て探し物が終わるのを待っていたウルドが「誰か来たよ」とこちらへ声をかけてきた。それからすぐに扉が開き、部屋の中に一人の女性が入ってくる。髪と服とが清潔に整えられた、ひよわそうな体格をした老婆だった。
本棚の書物を調べていたライフは、老婆が入室してきたことに気付くとすぐに彼女の方へ体を向けて、背筋を正した。
「失礼。少し探しものをさせてもらっていますわ、お婆様」
お婆様という言葉を聞いて、俺とブラムはお互いに顔を見合わせる。ライフの祖母ということは、アデルファの妻ということでもある。
「構わないわ」
ライフの祖母は存外に落ち着いた様子で返事をしてくれた。アデルファの部屋を荒らし回っていたことを指摘して何か言われるだろうと思ったが、そうではないようだ。
祖母はその場で部屋の中をゆっくりと見回し、俺たちが何かを探していたことを察すると、諭すような声色で問いかけてきた。
「あの人の何が知りたいの?」
少し困った後に、みんなを代表して俺が答える。
「アデルファさんの書いた本を探しているんです」
「原典のことね」
原典……それは確か、アルカが預言書の話をする時に使っていた言葉だ。図書館にあるのは絵本まがいの中途半端な写本だけで、大陸のどこかで今も眠っている何冊かの『原典』の中には、もっと重大なことが書かれているという。
「そうです。それのことです。何かご存知でしたか?」
「あれなら、ダムダさんにあげてしまったから、ここにはもう無いわよ」
「ダムダさん?」
「ええ、あの子……いえ、あの人は昔、アデルファの部下だったのよ。この家にもよく顔を出して、アデルファが旅に出た後もクルト家の人間を気にかけてくれていたのよ。それも四、五年もしたら来なくなってしまっていたけれど」
そこからさらに、ライフの祖母はアデルファと最後に会った時の話をしてくれた。数年前にこの家にアデルファが誰にも内緒で帰ってきた時があった。彼はその時に一冊の本を彼女に渡し、再び姿を消した。祖父はその本を読んでみたが、彼のことはもう何もわからず、何も感じることができず、恨むこともせずに本を閉じることしかできなかった。
本の中にはダムダ・トラストについてのことも書いてあったから、これを彼にあげてしまうことにした。トラストはこれを受け取り、それきり本は妻の手元に返ってきていない。それでいいと思っている。
おそらくラングヴァイレが言っていた、城で保管されていた預言書というものはそれのことなのだろう。だからこそ、トラストは神や龍についての知識をすでに持っていた。
「お爺様は他にも原典を書いているわよね?」
ライフが祖母にたずねる。
「書いていたはずよ。でも少なくともここにはないわ。あるとしたら……アシミナークなら可能性が高いんじゃないかしら。あそこには大きな湖があって、アデルファはよく足を運んでいたの。自分が一番気に入っている、故郷のような場所なのだと、好き勝手はことを言っていたわ。アシミナークの町には古い知人もいたはずだから、その人に預けているかも」
通信端末の電源を入れて、すぐにアシミナークがあった辺りの土地を確認する。そこには確か白に変色した奇妙な森林が広がっていたはずだが、案の定綺麗さっぱりなくなっている。代わりにそれなりの大きさをした町が新しくできていて、そこにアシミナークの名前が記されていた。
「ねぇ、あなた。あの宝石を持っているんじゃないかい?」
俺が地図を確認していると、その場にいる全員に向けて祖母が質問をなげかけてきた。
端末の画面から顔を上げて「はい」と答え、カバンの中にしまっていた宝石を取り出そうとする。しかしそれを、質問してきた祖母本人に制止されてしまった。
「見せなくていいの。ただ、災難だねと思っただけ。ねぇ……ライフ」
「なんでしょうか、お婆様」
「アデルファは、死んだんでしょう?」
「その通りです」
風情もいたわりも感じられないライフの返答に対して、祖母はそれが聞きたかったとばかりに微笑んでみせた。哀しみの感情も喜びの感情も滲んでいない、無味簡素な表情だった。
「もっと早くに死んでくれた方が良かった。誰にとっても、この世の中にとっても」
それを言い残し、祖母は部屋から出て行ってしまった。