記述22 ここに神話をもう一度 第6節
喧噪の向こう側で爆発音がした。城外へと避難する道すがら、その巨大な音に驚いて顔を上げてみると、戴冠式の舞台から真っ黒な煙が上がっていた。それを一緒になって確認していた黒軍兵士のディノが先を急ぐ足を止めずに言う。
「防護バリアが破壊されたんだろうさ。境界の連中はイデアール様の首でも取る気でいるのかね?」
きょうかい。耳慣れたような、そうでもないような落ち着かない言葉の響き。アルレスの城下街で育ったはずのライフも気になったのか、「きょうかい?」とオウム返しに呟く。
「境界といえば境界さ。今ちょうど、みんなの大事な冬葬祭を台無しにするために襲撃しにきた反乱勢力の組織名。地平線とか国境とか、領土とかあの世とこの世とか、そういうタイプの『境界』だな。どうした、知らなかったのかい? 叛逆境界ホライゾニアって組織の名前を?」
「知らないわよ。国の政治体制に反発心を持った人たちがたくさんいるって話は子供のころから耳にタコができるくらい言われていたけれど、名前まではさっぱりと。ただの反乱組織とか、犯罪集団とか……」
「ほぉ、いかにも貴族のお嬢様らしい。パンの代わりにホイップたっぷりのクリームマフィンでも食べていそうなくらいナイスなセリフだ」
「あら、あなた私を馬鹿にしているのね?」
「馬鹿にしてなんかいないさ。ちょっとばかし質の良いユーモアを感じさせてもらって感謝したいくらいだぜ。ま、親国王派の間ではただのチンピラ集団って扱いだけで済まされちまってるみたいだし、わざわざ大層な名前で呼んであげるようなヤツはあんまりいないだろうな。いたとしたら、こう、手首のスナップが利いてるヤツとか、そういうカンジ?」
「私の家は親国王派ではなかったはずだけれど」
「そうだな。言うなれば旧国王派だ。今は無党派みたいなもんだろ、クルト家のお嬢さん」
ニヤニヤと茶化すような口振りに混ざって、まだ名乗ってもいないライフの家の名前を口にされる。こちらの個人情報はほとんど彼に筒抜けなのだろう。どうにも油断できない雰囲気を感じる。まだ少ししか会話をしていない内でもわかる、頭の回転の速さ。本音や思想、主義主張を軽薄な言動の裏に隠して外部に漏らさない。腹の中を探るのが難しい人柄だ。
「その、叛逆境界って連中の目的って……」
ライフとディノの会話に割り込もうとして話しかけた、その声が、自分より遥かに大きな別の声で上書きされてしまった。
「オーーーッス!!
マグナーーーーーーッ!!!
ディアテラーーーーーーーーッ!!!
ひっさしーぶりーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
「うわっ……」
ライフの足がピタリと止まった。
無理もない反応だ。突如投げ込まれた元気いっぱいの挨拶。聞いたことのある声、というか、気配。高度のある塀の上に仁王立ちした見覚えのあるシルエット。そのやかましいまでの存在感。
以前と異なる点を一つ上げるとすると、その女の服装が白を基調とした軍用コートに代わっている。
「なーーんて挨拶してみたけどさ、アンタたち『そっち側』だったのか? いやいやソイツは参った、これじゃあ敵同士みたいじゃねぇか!」
「フレアさん!」
後方にいたマグナが彼女の名前を呼んだ。敵意よりは驚きの感情の方が大きく表に出たリアクションだったが、手は腰に下げた剣の柄にきちんと添えられていた。この状況で突如現れ「敵」という言葉を発した彼女へ、マグナは警戒を向ける。一方で表情には戸惑いが多分に混ざっていた。
マグナが続けざまに質問する。
「どっ、どうしてここにいるの?」
フレアは仁王立ちのポーズを崩さぬまま、ニヤリと歯を見せて笑った。
「どうしてって、アタシは叛逆境界ホライゾニアの幹部、フレア・ケベス様だぜ? こんなめでたい晴れの舞台に顔を出さないワケにもいかねぇだろ!!」
怒鳴り声みたいな声量でおもしろおかしく名乗りを上げられる。フレアはその直後に高さ三階分くらいはある塀の上から「とうっ!」とわざとらしい声を上げながら飛び降り、華麗に着地を決める。そのままこちらへ堂々とした足取りで歩み寄りながら、背中に引っ提げていた幅広の大剣をスラリと慣れた動作で引き抜く。
いかにもこれから喧嘩をおっぱじめます、と言わんばかりのヤル気満々な態度。
「あのさぁ、フレア? こっちには君と戦う理由なんて無いはずなんだけど……」
「おやぁ? 降伏すんのかい、ディアテラちゃん? アンタの側にいる黒い人たちはもうすっかり殺意剥き出しみたいだけど?」
ハッとして周囲を見ると、ウルドとディノが揃って武器を構え、臨戦態勢に突入していた。ウルドはまぁ、いつも通りであるとして、ディノの方はアルレスキューレ黒軍の一人として当然の対応ともいえる。だが、俺の方にはアルレス側の肩を持って殺される義理なんてない。周囲を取り巻く戦場の喧噪は時間が経つほどに大きくなっていく。城を出るまであと少しのところまで来ているのだから、できれば穏便に済ましてさっさと避難してしまいたい。
「悪いなぁ、ディア様。王制国家アルレスキューレに従属する身分である以上、今回の境界が行った暴挙を看過するのは不義理ってもんだ。これはアナタ方の安全のためでもあるとでも思って許して下さいよ」
「そうだよディア。戦争を始めたがるヤツ等には碌な人間なんているはずがないんだから。顔見知りだろうと何だろうと危害が及びそうなら排除しないと。僕、あの女は嫌いだし」
これは、フレアよりこちらの方が説得しようのない状態みたいだ。戦闘が回避できないのであれば、自分は彼女らから距離を取るべきか。後ろ歩きで数歩ほど距離を空け、様子を見る。ライフとブラムも俺の近くまでそそくさと移動し、集まった彼女たちの前にマグナが立ち塞がるように剣を構える。
フレアは旧知の少年の勇気ある行動を横目に見ると、また愉快そうに口角を上げて笑う。そのまま両手に持った剣の角度を変えながら言う。
「黒軍のツートップが相手となりゃあ、これを試すにはおあつらえ向きってもんだ。エンリョなくやらせてもらうぜ!!」
発言が終わるか終わらないかのタイミングで、不意に彼女の持っていた大剣に光が宿る。発光したとか、光が反射したとかではなく、幅広い刀身に向けて周囲の光が集まっていき、ジワジワと得物全体へ浸透するように広がっていく。
「アンタの力を借りていくぜ、龍神サマよぉ!!」
叫びにも似た力強い宣言の直後、フレアの大剣は火柱を噴き出しながら燃え上がった。火炎放射器もかくやという程の勢いで燃え盛る業火はあっという間に周囲一帯の気温を引き上げ、庭園の一角を火の海に変えてしまった。
フレアを除いた全員が状況の急変に唖然とした反応を見せたが、ウルドはすぐに「だからなんだってのさ!」と文句を言いながらフレアに向けて飛びかかった。俺の目ではほとんど視認できない速さだ。
まずは小手調べ……なんてことはなく、ウルドはフレアの顔面に向けて利き腕でのストレートを突っ込む。どうやら彼女のことが嫌いというのは真実のようだ。フレアはこの即死級の一撃を、大剣の刀身部分で受け止めた。
ドシュウッ と燃え盛る石の壁を殴ったみたいな聞いたことのない打撃音が耳に届く。接触したウルドの腕自体はダメージを受けていないものの、羽織っていた外套に炎が燃え移り、布の端から消し炭になっていく。耐熱性があったであろう手甲部分の金属も赤く変色していて、長くは持たない気配を見せる。
しかしウルドはその程度では怯まない。炎の剣にストレートをぶち込んだ、そのままの勢いで素早く柔軟に体を捩り、ガードが間に合わない頭部に向けて蹴りを入れる。フレアはこの不意打ちとも言える蹴りを瞬時に察知すると、すぐに体勢を変えてその場にしゃがみ込むことで回避する。そのまま空中蹴りを外したウルドの機動を予測し、着地点と見られる場所に火を放った。そんな無茶苦茶な。今度は刀身からではなく、彼女の手の平から炎が噴き出したのだ。
「ま、魔法か何かか?」
あまりの光景に思わず知能指数の低い台詞が漏れる。すぐ傍らで同じく口をポカンと開けていたブラムが、小声で言う。
「あれは……あれは、間違いなく神力です。そんな、おかしいですよ。神と、神の眷属にしか扱えないはずなのに……」
「神力!? それって、ブラムちゃんが情報検索に使ってる時の『全知』って能力の仲間なのかい?」
「……はい。でも、そんな……おかしいです、おかしいです…………あの人、神様である僕よりも使いこなしてますーっ!!」
ブラムは困惑の感情を抑えきれずに喚き始めてしまった。なんてこった、頼りになりそうにない。
「ってことは、フレア・ケベスは神ってヤツだったということなのかしら?」
騒ぐブラムの真横でライフは冷静な意見を述べる。
「ブラムちゃんや……ソウドが龍だったって前例がある以上、可能性としては十分だ」
「そう。何はともあれ、相手の能力が未知数であるなら不利な状況よ。どうするつもりなのかしら」
目の前では反則級の飛び道具を駆使するフレアとウルドが目にも止まらぬ勢いで熾烈なバトルを繰り広げている。ディノも銃や小型の刃物などを取り出し、ウルドを援護するように遠隔攻撃を行う。素早く動き回る二人の行動を把握し、的確な位置に攻撃している。ウルドとの息も合っているようで、さすが国優秀のエリート集団黒軍の元同僚といったコンビネーションだ。
「ウルドだけならいつでも戦闘から離脱できる。フレアが戦闘に気を取られているうちにこの場から離れよう」
俺はそう言いながら炎でいっぱいになった周囲一帯を見渡す。本来進みたかった方向は炎の壁で塞がれている。そんなものの中に突っ込んでいく度胸なんてないし、左右は行き止まり。来た道を引き返すのが最も懸命と言えるかもしれないが、それだっていつ「新しい脅威」と鉢合わせるかわからない。フレアレベルの戦闘力を持った敵が他にいないとも限らない。例えば……ついさっき出会ったばかりな、あのメタル・ハルバードと名乗った全身機械鎧の男。あれだって馬鹿みたいに強烈だった。
さて、どうするか。周囲の気温も上がっていく一方。この状況は時間が経てば経つほど悪くなるに違いない。額から滲み出た汗が頬を伝って落ちる。炎に包まれたあらゆる物から黒い煙が止めどなく吐き出されている。カバンの中にガスマスクがあることを思い出し、手を伸ばした……その時に、炎の向こうから車両の走行音のようなものが聞こえてきた。音は次第に大きくなり……やがて……一台の装甲車が炎の壁を豪快に突き破りながら彼女たちの戦闘に乱入してきた。
「ナイスタイミングだぜぇ、坊ちゃん!!」
装甲車はエンジンフル稼働でアルレスキュリア城の庭園を爆走し、フレアとウルドを真っ正面から轢き殺す勢いで迫り来る。フレアは「どひゃあ!」となぜか楽しそうな声を上げて緊急回避の行動を取る。それを見てウルドもフレアとは逆方向へ大きくジャンプしながら退避した。
装甲車の外観を一瞥したウルドは俺に向かって声を上げる。
「赤軍のクルマだ!!」
爆走する装甲車は二人が突進を回避したのを確認すると、ハンドルを大きく左へ切りながらブレーキを踏む。荒技にもほどがある運転に車両部分がギキキキキィイイイイーーーーーーーーーッ!!!!と酷い音を鳴らしながら火花を散らす。
まもなくして装甲車は上手いこと俺たちがいる場所のすぐ手前で停止し、頑丈な車体がガチャリと開き、中から人が顔を出す。
「助太刀に参りました! さあ、すぐに後部座席へ!!」
搭乗していたのは赤軍の制服を着た若い男だった。
「助かるわね!」
ライフは相手の正体を探るより先に俺とブラムの腕を引くと、迷わず車内へ飛び込んだ。それを見てマグナも慌てた様子で後に続く。
「シートベルトはしっかり装着してください!」
赤軍の男に言われた通り、それぞれが後部座席に腰を下ろしてすぐにシートベルトと思しきものを体に宛がって装着する。
「俺たちはどうすりゃいいんだい?」
フレアと向き合ったままのディノが赤軍の男に向けて軽口めいた言葉をかけた。
「そちらのレディは体のどこかに青い紐のような物を身につけているはずです。それさえ奪えば神の力は使えなくなります」
「弱点教えるからもうちょっとガンバレってさ! どうだいウルド、やれそうか?」
「知らないよ。身体ごと捻り潰せばいいだけでしょ」
物騒な言葉を吐いているが、ウルドの場合はまさにその通りで、弱点なんて必要ない。ウルドは俺が戦闘範囲から離脱した途端に本気を出すつもりなのだろう。
そんな物騒極まりない意見とは別に、青い紐が弱点というのは捨て置けない情報だ。そう言われてから改めてフレアの体を確認すると、確かに肩の周りに青い紐らしきものを巻いている。どういう原理かわからないが、あれがあるおかげでフレアは炎を自由自在に操る能力を手に入れているということだろうか。容易に受け入れきれないくらい突飛な話であるが、詳細についてはまた後で聞くことにしよう。
今はまず、戦闘離脱が最優先。
「発車します!! 車体の揺れにお気を付けて!!」
ハンドルを握った運転手が律儀な注意喚起のアナウンスを上げ、アクセルを力いっぱい踏んだエンジン音が車内に轟き始める。車体全体が大規模地震のように激しく上下に揺れ、装甲車が急速発進する。
激しい走行音を上げながら目の前を通り過ぎる車体を、フレアは何の行動も起こさず棒立ちで見送る。座席横の小さな窓から一瞬だけ窺えた彼女の表情は、先ほどの戦闘時とは打って変わって、別人かと思うくらい冷静だった。歴戦の戦士の風格と称するに相応しいほどに。
装甲車は炎上する庭園にウルドたちを残したまま爆走する。