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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述22 ここに神話をもう一度
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記述22 ここに神話をもう一度 第3節

 戴冠式の式場は城壁内の中庭の一部を使用して設営されていた。元々あった大きな台形の舞台の上にはすでに幾人かの祭司が集まり、儀式を淡々を進めている。開式からしばらく経った頃合いではあるが、今のところ、目立ったアクシデントが起きる気配はない。

 儀式の舞台は足場が高くなるように作られている。周囲には深い溝を掘り、灰褐色の泥水のようなものを流している。水が随分と濁っているため、どれくらいの深さなのか見ただけではわからない。どちらも壇上の安全を確保するために設計されたものだろう。こういったアナログ的な手段の他にも、遠隔射撃を遮断するレーザーセンサー式の防護壁などが備え付けられている。当然軍隊による警備も総動員で行っているようだ。いつ何時、何が起きても大丈夫なように万全を尽くしているのだろう。

 俺たちが通された貴賓室も同じだ。元々この場所には他の部屋と変わらない客室があったらしいのだが、その壁を取り払い、高品質な強化ガラスをはめ込んで、安全な場所から式が行われる中庭の様子を一望できるように改築してある。

 それにしてもこの強化ガラス、見たところJUNKの超大型フライギアの実験場で使用されていたものと同じもののように見える。ガラスの他にも見たことがある形状のカメラモニターを始めとした各種機材が部屋のあちらこちらに設置されている。大方トラストさんが趣味でローザから買い付けたものなのだろう。

 カメラモニターには壇上の様子が映し出されていた。主賓のために用意された席は、一般の参列席と比べて儀式の様子がよく見える場所に作られていたが、それでも舞台の上に立つ人の表情などを詳しく見るには距離が遠すぎる。この部屋へ通された他の賓客たちの中には高価そうなオペラグラスを手に持っているものもいた。一応俺も望遠グラスを持ってきてはいるが、実のところローザの手術を受けて以来、視力が以前よりもずっと良くなっている。そういえば子供の頃の俺も視力だけはやたらと良くて、窓の外から見える小さな景色に大はしゃぎしては大人たちに驚かれていたっけか。その視力を上手いこと取り戻したということだ。必要なかった望遠グラスはライフに手渡したが、ライフも結局使わなかった。「モニターを見ればいいじゃない」なんて正論まで言われつ始末だ。

 舞台の上には紫色のローブを着た祭司の女が複数並んで立っており、先ほどからずっと呪文のように聞こえる見知らぬ言語の詩を歌っている。例の王女は、そこから二つ三つの段差を降りたところにある別の足場の上に背筋を伸ばして立っていた。まるで一輪挿しの花のような佇まいだ。式場に集まったアルレスの民衆たちは、高所で存在感を発する美女の気品ある姿を己の眼に納め続けようと、顎を高く掲げながら舞台を見上げている。王女には人の眼を惹き付け、釘付けにする魅力があるのだろう。

「別人よね」

 戴冠式が滞りなく進行する様子を文字通り高みの見物していると、隣の席に座っていたライフが小声で話しかけてきた。

「うん……俺も、あの人はエッジくんではないと思う」

 壇上に立つ花嫁姿の王女様は、どこからどう見ても女性であった。可憐な容姿、仕草、表情はさることながら、ここで注目すべきは彼女の体の方。純白の花嫁衣装の胸元は大きく開けたデザインをしていて、そこには白雪色の豊満な膨らみがくっきりとした谷間を作り出している。『女』であることを大衆に見せつけるために、ああいった露出的なデザインのものを選んでいるのだろう。あの様子では詰め物だなんだと疑う余地もない。体格や肩幅もエッジよりも一回り程小さく、肉の付き方も極めて女性的だった。

 それでも顔だけはあんなにそっくりなのだ。首から上に関していえば、相違点は髪の長さと瞳の色だけ。王女の瞳は、今までの人生で見てきたどんな色とも違う、独特な色をしていた。一言でいえば『青色』なのだろう。しかしその青色が何の青色なのかさっぱりわからず、比喩のしようがない。植物の花や葉を集めて染める織物の青とも、宝石を削って作った顔料の青とも違う。そんな色を孕んだ双眸が真昼の太陽の日差しを浴びてキラキラと輝いていた。高貴な眼差し。見るもの全ての心を虜にしながら、今も優雅な微笑を浮かべている。不穏なまでに美しい王女だった。

「それじゃあ、本物のエッジさんはどこにいるの?」

 マグナが不安げな顔で尋ねてきた。これまた素朴で根本的な疑問だ。

「あそこにいるのが偽物だって言いたいのかい?」

 彼の方へ体を傾け、他の客人たちの邪魔にならないようにヒソヒソと会話する。

「だって、王族の生き残りが他にもいるならエッジさんがアルレスに戻る必要なんてなかったはずだよ。それで、あの人がエッジさんじゃないっていうなら……その……」

 影武者か。

「その可能性はあるかもね。俺たちに会いたくないと言っていたことにも繋がりそうな説だ。でも、とりあえず今はこの式を大人しく見守ろう。今すぐにできることがあるわけでもないし、この場所で会話しすぎるのも危ないよ」

 そう小声で言ってから、チラリと横を見ると、ヒソヒソ話をする俺たちを不審な目で見ている軍服姿の男性客と目が合った。はにかみ笑いで誤魔化してみるが、効果はなさそうだ。そんな俺の様子を見てマグナも周囲の視線に気付いたようで、僅かに肩を跳ねさせて驚いた。彼が口を一文字に噤んで大人しくなったことを境に、俺たちは会話をやめた。そろそろ新しい国王陛下と王妃様になる王女が舞台の真ん中に躍り出る。私語は慎んだ方が良い。

 

 

「この赤き大地に住まう、全ての愛しきアルレスキューレの臣民へ告げる。汝らには幸福になる権利があると」

 開口一番、王女は自国民へ送る愛の言葉を発言した。

「今は遠く、失われつつある黎明の誓い。決して忘れてはならないものだった。求め続けねばならないものだった」

 王女の一言は、まるで爽やかな早朝の風、花の香りのように可憐な響きをもっていた。その声は真っ白な空の下に遠く澄み渡り、傾聴する人々の心を魅惑的に掌握していく。

 参列者たちは皆揃って真剣な表情で王女が立つ祭壇の上を見つめている。彼らは老若男女や貧富の差も様々な顔ぶれをしていたが、この国の未来を憂うという点においては同じ志を持った仲間たちだった。ある者は彼女の品格を見定めるために目を凝らし、ある者はこれからの未来を紡ぐ彼女の晴れ姿を瞳に焼き付けようと必死に目を見開く。

 王女はそんな彼らの一生懸命な様子を高所から見渡しながら、唄うように言葉を続けた。

「築き、紡ぎ、伝承すべきは歴史に生きた数多の英雄等の祈り。恒久の繁栄は夢物語などではない。王制国家アルレスキューレは、永劫の安息を求める生命たちの切なる願いの下に集い築かれた国である。私はその情熱と信念に誇りを持ち、本日まで生きてきた」

 真実は絶対的な力を持っている。彼女は疑いようもなくこの国の王女であり、エッジ・シルヴァなどではなかった。

 加えてこうも思う。あれがエッジでなくて良かったとも。

「今、私はこの愛すべき国に新たな王を招き入れるべく、祭壇に立っている。私は私の体に流れるアルレスキュリアの聖なる血統を婚姻の杯にそそごう。新たなる生の伴侶、新たなる国家の主人、新たなる未来の先導者のために、この身の全てを献上しよう。全て捧げよう。王制国家アルレスキューレに、栄光あれ!」

 王女の高らかな演説が終わると、参列者たちが耳をつんざくような歓声をあげてこれに応えた。

『アルレスキューレに栄光あれ!!』『アルレスキューレに栄光あれ!!』『アルレスキューレに栄光あれ!!』

 俺はすっかり熱の上がった式場の様子を、賓客席の一角から取りのこされたような気持ちになりながら見下ろしていた。

 そんな騒ぎの中、本来の主役である男が二名の祭司を引き連れて舞台へ上がってきた。イデアール・アルレスキュリアだ。

 イデアールはどっしりとした足取りで舞台の中央まで歩いて行く。まるで鉛で出来た彫像のように重厚な威圧感を纏った大男だ。華奢な王女と並び立つと二人の体格差が余計に際立つ。王女はこれから伴侶となる大切な男が自分の隣まで来て足を止めたことに気付くと、一瞥もしないまま一歩だけ後ろへ下がり、彼を前へ立たせた。

 熱気に満ちていた場の空気が打ち水をかけられたように静まり返る。

「あれがイデアールか」

 後ろの席で誰かが独り言を発した。彼のことを初めて見た、というようなリアクションだ。左右を見ると、他の客人たちもみんな同じような好奇の目で新しい国王の顔を凝視している。政治になんてまるで興味がないと豪語していたライフですら、何か思うところがあるのか難しい顔をしている。

 舞台の上では二人の祭司が儀式を進行させている。一人は鈴の付いた楽器を両手に持って打ち鳴らしながら新郎新婦の周囲を歩き回り、その間にもう一人が腕に通して持っていた白銀色の首飾りを王女の首に、一つ、二つ、とかけていく。

「我らの新たなる主人に、祝福を!」

「祝福を!」

 最後にそう続けざまに声をあげ、二人の祭司は舞台の奥へと引いて行く。

 祭司の後ろ姿を見送った王女は、再び一歩前に出てイデアールの隣に立つ。そして自分の首にかけていた首飾りを一つ、背伸びをしながらイデアールの首にかけ渡した。イデアールは王女のために身を屈めようとしなかった。それどころか自分に甲斐甲斐しく接する王女には顔すら向けず、ただただ、儀式の舞台を多種多様な顔色で見上げる民衆たちの方を冷淡な眼差しで見渡していた。

「此処まででいい。お前は後ろへ下がっていろ」

 王女が首飾りをかけ終わると、イデアールは無感情めいた低い声で王女に命令した。王女はそれを聞くと返事をする代わりに静かに瞳を閉じ、言われた通りに舞台の奥にある階段の手前まで移動した。

 そしてイデアールが足が動く。一歩、二歩、三歩……舞台の端、それ以上進めば高所から足を踏み外すギリギリの位置で立ち止まり、一言、このように言った。

 

「私はこの世界が嫌いだ」

 

 この場にそぐわない第一声。そうであったはずなのに、その言葉は俺たちの心の中にすんなりと入り込んできた。

 己の奇行めいた発言にどよめきもしない聴衆を前に、イデアールは言葉を続ける。

 言葉を、ずっと心の中に沸々と溜め込んでいた感情を高所からばら撒くように放ち捨てていく。

 

「全てが憎い。憎らしく、悍ましい。この世界は浅薄な創意によって歪曲された紛い物である。そう考えることが出来れば、どれだけの魂が救われることであろう」

 イデアールは空を見上げる。真っ白な空だ。

「私は青い空を知っている」

 彼は一体、何の話をしているのか。

「七色の花が咲き乱れる新緑の大地を知っている。群青に映える湖の水面を、その中で泳ぐ小魚の鱗の閃きを、知っている。温もりと共に降り注ぐ日差し。安らぎを運ぶそよ風。満天の星空。茜色に暮れる西の空の落陽。人々はどうだ。笑っていた。その笑顔は多くの祈りと願いを糧に守られ、歴史とともに生き続けてきた。美しければ良かったのだ。日々の暮らしが友愛と歓喜に満ちていれば、生命は争いの虚しさすらも美しさの中に忘れられた。かの世界はそのようにして廻っていた」

 聴衆には、あの狂った王様が言う言葉の意味が理解できない。そんなものは知らない。見たことがない。

 だってこの世界の空は灰色だ。いつだって分厚い雲が頭上を埋め尽くし、毒の雨を降らしている。汚染された水と空気。草の根一つ生えない干からびた大地。暗い顔の隣人と生きる日常。

 不和。貧困。騒乱。流行病。飢饉。略奪。怨嗟の繰り返し。

 不条理な現実に打ち負かされ、期待は裏切られ続け、夢見た未来に手は届かない。

 それが俺たちの「当たり前」であったはずだ。

「かつて私は夢を見た。人としての生を狂わされるより以前の私は、このアルレスキューレの大地を信じ、民の幸福を願い、国の繁栄を祈っていた。愛していたのだ。心の底から。だからこそ身の丈に合わない王の座に縋り付き、与えられない冠を求め続けた」

 イデアールは白銀の首飾りを左手で握りしめ、引き千切った。バラバラとバラバラと、形を崩した金属の欠片が足元に散らばり、壇上から転がり落ちていく。

 首飾りを放り捨てた左手を胸の前で掲げる。彼の左半身は腕も脚も、肋骨の半分もあの日の事件で喪われてしまっていたはず。だからあれは義手だ。機械仕掛けの仮初めの腕。彼は鋭い目付きをさらに細めながら、己の境遇を語り聞かせるように言葉を吐く。

「遠い昔のこと。もう二度と戻ってこない」

 そうだ。その通りだ。失ったものは帰って来ない。そんなことは絶対にあってはならない。

「そうように、思っていたな」

 あの男は何をする気なのか。

「しかし時は満ちた。私は力を得たのだ! 誰かが奪い、気紛れに私へ分け与えただけの滑稽な力だ。正しき出所も知らぬものであるが、怨嗟の血潮から生る代物であることは確かだろう。振るえば多くのものを犠牲にするやもしれぬ。それでも私は、この『神の力』を行使する!!」

 新たなる時代の王たらんとする男はその場で両腕を広げ、高らかに声を上げる。

 

「私の名はイデアール・アルレスキュリア!

 華の楽園とまで呼ばれた善き楽園、王制国家アルレスキューレの王になることを決意した男である!!

 ならば、すべきことは一つ。

 私はこの国の繁栄を、この国に住む全ての民の幸福を、願い続ける!!

 

 ここに神話をもう一度!!」

 

 

 男の大声が民衆の頭上に降り注ぎ、力強い迫力を帯びた残響が世界に溶けてなくなる頃……空が動き始めた。

 ぐるり、ぐるり、風もないのに渦を描いて回り始め、少しずつ色を変えて行く。

 空気が変わった。言葉の通り、空気がだんだんと軽くなっていったのだ。

 部屋の中にいてもなお気付くことが出来るほど明確に、空気中に満ちていた汚染物質が薄まっていくのを感じた。呼吸をする度にじくじくと響いた喉の痛みが和らいでいく。徐々に、徐々に、浄化されていく。

 俺は思わずその場から立ち上がり、分厚いガラスの表面に身を張り付けながら、眼前に広がる世界を確認した。

 

 空が青い。

 それはきっと、雲一つない快晴というもの。

 生まれて初めて見る本物の太陽。

 身を焦がす痛みも感じさせない、穏やかな日差し。

 遠い空の下。赤茶色に干からびた平坦な大地があった場所に、緑色の山林が見える。

 石だらけで殺風景だったはずのアルレスキューレの街路に樹が並んで生えている。

 花が咲いている。

 窓の外、名前を知らない白い鳥の群れが、軽やかな囀り声をあげながら飛んでいく。

 大衆は揃って空を見上げ、故郷の街を見渡し、隣人の顔を見る。

『何が起きたんだ』

 誰もが同じ言葉を口にした。

 

 戸惑い、戸惑い、戸惑い……そうして困り果てた末に喉の奥から飛び出したものは、歓声だった。

 

『奇跡だ!』

 

『神の奇跡が起きた!!』

 

 

 こんなバカなことがあっていいはずがないのに、人々は喜ばずにはいられなかった。

 瞳からは涙が溢れる。その理由がわからない。さっぱりわからない。

 こんなことがあっていいのか。

 あっていいんだと彼の王は言った。

 赦されたのか。壊されたのか。わからない。

 ただ、ただ、わけのわからない感情に体の全てが振り回され、涙を流す。

 

 何か尊いものがあったはずなんだ。

 俺たちはその何かを『喪ったのか』、『喪っていたのか』、そんなことすらもわからなかった。

 

 空は地平線の彼方まで青く澄み渡っていた。

 

 


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