記述21.5 金糸雀は宙を飛ぶ 第6節
様々な思いが過っていく。
後悔。懺悔。自己嫌悪。ふがいない父親でごめんなさい。
廃墟の階段を転がり落ちるように駆け下りていく最中、頭の中には赦しを乞う思いばかりが駆け巡っていた。
なんて罪深い。
もはや俺には逃げ出す余地も、言い訳をする意味すらも残されていない。
許されてはいけないことをした。あってはならない過失をした。
化け物じみた大きさをした自戒の念が、今すぐ自らの首を握りつぶして死んでしまえと衝動に訴えている。
目を逸らしたくなる自責の念が、それでは駄目だ、さいごまで見届けろと怒鳴りながら体を動かしている。
赦せない。
罪深い。
失望した。
罰が欲しい。
赦さないでくれ。
不毛な強迫観念で頭の中をぐちゃぐちゃにしているうちに、階段を下りきってしまう。そのまま足を止めずに入口を飛び出す。ビルの裏側。割れた窓の向こう側に見えた、真っ暗な闇。何があるのか確かめないといけない。
目的の場所まで辿り着いたところで、やっと足を止めた。息は切れ、心臓は胸の中で爆発してしまいそうなほどバクバクと脈打っている。
真っ暗だ。明かりがないと何も見えない。そう思って、暗視ゴーグルの精度をゆっくりと上げていく。黒色で塗り潰されていただけの空間に、明暗が生まれ、何かの輪郭が浮かび上がってくる。
何かがある。
ふるえる足を引き摺るようにしながら、一歩、二歩、近付いてみると、それは暗闇の中にうず高く積み上げられた瓦礫の山だった。
周囲にはそれ以外に目立ったものが 落ちている 様子はない。ならばこの瓦礫がそうなのかもしれない。
手を伸ばして、瓦礫の山を少しだけ崩した。まだ何も出てこない。
もう一つ崩す。まだ何も。
暗闇の中で黙々と、無心で瓦礫の山を弄っていく。
そうしていると、ついに瓦礫の中から気になるものを見つけてしまった。人間の腕などではない。服の切れ端でもない。お菓子の箱くらいの大きさをした四角い容器だ。
想定外のものが出てきたことに僅かに虚を突かれてしまった。しかし幸いなことに、俺はまだこの箱にどんな意味があるのかわからないほど愚かではなかったらしい。
容器の中には綺麗に折りたたまれた黄色い便箋が入っていた。
開いてみると、中には誰かに宛てたメッセージが直筆の文字で書かれていた。
―――
私の親愛なる人へ
結局のところ、俺はまだ生きているよ。
随分長い間迷っていたけれど、お気に入りだったビルの上から飛び降りる勇気なんて、やっぱりなかったみたい。遺書代わりの動画だって無駄になってしまった。
諦めて帰ろうとしていたら、その道の途中で変なお爺さんに会ったんだ。どんな話をしたかとか、何があったのかとかは、ここには書けないんだけど、あんなに胸が高鳴る体験ができたのは久しぶりだったよ。
すごく唐突な話になってしまうんだけど、俺はこのお爺さんが示してくれた道の先で、新しい人生を歩んでみようと思うんだ。この道がどこまで続いているかはわからないけれど、今の俺にとって、この選択はとてもとても、眩しいくらい輝いて見えるものなんだ。
俺はずっと、後悔せずに死ねる場所を探していただけなのかもしれない。それは、ここじゃなかった。
ここではない、どこか遠くの世界に、俺が納得しながら瞼を閉じれる場所があるって可能性が、まだ少しでも残っている。だったらもう少しだけ足掻いてみようと思うんだ。
旅立ちは今すぐにって訳ではないけれど、いつでも出発できるようにするために、今のうちから手紙を残しておくよ。
感謝の手紙。こんな所に隠しておくものじゃないと思うけど、どうしても誰かに甘えてしまいたい気分なんだ。
これは俺の一番大切な気持ちだから、みんなの手で見つけてほしかった。
バカなことばっかりしてるよね。わかってる。たぶん、わかってるはず。何度もごめん。
本当の本当のことを話すと、俺はみんなのことが好きだったんじゃないかなって思うんだ。全然自信がないんだけど、少なくとも嫌いではなかったはず。尊敬とかはしていたんだよ、きっとそう。
さもなくば、俺はもっと早くに自殺していたはずなんだ。
でも生きてる。今もどういうわけか生きている。
あの時は確かに、あんなにも死んでしまいたいと思い詰めていたはずなのに。夕方を越えて、夜を越えて、また空から朝陽が昇って来るのを見つけた時、やっぱりこの世界は綺麗だったんだなって思い出せた。
真夜中にお月様と交わした約束のことだって忘れていない。思い出は今もまだ俺の中に希望として残っているって気付いたよ。
父さん、母さん、この手紙はみんなのところにちゃんと届くのかな。
自分の本当の気持ちを最後まで誰にも話せなかった、情けない息子のことをどう思っているのかな。まだ愛してくれているのかな。
親不孝者でごめんね。
みんながたくさんくれたはずの愛を、俺はまた返しきれなかった。俺には恩返しをするだけの能力も足りていなかったのかもしれない。
人の心に寄り添いたい。そう思えるだけの、心の余裕を持てなかった。いつもいつも自分のことだけで手一杯。
本当に、ごめんなさい。
今までありがとうございました。
そして末永く、お幸せに。
―――
この置手紙の文面が、もう二度と帰ってこないであろうディアが俺たちのために残してくれた、最後の言葉だった。
もう次は無い。
何も聞こえなくなってしまった。