記述4 素直な心の裏切りもの 第2節
小休止を終えた後、俺とライフとマグナの三人は再び真っ暗な穴の奥へ向けて歩き始めた。
しばらくの間は何事もなく歩みを進めていたのだが、とある地点まで来たところでふと、先頭を歩いていたマグナの足が止まった。なぜ急に立ち止まったりしたのだろう。不思議に思って、顔を上げた彼の視線の先を自分も見てみると、そこには行き止まりの壁があった。
行き止まり? どこかで道を間違えたのだろうか。いや、そんなわけがない。ここまでの道のりは一本道でしかなかったものだから迷いようがない。マグナがここにいる以上、この地下坑道がどこにも繋がっていないなんてこともあり得ない。
どうするつもりなんだろう、と思いながらマグナの行動を少し離れたところから見守ることにした。するとマグナは「たしか、このあたりに……」とポソポソ小さな声の独り言をつぶやきながら、突き当りの壁の方まで近づいて行った。そこで何かを見つけたような反応をすると、ズボンのポケットから麻布の切れ端を一枚引っ張り出した。小さな手のひらの中に握りしめた布切れを使って、マグナは行き止まりになっている壁の表面をゴシゴシとこすり始めた。遠目に見ていた時には気付かなかったことだが、彼がこすり始めたその壁の表面には乾いた泥のようなものがべったりとこびりついていた。ザラザラとした麻布でこする度に、壁についていた泥はやすりで削るようにそぎ落とされ、ポロポロと、サラサラと、マグナの足元に降り積もっていく。
「もしかして、隠し扉でもあるのかい?」
「うん。隠し扉みたいなもの。この壁の奥にはね、この坑道よりずっとずっと広い、別の場所があるんだよ。そこは勝手に入っちゃいけない場所だって言われているから、本当なら、こうやって坑道を掘って通路をつなげたりなんてするのもダメなんだ。でも、ワタシたちには、ここを使って逃げることしかできなかったみたいだから……」
そんな話をしながらも、マグナは黙々と手を動かす。やがてそぎ落とされた泥の向こう側に錆びついた鉄板のようなものが顔を出すようになり、マグナはそれを指でさし示しながら「あったあった! この蓋を開けるんだよ!」と教えてくれた。蓋は、簡素な取っ手が付いたマンホールのような形をしていた。マグナはその取っ手を泥の付いた小さな手で握りしめると力いっぱいひっぱった。
ガコンッ
何かが外れるような音がした。それと一緒に、蓋の表面にもう一つの取っ手がポコリと飛び出してきた。マグナは二つの取っ手をそれぞれの手で握りしめると、さっきよりも強い力で蓋をひっぱる。ガコンッガコンッガコンッと危なっかしい音をかき鳴らしながらぴったりとはまった蓋と格闘していたが、少し時間が経ったところでついに蓋は開き、ぽっかりと空いた丸い穴の向こうからうっすらとした光が差し込んできた。
「さぁ、通って通って!」
マグナに促されるがままに穴の中を通り抜けると、その先は……先ほどまで俺たちが通ってきた坑道とはくらべものにならないくらいの道幅を持った『地下トンネル』に繋がっていた。
地下トンネル。色褪せた銀色の金属に覆われたドーム状の天井を見上げ、どこまで続いているのかサッパリわからない通路の果てを見渡す。右へ、左へ、どちらを見ても突き当りの壁は見えず、この巨大な通路はただひたすら真っ直ぐに、アルレスキューレの地下深くに広がっているようだった。
「ここは地下水路ね」
「なるほど……」
俺の後に続いて穴の中から出てきたライフが、同じく圧巻されている様子を見せながら呟いた。
地下水路だと指摘されてすぐに納得できたのは、広々とした通路の真ん中に、これまた巨大な一本のパイプラインが通っているのを目の当たりにしていたからだ。パイプの中からは蛇口の水を思いきりひねったときに効くような流水音がジャブジャブと聞こえていて、それが通路を吹き抜ける風の音に混ざって、トンネル中に迫力いっぱいの喧噪を生み出していた。
通路の壁には光源が点々と設置されている。その光は安全に歩き回れると安易に言えるほどの明るさではなかったが、懐中電灯を使わなくても歩ける程度には頼りになるものだった。
またガコガコと音がするのを聞いて後ろを振り向くと、マグナがトンネルの壁に空いた穴を隠しているのが見えた。俺たちが通ってきた坑道は、このトンネルの通気口の一つを改造して作った物だったらしい。これだけ大きなトンネルともなると通気口の大きさもそれなりで、元から人が通るには十分であったのかもしれない。
通気口の蓋をしっかりと閉め、一仕事終えたマグナがこちらに駆け寄ってくる。
「ワタシの仲間が作った穴はまだ他にもあるはずなんだ。少し歩けば見つかると思う」
「ついて行ってもいいかい?」
「いいよ!」
マグナは頼りにされたことがうれしかったのか、ふふんと少しだけ機嫌の良い笑みを見せ、それを恥ずかしがるように隠しながら歩き始めた。俺とライフはその後ろをついて行く。
彼の仲間がどうしてこんなトンネルに逃げ道なんて作ったのか、疑問に思いはしたが、彼に尋ねるようなことではないと思った。この国に生まれた時から住んでいるライフには心当たりがあるのか、少しだけ気まずそうな表情を見せながら、何も言わないでいる。
俺は黙って懐中電灯の光の中だけではあまり目に入ることがなかった彼の小さな後ろ姿を見つめた。子供の体には大きすぎる、ボロボロな生地をした土色のローブ。マグナは今も長さが合わないズボンの裾を引きずりながら歩いているが、歩きづらそうに感じている様子はない。「慣れている」とでも言いたげなほど、逞しく、ハキハキとした歩調で俺たちの前を歩いていく。俺にとっては少し奇妙に思える程度の光景であったが、ライフには特別に思うところがあったのかもしれない。
そういうやや気まずい空気のまま、俺たちはしばらくの間薄暗い光に照らされたトンネルの中を歩いていた。会話は無い。終始無言。聞こえてくるのはトンネルの中を流れる水の音、風の音、三人分の靴がコンクリートの床を蹴る乾いた足音、それくらい。だった、はずなのだが……
不意に、俺の耳に別の音が飛び込んできた。
「 」
人の声。
「 」
「 」
それも二人分。トンネルの向こう側から、誰かがこちらに向かって近づいてきている。会話の内容は距離が遠すぎて聞き取れないが、確かに人の声だ。
その気配にマグナも気付くと、彼は焦った様子を見せながら「隠れなきゃ!」と小声で叫びながら走り出した。
マグナは巨大なパイプを支える太い柱の陰に身を隠し、オドオドとした様子で声のする方を見つめている。それを見た俺とライフも見つかってはいけないんだなと理解して、彼を真似るようにしながら、周りを見回して目に付いた場所に身を隠した。
声が、近づいてくる。
片方は若さを感じる中性的で明るい声。もう片方は……やけに耳障りの良い男の美声。
「また戦争が始まるそうですよ」
話の内容は、全く明るくはなさそうだった。