記述21.5 金糸雀は宙を飛ぶ 第4節
ユーズと店の前で別れた時、俺は彼から息子に関する新しい情報をもう一つ提供してもらえた。
「一年くらい前に、ディアがヤバそうな人と一緒に歩いているのを見たことがある」
その人物とは、フロムテラスに住む無法者たちの間ではちょっとした有名人であった、凄腕のサイバーテロリスト。
初耳だ。なぜそんな危険な人物と交流があったのかはわからないけれど、調べてみる価値があると感じた。
俺はすぐに鞄から通信端末を取り出して、監視局のデータベースにアクセスした。相手は有名な犯罪者。検索が終了し、画面に情報が表示されるのは早かった。
ところが、表示された文面には、この人物がとある犯罪組織内の抗争に巻き込まれて半年前に死亡したと書かれていた。
死体が発見された場所は、郊外の植林地帯。死亡推定時刻は、ディアの失踪から三十六時間前。
検索結果一覧には、この植林地帯で同時期にもう一つ遺体が発見されていた旨も記載されていた。発見されたのは年老いた浮浪者の変死体であったが、調査を進めてもそれ以上の個人を特定する情報は得られなかったという。時期と場所が近かったことから、この二つの遺体には何かしらの関連性があるのではなあいかと推測したうえで現在も調査を進めている。
何かある。
そう思い立った俺は、フライギアのドライバーを呼びつけ、問題の犯罪組織の本拠地がある都市の中心部へ向かった。
彼らは調子に乗ったテロリスト風情とはわけが違う。フロムテラスに住む有識者であれば誰もが注意を払わなければと考えるほど、知名度も危険度も高い犯罪のプロ集団。連日のように違法行為ばかり繰り広げているくせに、その功績を隠そうともしない大胆不敵な態度が特に有名で、その本拠も都市中心部に堂々と建てられている。
名立たる大企業のロゴが並んだ摩天楼の一角、天に向かって真っすぐ建てられた銀色の高層ビル。その全容が見える場所まで近付いた頃には、空は日没間近のオレンジ色に染まっていた。
本拠地のすぐ近くにはフライギアを停泊させるのに小振りな面積を持った自然公園があった。ちょうどよいところに公共エアポートも用意されており、さっそくそこへギアを降ろす。ドライバーに「ここで待っていてほしい」と一声かけてから、ビルの方へ向けて歩き出した。
さて、勢いまかせに来てしまったけれど、何から行動すればいいだろうか? いきなりビルの中に突撃して「いなくなった息子を探しています!息子の知り合いがこのビルに通っていたことを聞いたので、話を聞きに来ました!」なんて馬鹿正直なことを……言えなくもないのがまた厄介だ。
下手すれば歓迎されてしまう。テラス家の現当主エラーズ・テラスというのは、そういう存在だ。俺が直々に出向いてやれば詳しい話を聞き出すことも容易いだろうが、問題なのはその後だ。俺がこの組織と親睦を深めてしまったことが第三者に少しでもバレれば、新しい抗争の火種になってしまうかもしれない。それは流石に避けたいところ。何かしらの対策を練るにしても何が良いだろうか。使いを寄越すにしても、匿名であれば相手にされないだろう。
うーんうーんと唸りながら近辺を少しの間歩き回って考えていると、公園の向こうから誰かがこちらへ歩いてくる姿が目に入った。それは白衣を着た背の高い女性。眼鏡をかけていて、レンズの下には無機質な輝きを持った金色の瞳が二つ。一つに束ねた長い長い青薔薇色の髪。
その女性は俺のすぐ目の前まで近付いてくると、聞いたことのある声で話しかけてきた。
「ご機嫌よう、ミスター・テラス」
「……ローザちゃん?」
知り合いだ。
彼女の名前はジャンク・ローザ・ツークンフト。俺の古い知り合いたちが開発した自律思考型アンドロイドの一人。確か今は、JUNKとかいう怪しい研究機関のリーダーを任されていたはずなのに、それがなぜ、今このタイミングで俺の前に現れたのだろうか。
「なぜ私がこのような場所にいて、アナタに話しかけたりしたのか……疑問に思っていることでしょう」
「そりゃあ……もちろん」
「理由は簡単です。私の知り合いの、とあるエトランジェから、ミスター・テラス宛ての届け物を配達しにきたのです」
「エトランジェから?」
急に告げられた言葉に理解が追い付かず、自分の耳まで疑いそうになってしまった。明らかに困惑した様子を見せる俺の目の前に、ローザは表面に何も書かれていないデータカードを一枚だけ差し出して来た。
エトランジェ。それは人工隔絶都市フロムテラスの外側に生息する人類のことを指し示す言葉だ。監視局から都市外調査の許可を得ているローザならば、そのような住む世界の違う知り合いがいてもおかしくはない。しかし俺にとっては全く関わったことがない未知の領域の話だ。エトランジェの知り合いなんて一人もいるわけがないし、向こうだって俺のことを知らなくて当然のはず。
心当たりなんてまるでない……はず。
「もう、薄々と気付いているのではないですか? ディア・テラスがどうして自分たちの前からいなくなってしまったのか」
ローザの顔に無機質な冷笑が浮かび、それを見た俺は言葉を詰まらせる。
「このデータカードの中には、アナタが暴きたかった真実の片鱗が保存されています。どうするかは自由。今更急に『知るのが恐い』と目を背けたところで、誰もアナタを咎めたりはしません。アナタは始めから何の期待もされていない存在なのですから」
言われるがままにローザの手からカードを受け取った。真っ白な光沢がテカテカと閃くカードの表面を覗き込むように見つめると、その中に自分の顔が映り込んでいるのが見えた。
知るのが恐いだと? 俺がそんなことを考えるわけがないじゃないか。
気持ちはそのような反感を示したがっているはずなのに、カードの中からこちらを見ている俺の顔からは反発の感情など微塵も伝わってこなかった。
不安。焦り。困惑。拒絶。恐怖。
中に何が入っているかわからない箱の中に手を入れなくてはならない時の気持ちによく似ていた。そんな罰ゲームみたいな喩えがこの状況に相応しいわけがないはずなのに、本当によく似ていた。
「差出人の『彼』は厭きれた態度を見せながらこうも言っていました。『このままでは、ディア・テラスがあまりに可哀想』。アナタは、軽はずみな憂さ晴らしのためだけに選ばれたのかもしれません。本当に……性格の悪い方で、申し訳ありません」
最後にそんなわけのわからないことを言い捨てると、要件をすべて話し終えたローザは俺の目の前からあっという間に立ち去ってしまった。
ローザから受け取ったデータカードの中には、確かにフロムテラスのとある地点を示した座標データが保存されていた。ただしそれ以外の情報と言えるものは、何の意味があるのかわからない「23」の数字くらいなもので、この座標データや数字にどんな意味があるものなのか、詳細のところは何もわからない。
どうしてこんなものを見知らぬエトランジェが送り付けてきたりするのだろうか。どれだけ考えてみたところで意図の読めない展開には胡散臭さを感じてしまう。その一方で、彼女の何かを知っているような口振りをあっさりと見過ごせるほど、今の自分は余裕がある状態ではない。もしかしたら、これはずっと行き詰っていたディアの捜索を進展させるための大きな手掛かりになるかもしれない。今は藁にだって縋りたい状態なのだ。ならば何もせずにいるわけにはいかない。
俺は早速公園の横に停泊させていたフライギアのもとまで引き返し、ドライバーに「この場所まで向かってほしい」と注文した。
フライギアに乗って移動している間の時間を使って、座標地点に何があるのか詳細に調べてみた。場所は工業地帯の真ん中。たくさんの工場労働者たちが暮らしている集合団地の中に混じるように建っている、大型の高層ビル。工業地帯といえば、つい最近にもディアの捜索のために立ち寄っていた。その時にこのビルのことも見かけたし、風変りな外観をしていたからよく覚えていた。
それもそのはず、このビルには所有者がいない。随分昔に元々の持ち主だった不動産会社が経営悪化を理由に手放して以来、新しい買い手が見つからずに放置されていたままだった。悪い話題には事欠かない不気味な場所で、少し前には表の世界で堂々と暮らせなくなった日陰者たちの隠れ家になっているという噂まで飛び交っていた。しかしそういったある意味賑やかな話題性も、政治犯罪者の行方を追った警察組織の大規模捜査が決行されて以来、ポツリと途絶えてしまった。
管理者を持たない無人ビルの廃墟化は驚くほど早い。ビルの前までやってきた俺は、その全貌を見上げながら改めて圧巻させられていた。
一階から三階にかけて、壁一面が崩れ落ちているではないか。大型建築を支えるための太い柱がそこら中で剥き出しになっているし、床には瓦礫や窓ガラスの破片が山のように散らばったまま放置されている。それに加え、この場所を快適な寝床にしようと考えた浮浪者たちが、入ってすぐのフロントルームだった場所に大量の私物を持ち込んでいた。腐臭を放つダンボールハウスの中では痩せた中年の女が生傷だらけの腹を丸出しにしながら死んだように眠っている。その横を忍び足で通り過ぎ、ビルの奥へ進んでいく。
壁も窓ガラスも全壊しているおかげか、換気だけはよくできている。廃墟に巣を作る生物たちの放つ刺激臭は発生源に近付きさえしなければ気にならない程度。しかしこれは近隣住民にとってはさぞかし迷惑なことだろう。
様々な懸念を胸に抱きながら歩いていると、向かいの壁にエレベーターがあることに気付いた。当然ながら機能しているわけがないのだが、物は試しだと半開きになっていた扉を腕でこじ開けながら中に入ってみる。するとエレベーターの内側の壁に、このビルの階層を説明する案内板が貼り付けられているのを見つけた。案内板ならば他のところにもあったが、これだけは文字が掠れずに綺麗な状態のまま残ってくれていたようだ。
案内板にはこのビルの各階に何があるか書かれていた。そのシンプルな説明文の一番上に「三十階」の文字を見つけた時、頭の中にハッと大きな閃きが通り過ぎって行った。
あのデータカードにビルの座標と一緒に添付されていた「23」という数字は、このビルの二十三階に何かあるという意味だったのではないだろうか。
閃きは閃きにすぎないため確証はもてないが、しかし他に探し場所の当てが無いのならば、この直感を信じてみるのも悪くない考え……のように、思う。
「二十三階かぁ……」
あまり気が進まない。思わず他に誰もいないエレベーターの中で愚痴ってしまったのは、階段を上りたくなかったからだ。
やっぱり下の階から順々に調べた方が良いだろうか、と考えてはみても、それはそれで不毛そうな提案だ。もう外はすっかり日が暮れてしまっている。明日の仕事については休みを取ってあるから問題無いのだが、時間が全く足りていないことに代わりはない。ならば本格的な探索は後日専門家と一緒に行うとして、今日は大雑把な下見だけにしておこう。
今日は、二十三階に何があるかを確かめる。それだけにしておこう。
階段を上る。
階段を上る。
階段を上る。
二十三階を目指して意気揚々と高層ビルの階段に足を踏み入れたは良いものの、なるほどこれはなかなかに堪える。俺は踊り場の壁に書かれた「十二階」の文字を見ながら途方に暮れていた。
バーチャルフィットネスジムに通うことすら面倒くさがっていたツケが回ってきたのだろう。運動不足の老体に階段を使った移動がここまで苦行であるとは……思ってはいたが、予想以上のものだった。老いとはなんと恐ろしい。思いつきで二十三階を目指そうなんて思ったことを後悔し始めた頃合いであったが、既に半分を上り切ってしまった以上は最後まで登りきらないままでは格好が悪い。
二十三階。二十三階だ。
そこに何かあると思いつきだけで仮定したとして、その場所までディアが自分の足で行ったことはあるんだろうか。
無いだろうな。登れるわけがない。行ったことがあるにしても、誰かの背に乗って運んでもらったりとか、そういう感じだったと思う。何にせよ、俺にはディアより遥かに無理が利く健康な体があるのだから、その恵みと幸運に真っ直ぐ向き合う必要がある。こんなことを苦行だと言って拒否するのは、不誠実というヤツだ。
暗闇の中でぐるぐると思考を巡らしていると、今度は「十三階」の文字を見つけた。すぐ横の壁には全面張りで割れていない窓ガラスがあって、そこから階下に広がる工業地帯が一望できた。キラキラと光る真っ白な電灯をそこら中に散りばめた工業地帯の夜景は、実に美しい。摩天楼の美しさとはまた一風変わった機械的で武骨な魅力が詰まっているように見えた。あるいは退廃的だと表現するものもいるかもしれない。
そうだ、この辺りで少しだけ休憩しよう。そう思って、階段に腰を掛けたところで、視界の端に再び「十三階」の文字が映り込んだ。
十三という数字は、俺にとって特別な数字だ。十六も。二十二も。
何故こんな数字に逐一過剰な反応を示してしまうのか。それは、過去に自分が口にした質の悪い欺瞞のせいだった。
早くて十三、遅くて二十二。
ディアと初めて喧嘩をしたあの日、俺はあの子の前に診断書を見せながら本当のことを話した……嘘や冗談にも等しい、俺自身の願望を混ぜながらだ。
あの診断書は、人工生命の専門家のもとをいくつも渡り歩いて集めた無数の診断書の中の一枚に過ぎない。その中でも「早くて十三、遅くて二十二」というのは最も甘い見積もりといえるものだった。他の診断書には「十六が限界」だとか、「もうすでに適性寿命は超過している」だとか、好き勝手なことが書かれていた。
当時十三歳になったばかりだったディアにとって、その言葉はあまりに残酷だ。だから、一番ショックが少ないものを意図的に選んで開示したのだ。そんなことをしてしまったのは、同情心からだろうか、親切心からだろうか。ともかく俺は、誤魔化した。小さな体いっぱいに不安を抱きかかえながら、真実を告げられるのを健気に待っていたディアに、欺瞞に満ちた気遣いの言葉を啓示した。他でもない、俺自身がその診断書の結果を心の支えにしてしまっていたから。
死んでほしくない。もっと生きてほしい。できるだけ長く。いつまでも、いつまでも、いなくならないで、傍にいてほしい。
そんな祈りか願いかわからない感情を毎日のように膨らませていた甲斐があったのか、なかったのか……ディアは二十二歳の誕生日を無事に乗り越えてしまった。
二十三歳の誕生日すらも、乗り越えた。その傍らでは徒党を組んだ医者や研究者や友人やらが「奇跡だ!」「奇跡だ!」と大喜びで歓声をあげていた。よく覚えている。俺もその中にしっかりと混じって、涙を流しながら運命に感謝していた。
ディアは……まだ生きているならば、二十四歳になっているのか。その数字の奥に秘められた苦痛について思いを馳せたところで、俺にはディアの痛みなど欠片も理解できない。限界ならば、当の昔に越えていた。それなのに、あの子は……いつもいつも、笑っていたな。痛みにも、哀しみにも、嘆きにもまるで縁が無いように見えてしまうほど、明るく、強く、爽やかで、華やかな毎日を過ごしていた。
自慢の養子。俺なんかとは血の繋がりがない、強い心を持った親愛なる人。俺はただあの人に幸福になって欲しいと願っていただけだったのに。
どうして彼は……
思考が悪い方向へ動転していることに気付いた。これはいけない。落ち込み始めた気分を切り替えるべく、俺は改めて階段を上り始めた。