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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
番外記述21.5 金糸雀は宙を飛ぶ
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記述21.5 金糸雀は宙を飛ぶ 第3節

 自殺。

 頭の中が真っ白になるような言葉だ。

 そんなことはありえないという願望が、後に続く。

 あのディア・テラスに限って、そんなこと絶対にするわけがない。

 根拠不明の否定。理解不足の信頼。

 心が、叫び声をあげながら思考のシャッターを落としていく。

 ありえない。ありえない。ありえない。そんなわけがない。

 

 これはきっと、いつもの家出なんだ。少し期間が長いだけで、行方がわかっていないだけで、そのうちひょっこりと帰ってくる。あるいは帰ってこなかったとしても、どこかできっと生きている。

 家出じゃないとしたら、彼は犯罪に巻き込まれたんだ。誘拐ならば誘拐犯が悪い。殺人ならば殺人犯を恨めばいい。俺の可愛い息子を殺した罪を、その血をもって贖わせればいい。

 けれど、自殺はダメだ。絶対にダメだ。

 俺たちの愛したディアが、そんな、自らの命を軽んじるようなことを考えるわけがない。

 しない。やらない。ありえない。

 俺が……こんなにも愛してやっているんだぞ?

 今、目の前にいるこの青年もそうだ。他にもたくさんいる。ディアの周りには、ディアの命を支えるために汗水たらして奔走した多くの愛情が渦巻いていた。ディアのことを大切に思う多くの隣人たちが、今も彼のことを心配して、必死に捜索を続けている。

 ディア・テラスは誰の目から見ても、愛されていた。

 それなのに、自殺なんて……そんな、そんな……俺たちの愛情を、時間を、労力を、全部全部無下にするようなことを、

 

 選ばせてたまるものか。

 

 

「あの子は幸福な子供だった」

 喉から吐き出された言葉は冷たく凍り付いていた。

「自殺なんて、ありえないよ。そんなとんでもない話、遺書の一つでも見つかれば受け入れられるかもしれないけれど……見つかっていない。縁起の悪い話はやめてくれ」

「……です、ね…………すみません、オレ、変なことを言い出してしまって」

 若者の口から発された肯定の言葉が、スッと頭の中に入ってきた。それでやっと、真っ白だった頭の中に彩りが返ってくる。冴えた頭で見下ろしたテーブルの上には、食べかけのステーキが乗った鉄板があった。そうだ、食事の途中だったんだ。

 片手に持ちっぱなしになっていたフォークを鉄板の上に転がし、空いた右手でアルコールグラスを傾ける。真っ赤な色素を持った酒が喉の奥へスルスルと流れていく。口を閉じ、グラスをテーブルの上に置き直し、それで少し楽になった。

 こんなことで癇癪を起してはいけない。

「いいんだよ。ディアがいなくなって、もう半年が経つ。きっとみんな一度は、同じように彼を疑うこともあっただろうさ。俺だって思ってしまう時があった。でも、そんな疑いをかけられていたことをディアが知ったら悲しむと思うんだ。だから、もう言わない。あの子は必ず俺たちの前に帰ってきてくれるんだから……信じてあげないと、可哀想だ」

「オレも信じる。アイツ、小柄なわりに結構タフな性格してたし」

「ありがとう。ディアは良い友達を持ったね。そういえば、君とディアはいつから交流があるんだい? 良かったら詳しく聞かせてくれないかな?」

「いつからっていうと……確か、初めて会った時のディアは十四歳だったような気がします。すいません、正確な日付けとかはわからなくて」

 十四歳というと、初めての家出から一年後くらい。ちょうど彼が言い付けも守らず家の外で遊びまわるようになり始めた時期と重なる。

 ユーズが最初にディアを見かけたのは、アンダーグラウンドという名前が付けられた退廃地区の一角だったという。身寄りのない子供たちがひと時の娯楽を楽しむために集まる、小さなスポーツコートの真ん中。いつもならもうゲームが始まっている時間なのに、みんなで集まって何をしているのかと思って近づいてみたら、集団の中に見知らぬ子供が混じっていた。

「とてもミステリアスな子供だったんです」

 真昼の空の下。太陽の日差しを浴びて目映く輝く金色の髪を、キラキラと揺らしながら楽しそうに笑っていた。

「どうしてこんな美少女がこんな汚い溜まり場にいるんだろうって、何かの陰謀なんじゃないかってよく疑っちゃってた」

「美少女とは」

「髪が長かったんだよ! あんなの男だと思う方がおかしかった!」

「気持ちはわかるよ」

「そ、そうですよね。あれは仕方ない……ただ、顔をちゃんと見たことはあんまりなかったんです。いつも大袈裟なガスマスクとゴーグルを付けて歩き回っていたから。なんでそんなもの付けてるんだよって聞いてみたこともあって、そしたら、知り合いの科学者にプレゼントしてもらったんだって楽しそうな顔で自慢されました」

 あの科学者だ。よく覚えている。親の許可も無しに、勝手にディアに近付いてプレゼントをあげた不届き物だ。ディアが喜んでいたから見逃してやったけれど、あれはテラス家の原則を破った大罪に他ならない。一度規則を破った人間は、後に何度でも規則破る。要注意人物。

「アンダーグラウンドには体に悪い都市ガスが充満しているから、ちゃんとマスクをしないと出掛けちゃだめだって言われていたみたいですね。毒ガスなんてオレには全然気にならないくらいだったから、そんなことに金を使うなんてバカバカしいってケチをつけたりしてました。後になって、ディアが生まれつき病弱だったことを知ったんです。謝ったら許してくれたんですけど……とても、悪いことを言ったなって、今でもたまに思い出す。本当はあの時の一言のせいで嫌われちゃってたんじゃないかって」

 少年時代のユーズが抱いたディアの第一印象は、お金持ちの家で育った世間知らずな箱入り息子。

 生まれつき貧乏で、薬物中毒の父親しか家族を持てなかった彼にとって、ディアの姿は眩しすぎた。

「初めのうちは『憎たらしいヤツ』と思っていたくらいでした。なんでこんなヤツをグループに加えなきゃいけないんだって怒鳴り散らしたこともあった。高そうな服を着ていたことも、金持ちに可愛がられていたことも、顔がキレイなことすらも気持ち悪く思ってしまっていて、顔を合わせる度にバカにした。必死で毛嫌いしていた。それが……いつからか、ちょっとずつ変わっていきました」

 彼が言うに、その頃のディアは驚くほど明るくて前向きな性格をしていたという。今も変わっていないと思うけれど、初めの頃は特にそんな印象が強かった。

 とにかく好奇心が旺盛で、行く先々でトラブルばかり巻き起こすものだから随分困らされた。失敗を恐れず何にでも挑戦したがる打たれ強さを持っていて、さらに社交性もあったから、仲間を作るのがとても早かった。非行少年ばかりが集まっていた溜まり場の雰囲気にはすぐに馴染んでしまっていたし、グループの中でも特に問題行動が多くて敬遠されていた先輩とも三日としないうちに打ち解けていた。コートの隅で先輩とディアが二人並んで仲良くお菓子を食べていた時にはみんなして自分の目を疑っていた。

 誰とでも仲良くなってしまう人なんだ……と、警戒していたユーズの心にすら、ディアはすんなりと入り込んでいく。

「そんなヘンテコなディアの行動を見ていたら、嫌っていた自分の方がバカバカしくなってきちゃった。それで気付いた時には、もう手遅れ。こんなつまらない場所に、こんなに素敵な人が遊びに来てくれた、なんてスッカリ喜ぶようになっちゃってた。それまではドブ川の畔で暮らしてたんですよ、オレ。マジで……太陽みたいな人だった」

 太陽。それはまさに、ディア・テラスという存在を表現するに相応しい言葉のように感じる。

 明るく、眩しく、輝かしく……強く、気高く、美しく……俺の目にも、あの子の姿はそういう風に見えていた。

「そんなディアがオレに『友達を探している』って話してくれたことがあったんです。力になりたいって思った。黒い髪に金色の目をした、ディアと同じ年頃の女の子。肌が真っ白で、世界一可愛い顔をしているんだって、自慢げに語ってくれていた。ディアが他人の外見を褒めているところを見るのは後にも先にもその一度きりだけでした。友達が生きていたとしたら、今頃は物凄い美人に育ってるんだろうな」

 ディアが子供の頃に出会った友達のことを探していたという証言は、これまでも色んな人たちの口から聞かされてきた。

 黒髪の女の子。それは、まちがいなくSAMPLE:A-000のことだ。

 再会なんてできるわけがない。あの個体は殺処分されたのだから。今から十二年前、あの実験動物は研究所に出向いていた俺の実兄を含めた大量の科学者の人命を奪った。偶然その場に居合わせていたディアにも随分と怖い思いをさせてしまっただろうし、本当に悪夢のような出来事だった。目の前でたくさんの人間が死んだショックからか、ディアの事件当時の記憶は曖昧なものになっていた。だからSAMPLE:A-000の恐ろしさまで忘れてしまっていたのだろう。もしくは優しい子だったから、間違いを犯した友達のことを責められずに悩んでいたのかもしれない。何にせよ、もう会えないのだから気にすることはないはず。

 人の言葉を理解できていたとはいえ、あれはあくまで実験用の個体だったものだから、市民登録なんてされているわけがなかった。そもそもが極秘の研究だったわけだし、情報が闇に葬られるのも早かった。探したところで真実に辿り着けるわけがない。

 それなのに、ディアは突然消えた友達のことを探し続けていた。十年以上もの時をかけて。

「オレも友達探しを手伝うことにしたんです。オレ以外にも、グループの連中も力を貸してくれていた。一緒にフロムテラスの色んなところを探して回ったりしました。ぜんぜん見つからなかったけど、あの頃は……ただただ、楽しかったんです。みんなでバカなこと言って、ふざけて、笑い合って。時には無茶なことをしでかして、ヤバイ連中に追いかけられたこともあった。でも楽しかった」

 楽しければ良いと、思っていたのかもしれない。

「エラーズさん……オレは、アイツに告白したことがあるんです」

「告白?」

「はい…………好きだ! って、ずっと思ってたこと全部伝えたんだ。それで、返ってきた言葉がさ……『俺は男だよ』だった。茶化すみたいに、いつもと変わらない可愛い顔で、笑いながら言った。だから……そうだったんだ、知らなかったよって、誤魔化しちまった」

 羞恥心のせいだろうか、青年の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。しかしその表情も、まもなくして悲しいものへ変わっていく。

「別に、想いなんて伝わらなくたっていいやって、思うことにしたんですよ。でも、その後さ……だんだん会える機会が少なくなっていったんだ。俺が恥ずかしい告白なんてしちゃったせいか、それとも単に別れの時期が近付いて来ていただけなのか……ディアは、いつの間にか溜まり場にも顔を出さないようになっていた」

「来てくれないのならば、君の方から会いに行けばいいじゃないか」

「あっちの行動範囲が広くなっていたんです! どこにいるかすらわからなかった。連絡先も知らなかった。なんとか探し出して見つけた時には、隣に……知らない人が、立っていた。ディアは、アイツは、たった一人だけでどんどん先へ進んでいくんだ。少しすれ違ったくらいでは、振り向いてなんかくれない。もともと住む世界が違う人だった。そうだ。そうなんだ。オレには手の届かない人なんだって、言い訳して、諦めることにした。オレのことなんて何とも思っていなかったんだろうなってさ」

「けれど、私はディアが君の話をしていたことを知っているよ」

 ユーズが顔をあげる。捨てられた犬のような顔だ。

「アンダーグラウンドの仲間たちに出会えて、とても楽しかったとよく言っていたんだ。その中に、歳が近くて世話好きなお兄さんがいたとも。一人っ子だったあの子にとって、君は頼りになる兄代わりのような存在だったのかもしれない。だから私も君にはよく感謝していた。ディアと遊んでくれてありがとうって。君のことをどうでもいいなんて思っていたわけがない……今もきっと、君に出会えたことを幸運だったと、感謝しているはずだよ」

「そんなわけないじゃないですか」

 ユーズは自分の発した言葉に驚いた。うっかりと喉から飛び出してしまった言葉は、最早撤回することはできず、彼はひどく動揺した様子で目を見開いている。口元を手で押さえ、その手の上にある瞳から、ボロボロと涙を流し始めた。

「八年前、ですよ……最後に、話したの……」

 少し遅れて呟かれた泣き言が、涙に濡れたテーブルクロスの上に冷たい霜を降らすように落ちていった。

 もう忘れられているに決まっている。遠い昔、子供の頃に出会った、太陽みたいな初恋の人。

 今はどこにいるのだろう。


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