記述21 現世では夢を見ない 第5節
エッジの実父であるレトロ・シルヴァが、虐殺事件の犯人だという話は有名だった。アルレスキューレのことを少しでも知っている人なら三人に一人は知っているくらい、常識の範疇に含まれる噂話。かの歴史的大犯罪者は凶行の果てに勇敢な一人の衛兵に殺された。死体は衛兵の手でバラバラに解体され、ラムボアード大渓谷の底に放り捨てられたんだとか。これも作り話みたいな話だと思っていた。
イデアールの言う『悪しき神』とやらは、言うまでもなくレトロのことを示している。目撃者は語る。神はいた。殺された。ソウド・ゼウセウトとは一体何者なのか?
彼もまた龍であるというのならば殊更に謎が深まる。同じ龍同士で殺し合うなんて、とかそういう話は置いておくとして「この世界にあとどれくらいの神がいるのか?」なんて、そんなことを気にしなければいけなくなった。俺が探している『龍』は、その中のどれなのだろう。全部を見つけなければいけない、ともなると骨が折れる。
見つけたところで、会話したところで、何になるのかって話だけれども。
「恐らくソウドは自分が龍であることすら忘れてしまっていたのでしょう」
対面に座り、腕を組む紳士の顔が、人を嘲笑う形に歪む。どこまで知っているのだろう。質問してみよう。
「彼は今、どこにいるんですか?」
「さて、どこでしょう。あの男は私のことを毛嫌いしていましたから、これから何をしようとしているかなど教えてくれるはずがありません。少なくともアルレスキュリア城にはいらっしゃらないようですが」
「城にいない?
「一度ハイマートという街へ向かって以来、帰って来る気配が無いのです。城下街で目撃したという話は聞きますが、情報はそれっきり。彼が今、どこにいて、何をしようとしているのかは私にも計りかねます」
「それではエッジ・シルヴァの方はどこにいますか?」
質問を変えてみると、トラストさんは少しだけ態度を変えた。
「あの方なら今も城内にいらっしゃいます。直近の者から話を聞くに、ひどく憔悴しているため誰とも面会したくないとおっしゃっているようですが。あれだけ親し気だったソウドすら例外ではなく」
今までより慎重に、しっかりと言葉を選びながら回答される。彼は嘘を吐いているのだと思った。
「仲違いでもしたのですか?」
「何かしらのすれ違いがあったようです。恐らくイデアール様があのお方に何かを吹き込んだのではないかと推測しております。それこそ、先の話題に上がったレトロの件などを絡めて」
「その、イデアール様という人物と、エッジくんはどのような関係で?」
「この世にただ二人だけ残された血縁者です。詳しくは、エッジ様の祖父ルークス・アルレスキュリアとイデアール様の父君ユグウィ・アーニマライトが御兄弟であらせられるということでして、これは遺伝子情報から見ても確かな話です。実際にイデアール様もエッジ様も思うところが多分にあったことでしょう、互いに相手のことを特別な存在であるかのように扱っていらっしゃった」
血縁者とはそういうものなのだろうか。いまいちピンと来ない話だ。
「私たちは、エッジくんにもう一度会いたいと思っています。彼に話さなければいけないことがたくさんあるからです。何とか機会を作れないものでしょうか」
「誰とも会いたくないと言っているのに?」
痛いところを突かれた。
「……はい」
「何を考えているかまでは詮索いたしませんが、それは少々悪戯がすぎると忠告しなければなりません。赤の他人であるならばまだしも、僅かでも親しみを感じたことがある人ならば殊更道理に反した行いでしょう。それでもなお、軋轢を生んででもその行為に及びたいというのであれば、その先には相応の覚悟と責任が伴うようになります」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。「もう少し相手の事情も考慮した方が良い」と、そんな当たり前のことを言われてしまった。それが俺たちにとってどれだけ大きな盲点であったか。
「そちらのお嬢様の様子を見る限り、随分と事を急いているように見受けられます。接触するな、とは言いません。ですがもう少し落ち着いて考え直した方が良いでしょう」
なけなしの良心がピキピキと軋んだ音をたてている。
俺は「エッジが世界を滅ぼすなんて信じられない」と彼の肩を持とうとしている一方で、モヤモヤして不愉快な疑心を解消するために彼に真実を問い詰めようとも考えていた。自分の人柄は知っている。どちらが本音でどちらが建前であるかなんて火を見るよりも明らか。
あの優しいエッジから「会いたくない」なんて拒絶の意思を示される。伝聞の真偽は関係なく、その可能性があることを一切考慮していなかったことに問題があった。アルレスキューレに行けば、また会えれば、エッジともう一度話が出来る。急に会いに行って、それで、責めるような質問をする気だったんだ。
このままでは君は世界を滅ぼしてしまうかもしれない。
君を殺して生き残るか、共に死ぬか。この世界の選択は二つに一つ。
それ以外の方法を見つけられやしないだろうか。
問い詰めるだけで心を傷付ける話だとわかっていながら、でも、彼ならば許してくれるんじゃないかと甘えていたんだ。
だからと言って、向き合うことをやめられる問題ではないのだけれど。
「……その通り…………だけど、俺には時間がない」
「ディア?」
トラストさんに名前を呼ばれて、自分が無意識に変な呟きをしたことに気付いた。途端に大きな羞恥心が喉の奥からこみ上げてきて、顔が熱く火照り始める。
「ぇっ、い……今のは独り言です! 気にしないで下さい!!」
俺には時間がない。自分は今そんなことを呟いた。ありえない話だ。些末な思考の漏洩であるはずなのに、それが俺にとっては非常に重大な過ちのように感じられた。冷や汗がにじみ出る。
「……良いでしょう、忘れます」
親しみの込められた微笑みを返されてしまった。その態度を見て少し安心したが、居たたまれない気持ちは残り続ける。いっそ今すぐこの場所から全てを投げ出して逃げ出したい。そう思うくらいの激しい衝動が混濁した脳を侵していく。
時間がない 時間がない 時間がない
それはまるでトラウマ持ち患者のフラッシュバックのよう。パーティーホールの中で見た白昼夢が視界を光速で過り、消えていく。
気付けば俺はテーブルの端を両手で掴み、この場から逃げるために立ち上がってしまっていた。普段の俺なら絶対にしないような行動じゃないか。一体どうした。向かい合ってこちらを見つめるトラストさんも首を傾げている。
「あの……話の途中ですが、そろそろ帰ります。今夜は色々と、ありがとうございました」
「おや、もう話を聞かなくてよろしいのですか? もっとこう……たくさん話のネタは持ってきていたのですが」
「はははっ、すみません。また今度にしてもらっても構わないでしょうか。いえ、社交辞令ではなく、本当に、機会さえいただければ……」
我ながら見事に滑稽な空笑いが出たものだ。
「わかりました。その時を楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます!」
そう心から告げてすぐ、俺はさっきからずっと黙り込んだままだったブラムの方へ近づいて肩を叩いた。
「ひゃんっ!」
甲高い声を上げて驚かせてしまった。検索に集中しきって周囲が見えなくなっていたのだろう。さっきまでの俺とトラストの会話もどこまで聞いていたことやら。
さっさと帰り支度をすませて席から離れている俺の姿を見て、ブラムはすぐさまに状況を察すると、自分も席から跳び上がって急いで背もたれにかけていたケープを羽織りはじめた。
「ホールではまだパーティーが続いていますが、もう一度覗いて行かれますか?」
同じく椅子から立ち上がったトラストが、優雅にこちらまで歩いてきて声をかけた。
「いいえ。もう十分に良いお話を聞けたところですし、明日のこともあります。ライフたちとも情報を共有しておかなければいけませんので、今夜はもう部屋へ戻ろうかと……」
そう言った途端、トラストさんの表情に陰りが見えた。笑うでもなく目を細め、目尻の皺がわずかに深くなる。何かまずいことを言ってしまっただろうか? とヒヤリとしたが、その表情を数度まばたきをした後、すぐに元の品の良い作り笑いに戻っていた。
「では、館の外まで見送りましょう」
「へっ!? い、いえ、それは……あまりにもお手数をかけすぎるというか」
「ご迷惑でしたか?」
「そんなことはありません! ただ、なんというか……とても……こ」
「ディア様! 宵はもう帰る時間なのですか!?」
光栄です。と続けるつもりだったのに、突然二人の間にひょっこりと割り込んできた少女の声で遮られてしまった。わざとらしい爪先立ちの背伸びをして「私もいることを忘れないで下さい」と存在を主張してくる。
そんな彼女の顔を見て、俺の頭の中に血迷った時に出すような一つの考えが浮かんだ。
「あの……ごめん、ブラムちゃん」
「なんでしょうか?」
「君だけ先に帰ってほしい」
「ふえ!?」
「本当にごめん! 気が変わったんだ。今君の顔を見た瞬間に、まだ話していないことがあるなって思い出して、それが話し終わったら俺もすぐに帰るから」
「話していないこととは、もしや……私がいたらできない話? ですか?」
「……そうです」
ブラムは目に見えて不機嫌そうに眉をしかめた。
「そうですか。そうですか。別に。構いませんよ。二人だけでしかできない会話があるということであれば、仕方ありません。私は、端から、邪魔モノですので。良いでしょう良いでしょう。ですがその会話の内容如何によっては私の今後の対応も変わりますので、よくお考えになられるように! この僕をのけものにした以上は、それに見合うだけの有意義な情報を手にして戻って来ないと、その時こそ僕は怒りますからね」
すでに十分怒っているじゃないか。
「僕には隠し事はできませんよ! それをよく覚えておくように!」
そんな捨て台詞みたいな言葉を最後にして、ブラムは部屋を出て行った。あれで本人はポーカーフェイスを装っているつもりだというのだから可愛らしい……なんて思ったりしたら、さらに怒らせてしまうかな。お詫びのことをしっかりと考えておかなければいけない。
「まだ何かありましたか?」
トラストさんが不思議そうにたずねてくる。
「ちょっと、取り乱していたのが落ち着いたというか、まだ帰りたくないというか…………トラストさんと一番したかった話が今ならできると、気付いてしまったんです」
今日はブラムも一緒だから話すのはやめようかな、後でも良いかなと思っていた。でも、今がチャンスだと思ったら逃すのが惜しくなった。
今日この対話の場にやって来た自分にとって一番大事な話とは何だったのか。エッジのことは少し話せた。龍に関しても予期せぬ情報を仕入れることができた。明日のことは明日になってから自分の目で確認すればいいことだし、ウルドのことを彼に聞くのもナンセンスだ。
ならば何? ブラムが隣にいてはできない話。トラストさんが相手なら許される話。
それは何か? そう、自分の話だ。
「トラストさんは、神様を信仰できますか?」
わざとらしいくらい真剣な声色で尋ねてみた。
「できません」
「そんなあっさりと」
それなのにビックリするほど軽い口ぶりで答えを返されてしまった。それが無性におかしなことに感じられて、俺はフフっと声をあげて笑ってしまった。
「でも、この世界に神様がいるのって、きっと本当でしょう?」
「難儀な話ですが、存在を認めたところで私の心の在り様は変わりません。神とは結局のところ、見ず知らずの他人でしょう」
「自分の親にもそんなことを?」
「今なら言えます」
「そういうところ、素敵だと思います」
彼の動きがピタリと止まった。
「実は……この屋敷を訪ねてきてからずっと、トラストさんを試すようなことばかり考えていました。屋敷の景観は綺麗かなとか、他のみんなからはどんな風に見られているのかなとか、何かにつけてそんなことばかり。考えずにはいられなかった。初めて会った時からずっと不安を感じて疑っていたんです。それが、もう……今の一言ですっかりわかってしまいました」
ずるい人だ。見るからに胡散臭いし、隠し事ばっかりして心中に思うことを誰にも打ち明けようとしない。作り笑いが上手くて、愛想が良くて、人に恨まれることがあっても何の痛みも感じない。何もかもを思い通りに操って、利用しつくしながら生きている。なんて冷たくも薄情なことだろう。
「俺はトラストさんのことを何も知りません。まだ出会ったばかりです。それなのに、どうしてだろう……厚かましい話で恥ずかしいんだけど……親近感を、持ってしまった。この人は俺に似ているんだって」
そこまで口にしてみて、ふと、自分の口調が普段のくだけたものに変わってしまっていることに気付いた。さっきうっかり溢してしまった独り言の時と同じ。ハッとしてトラストさんの顔を見上げるものの、相手は気にしていないようだった。もう、このままでいいかな。
「俺、失礼なことを言ってるかな?」
「いいえ。全く失礼などではありません。むしろその言葉は、私の方が先に言うものだとばかり思っていました。思いがけず先を越されてしまったものですから、私は今、とても驚いています」
「そうは見えないけど」
「ポーカーフェイスはディアも得意でしょう?」
「まあまあ」
トラストさんの顔に微笑みが浮かぶ。その笑い方は今まで見せてくれていた作り物とは少しだけ毛色が違っていて、具体的にどう違うかというと、さっきの俺の笑い方に似ていた。
「マイディア……貴方は若い頃の私にそっくりです。無鉄砲で野心ばかりが強い頑固者。自分のことが何よりも大好きで、自分以外のことなんて本当を言えばどうでもいいと思っている。それなのに外とばかり繋がりたがる傍迷惑な性分の若者でした。他人のことは嫌いじゃない、むしろ好きかもしれない、けれど自分ほど大切に扱えない。大切なものを見つけられた時ですら、扱い方がわからなくて手を放した。不理解だって怖かった。孤独の方が平気。そうして真っすぐよそ見をせずに生きていて、ふと気付けば、薄暗い部屋の中でいつも一人」
「あなたに会うまでは」
「私には少し遅かった」
「俺にだって遅すぎたよ」
会うべきじゃなかったって思うくらい。
見上げていた彼の顔から眼を逸らし、しばらく黙り込んでいた。そうしていると今度はトラストさんの方から俺に語り掛けてきた。
「旅は楽しいですか?」
どうしてそんなことを聞くのか不思議に思った。
「楽しいよ。俺にはちょっと過酷すぎる気がするけど、目に見えるもの全部が新鮮で、刺激的で、勇気を出して飛び出してみて良かったなっていつも思ってる」
「それは良かった。実は私にも世界を旅して回った経験があります。黒軍に所属して文官まがいのことをすることになったのはほとんど兵士としての現役を引退してからのことで、それ以前は赤軍に所属していました。色々なものを見てきましたよ。当時のウィルダム大陸は今より一回りも二回りも血気盛んで、そこら中に争いの火花が散っていました。どうして戦争なんて起きるんだろうと考えこむこともありましたが、今ではもう疑問に思うまでもない。知りすぎてしまったのかもしれません」
知りすぎた。その言葉が彼の口から発せられた時、ギクリと心臓が音をたてた。
それからまたしばらく無言が続く。トラストさんの方も話すことがなくなってしまったのだろうか。
「不思議なものですね。もしも会えたらどんな話をしようかと、色々考えて、貴方の役に立ちそうな話題を色々と集めていたはずだというのに、いざ会ってみるとそのほとんどを取るに足らないものだと感じてしまう」
「こっちも同じ。いっそ言葉なんていらなかったんじゃないかって思うくらい。でも会話はしたいんだ。矛盾してるかな?」
「そういうものなのかもしれませんね」
不意にトラストさんの手が動き、服の胸ポケットから何かを取り出した。それは彼が普段使いしているものと思われる、高性能そうなデザインをした通信端末だった。
「以前に私の連絡先データが記録されたデータカードを差し上げましたね。あのデータは正真正銘本物で、使用すれば確実に私のもとに届くようになっています。何かありましたら是非、こちらを使ってお話の機会をもうけていただけたらと思います」
「ありがとうございます! ……けど、今はトラストさんも忙しいはずだって聞いていて、俺一人に貴重な時間を割いて本当に大丈夫なのかなって?」
「それは逆ですよ」
貴方の方が時間が無い。彼は暗にそう言った。
「ディアの大切な時間を少しでも私に下さるというのならば、仕事だろうと何だろうと切り捨てて投げ捨てて、喜んで通信機の前まで駆けつけましょう」
「厄介な大人だな。本当に……」
冗談みたいに言ってはいるが、たぶん本気だ。
「それじゃあ、また明日。今日は本当にありがとうございました」
そうやって最後に念を入れるように感謝を伝えてから、軽い握手を交わし、俺は部屋を出ていった。