記述21 現世では夢を見ない 第3節
今宵のパーティー会場は敷地内にある別館で行われる。本館で夜会服に着替えて準備を万端にした俺とブラムは、燕尾服の使用人に案内されながら会場へと向かった。
敷地内のあちらこちらに設置されていた照明は日没とともに点灯し、豪勢な屋敷をさらに絢爛な様相へとライトアップしていった。昼間は静けさを感じた庭園には、豪勢な衣装を身に纏ったパーティー客が「久しぶりに顔を合わせた」などと笑い合い、世間話に花を咲かせている。
そんな心地よい夜の喧騒に混じりながら庭園を歩いていると、肩を錨のように釣り上げながら俺よりちょっと後ろの方を歩いていたブラムが話しかけてくる。
「ディア様は、このようなパーティーへ参加することに慣れていらっしゃるのですか?」
「慣れている、としか返しようがない。俺の育った家は年がら年中パーティーばかりやっている変なところだったから、俺もよく参加させられたよ」
「マナーなどは、完璧で?」
「もちろん。必要最低限の礼節すら弁えない客人は『教養が足りていない』といって相手にされなくなってしまうからね。特にこういった社交目的のパーティーでは、他の招待客にどれだけ好印象を持ってもらえるかが重要になってくるんだ」
「ひえぇ……」
「でもまぁ、ブラムちゃんはまだ未成熟なレディだから、よほどのことがない限り可愛がってもらえるはずさ。アルレス式の社交パーティーがどんなものかは俺も未体験だから知らないけどさ!」
そう言ってみるとブラムは困った顔をしながらすでに目前まで迫っている別館の入口扉へ視線を向けた。彼女の緊張をほぐしてやろうとジョークを交えたつもりだったが、どうにも上手くいかなかったようだ。
少し反省して黙りながら、後ろを歩いているブラムの姿を改めて観察する。彼女の少女めいた容姿にぴったりな、ホワイトカラーのワンピースドレス。胸元にイエローの大きなリボンがコサージュ代わりに拵えてあるのが特に可愛らしい。恐らくだが、衣装はほとんどライフが選んでしまったのだろう。衣装室から出てきた後のブラムは全体的にぐったりとしていたし、大方着せ替え人形代わりに遊ばれたのだろう。ブラムが自分で選んでいたとしたら、もっと大人っぽく背伸びしたデザインの服になっていたかもしれない。それはそれで見てみたかったな。
一方で俺が着ているのはクラシックな雰囲気の貴族服。赤ジャケットに白地のシャツ。生地の所々に金色の刺繍が施されていて、胸ポケットには最近の流行らしい造花のコサージュ。フロムテラスでは黒色のタキシードが一般的だったから、こういった派手めな礼装でパーティーに参加することは子供の頃以来になる。周りの客人たちの服装も似たようなものだから、この国の文化としてはよく馴染んでいると思う。とはいえ、この衣装を着た時の自分の姿を鏡で初めて見た時には多少の気恥ずかしさを感じてしまった。周りの人たちからは「よく似合っている」と口をそろえて絶賛されたけれど。
そんなことを考えながら、改めて別館の入口の方を見る。扉はすでに開かれていて、その両サイドに立った使用人が客人たちが持参した招待状のチェックをしている。そういえば俺たちは屋敷への招待状は持っていたものの、パーティーへの招待状は貰っていない。執事たちはこのことに関して何も言っていなかったし、招待状が無くても入れるということなのだろうか。
……と、心配していたら、こちらに気付いた使用人の一人がゆっくりと近づいて来た。
「ようこそおいで下さいました、ディア・テラス様。今宵はゆっくりとパーティーをお楽しみください」
「ありがとうございます。しかしなぜ、私のことを知っていらっしゃるのですか?」
「昼間に門の前でお顔を拝見させていただきましたので、よく覚えております。端整な顔立ちをしていらっしゃいますので見間違いようもありません」
「あなたもあの中に混じっていたというわけですね。それならば納得できました」
あまりに当たり前のように自分の名前を言われたので、さては俺のプロフィールが屋敷の住人たちの間で公開情報にでもされているのかと勘ぐってしまった。別に気にはしないのだけど。
「ディア・テラス様とそのご友人方がパーティーに参加なさることは、こちらにも伝わっております。招待状のチェックは不要となりますので、そのまま扉をおくぐり下さい」
「わかりました。親切にありがとうございます」
開かれた別館の扉。建物の奥へと続く真っ赤な絨毯。
「それじゃあ俺たちも入ろうか、ブラムちゃん」
振り返ると、体中を鉄塊のように固めたブラムちゃんと目が合った。彼女は「ひゃい!」と呟くと頭をコクコクと揺らして頷き、速足で扉をくぐっていった。俺は最後にもう一度夜の庭園の風景を一瞥してから、その後に続いた。
目に映る光景は全てが煌びやか。下を見れば赤紫の高級絨毯、上を見れば高天井いっぱいに広がる絵画芸術。七色のステンドグラスと金銀装飾のシャンデリア。会場の奥からは吹奏楽器を奏でる美しい旋律が聞こえてくる。まるきり幻想じみた光景だ。
「パーティーホールに入ったら真っ先に主催者へ挨拶しにいくのがマナーだ。開場したばかりで今は混み合ってるだろうけれど、一応様子は見に行かなきゃいけないね」
なんてことを言いながら、俺とブラムは会場に入ってすぐの人通りの少ないエリアで立ち止まり、作戦会議みたいな会話を始めていた。片手には入場口でもらったノンアルコールのウェルカムドリンクを持っている。
「主催者とは、ダムダ・トラスト様のことですね。あの方が、ホールのどの辺りにいらっしゃるのか見当は付くのでしょうか?」
「さっぱりだよ。なにせ、まだホールがどんな構造をしているかも把握してないんだ。人がたくさん集まっている場所を回ればすぐに見つけられるとは思うけれど」
今、俺とブラムが立っている場所は館の玄関口にすぎないはずなのに、それでも十分なスペースを持っている。ともすれば他のフロアはもっと広いということだろう。外観から見ただけでも随分大きな建物だなと思ったし、そんな建物全体をパーティー会場としてまるまる使用しているとなると、とても一晩だけで回りきれたものではない。
特に今夜のパーティーは冬葬祭の前夜祭にあたる特別なものであるため、いつも以上に規模が大きい。館の使用人たちから聞いた話では、招待客の中には城下街に住む富裕者だけでなく、国外の大商人や為政者も大勢含まれているのだという。目の前を通り過ぎる蝶ネクタイの紳士や華美なドレスの淑女たちもその中の一人なのだろう。そして彼らは俺たちと違って、この場所に何度も訪れたことがある様子だ。背筋をピンと伸ばして迷わずフロアを移動していく姿は、初見の俺たちには真似できたものではない。
「そこの可愛らしいお二方、何やら困っておいででしたら、このワタクシが助けになってさしあげましょうか?」
どうしたものかとお互いに顔を突き合わせて黙っていると、見知らぬ女性客が話しかけてきた。
大きく肩を露出した真っ赤なドレスに一瞬「わーお」と驚きの声を上げそうになったが、すんでのところで喉から出る声を抑える。明るい茶色ベースにパッションピンクのメッシュが入った派手な髪色に、ウェーブがたっぷりかかった腰まで伸びるロングヘア。フリルだらけのドレスの袖から伸びる骨ばった白い手。その細い指先にはほとんど指輪と一体化したような形状の、装飾過多な付け爪がゴテゴテとくっついている。顔を見ればまだまだあどけなさが残る妙齢の女性。背伸びした厚化粧が少し気にかかるが、香水のセンスは悪くない。
「お優しい心遣いに感謝いたします、素敵な香りのお嬢様」
思った通りのことを口にしてあげると、赤ドレスの貴婦人はさっきまでのすまし顔から突然パッと顔色を明るく変えて喜び始めた。
「あらあら、お口もお鼻もよく利くようで感心ですわ! こちら、かの有名な香水ブランド『イーザベーア』の人気商品でしてよ。国外からの輸入品のために入手も大変で、それなのにダーリンってば、ちっとも褒めてくれないものだから、毎晩気が滅入るような心地でしたの!」
「イーザベーア……というと、通りで良い香りだと思ったわけです。そのブランドの商品は数年前にお世話になった学友がよく購入していました。種類は別の物のようですが、嫌味の無いまろやかな香りの特徴がよく似ていらっしゃる」
彼女は胸の前で手を叩き、無邪気に笑う。
「それはとても良いお話を聞きましたわ! あなたはとても良いご友人をお持ちですのね! でしたら、あなたもさぞや素晴らしいお人柄なのでしょう。今少し話しただけでも美しい品性を感じますもの。よろしかったらあちらの方で一緒にケーキでも召し上がりませんこと? この館のシェフがお作りになったププリコット・ペペロパーニは格別でしてよ!」
今のやり取りだけでこちらのことを随分と気に入ってくれたようだ。初対面の男性であるはずの俺の腕をひっぱり、「こっちこっち」と強引にせがんでくる。隣を見るとブラムは緊張した様子でオドオドと立ち尽くしているばかり。会話に参加するべきか、何を話せばいいか、色々と考えているのだろう。
「大変ありがたいお誘いでありますが、此度は丁重にお断りさせていただきます。何分、私どもはパーティーに参加したばかりのため、まだ主催者様への挨拶も済ませておりませんので」
素直に返事をすると、赤ドレスの貴婦人は不思議そうに首を傾げた。
「主催者様への挨拶とおっしゃいましたか? すると今宵のパーティーにはトラスト様も参加なさっていると?」
そう言う彼女の態度や言動からは驚きの感情が見受けられた。
「はい。私どもはトラスト様から直接、このパーティーに参加してほしいと招待を受けておりますので、挨拶へ出向くのは当然かと」
「それは……いえ、こちらこそ、失礼いたしましたわ。あなたがあまりに話術が達者なものだから、少し浮かれすぎてしまったみたい…………トラスト様でしたら、メインホール中央の赤階段を上った高台で会談を楽しんでいるお姿をよく伺います。今宵もそこにいらっしゃるかもしれません。よろしければ私めが案内いたしましょうか?」
「では、貴女様のお言葉に甘えさせていただきましょうか」
「こちらこそ、お近付きになれて嬉しゅうございます」
赤ドレスの貴婦人は態度を急に淑やかなものへ変えると、「こちらへどうぞ」と丁寧な案内を始めてくれた。俺は一度ブラムと顔を見合わせてから、その背中を追うように歩き出す。
「何があったのですか?」
ブラムが小声でたずねてくる。
「今晩のパーティーにトラストさんが参加することは、参加客全体に公開された情報じゃなかったらしい。それを俺が知っていたから、自分より身分の高い相手だと思い込んだんだろうな。リアクションを見るに、直接招待を受けているってあたりも重大に受け取られたんだと思う」
「へ、へぇ? それで手の平を返して媚びを売る姿勢へ変わったのですね」
「いやいやブラムちゃん、口は慎んでおきなさい」
「おやおやマダム・ポートロール、見慣れないお二方を連れてどちらへ行かれるのですか?」
メインホールへ向かっている途中、恰幅の良い紳士が赤ドレスの貴婦人に話しかけてくる。まだ開場したばかりだというのに酒に酔った赤い顔をしていて、腕にはジョッキと見紛うほど大きなアルコールグラスを抱えている。
「ご機嫌よう、イーストアップ辺境伯爵。滅多なことを言うものではありません。こちらはダムダ・トラスト様の大切な御客人でございましてよ」
赤ドレスの貴婦人がキツめの口調で言い返すと、恰幅の良い紳士はつぶらな瞳を大きく見開いて驚いた。映画の名脇役みたいな良いリアクションをする、なかなか愛嬌のある人物だ。
「なんと、トラスト様の!? ふーん、ふんふん、ほーぅ?」
彼はこちらの体を頭の先からつま先まで嘗め回すように観察する。しばらくすると勝手に何かに納得したのか、シルクハットを被った大きな頭をふんふんと縦に大きく揺らし始めた。
「なるほどなるほど、確かにお二人とも、綺麗な肌と金の髪をお持ちだ。立ち姿も文句がないうえ、育ちの良さも滲み出ていらっしゃる。ポートロールよ、このようなご兄妹とはどちらで縁を持ったのですか?」
兄妹。俺とブラムは突拍子もない言葉を投げかけられて、キョトンとしながらお互いの顔を見つめ合う。顔立ちは全然違うが、肌の色と髪の色が同系統なので、彼にはそのように見えたのかもしれない。
「あなたは今宵も品性の足りない質問しかなさらないおつもりかしら? 私と……そちらの方々はついさっきフロントホールで出会ったばかりよ。そう、まだお名前もお聞きしていませんもの!」
そう言いながら赤ドレスの貴婦人はチラリとこちらを振り向く。いかにも「そうですわ、お名前をお聞きしてもよろしくて?」などと言い出しそうな顔だ。しかしここで簡単に本名を名乗ってしまうのは、かなりリスキーな気がする。なので、俺はすぐ隣で腕時計を見ていた背の高い男性客の顔を見上げることにした。
「おや、あなたも時刻が気になるのですか?」
黒い髪と突き出た鷲鼻がトレードマークな、燕尾服の青年だ。恐らく年齢は俺より少し上くらい。彼は自分を見つめる視線に気付くと、すぐに人の良さそうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「これは失礼。そして貴方がおっしゃる通り、パーティーが始まってからどれくらい時間が経っているのか確認したかったのです。自分の時計はうっかりカバンと一緒にクロークへ預けてしまいました」
ブラムが「また何か適当なことを話し始めましたね」と言わんばかりの怪しむような眼差しで俺を見てくる。しかし嘘は吐いていない。時計をクロークに預けてしまったのも、今の時刻が気になるのも真実だ。適当なことを言っているつもりもないぞ。
「まるでひと月前の僕と同じではありませんか!」
途端に気をよくした燕尾服の青年はハハハッと軽やかな笑い声をあげはじめた。
俺が急に別のパーティー客と会話を始めたのを目の当たりにした赤ドレスの貴婦人は、少し不満そうに頬を膨らませてそっぽを向いた。タイミングを逃したと思ったのか、名前をたずねることを諦めてくれたようだ。
「そこの大扉の向こうがメインホールですよ」
代わりに少し離れたところで開け放たれている大扉の方を指差して、そう言った。
「ほほほ、吾輩も同行させていただきますぞマダム」
「ちょうど僕もメインホールでフィアンセと会う予定でありました」
恰幅の良い紳士と燕尾服の青年が一行に加わった。
そんな調子で色んな人に声をかけられている内に、俺とブラムの周りはどんどん大所帯になっていく。フロントホールからメインホールまでの移動時間はそう長くなかったのに、これだけの人数を集められるのはなかなか好調だ。
「このお召し物は本当に良い生地を使ってらっしゃいますね。まるで伝説の職人が織りあげた傑作のよう。あぁ、知っていますか? アルレスには昔、とてもイケメンな機織り職人がいらっしゃったのですよ。わたくしそのお方の大ファンでして。お写真も所持しておりますの、フフフ。自慢ではありませんけれど!」
高齢の夫婦や気難しそうな顔の軍服紳士も、ちょっとアピールしただけで会話できる。異国の社交パーティーだと聞いてどうなることかと思ったが、この調子なら多少のアクシデントが起きても何とかなるだろう。
ブラムの方はさっき出会った若いお嬢様コンビに気に入られて、あれこれかしましく話しかけられている。こういう歳頃の女の子にあまり話かけられた経験がないであろうブラムは、少々の戸惑いを見せながらも、まんざらでもないはにかみ笑いを浮かべている。
「そしてだ、若者よ。ワタシはそこでヤツに言ってやったのさ! 人を諫める時はパーではなくグーで挑めと!!」
「最近は過激派の連中が活発化していてね。ちょっと城下の関を越えた途端に無法地帯さ。安い拳銃なら鉄板でどうとでもできたが、やつら装備もどんどん新しくしてきやがる。噂じゃあペルデンテと通じてるんじゃないかって話さ」
かたや俺の方にはブラムの倍以上の声が四方八方からかけられる。その一つずつに相槌を打ったり、適当な一言を返してあげる。それだけで彼らは次々とこの国の情報を教えてくれるものだから、こちらも思わず上機嫌になってしまう。やはり社交パーティーは良いものだ。
「お見えになられましたわ!」
「ほぉ、これはこれは、本当にいらっしゃるとは」
集団がメインホールの真ん中辺りまで躍り出たところで、先頭を歩いていた二人が声をあげた。
俺はパッと顔を上げて、彼女たちが仰ぎ見る赤階段の上へ視線を送った。そこには、このパーティーの主催者であり、屋敷の主人でもあるダムダ・トラストが立っていた。
ブルーローズで見た時とは全く違う、アルレスキューレ特有の見事な貴族服に身を包んだ初老の紳士。広大なパーティーホールを一望できる高台に立ち、国内外のあらゆる地域から集まったパーティー客を見下ろしながら、自分もまたグラスを片手に談笑を楽しんでいる。
その姿を見た途端、頭の中に パキリッ と、何かがひび割れる音がした。
既視感だ。俺はこの光景を、あの男の姿をどこかで見たことがある。それは遠い遠い昔のことだったような、つい最近のことだったような、曖昧な、難解な、不明瞭な……記憶の中にあるはずがない幻みたいなもの。
「おや、お越しくださったのですね!」
トラストが、ふと俺に気付いてこちらへ顔を向けた。彼は客人たちとの会話に区切りをつけると、悠然とした足取りで赤階段を一段ずつ降りてきた。周囲の客たちは何も言わず彼の行く先を塞がぬように左右へ避けて、道を開ける。赤ドレスの貴婦人も、恰幅の良い紳士も、みんな彼の邪魔をしないようにゆっくりと後退し、気付けば俺とブラムだけがポッカリ空いた空間に取り残されたかたちになっていた。
「あれが……この国の支配者ですね」
俺の服の袖をキュッと指先で摘まみながら、ブラムは小声でそう呟いた。
そうだ、彼はこの国の支配者。封建主義とか、絶対君主制だとか、そういうものとは別の高座からアルレスキューレの国を、しいてはウィルダム大陸全土を見下ろす、畏るべき頂点捕食者。
そんな男が齢二十四の若者にすぎない俺の手を取り、これ以上ないくらい嬉しそうな微笑みを向ける。
「お待ちしておりました、マイディア。さぁ、これより先は、ごゆっくりと……私の用意したパーティーを楽しんでいただきますよ」