記述20 終末世界の支配者たち 第6節
ゆっくりと宙へ浮き上がった探査船が、グラントールの大穴の奥底へ向けて降下していく。穴の中の様子は真っ暗だ。ライトは用いず、暗視カメラによってのみ穴の内部や壁面がどうなっているかを調べていく。
日光の一筋も届かないほど真っ暗な奥地にまで潜り進んでいったところで、穴の内壁部に植物の根のようなものが絡みついている様を見かけるようになった。奇妙な根は奥へ降りていくほどに太く長く変化し、量も増えていく。ついには穴の中心へ向けて網目状に伸びた太い根に進路を阻まれるまでに至ってしまったが、探査船はこれを事前に知っていたため、的確な操縦速度でそれらを慎重に回避し、さらに深く深くへと降下を続けていく。これが大型のフライギアではなく小型の探査船に乗り換える必要があった理由なのだろう。
感心していると、船内のスピーカーから「前方に水面の出現を確認。これより潜水モードに移行します」という音声が聞こえてくる。まもなくして船体が大きく揺れ、探査船全体が宙へ浮くような浮遊感に包まれる。モニターに映る景色が真っ黒な泡に包まれ、水の中へ入ったことがわかった。
大穴の奥にもかかわらず、底に溜まった水に濁りはなく、驚くほど透明だ。しかし生物が生息している風には見えない。ただただ、真っ黒な闇が続いているだけ。俺たちはその中で、ただただ壁から伸びる植物の根のようなものが、増えていく様を眺めるしかなかった。
本当にこの奥にグラントール人が住んでいた痕跡が残っているんだろうか?
そう思っていたところで、不意にウルドが声をあげる。
「ねぇディア、それどうしたの?」
「え?」
指摘されて自分の体に目をやると、手元に抱えたカバンの中で、何かが赤い光を放って輝いているではないか。
確認してみると、それはアデルファから譲り受けた赤い宝石だった。孫のアルカから『龍の鱗』と呼ばれていた不思議な宝石。カバンの中から取り出してみたところで、宝石は掴んだ手の平からするりと零れ落ち……あろうことか宙に浮き、俺たちの頭上の何もないところで静止してしまった。
目撃した四人全員が一体どうしたのかと目を丸くしていたところで、光は徐々に大きく、強く、赤く赤く勢いを増していき……ついに視力が機能しないほどに眩しい光が船内の全てを包み隠してしまった。
赤く眩しい光。しかし目に痛みは生じない。血液の赤というには明るすぎ、花弁の赤というには暗すぎる。光は瞬きもせず輝きを強めていき、自分の頭上どころか世界の全てを支配するほど大きく大きく存在の規模を広げていく。
い光はしばらくの間輝き続けた後に、パッと電源を切ったかのごとく光るのをやめた。
やっと視界を取り戻せたと安心したところで、乗っていた探査機の全体が大きく跳ねるように揺れた。何事かと思って身構えたら、それ以降は何も起きない。むしろ何も起きなかったことを不自然に感じて管理モニターに目をやると、なんと探査船が停止状態になっている。さらには外部の様子を見るためのモニターの画面も電源が落ちており、何も映っていない。先行する調査団の方はどうだろう。手元の通信機を使って連絡を取ろうとしたが、これも全く応答がない。
一体何が起きたのか。安全ベルトを外して席を立ち、なんとか他に連絡をとる手段はないのかと船内のいたるところを調べていった。そうしている内に、分厚い耐水ガラスでできた小窓から探査船の外の様子を覗けることに気付いた。
しかし、その小窓を覗いて見えてきた景色を目にして、俺は思わず「なんだこれ」と声を漏らしてしまった。
果てまで続く赤い湖。天上に浮かぶ真っ赤な球体。赤い雲の隙間に広がる灼熱色の夕焼け空。
赤、赤、赤。赤以外の色が存在しないといえるほど、何から何まで真っ赤に染まった異常な光景。
始めはこの小窓のガラスが赤く染色されているのかと思ったが、そんなことをする必要はどこにもない。異常なものを見て動揺する俺の様子を見て、他の仲間たちも席を立ち、かわるがわるに小窓を覗く。見えている景色は全員同じ、赤一色。その中でウルドは、このフライギアが赤い水で満ちた湖のような場所の水面に浮かんでいるのではないかと指摘する。その点をふまえて、俺たちは四人で顔を突き合わせ、自分たちはこの後どうすればいいのか、意見を出して話し合った。
通信機は意味を成さず、管理システムはフルオートでこちらの操作を受け入れず、まともに機能しているのは空調設備と船内照明くらいなもの。ならばどうだ、一度外に出てみないかと蛮勇極まる言葉を口にしたのはマグナだった。しかしどれだけ話し合っても、そのマグナの提案以上に現状を打開できる手段はみつからなかった。
仕方ないという気持ちのまま、俺とウルドは二人で探査船の昇降ハッチに手を伸ばし、開閉ノズルを回した。
水中ならば水が入ってくる。そうでないのならば、降下途中であった探査船は宙で静止しているはず。
だが、小窓の外に見えた景色が本物ならば……と、意気込んだところで押し込んだハッチに空気や水が抵抗する感触はない。すんなりと開いたハッチの外。そこに広がっている景色は、やはり赤一色。小窓から見えたものと同じ。
風は無く、音も無く、一面にただただ広がるだけの赤い景色。
目に見える範囲全て、真っ平らな空間に敷き詰められた赤色の液体、あるいは湖。水平線を挟んでピッタリと隣り合い、鏡映しのようにお互いの色彩を交換し合う空と水面。全てが赤一色。明暗と濃淡と、繊細な色彩バランスによって生み出された真っ赤な世界の情景は、異常な光景でありながらどこか神秘的とも感じられる静寂に満ちていた。
唖然としながらその景色を眺めていたら、不意にどこかから声が聞こえてきた。
「この世界は美しい。けれど、それを知るものはとても少ないことでしょう」
ウルドの声でも、マグナの声でもない。鈴の音を鳴らすような、可愛らしい女の子の声だ。そして初めて聞くものではない。聞いたことがある。これは確か、ラムボアードの……
「あなたは知った。私は知った。見ていました。聞いていました。私は全て、この世界の全てを見渡すもの」
声は前からでも横からでも、後ろからでもない、遥か上空から聞こえてきたものだった。
それに気付いて上を見上げて、俺たちはさらに驚愕する。空に大きな穴が開いていて、その真ん中から下へ向けて、途方もないほど巨大な樹木のようなものが生えている。空から生える逆さの大樹。いいや違う、あれは大樹ではなく……なにか巨大な生物の死骸であると、直感で理解した。
「あそこに誰かいる!」
何かを見つけたマグナが声をあげ、そんな馬鹿なと思いながら振り返る。そこには確かに人が、しかもまだ未成年と思われる女の子の姿があった。赤い湖の水面に立って、こちらを見ている。
イエローゴールドの長髪に、色とりどりな光を込めたエメラルドの瞳。白く細い両腕を真っ赤に染まった湖面に掲げ、スカートの端を指先で摘まんでポーズをとる。
上品で神秘的な容姿に見覚えがあった。ラムボアードの美術館で出会った、あの少女だ!
不思議な少女と俺との間で視線が重なる。少女は湖面に水の波紋を生み出しながら、こちらへ向けて歩いてくる。
四人全員が呆然とする中、少女は湖面に浮かぶ探査船の側までやってきて、口を開いた。
「こんにちは、龍探しの御一行。よくぞこの場所まで辿り着いてくださいました。あなた方の旅は、この赤い湖で一つの転換点を迎えます。どうぞ、私の後についてきてください」