記述20 終末世界の支配者たち 第5節
グラントールにやって来て三日目の朝、キャラバン隊の拠点を出発した俺たちは、先行する調査団の後を追ってグラントールの中心地へ向かった。数時間の移動の末にやってきたその場所には、見渡す限りに広がる巨大なクレーターが一つあるのみ。家屋の残骸、人が生活していた営みなど何一つ見当たらず、ここが十年前までグラントール公国という一つの国家の首都であった証拠など微塵も残っていなかった。
『南西の方角を見てください。クレーターの中心部にある、あの黒い影のようなものが件の大穴です』
調査団のフライギアから通信が入る。教えられた通りの方角を見ると、そこには確かに断崖絶壁のように深みを持った大地の割れ目が存在している。フライギアが穴の方へ接近して行くほど、徐々にその巨大さが間近に把握できるようになっていく。軽く、アルレスキュリア城の土地面積一つ分くらいはある大きさだ。
大穴の底は、もちろん地上からでは少しもうかがい知ることができない。こんなところに今から入り込んでいくのかと思うと、少しばかり身震いしてしまうものがある。見ての通り入り口は大きいため、入ることは簡単だ。
『これからクレーターの上に着陸して、専用の小型探査船に乗り換えます。みなさんも準備をお願いします』
スピーカーから届いた指示の通りにここまで乗ってきたフライギアを大穴から少し離れた地面の上に着陸させる。すぐ近くでは先に到着していた調査団の人たちが作業を始めていて、真剣な空気感がただよっている。
彼らが乗り換え先の探査船の最終調整をしている間、俺たちは調査団の指示に従ってフライギアの外で待機することになった。降りた先はクレーターの真上。細かく崩れた砂と石とが地面に平たく散らばっているだけで、廃墟どころか手頃な大きさの岩石すら見当たらない。全てが綺麗さっぱり、爆弾の衝撃によって粉々に砕け散ってしまったのだろう。そこには当然、生物の命だって含まれていたはずだ。
おもむろにフェイスアーマーに搭載されているスカウターを起動させ、周囲の様子を調べてみたが、空気中の汚染物質の量はおびただしく、とても生物が棲息できる環境ではない。ボディスーツ越しに感じる陽射しは熱く、すり鉢状に抉れた大地の上を灰色の熱風が通り過ぎていく。
「いよいよ突入だね」
自分と同じようにJUNKから貰ったボディスーツを着込み、準備を万端にしている仲間たちに声をかけた。
「わくわくしてるの?」
「そりゃあもう」
そこで、少し離れたところに立っていたマグナがこちらの方へ近付いてきて、俺の腕を控えめにチョイと引いた。
「ねぇ、ディアさん」
「どうしたの、マグナくん」
何か言いたげな様子を察して、背の低いマグナが話し易いように身をかがめる。マグナは少し迷ったような様子を見せた後に、いつも通りのおどおどした調子で話し始めた。
「あのね。この間の夜の時に、キャラバン隊の人たちから、昔のグラントールの話をたくさん聞いたの」
「それは良かったね。どういう話だったんだい?」
「えっとね……ワタシのお父さんやお母さんが、有名な貴族の家の人だったんだって。今はもう二人とも生きてるかどうかわからないんだけど、その話をしてくれた人は、お父さんと仲が良かったみたいで、色んなことを教えてもらったんだ」
『グラントールはどんな国だったの?』
『どうってことない国さ。いや、国としては頼りない方だったかもな。資源には恵まれていた方かもしれんが、それだって土地の広いアルレスに比べちゃ強みにだってなりゃしねぇ。できたばっかりの国で大した歴史も無いし、移民だらけで統率も取れちゃいない。けど、仲は良かったかもしれないな。国民の誰もが助け合わないと生きていけないことだけは、よく理解していた。マグナくんは、ペルデンテには行ったかい? あそこの連中も勇敢で気持ちの良い性格をしたヤツらばっかりだ』
『ペルデンテとグラントールは仲が良いって、ワタシも聞いたことあるよ』
『あぁ、その通りさ。何せ同じアブロードだからな。アブロード……海の向こうからやってきた外来人の俗称だ。つい百年くらい前だったかな。生きる土地を失った難民たちが、いくつもの大きな船に乗って外海を渡り、この大陸に流れ着いた』
『海の向こう?』
『オマエさん、海を知っているのかい?』
『ライフお姉さんに教えてもらってるよ。この世界を取り囲むように広がっている、大きな塩水の塊なんだって』
『そうだな。大体そんなカンジのものだと思っておけばいい。オレだって見たことはあっても、あれが何なのかはいまだにサッパリわからないままなんだ。わかるのは、この大陸が徐々にその海とかいう得体の知れない水の底に沈んでいっているということくらいか。だからあれはもう、終わりの景色なのかもな。これ以上先に逃げ場は無いって、俺たちの目で理解できるように知らしめてんだ』
『海が、終わりの景色?』
『この世の終わりさ。それよりグラントールだな。このウィルダム大陸がずっと昔から食糧難に悩まされていたことは知ってるだろ。そこにオレたちの親の親の代、大量の難民がアブロードとして流れ着いたもんだから、先に住んでたアルレスの連中は怒ってこれを追い返そうとしたんだ。けど、来る時に壊れちまった船を修理して海に帰れって言われても無理な話。先住民からの援助を受けられず、いよいよ食糧も尽き始めたってところで……突然現れてくれたのが、ペルデンテの民たちだった。何を血迷ったか自分たちの貴重な食糧を分け与え、一緒に暮らそうなんて言い始める。それもそのはず、ペルデンテもその昔に遠い場所からやってきたアブロードの集まりだった。そこで両者は、一緒にあの高慢チキなアルレスキュリア人の鼻をへし折ってやろうぜと、あっという間に意気投合した。ペルデンテは大陸の覇権が欲しかったし、グラントールは難民迫害の復讐がしたかったからだ。そうしてアルレスに喧嘩を売って、勝ち取り、奪い取った土地に名前を付けたものがグラントール公国というわけだな』
そう言われ、マグナは促されるように周囲を見渡した。しかし、視界に映るものは土と岩と分厚い雲に支配された暗黒の夜だけ。遠い遠い、地平線の果てまで真っ平らで、何も無い。
『今はこんな風だけど、この辺りは大陸で最後の森林資源に恵まれた土地だったんだ。安息の地とまではいかなかったが、向こうしばらくのまともな生活を確保できるところまでは足りていた。小さくて、細々としていたが……良い国だったな。風も強い、陽射しも強い、水もまずけりゃ油も採れない。それでも緑は傍にあって、辺鄙なところにも青々とした薫りが満ちていた。なぁ、マグナくん。オマエさんは、そんな場所で生まれたんだ』
『アルレスで一緒にいた仲間たちも、言ってたよ。良いところだったって』
『あぁ、もちろん。今じゃあもう、この通りなーんにも無くなっちまったけどな』
『ねぇ、おじさん』
『なんだい、ぼうや』
『帰りたいって、思ったことはある?』
『……そりゃあな』
「ワタシは、思えなかったんだ。同じことを、思えなかった」
大地にぽっかりと空いたクレーターの上。大きな穴のすぐ近く。静かにじっと、遠くに見える穴の底を見つめている。
「ねぇ、ディア。ディアには、この景色がどういう風に見えているの?」
正直に答えるべきか迷った。だって俺は……そう思いかけたところで、ハッと、これじゃあダメなんだなと気付いた。
「殺風景で、酷い景色だなって思うよ」
「そう……ワタシも同じ」
マグナがこちらを向いて、ニコリと無邪気に笑う。この物静かで臆病な少年の、そんな笑顔を見るのは初めてだった。
「何も無かったんだ」
少年は胸の内をさらけ出すように語る。同じ景色を見てくれている仲間のために。
「ワタシは不器用だから、毎日を生き抜くことにいつもいつも必死で、あんまり、考えるってこともしてこなかった。でも、ディアたちと一緒に旅をしていて、自分のこととか、難しいことも考えなきゃなって思うようになっていったんだ。それで、たくさん考えて、考えて、わかった」
マグナはもう一度、何もない地平線の彼方へ視線を向けて、呟く。
「ワタシは、自分にだけ故郷が無いことがイヤなだけだったんだ」
風が吹く。強い陽射しが降りそそぐ。空は暗い灰色で、大地は赤く、砂塵が舞う。
今、この場に立つ俺たちの目には、間違いなく同じものが見えている。
「ワタシには帰る場所が無い。ワタシを同郷の仲間だって歓迎してくれたコロッセウムの人たちにはグラントールっていう故郷があったのに、ずっとずっと小さい頃に全てを失ってしまったワタシには、グラントールで過ごした記憶なんて、何も無かった。話の中で聞いたグラントールの景色は、どれもこれも綺麗で素敵で、たくさんたくさん憧れたけど、それを聞く度に、教えられる度に、仲間との距離が遠ざかっていくような感じがしていたんだ。その間の埋め方が、ワタシにはわからなかった。埋められない間があることが、怖かった。自分が本当は、どこのグループにも入れてもらえない『はぐれ者』だったんじゃないかって、なんとなくの気持ちで怖がっていた」
その言葉を聞きながら、目を閉じて見えたものは、真っ白な壁に囲まれた病室の景色。窓の外を行き交う人の営み、高くそびえ立つ高層ビルと、音楽のように遠く聞こえる街の喧騒。
「コロッセウムでの毎日が嫌いだったわけじゃないよ。でも、なんとなくね、ここは自分の本当の居場所じゃあないんだろうなって、心のどこかで思ってた。それなのに外に出ようなんて少しも考えなかったワタシは臆病者で……ワタシはそんなワタシが、ただ好きになれなかっただけだったんだ。でも……そんなワタシの背を押して、こんなに遠くまで連れてきてくれる人たちがいた」
目を開くと、目の前には分厚い雲の向こうから透けて見える真っ赤な太陽。メラメラと、ユラユラと、早朝の空高くを照らしている。痛いくらい眩しい輝き。
「一人だとずっと気付けないままだったと思う。うん……ワタシもきっと、そう。この景色が見たかった」
遠く、遠く、どこまでも遠く。俺たちはただ、ここではないどこかへ行ってみたかっただけ。
知りたかったこと、守りたかったこと、見つけたかったこと。知った時、守れた時、見つけられた時、俺たちはとてもかけがえのない大きな報酬を手に入れることができる。
それは自分の内に芽生える誇りの感情。人に自慢できるほど立派に成し遂げられたことなんて、ほとんど何も手元になかった自分が、勇気を出して一歩踏み出した、その証。
まだ見たことのない未知を求め、長い長い旅路の果てに、こんな場所までやってきてしまった。たとえここに何も無かったとしても、得られるものは確かにある。それがとても誇らしく、気分が良い。
「まぁ、でも。冒険はまだこれからだぞ、マグナくん」
俺は語り終えて満足げなマグナの肩に手を置き、フェイスアーマーのカバー越しに笑ってみせる。それを見てマグナの方も「そうだね」と笑い返す。
そこでタイミング良く、前方の探査船の方から数人の調査団員が近付いてきた。最終調整が終わり、準備ができたから探査船に乗り込んでほしいとのこと。
俺たちはお互いの顔を再度見合わせた後に、指示に従って車一台分ほどの大きさをした小さな探査船の中へ乗り込んでいった。