記述19 この愛は私のために 第7節
パチパチパチパチ。
静まり返った部屋の中に、何の前触れも無く拍手の音が鳴り響いた。それを聞いて自分たち以外にもこの部屋に人がいることをハッと思い出した。顔を上げると目の前にはアゼロが座り込んでいるだけで、他に変わった様子は無い。しかしアゼロの方は俺の背後に何かを見つけたようで、少し赤くなった両眼を飴玉みたいに大きく見開いて驚いていた。
「いやはや、誠に良いものを見せていただきました」
自信と余裕に満ち溢れた大人の男性の声。そんなものがアゼロの見つめる方向から聞こえてくる。決してローザの声ではない。JUNKの研究員が破壊された部屋の様子でも見に来たのかと思ったが、アゼロの大袈裟な反応を見るに、もっと突拍子もない、いるはずのない人間がそこにいるのだろう。
「ミスター……また見ていたのですか? 本当に趣味が悪い」
ローザの冷たい声に呆れが混ざる。彼女の知り合いなのか。
「平気な顔で人体実験を行う連中に悪趣味を指摘されるとは。いっそ褒められた心地すらしますよ。フロムテラス人は頭脳明晰な文明人である一方、他人に対して冷酷がすぎる……ああ、それで、貴女はどうしてまだ生きているのでしょうか、ミス・ローザ?」
「……彼が、ミスターのおっしゃっていた通りの人物像をしていたためです」
「つまりカケは私の勝ちということですね。よろしい。今の私は大変気分が良いため、此度の貴女の失態については不問と致します。せっかく拾った命なのですから、せいぜい大切に扱うと良いでしょう、小娘」
ローザはそれ以上何も言い返さなかった。
彼女らの会話に出てきた「カケ」という言葉が何を指しているのか少し気になったが、今はそれ以上にこの声の主が何者であるかの方が問題であるように感じた。だって俺はこの声に聞き覚えがある。どこで聞いたか、いつ聞いたか、詳しいことはなかなか思い出せないが、確かにどこかで耳にしたような気がする声だ。それも、つい最近?
カツカツと耳障りの良い靴音が此方に向かって近づいてくる。車椅子の向きを変えれば後ろの様子を見ることが出来たが、そうするより先に、アゼロが勢い良く立ち上がって大声を上げた。
「なんでアンタがここにいるわけ!?」
意外なことに、アゼロには突然現れた謎の人物に対する敵意は無い様子だった。ここにあるはずがないものがあったことに、本気で驚いている時の反応をしている。何故ならアゼロは今、服を着ていない。そのことすら忘れて立ち上がるものだから、俺は慌てて車椅子の中に収納されていたひざ掛けを引っ張り出し、アゼロに向かって投げつけた。アゼロはそれを片手で掴んで颯爽と腰に巻き付ける。上も隠した方が良いと思いつつ、漢らしい行動に少し感心した。
「育ての親に向かってアンタ呼ばわりとは、相変わらず困ったじゃじゃ馬娘ですね。いや、娘ではない。両方付いていましたか。想い人の前なのですから服くらいは着た方が良いのではありませんか?」
謎の男は愉快そうな声色で、ここぞとばかりにアゼロを煽る。育ての親、両方、思わず俺の方まで食いついてしまいたくなるキーワードを取り沙汰され、それを聞いたアゼロの表情が一瞬で険しくなった。アゼロは素早い動作で床の上に転がっていた瓦礫を数個拾い上げ、声の主に向かって勢い良く投げつけた。全力だ。人に当たった音はしなかったが、その代わりに少し離れた所にある壁板が破壊される大きな音が聞こえてきた。
自分も後ろの様子を見たくなって車椅子から身を乗り出そうとした……そのタイミングで、視界の端、自分のすぐ隣の位置に黒い人影がいつの間にか立っていることに気付いた。当然のことながら、靴音は止んでいる。
黒色の光沢を放った金属鎧。一般に「パワードスーツ」と呼ばれるタイプの機械式強化外骨格。フロムテラスにいた時に警察やボディガードなどの役職に就いている人間が着用しているところを何度も見たことがある。骨格や筋肉の形状に合わせて設計された小型の補助機具を多数搭載し、身に纏うだけで筋力、持久力、耐久力などを始めとした基礎的な身体能力を向上させることが出来てしまう夢のような科学兵器。しかも今目の前にあるそれは、そこらの役人に配布される安価な量産型ではなく、見るからに高級そうな光沢を放つオーダーメイドの一級品だ。よく見ると有名な企業ロゴまで付いている。正直、とてもカッコイイな、と思った。
そんなものを全身に纏った、知らないはずの誰かがそこにいる。一体何者なのか気になり顔を見上げてみるが、頭部もフルフェイスのヘルメットのような装甲に覆われているため顔を見ることができない。訝しげな眼差しを向けていたら、不意にヘルメットがこちらを見下ろすように角度を変えた。そのままジッと、何も言わずに戸惑う俺の顔をジッと見つめ続ける。
その態度をよく思わなかったアゼロがパワードスーツの男に向かって全身を使って体当たりをしようとしたが、これもまた軽々とかわされてしまった。ぶつかる宛てが無くなったアゼロの体は反対側の床の上に勢いよく転がる。床には瓦礫などの細かい破片が大量に散らばっているため少し心配になったが、すぐに起き上がって男の方を睨み付けている様子を見るに、何のダメージも無いようで安心した。
「これでも着ていなさい」
男は片腕に抱えていた白衣をアゼロに向かって投げ与える。重量のあるスーツを着ているとは思えないスムーズな動作だ。白衣を受け取ったアゼロは大変不服そうな顔をしていたが、俺の視線に気付いてちょっと恥ずかしそうに眼を逸らすと、大人しく白衣に袖を通し始めた。絶世の美形とはいえ、さすがに全裸はまずいと思ったのだろう。
アゼロが白衣に気を取られているその隙を付くように、謎の男は俺に声をかけてきた。
「お初にお目にかかります、麗しの勇者、ディア・テラス。貴方とこうして対面し、言葉を交わせることを大変光栄に思います」
「ゆ、ゆうしゃ?」
耳慣れない奇妙な肩書を添えながら、男は至極当然のように俺の名前を口にした。もちろん名乗った覚えは欠片も無い。こんなインパクトのある人間と知り合いだった記憶も無い。だとしたら、この男の言う通り初対面なのか。本当に知らない人なのか。だとしたらこの奇妙な既視感は何なんだろう。
唐突な展開に返す言葉にすら迷ってしまう。パワードスーツの男は俺の顔を見て何を思ったのか「失礼。挨拶の前には帽子を外すべきでした」と謝罪の言葉を述べる。困惑が表情に出てしまっていたのか。
男は首回りに指を伸ばしパチパチと金具を外すような音をいくつかたてた後にヘルメットをゆっくりと頭から取り外した。ヘルメットの下から出てきたのは、思いの外お年を召した風貌の初老の男だった。白髪交じりの灰色の髪。額や目元に歳相応の深い皺が刻まれているものの、その表情は若々しい。
「本来はもう少しスマートに登場する予定だったのですが、いざ本番ともなると気が高揚しすぎて何が何だか……」
「スマート?」
「いえ、こちらの話です」
男は誤魔化すような笑みを浮かべながら、優雅な足取りで俺の座る車椅子の正面へ回り込み、膝を折るようにして跪いた。突然の畏まった態度に驚いていると、男はそのままごく自然な流れで俺の手を取り、それを自分の両手で丁寧に包み込む。金属の装飾が施されたグローブを嵌めた大きな手の平だ。
何事かと思ってその顔に視線を送ると、男は変わらず品の良い笑みを浮かべながら俺の方を真っすぐに見つめてくる。力強い光を宿した、渋い青緑色の双眼。目を逸らすことができなかった。
「私は、王制国家アルレスキューレ国軍第一部隊の隊長を務めさせていただいている者。名を、ダムダ・トラストと申します……貴方の運命の人ですよ、マイディア」
男の名乗りを聞いた途端、俺は両目を見開いて力一杯に驚いてしまった。
「ダムダ・トラストって、あの有名な!?」
「はい。その有名なダムダ・トラスト、本人でございます」
「ちょっと! アンタ何してるの!?」
アゼロが二人の間に声を張り上げながら割り込んでくる。そのまま物凄い速さの右ストレートをダムダ・トラストと名乗った男へ繰り出す……が、これも華麗な動作で受け流されてしまった。しかしアゼロは懲りずに攻撃を繰り返す。相当怒り心頭という様子だ。
ところが驚くべきことに、男はアゼロの動きを完全に見切っている。アゼロの怒涛の猛攻は尽く防がれ、かわされ、受け流されてしまった。巨大な獣も一撃でノックアウトさせてしまう強烈な一撃だって、当たらなければ意味が無い。ダムダ・トラストが涼しい顔をしている一方で、周囲に置かれている機材やモニターやらは巻き添えをくらいながら滅茶苦茶に破壊されていく。
「ベタベタ触らないでよ!! 変態!!」
「コラコラ、あんまり暴れると研究施設がボロボロになってしまいますよ。向こうでミス・ローザが険しい顔をしているではありませんか」
あんなにも強いはずのアゼロがまるで子供のようにあしらわれるている。先ほど男が言っていた「育ての親」という言葉は嘘ではなかったのだろう。アゼロがアルレスキュリア人としての戸籍を持っていることは以前から察してはいたが、育ての親、もとい養父となった人物とこのような関係であったことには驚きを隠せない。アゼロはもっと、親だろうとなんだろうと顎で使い、良いように利用し尽しながら生きていくタイプだと思っていた。小悪魔気質というヤツだ。
彼らのやりとりを見るに親子の仲が格別に良くないわけではないのだろう。アゼロが得意とする近距離での肉弾戦ノウハウを教え込んだ者が、このダムダ・トラストである可能性が高い。アゼロの怒りが込められまくった連撃を一つ一つ丁寧に受け流している時の彼の表情は不敵そのもので、楽しんでいる風にすら見えた。
「なんでっ! なんでアンタが!! 僕のディアにちょっかいかけるのさ!!」
それは俺も気になっている。
「なんでもなにも、私はもう十年以上も前から彼の大ファンなのですよ。貴方に知られたりなどすれば瞬時にその場で殺されそうな話であったため、長い間黙っておりましたが」
「ハアッ!?」
なんだその衝撃情報。ぜんぜん知らない。
「契約の関係で知らない者も多い話なのですが、我が国はもう何十年も昔からフロムテラスと国際交流を続けていました。貿易や物資提供はもちろんのこと、領内での調査活動の許可、共同研究なども行っており、もはや同盟と言っても差し支えないほど深く良好な関係を築いていました。ズブズブです。私はウルドの出身地がフロムテラスであったことなど最初から知っていましたし、養子として迎える際に成長データの一部を彼らに提供する契約も交わしておりました」
あまりにも酷い暴露発言の連続にアゼロの動きがピシリと止まる。唖然とした表情をしている。しかし、それも一瞬だけ。
「……そんなことだろうとは思ってたよッ!!」
アゼロはいつの間にか手に掴んでいた鉄パイプを床に向かって投げ捨てた。鉄パイプが肋骨を粉砕する時みたいなエグイ音をたてながら大きくひしゃげ、床の上を転がる。アゼロはそのまま膝を抱えてその場に座り込んでしまった。拗ねちゃったのかな?
元から全てを信じていなかった相手とはいえ、ここまで好き勝手言われてしまうと流石のアゼロも臍を曲げてしまうのか。その様子がちょっと子供っぽくて可愛いな、なんて思ってしまうことは悪いことかな。俺は車椅子の車輪を転がしながらアゼロの方へ近づいていく。
「大丈夫?」
声をかけると、アゼロはバッと素早く顔をあげ、そのまま俺の体にしなだれかかってきた。そのまま膝の上に顔を埋めてしまう。耳をすますと小さな声で「ディア…ディア…」と呟いている。心身共に疲労困憊といった様子。
アゼロがこんな風になってしまったのも大半は俺のせいだ。「ごめんな」と囁きながら頭の後ろ側を撫でてみると、スンスンと小動物のように鼻を鳴らして黙り込む。
「やりすぎましたか?」
「やりすぎですよ」
顎に手を添えながら素知らぬ顔で近付いてくるダムダ・トラスト。彼なりにアゼロのことを気遣っていることはなんとなく理解できるが、それにしたって配慮が足りないし、言葉選びもえげつない。全部わざとやっている。俺だったら……いや、俺でも同じような態度で接してしまうかもしれない。なんだ、だから彼に対して妙な親近感を抱いて仕方ないのか。
俺も他人を慰めることは昔から大の苦手だった。膝の上でうずくまるアゼロの頭をなるべく優しく撫でながら、もう一度「ごめん」と心の中でつぶやいた。
「それで、トラストさん? 貴方は何をするために、今ここへ現れたのですか?」
「トラストさん! それは良い響きですね、大変気に入りました! これからも私のことをそのように呼んでいただけますか?」
意図せず妙な箇所で喜ばれてしまった。
「え、はぁ……構いませんが……用については?」
「ありがとうございます、マイディア。そして、用について。直接問われたならば手短にお伝えしましょう。まずは此方をお受け取り下さい」
そう言いながらトラストさんはスーツの腰部分に手を伸ばす。備え付けてあった軍事用の収納ケースから何かを取り出すと、それを俺の前にそっと差し出した。お洒落なデザインの紙封筒だ。
何事かと思いながら紙封筒を受け取り、まじまじと見つめる。丁寧で細かい刺繍装飾が施された、いかにも高級そうな見た目。手触りも滑らか。宛名には当たり前のように俺の名前が書かれていて、そのすぐ近くにはダムダ・トラストの名前と見知らぬ印章が押されていた。
「中を見ても良いんですか?」
「ご自由に」
蝋を用いて封をした紙の手紙なんて受け取ったのは子供の頃のバースデーカード以来だろうか? 慣れていないせいで開けるのに少々手間取ってしまったが、トラストさんはその様子すらほんのり楽しそうに眺めている。中には三つ折りの紙が三枚程入っていて、その一枚を引き抜き紙面を広げてみる。
「招待状?」
歓迎、ディア・テラス様御一行。手紙の始まりにはそう書かれていた。やけに格式張った文体であったが、後に続く文面を要約すると……
『近日アルレスキューレの王城で、新しい国王を即位させるための戴冠式を執り行うことになった。その式典にディア・テラスとそのご友人たちを招待したい。同時期には季節行事の冬葬祭も行われ、城下町も賑やかになる。貴方に是非お越しいただきたい』
そんな内容だった。
「戴冠式……そんな大切な式典に、なぜ俺のような部外者を招待するのですか?」
「ディアに、どうしても見てもらいたいものがあります」
見てもらいたいもの。何やら多大な含みを感じる言葉だ。この違和感が良い予感のために出るのか悪い予感のために出るのか、奇妙すぎて判断しかねる。
「なんかさ、また悪いこと考えてるんでしょ?」
膝の上にうずくまっていたアゼロが立ち上がり、上から手紙を覗き込んできた。一通りの文面に目を通した後、そのままの流れでトラストさんの方へ不信な視線を送る。心底信頼していないといった様子だ。
「確かに企んでいることはありますが、それを良いことと思うか悪いことと思うかは貴方がたの捉え方次第です」
「つまり実際に見てみない限り何もわからないと」
「その通り」
手紙の文面にもう一度目を下ろす。直筆で一つずつ丁寧に綴られた文字を見つめながら、どうしたものかと考える。
「招待して頂けることに関しては大変喜ばしいと思うのですが、何分私は、この通り体調が万全ではありません。行くかどうかの返答を出すのはもう少し後になってからでも構いませんか」
「勿論。こちらのカードに私の連絡先のデータが入っています」
差し出されたカードを「ありがとうございます」と一言告げてから受け取る。大衆向けにデザインされたスタンダードモデルのデータカード。これなら手持ちの通信端末でも簡単に読み取ることができるだろう。本当に準備の良い人だなぁ、なんて感心してしまう。
「もうこんな時間ですか……」
トラストさんが声色を急に残念そうなものに変える。データカードの表面には現在時刻の数字が表示されていた。明け方の頃合いだ。
「申し訳ありません、ディア。貴方ともう少しお話をしていたかったのですが、スケジュールの関係でそろそろお別れしなくてはなりません」
思うに、戴冠式を目前に控えた国のお偉いさんらしい彼が、こんなところで油を売っているのはどう考えたっておかしい。オフの時間を有意義に使うタイプの人間と言えば聞こえは良くなるかもしれないが。
「ミス・ローザ、そこのハッチを開けていただけますか?」
「ミスター・トラスト、あれは緊急脱出時に使用するハッチです」
「承知しておりますとも」
トラストさんは床の上に置いていたヘルメットを再び手に取り、頭に被り直す。そのままローザと専門用語が飛び交う会話を幾つか行いながら、パワードスーツの腕部分に取り付けられたキーパネルを操作し始める。グローブを嵌めた状態の太い指でよくそんな細かい操作が出来るものだ。ぼんやりとその様子を眺めていたら、ふと、別れの言葉を返していないことを思い出した。
「トラストさん」
名前を呼ぶと、彼はすぐに顔を上げて此方の方を見る。
「その……ありがとうございました」
別れの挨拶をするつもりだったのに、実際に俺の口から出てきたのは感謝の言葉だった。どうしてそんな発言をしてしまったのか自分でもよくわからなかった。しかも無意識でだ。だから少し居た堪れない心地になってしまって、思わず彼の顔から視線を逸らす。ヘラッとした誤魔化し笑いまで浮かべてしまう。
顔を逸らしたまま横目で少しだけトラストさんの方を見ると、彼はキーパネルを操作する指の動きを止め、何か言いたげな雰囲気を醸し出していた。
「こちらこそ。ありがとうございます」
ヘルメットのせいで表情はわからなくなってしまったが、またあの上品な、ちょっと胡散臭い微笑を浮かべているのだろう。そう思うことにした。
「もう出てこないでよ!」
俺の体に抱きついたアゼロが耳元で声を上げた。心底うんざりといった顔。
そうこう会話していると、急に観測室の床がガタンガタンと大きく揺れ始めた。なんだなんだと周囲を見回せば、部屋の一部の壁が大きく振動しながら変形していく様を目撃する。別の部屋に続く隠し扉だろうか。いや、さっきの会話から察するに、これが緊急脱出用ハッチ。研究施設の壁を上下左右に割るようにしながら現れたゲートの向こう側に広がっていたのは……白い雲。それを目視した途端、部屋の中に物凄い勢いの風圧が一気に流れ込んできた。
「それでは、私はここで失礼いたします」
トラストさんは吹き荒れる暴風に怯むことなく開いたハッチの正面へ移動していく。
「ディア、ウルド、貴方がたと次にお会いできる時を楽しみにしています。良い未来を!」
一時の別れの挨拶を済ませたトラストさんは、ヘルメットの下でハハハッと景気の良い笑い声をあげる、と……何の躊躇も無く緊急脱出ハッチから飛び降りた。
嘘だろ!?
あまりに突拍子もない行動に驚いて、彼が飛び降りたハッチの方へ駆け寄ろうとする。しかし風圧が邪魔で車輪が上手く回らない。
「ウルド、お願い!」
傍に立っていたアゼロの方を見上げ、「あそこまで連れてって」とお願いする。するとアゼロは「仕方ないなぁ!」と言いながら俺の体を抱え上げてハッチの方へ走っていく。
開いたハッチから外を覗き込むと、そこはまさに空の上。下を見ると、グライダーのような形状の翼を生やした黒い何かが地上に向かってスイーッと降りていく姿があった。風圧にも強風にも一切屈しない、まさしく飛行機のようにハッキリとした機動。あのパワードスーツには飛行機能まで備わっていたらしい。
「趣味悪くない?」
高笑いをしながら派手な退場をしてみせた養父に向けて、アゼロが切実な感想を述べる。俺は……カッコイイと思ったけれど。そんなことを言うとまたアゼロが拗ねるような気がするから、今は黙っておくことにした。
「それよりもだよ。俺たちってずっと空の上を飛んでいたんだな。機体が全然揺れないからちっとも気付かなかった」
超大型フライギア『ブルーローズ』の艦内にある設備で治療を受けていたんだろうなぁ……とは予想していたけれど、まさかあんなに広い実験場まで船の中に備わっているとは思ってもみなかった。
「今はどの辺りを飛んでいるんだろう……」
「ねぇ、アレってもしかして」
アゼロが何かを見つけたらしく、空の向こうへ指を差した。その方向へ俺も視線を送る。視力補正用レンズが無いため遠くの景色はぼんやりとしか分からないはずだが、そんな俺の眼にも何かが見えた。見慣れた外観をした大型の軍用フライギアだ。
そのタイミングで、不意に自分たちの後方から通信端末の着信音が聞こえてきた。振り返ってみると、いつの間にか近くに立っていたローザが俺の通信端末を持っている姿が見えた。ローザは無言で端末をこちらへ差し出し、俺はそれを受け取った。画面には「ライフ・クルト」の名前が表示されている。
『ディア!! なんでそんな場所にいるのよ!! 危ないでしょ!!!』
「ライフじゃないか! どうしてこんなところに……というか、あのフライギアは誰が操縦しているんだ?」
『操縦してるのは私よ。あなたったら、自分がどれだけ長い間眠っていたか全く把握していないのね』
「まさか免許でも取ったのかい!?」
『習えば早いものよ。そんなことよりディア、あなたね。今回の一件については後でキッチリたっぷり時間を取ってお話させてもらいますから、今から言い訳の仕方でも考えておきなさいね』
なんだかとても怒っている様子。心当たりなら山ほどあるけれど。
これはしばらく文句を言われ続けるだろうな、なんて思いながら、俺はわざわざ追いかけて来てくれた仲間たちが乗るフライギアに向かって、大きく手を振った。
俺はちゃんと生きてるよ、って。