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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述19 この愛は私のために
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記述19 この愛は私のために 第6節

『パパ! お誕生日おめでとう!』

「わあ、ディアがプレゼントをくれるなんて、とっても嬉しいよ! ありがとう、大切にするね」

『もちろんお祝いするよ! お誕生日って、生まれてきたことに感謝する日なんでしょ? 俺はね、パパが生まれて来てくれて、俺と出会ってくれて、とってもとっても嬉しい! だからお祝いするんだ!』

「あらあら、パパにそんなこと言ったら泣いちゃうわよ? ほらもう、おめめがウルウルしてきているじゃないの」

『えぇ? ……本当だ? どうして? 喜んでくれたんでしょ?』

「ハハハッ! ごめんね、ディア。俺ってちょっと涙もろくって、君の言葉で感激しちゃったみたいだ。すっごく嬉しいことがあるとね、ヒトって泣き出しちゃうことがあるんだよ」

「そうよ、ねぇ。この歳にもなって『生まれてきてくれてありがとう』なんて情熱的な口説き文句、なかなか言ってもらえるものじゃないわ。素敵な息子がいてくれて良かったわね、パーパ?」

「ママったら、俺をあまりからかわないでくれよ……でも、ビックリしちゃったのは確かかな。まさかディアからそんなことを言われるなんて思っていなかったから。嬉しいよ。うん。嬉しいに決まってる」

『そっかぁ、ビックリさせちゃってゴメンね。でも、本当にそう思っているんだ。パパのこと、とってもとってもだーいすき! だって……

 

 

 大きな大人の手の平が自分の頭を優しく撫でる、その時と同じ感触が頭の上をそっと通り過ぎていく錯覚をした。

 それと一緒に聞こえてくる、遠い昔の懐かしい、生々しい、会話の記憶。

 なんだか最近、そんな音がよく聞こえてくるなぁとぼんやり思っていたけれど、なるほど、これは走馬燈というヤツだったのか。

 だとしたら、死の間際にこんなことばかり思い出している俺ってどうなんだろう? もっとまともな思い出くらい、あったはずなんだけどな? そんなに……悪い人生だったかな?

 そうかもしれない……そうじゃないかもしれない……

 だって……だって、俺はまだ……

 

 

 

 

 

 最近は気を失うことが多いような気がする。それも仕方ないことなのかもなぁと暢気に考えながら、瞼を開いて見えてきた景色をゆったりと眺めた。

 部屋はいたるところが滅茶苦茶に破壊されていた。実験場側の壁に張られていた透明な強化ガラスは外側からの衝撃で盛大にぶち破られていて、白い床の上には壊れた機材や灰色の瓦礫がバラバラと散らばっている。すぐそばに転がっている機械のパーツは基盤が剥き出しになっていて、ヂリヂリと壊れた目覚まし時計のような音を鳴らしている。

 割れた液晶画面に自分の姿が映り込む。車椅子に乗っていた。思い返してみると、確かあの酷い電流の攻撃を受けた時に車椅子から驚いて転がり落ちていたはずだ。きっと誰かが倒れた俺を拾い上げてこの場所に戻したのだろう。感謝の気持ちと惨めさが混ざりあったこの気持ちには未だに慣れがこない。

 腕を見ると服の袖が丁寧にめくり上げられている。むき出しの青白い肌には点滴用の管が二本ほど射し込まれていて、管の中を透明な液体がゆったりと流れていた。真新しい注射痕もいくつかある。見覚えのない外傷が腕や脚に三か所ほどあったのだが、既に治療済みらしいのか痛みはあまり感じない。もしかしたら痛覚が麻痺しているだけなのかもしれないけれど。

「今のご気分はいかがですか?」

 抑揚の足りない、相変わらず冷たいローザの声が車椅子の後ろの方から聞こえてきた。

「生きてたんだ?」

「ご気分は?」

 二度目の言葉にはほんのりとした確かな感情が込められていた。

「何とも言えない……少し疲れているような気がする。体全体が気怠い感じだ」

「そうですか」

 簡素な応答が一つ返って来るだけで、それ以上は何も無い。それどころかカツカツとヒールを鳴らしながら離れて行く音すら聞こえてきた。靴音が止んだ後も部屋から出て行った気配は無いから、距離を取っただけなのだろう。そんな態度の彼女にいくつか尋ねたいことがあったのだが、問い詰めるのは後回しでも良いだろう。 

『……■■■』

 奇妙な音が聞こえてきた。楽器の弦を三度指で強めに弾いた時みたいな音だ。部屋の真ん中の方へ視線を戻す、と……あぁ、大きくて、真っ黒で、ちょっと生々しい姿をした見知らぬ生物が、金色の瞳を濡らしながら此方を凝視していた。

「おいで」

 そう言って、管が刺さったままの左腕をゆっくりと、そちらへ向けて差し出した。手には震えが残っているが、どういうわけか気絶する前よりは思い通りに動いているような気がする。

 ギュルギュル……と、喉を鳴らしているのか呻き声を上げているのか判別しがたい音を喉の辺りから発しながら、黒い生物はこちらへ向かって近づいてくる。あんまりその姿を観察しすぎるのも紳士的ではないかなぁと思って、少しの間だけ目を閉じることにした。

『……■■■、■……ッ、ゥ…………ディ、ア」

 怯えるように震えた声が、俺の名前を呼んだ。もうすぐ傍まで迫っていることは臭いでわかったが、差し出した左腕が掴まれる気配は無い。

「……ディ、ア、ドウシ、テ? ドウ、シテ?」

 粘着質な水音に紛れながら聞こえてくるカタコトな言葉。どうして?どうして?とそればかり繰り返している。この子も混乱しているのだろう。

「こうやって生きているんだから、いいんじゃないかな?」

 微笑んであげたかったけれど表情筋が上手く動かなくて、ぎこちない作り笑いみたいになってしまった。

「……ドウシテ」

「人体医療に精通したフロムテラスの科学者に、せっかく出会えたんだ。むざむざ死なせるわけにはいかない」

「…………」

「あそこでローザさんを死なせていたら、俺の寿命もそこまでだった。俺の体は……いつ寿命を迎えるかわからない。あと一カ月くらいは持つかもしれないけど、一週間後に突然かもしれない。明日かもしれない。今かもしれない。どれだけ延命治療を繰り返したところで、そんな不安から逃れることはできない。だから毎日毎日、一分一秒無駄にならないように最善を選び続けていたいんだ。それは、俺にとっての最良にすぎないんだけどね」

 協力者は多いに越したことはない。こんな状況を作り上げたJUNKやフロムテラスの科学者たちに対する嫌悪感はなかなか拭いされないものだけれど、かといって彼らと敵対したところで弱い自分に利点なんか一つも無い。ならば譲歩して、どこかで和解する道を選ぶべきなのだ。

「こわがらせちゃって、ごめんね」

 ポタポタと、水滴のようなものが手の平に落ちてきた。

「ナン、デ……ドウシテ……」

 謝罪の言葉だけでは何も片付かない。ふり止まない涙の雨のために、今ばかりは正直な言葉を伝えなければならない……と、思ったけれど、その中に優しさを混ぜる方法がどうしても見つけられなかった。たぶん俺の本音は優しくなんかない。

 それでも伝えなければいけないものがあった。罪を償うために必要なものは、誠実さ以外に見当たらなかったのだから。

「旅を続けたかったんだ」

「ドウシテ? ネェ、ディア……ドウシテ、タビなんテ? しんジャウ……イヤダよ……ディア……」

 どうして?と言われても、納得してもらえる答えは見つからない。どうして危険を冒してまで旅なんかしようと思うのか。答えならば出ているけれど、口に出すのは憚られる。けれどここで打ち明ける勇気を見せることができたなら、この子は……気付いてくれるだろうか。

「みんなそう言うんだ」

 俺の声も震えている。

 閉じた瞼の裏側に、ここではないどこかの景色が浮かび上がってきた。

 俺はこの景色を度々思い出すことがある。とても嫌なことがあって、自分の部屋の中で一人で震えている時とかは、特に。俺にだってそんな時もあるさ。不安だとか、恐怖だとか、嫉妬だとか、色々、あるんだよ。

 弱さを打ち明けたことだってあった。あったはずなのに、それなのに、今俺はこんなところにいる。

「……やめればいい。どこへも行くな。守ってあげるから。傍にいてほしい。誰も彼もそういうことばっかり」

「アタリマエ!! ミンナッ、ディアのコトが、タイセツ!!」

「じゃあ俺は、みんなのことが大切じゃなかったのかも」

「ッ!!」

「旅がしたかった。遠くへ行きたかった。ずっと、ずっと、自分のことなんて誰も知らない、気にも留めないような遠くの土地で、見たことのない物を見て、知りもしなかった真実を前にして、色んな体験をして……俺のことを守ることしか考えてくれなかった人たちを見返してやりたかった。俺はもう一人前の、立派な大人になれたから……もう……放っておいてほしいんだ……って、言いたかった」

 言葉を続けるほどに、あの日の光景が瞼の裏、頭の中に広がっていく。

 積み上げられたプレゼントボックス。大きなケーキと豪勢な食事。いつもより明るい色のスーツを着て集まる背の高い大人たち。シャンパングラスの割れる音。狭くて暗い路地の裏……夜空に一つだけ浮かんでいる、綺麗な満月。

「昔……俺が十四歳くらいだった頃に、誕生日パーティがあったんだ。俺のじゃなくて、父親の誕生日パーティ。そこで俺は大好きだった父親にがんばって用意したプレゼントを渡して『ありがとう』の言葉をもらった。その日の夜……はしゃぎ回ったせいでなかなか眠れなくて、真夜中まで起きていて、もう一度ベッドで寝る前にパパとママに『おやすみ』を言い直そうと、部屋を出た。それで、あの会話を聞いたんだ……」

 

 

「だから言ったじゃない! 不良品のデザインベイビーになんて手を出したりするから、こんなことになるのよ!!」

「君だって了承したじゃないか!」

「知らないわよ! 欲しいって言い出したのはアナタじゃない!! 私はちゃんと忠告したのよ、ペットのドーグが死んだだけであれだけ泣き喚いていたアナタが、次は子供を飼おうなんて無謀すぎるんだって!!」

「そんなことを言っても! あのまま放っておいたらあの子は殺処分だったんだよ!? どうしても、どうしても見捨てられなかったんだ!!」

「可愛かったからかしら!? 何が『跡継ぎにする気は無い。寿命が短いのは好都合だ』よ!! バッカみたい! 最近のあの子の顔をまともに見れないのはアナタだけじゃないのよ!?」

「君はどうしてそんな…………ぇ、あっ…………ディ、ア? なぜ、起きて……」

 

 

「その時に初めて知った。出自の滅茶苦茶な俺の体は人間よりも寿命が遥かに短くて……長くて二十二年、短くて十三年。どれだけ健康な体を取り戻しても、それ以上は大脳が持たないだろうって……言われてたのに、なんでかなぁ、不思議とまだ生き延びてるんだよね。毎日毎日死ぬほど苦しい思いをしながら、奇跡的に生きている。朝起きる度に嬉しくてたまらなくなるし、夜に寝る時は怖くて仕方ない」

 こんな酷い告白をしているはずなのに、涙は出ない。

「ショックだったよ……そりゃあ、ショックだったさ…………パパとはその後すっごく喧嘩した。あの時以上に怒ったことも、涙を流したことも無かったくらい、辛くて辛くて堪らなかった。だって俺は……パパみたいな立派な大人になるのが夢だったんだ」

 自分が病弱だって事実は昔から嫌というほど理解していたつもりだった。それでもみんながムリだムリだと口をそろえて忠告するわりには、上手く生きることが出来ているんじゃないかなって自惚れていた。俺も尊敬する父親や、聡明な母親や、研究所の職員、教育係の先生たちみたいな、立派な大人になれると思い込んでいた。医学が進歩したフロムテラス人の平均寿命は百五十……その五分の一も生きられないなんて、そんなこと、急に言われて受け入れられるわけがなかった。

 未来が真っ黒に塗りつぶされてしまったような、あの時の恐ろしい感覚は今でもよく思い出す。目の前が真っ暗になったってヤツかもしれない。今まで自分の手の中にあったたくさんの可能性や将来の夢が、ボロボロ砂みたいに崩れて、指の間をすり抜けていった。

 生きたかった。もっと長く。もっと生きて、立派に、一人前の人間に育って、幸せに…………できないなら、できないんだったら……どうして俺のことなんて拾ってきたんだって……どうしてこんな不良品に作ったりしたんだって……

 生まれて来なければ良かった。あそこで死んでおけば良かった。みんなの忠告が正しかったんだって、初めて腑に落ちた瞬間だった。みんな最初から知ってたんだから、そりゃそうだ。

 泣き喚きながら「生まれなければよかった」なんて言い始める十四歳の俺を、父親は厳しく叱りつけた。『そんなことを言うんじゃない』……父親に怒られたのも、これが初めて。豹変したように怒りを露にした父親の顔が怖かった……怖くなった。何もかも怖くなった。今まで信じていたものがウソだったんだなって、子供ながらにそう思い込んで……それで、真夜中に家を飛び出した。

 家出だ。初めての親への反抗が家出だった。当時は随分と体調も落ち着いてきていたからといって、そもそも病弱がすぎる箱入り息子な俺に、家出なんて無茶にもほどがあるのに。

 お腹が空いてもご飯が貰えない。常飲しなきゃならない薬も手元に無い。寝巻きのまま飛び出してしまったから寒くて仕方ない。それでも家には帰らず、他の大人にも見つからないように隠れながら、どこへともなくひたすら歩き続けた。あの家から少しでも遠ざかりたかったんだろうな。

 保護されたのは家出から二日後の朝のこと。路地裏で小さくなって凍えているところを警察に見つけてもらえた。両親が血眼になって探していたおかげで身元はすぐに判明したから、そのまますぐに病院へ運ばれた。父親と再会したのは、病室で初めて目を覚ました時。

 父親は、ごめんね、ごめんね……って、謝り続けていた。

 何と返してあげればいいかわからなかった。尊敬していた父親のカッコ悪い泣き顔を、これでもかと見せつけられたせいかな……怒りも、哀しみも、不安すらもどうでもよくなってしまった。「もういいよ」って言ってあげても、父親はずっとずっと俺のベッドの傍らで泣き続けた。

 そしてあの人は、こんなことを言い始めた……

 

「好きなことをして生きなさい。俺たちのことは踏み台にしてくれて構わない。嫌いになってしまってもいいんだ。自分の好きなように、自分のためだけに生きていきなさい。その命が確かに報われると思える場所を、君が見つけられる日がくることを、願っているよ」

 

 

 

「とか言いつつ、その後反抗期を迎えた子供にちゃっかりガードチップを付けたりするんだから、太い神経をしたダメ親父だなと思ったさ。今もその印象は変わらないかな」

 言葉にして伝えていくうちに、頭の中に浮かんでいた陰鬱なイメージが薄まるように消えていく。何も解決したわけではないが、少し楽になったような気がする。こんな話を聞かされている側は災難だと思うけれど。 

「それから俺は度々無断で家を出るようになったんだ。家の中は居心地が悪かったし、外の世界を見てみたくなったから。突然いなくなってしまった初恋の女の子を探すっていう目的もあったし、それで、めでたく不良少年の出来上がり。パパは相変わらず心配ばかりしていたけれど、家に閉じ込めようとはしなくなったし、その後の関係はわりと良好だったかな。まさか、フロムテラスからも飛び出すなんて思っていなかっただろうけどさ」

 これで昔話はおしまい。聞き苦しい話ばっかりだったと思うけれど、何も言わず静かに聞いてもらえたことを嬉しく思った。聞かせたからといって、何かを言ってもらいたいわけでもなかったんだろうな。

「ねぇ…………君は……俺の希望だったよ」

 膝の上にいつの間にか出来上がっていた水溜まりの表面を、右手の指先でそっと撫でてみた。空気に触れたことで乾き始めているのだろうか、予想外にぷよぷよと弾力のある触り心地が返って来て、少し可愛いなと思った。

 その上に、また新しい雫がポタポタと落ちてくる。俺はまだ目を開けていない。この水滴の正体が何なのか、見ないようにしている。

「ずっとずっと昔から、君は真っ暗な夜空に浮かぶ月みたいに、キラキラしていて、綺麗だった」

「……ウソ…………」

「そう思うかい?」

「……」

「ごめん。君を怖がらせるつもりは無いんだ。本当だよ。本当に、嘘なんかじゃない……あんまり自信はないけど……好き、なんだと思ってる」

「スキ?」

 驚き、信じられない言葉を言われた時みたいな反応をされてしまう。

「君のことが好きなんだ……ウルド」

 あぁ……とうとう言ってしまった。これだけは最後まで言わないでいるつもりだったのに。それこそ墓に入るまで。

「あの日……あの頃……真っ白な研究所の壁に囲まれた狭苦しい部屋の中で、君に出会った。綺麗だった。とてもとても、綺麗だったんだよ。記憶の中の君はいつもキラキラ輝いていて、白い肌も、さらさらとした髪も、吸い込まれるように魅惑的な月色の瞳も……それ以外のものなんて何一つ大事にしてこなかったのに、見捨てたり、切り捨てたり、無視したり、そんなことばっかりの人生だったのに……アゼロっていう名前の子供のことだけは、いつまでも大事にすることができた」

 それが『救い』というものだったのかもしれない。真っ黒に塗りつぶされた未来の先で、アゼロの存在だけがくっきりと、子供の頃の忘れられない思い出と一緒に、夜の月みたいに輝いてくれていた。

「君の想いに比べたら、随分些細で拙い『好き』だと思う。君と再会した後も、俺は相変わらず仕方のない男のままで、何も変わることができなかった。名前のことも性別のことも、本当はとっくに気付いていたのに気付かないフリを続けていた。大好きとか、愛してるとか、たくさんたくさん伝えてくれる君の想いを中途半端に受け取って、笑顔と一緒に横流しにしながら、無下にしてきた。いっそ嫌われてしまった方が幸せだと思っていたから。こんな、いつ死んでもおかしくないバカを好きになったって」

 俺はアゼロ・ウルドのことを幸せにしてあげられない。だから相思相愛なんかになって、余計な傷を増やすより、このまま何も告げずに死んだ方が、まだマシなんじゃないかなって思っていた。

「でも……やっぱり、ダメだな…………好きなんだろうな、君のこと」

 広い広い実験場の真ん中で、グロテスクな異形の死骸の上で蹲る姿を見た時。

 『助けて』と声も上げられなかった俺の前に、あんな姿になってまで駆けつけてくれた君を見た時。

 今こうして、身勝手すぎる俺の一人語りを静かに聞いてくれる、君の存在を感じている時。

 好きという気持ちを伝えられずにはいられなくなってしまった。

「君のこと『愛している』なんて、これでも胸を張って言えないけれど……確かに好きだったんだ」

 車椅子から少しだけ身を乗り上げ、アゼロの方へ両手を伸ばす。

 指先が、手の平が、冷たい何かに触れる。それが何だかわからない。どろどろに爛れた黒い何か。それが何なのか俺にはわからない。不安を感じたり不気味に思ったりする気持ちが無いわけではないけれど、怖いとは思わなかった。

「こんな不良品な俺を求めてくれて、ありがとう。大切にしてくれて……愛してくれて、ありがとう…………俺は……俺はこれからも、君を傷付けることしかできないと思う。君の好意を真正面から受け取ることもできないから、大した支えにもなってやれないと思う。いつ死ぬかわからない俺よりも、他の人を好きになってもらいたい。俺以外の誰かを信じて、幸せになる道を見つけて欲しいと思っている。だから……いや、それでも……伝えたくなっちゃったね…………俺は、君のことちゃんと好きだよ、って。何度も何度も俺を助けてくれて、ありがとう」

 ずっと閉じたままだった瞳を開くと、目の前にはいつもと同じ美しい姿のアゼロがいた。

 綺麗な月色の瞳を透明な涙でいっぱいに濡らしながら、俺の顔を真っすぐに見つめている。その視線を正面から受け止めながら、見つめ返す。精一杯の真心を込めて笑顔を捧げる。

「大好きだよ。これからもヨロシクね」


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