記述3 夢見る書斎 第4節
ライフ・クルトと名乗った女の子は急に俺に向けて興味を持ったと言い始め、俺と彼女は少しの間だけこの小さな部屋の中で話をすることになった。
なんでも、この図書館に若者が訪ねてくるのは珍しいことだから少しくらい歓迎させなさい、とのこと。スタッフルームに勝手に入ったことについてはまだ文句が言い足りない様子ではあるが、彼女にとってはそんな些細な不満より、いつ終わるかわからない暇な時間を潰す方がよっぽど重要なんだとか。
散らかっていた机の上を片付けてから席に付き、まずはお互いの腹を探り合うような雑談から始めていった。この部屋の内装の話だとか、着ている服の話だとか、今日の天気の話だとか。毒にも薬にもならない話をしているうちに、だんだんとお互いの性格のことがわかってきた。そろそろ頃合いなんじゃないかと思い、俺は自分がこの王立図書館にやってきた理由について話し始めてみた。
「お爺様に会ったことがある、ですって?」
ライフは言外で「とても信じられない」とでも主張するように訝しげな眼差しをこちらに向けた。
「本当だよ。あの老人は確かに、俺の前でアデルファ・クルトと名乗ったんだ」
くだけた口調で言明してみるが、ライフは「胡散臭い話ね」と悪態めいたリアクションをみせるだけで、どうにも手応えが感じられない。
「アデルファ・クルトの名前を利用しているだけの赤の他人だったかもしれないわよ? 紛いなりにも貴族の身分なんだから、そういう詐欺をする人間が僻地にいてもおかしくないもの」
「髪の毛とか目の色も、君とよく似ていたよ。お年寄りと比べて似ているかと言われたら判断が難しいけど、面影はあるような気がする」
「それ、適当なことを言ってるだけでしょう? そもそも私はお爺様の顔なんて見たことがないの。肖像画も、写真も、全て燃やされてしまっているんだから」
「燃やされた? 一体誰がそんなことを?」
「私のお父様よ。親子仲が最悪だったの。それに、残っていたとしてもお爺様が消息不明になったのは四十年も前の話なんだもの。外見だって変わり果てているはずよ」
「うーん……それもそうだな」
なんとか彼女に信じてもらいたい。もっと良い証拠になるような物が他に無かっただろうか……と、しばしの間腕を組みながら考えていると、ふと、あの宝石のことを思い出した。
「そういえば、アデルファさんの家にこれが置いてあったんだ」
上着の内側から緋色に輝く大粒の宝石を取り出して、ライフに見せてみる。手の平に綺麗に収まる楕円の形をした大きな宝石。平らに加工された裏側には錆びて色褪せた貴金属の金具が嵌められている。本物だとしたら相当な価値を持っている気がするのだが、俺は宝石についての知識に明るくないため見極めができない。しかし例え偽物であったとしても価値を感じられるくらい綺麗で、不思議な魅力を感じる一品だった。
「触っても良いかしら?」
宝石を見た後のライフの食いつきはそれなりに良かった。まだ半信半疑といった様子ではあるものの、真っ赤な輝きを放つ宝石の存在感に心惹かれたのか心当たりがあったのかしらないが、積極的な態度を示しながらこちらに手を伸ばしてきた。
宝石を手渡してみると、ライフはすぐにそれを手の平の上でひっくり返した。宝石が嵌めてある金具部分が気になっているみたいで、何かを吟味するようにしばらくじっと裏面の加工ばかり睨み付けていた。
「文字が書いてある」
やがて口を開いたライフは「見てご覧なさい」と言いながら宝石の裏側を俺に見せてくれた。彼女の言う通り何かが掘ってある。今まで俺はその何かをただの装飾模様だと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
「たぶん大昔に失われた言語の文字なの。意味は私にもさっぱりわからないのだけど……この文字を書き写した絵が家の宝物庫に置いてあるのを見たことがあるわ」
「じゃあ……」
「本物のクルト家の家宝で間違いないわね。ちょっと悔しいけど、あなたのことを信じてあげてもいいかしら」
「ありがとう!」
「でも、どうしてあなたがこんな大事なものを持っているの?」
「それは……」
その場のノリで、と言ったら怒られてしまうだろうか。今思えば俺はどうしてこの宝石をアデルファの小屋から持ち出してきてしまったのだろうか。側に遺言のようなものが添えてあったおかげで、勝手に『託された』と思い込んでしまっていたが、冷静に考え直してみれば窃盗罪になるのではないだろうか。
「……お爺様、なんて仰っていたの?」
悪い予感を察したライフが、少し伏し目がちな態度でたずねてくる。
そこで、アデルファが最期に遺していった石版に何が書かれていたかを思い出した。どうせ持ち出すなら、あっちの方が良かったのかもしれない。
我が死ここに確かなモノと化す。
我が名は誇り高き王制国家アルレスキューレに在り、アデルファ・クルトと申すなり。
世の果て極点を私は目指す。
死して尚、私は目指す。
「わけのわからないお人だこと」
彼の言葉を一言一句溢さずに伝えきると、ライフはほんのりと嬉しそうな声色で笑った。
「これは、君に返した方が良いのかな?」
「いいえ。そんな宝石一つがあってもなくても、今更誰も困りはしないわ。その宝石はあなたが持っていなさい」
「いいの?」
「いいのよ。私のお父様がね、自分の父親への愚痴を言う時の口実に、よくこの宝石の話をしていたの。まさか実物が見れるなんて思っていなくて私は嬉しいのだけど、お父様がこれを見たら……きっとまた不愉快な思いをさせてしまうに決まっているわ」
ライフが言うには、この宝石は当主が先祖代々大切に所有していなければならないクルト家の誇りの象徴であったらしい。アデルファは旅に出ると決めた時にこっそりとその宝石だけを宝物庫の中から持ち出し、あまつさえ、行方不明になってしまったという。
宝石なんて今のアルレスキューレの情勢をみれば無価値に等しい代物だというのに、それでも貴族にとっては大切なものであることに変わりは無かった。先祖のために、子孫のために、高潔な誇りと家の命運とを譲り受けていかなきゃいけなかったのに、アデルファはそれらを自分の息子に遺していかなかった。恨みがましく思われても仕方の無い話だ。聞けばアデルファが旅だった時の彼は物心もついていない子供だったというのだから、ますます残忍な話だ。
同情しなきゃいけないところだな、と思いながら、俺は心の中で「自分も同じことをしたんだな」という今更な罪悪感を覚えていた。
「どうしてそうまでして『冒険』なんてもののために必死になれるのかしら」
追い打ちをかけるようにライフが溜息めいた一言を吐き捨てた。もはやこの世にはいない、一度もあったことの無い親族の男への想いは複雑なのか、はたまた簡潔なのか、俺には計り知ることもできない。
けれど、アデルファのしたことについては、少なからず共感めいたものを感じていた。だからこそ自分までライフに責められているような気がしていた。
「俺も、全部投げ出して来ちゃったんだ」
「……そう」
そっけない返事だった。恨めしい感情が混ざっているような、そうでもないような。冷めた視線が俺の顔に突き刺さるように向けられた。次の言葉を待っている。
「申し訳ないことをしたなって思っているよ」
「その様子では碌に反省できているようには見えないのだけれど……それじゃあ、あなたの方は、どうして旅に出たりなんかしたの?」
旅立った日のことを思い出す。あの時、俺はどんなことを思い、どんなことを求めていただろうか。そして旅だった後の俺は、今の俺は、一体何を感じているというのか。
少しの間だけ静かに目を閉じて考えてみて、出てきた言葉は『充足』と『欠落』だった。
「欲張り、なんじゃないかな。何も手に入らないまま死ぬのはごめんだったんだ」
「死ぬ?」
「そう……どうせなら、たくさん手に入れてから死にたいって思っていた。いや、思っている。短い生涯の中でどれだけたくさんの体験ができるかっていうのは、俺にとって何よりも優先しなければいけない人生の命題だったんだと思う」
自分のことながら、わけのわからない行動原理の話をしている。
「世界が明日にでも滅びるようなことを言うのね」
「滅びるとしたらどうする?」
軽はずみなノリで尋ねてみると、ライフは予想外のことを言い返してきた。
「私だって旅に出るわ。こんな狭っ苦しい書斎の中で夢だけ見ながら生きるなんて、もう、まっぴらごめんだもの」
机の上に置かれたアデルファの書いた本の表紙を愛おしそうに撫でながら、ライフは悪戯を思いついた子供のようにニヤリと笑った。
そんな彼女に向けて俺がまた何かを言おうとしたところで、部屋の外、分厚い壁をいくつも突き抜けた遠くの方から「 ドカンッ!!!!!! 」と巨大な爆発音が聞こえてきた。不意打ちを受けた二人はワッと声を上げて驚きながら立ち上がり、狭い部屋の中を無意味に見回した。この部屋に窓は無い。
なんだなんだと騒ぎ始めるより先に、今度は部屋全体が縦や横に大きく揺れ始める。
「じ、地震かしら!?」
「じしん!?」
何が何だか知らないが、とにかく危険な現象であることは間違いない。揺れはなかなか治まらず、それどころか徐々に勢いを増していくように感じられた。部屋の外から聞いたこともない音量の地響きのようなものが聞こえてくる。側にあった本棚からドサドサと本やら小物やらが転がり落ち始めるのを見て、ライフは俺に向けて「机の下に隠れなさい」と指示を出してきた。言われるがままにライフと一緒に小さな机の下に潜り込んだ。
揺れはしばらくの間続いていて、その間に部屋の中にあった本棚は倒れ、あらゆるものが床の上を転がりながら散乱していった。
やっと揺れが治まった頃には、狭いスタッフルームの中はぐちゃぐちゃになっていた。机の下から這い出てきたライフの表情は蒼白だ。
部屋の内装については気がかりであるが、今はとにかくこの部屋を出よう……と思ってドアの方を見ると、倒れた本棚が道を遮ってしまっていて、すっかり閉じ込めれてしまっていた。
密室だ。俺の顔もサッと青くなったような気がした。
倒れた本棚を持ち上げようとしてみるが、どういう材質でできていたのかしらないが重たすぎてうんともすんとも動かない。二人で持ち上げればなんとかなりそうな気もしないでもないが、随分と気の長い話になりそうだ。
どうしたものかなぁ……と立ち止まったままうなり声をあげていると、床の下から奇妙な音が聞こえることに気付いた。
トントンッ
トントン、トン
床下に住むネズミが急な地震に驚いて大移動を始めたのかな? 気になってその小さな物音を耳を澄ましながら聞いていると、だんだんと、大きくなっていくような気がした。
「何か近付いてくる」
「この図書館の下に何か住んでるなんて聞いたことが無いけど」
「いやいや、でも床下から……」
音はライフにも聞こえているみたいだ。二人して床下の音に注意を向けていると……
バコンッ
急に、硬い石材でできた床板に穴が空いたような音がして、そこから何かが絨毯の生地を持ち上げながら這い出てきた。
「な、なに? なに??」
二人して壁際まで退避しながら得体の知れない闖入者を警戒する。
「えっ!? えっ!? ヒトがいるの!?」
絨毯を頭から被ったオバケのようなシルエットが、可愛らしい声でしゃべり始めた。
「子供?」
オバケは重たい絨毯の下からなんとか脱出しようと必死に手足を動かしているようだけれど、うまくいっているようには見えない。もごもごと蠢く仕草に悪意や敵意は感じられず、それどころか、どことなく頼りなさげな雰囲気すらあった。
一人ではどうすることもできない様子をしばらく眺めているうちに、なんだか可哀そうに思い始めて絨毯の隅に文鎮みたいに積まれていた本の山をいくつかどかしてあげた。そうすると、少しだけ余裕ができた絨毯と床の隙間に向けて、小さな何かがもごもごと移動しはじめる。
「ネズミじゃなくてモグラだったかもしれない」
「一理あるわね」
「えっ!? まって、まってね、私は人間なんだよ?」
モグラと思しき闖入者は、布切れ一枚越しで初対面の相手にからかわれたことに動揺しながら、なんとか弁明しようと必死に前進して、やっとのことで絨毯の下からひょっこりと顔を出した。
ぷはぁ!
床下から現れたのは、土色のローブを頭から被った黄色い髪の男の子だった。